「ねえ、ネム」
紅葉を撫でながらも、
ネムを見ると、今度は目が合った。
「なんじゃ?」
揺れない目で、ネムが桜花を見る。
桜花は右手を
「無色のノートってなに?…私のこのノートと、関係ある?」
数枚の桜の花びらが舞い、桜色のノートが手の上に現れた。
ネムの顔が、桜のノートに近寄る。
「それは、ノートじゃの――じゃが、無色のノートは、オーカのそのノートとは似て非なるものじゃよ。……オーカは、帰りたいのか?」
ネムの瞳を見ていた桜花は、ふっと肩の力を抜いた。
「どうだろう」
紫紺の月を見上げる桜花。さらさらと、桜色の髪が
「ここでの旅は、楽しい。くーちゃんもいる。…でも、ゆき姉を心配させちゃう」
「……ふむ」
ネムは桜花から目を逸らして、夜空を見上げた。
夜空の向こうに、星樹の影が浮かぶ。
「無色のノートとは、
「…そっか」
ひんやりとした風が、桜花たちを撫でる。
桜花が紅葉に絹布をかけるのを待って、ネムが口を開いた。
「星樹の上からの絶景は、話で聞くよりも、君たちの目で見た方が良かったじゃろう? 伝え聞くよりも、自らの目で見た方が、自らの体で感じた方が良いこともある」
「うん」
「それに、ノートとは本来…。いや、それも、自らたどり着くのが良いな。オーカは、知りたいか?」
ニヤリと、笑ったネムが桜花を見る。
桜花の吐息が空に吸い込まれて、そして桜花は柔らかく笑った。
「ううん。……でも、ちょっと、ワクワクしちゃうね」
一枚の花びらが、舞っていた。
「もし見つけたら、どんなものだったか…オーカがボクに教えてくれても良いのじゃよ?」
悪戯めかした笑顔のまま、ネムが桜花に頭を撫でる仕草。
手の動きを桜花は受け入れる。
「あはは。いいね、それ。楽しみにしてて!」
倒木の上でパタパタと足を動かすと、膝で寝る紅葉がむずがるように動いた。
そっと撫でると、落ち着いた寝息に戻る。
「…ネムは、ここか星樹にいるの?」
「うむ、そうじゃの…」
桜花と紅葉をそれぞれ見て、湖に目を向けるネム。
「ボクと結びつきが強いこの場所と星樹アルヴでなら、霊体になったボクでも出現できるようじゃ」
「思い出の場所って、さっき言ってたね」
湖を見ていたネムは、そのまま湖に身体を向けた。
半透明なネムの横顔を、月光が通る。
「うむ。…そして――ボクはこの場所で友人を失った」
「…え」
桜花の瞳が、揺れる。
ネムは小さく呟いた。
「彼女の死に、ボクは……間に合わなかったのじゃ」
桜花は口を開いて、閉じて、ただネムを見る。
ネムが振り返り、微笑んだ。
「すまんの。…じゃから、ここはボクの友人の眠る土地で、昼間のオーカたちの笑顔は、きっと彼女も喜んでくれたと思う」
「そう…なんだ」
桜花の瞳が
いっぱいに
座ったまま、桜花はそっと、少しだけネムの近くに座り直す。
暗い湖面に映る月と星空を揃って眺める二人。
「…大切な、場所なんだね」
聞こえるか聞こえないかくらいの、吐息まじりの声が空気に吸い込まれた。
再び、桜花の頭の上に添えられる、半透明なネムの手。
「優しい子じゃの。…ありがとう」
「…私こそ、ありがとう」
湖面で、一匹の魚が跳ねる。
波紋はゆっくりと広がり、やがて湖に溶けていった。
朝焼けが、湖面に映っている。
緑の大地に桜花が立つ。
「それじゃあ、行くね。ネム、ありがとう」
「ネムさん、ありがとうございます!」
ツインテールに結んだ桜色の髪を揺らし、桜花が振り返った。
紅葉は、桜花の制服の胸元から顔を出している。
「うむ。この湖を下っていくと、エルフの里があるぞ」
「エルフ! お耳!」
「わわっ。おねえちゃん、揺れるよぅ」
その場で跳ねる桜花に、抱きつく紅葉。
ネムは目元を緩めて二人を見守る。
ネムが一歩分、桜花たちに近づいた。
「そうじゃ、昨日の銀十字じゃが。……もし、旅の途中で星樹の珠を見つけることがあれば、銀十字を珠に刺して…星樹アルヴを解放してくれんか」
「星樹の、たま?」
「解放、ですか?」
首を傾げる桜花と紅葉。
「うむ。星樹が入った珠のようなものじゃ。ボクのいる場所で刺してくれたら、解放できる。――あくまで、見つけたらで構わんからの」
「うん。よく分からないけど…でも、分かったよ!」
「くれはも、覚えておきます」
桜花の背中に、白い翼が生えてぴょこぴょこと動いた。
風が、草原を揺らしている。
「ネム、またね!」
「また、です!」
「うむ。またの」
両手を上げてタッチする仕草をしてから、大きく手を振る。
大地を大きく蹴って、駆けだした桜花。
勢いづけて、青い空へ羽ばたいた。
△▼△▼△▼△▼△
「えるふ、えるふ、お耳が長いー」
桜花の歌声が、空に吸い込まれた。
紅葉も胸元でリズムに乗って、揺れている。
湖の下流に沿って、段々と広くなる川の上を飛ぶ。
「今日も、風が気持ちいい!」
「うん!」
目を閉じて両手を伸ばし、風を全身で浴びる桜花。
川の先で、いくつもの煙が昇っていた。
煙の下には、木の上に組まれた家が並んでいる。
「くーちゃん、家だよ!」
「わぁ! 人がいっぱい、いるのかな」
まだ少し遠くに見える里へ向かって、一直線に飛び続ける桜花。
里の端にある、木の門が近づいてきた。
「ついたー!」
「とっ」
翼をしまった桜花は目の前にある、木製の門を見上げる。
紅葉が胸元から地面へ飛び降りた。
門へ駆け寄ると、中世的な顔立ちのエルフが立っている。
「エルフだ! こんにちは、私は桜花!」
「こんにちは。…くれは、です!」
「ああ、いらっしゃい。旅人だね、こんにちは。シラキノと言うよ」
桜花の瞳が小さく煌めいた。
「あの! お耳、触ってもいいかな!」
「おねえちゃん!?」
エルフの耳を一点に見て、歩み寄る桜花。
門に立つエルフは、後ずさりした。
「……エルフの耳は、異性が触ると
「んに。そうなの?…ごめんなさい」
その場に留まり、桜花はぺこりと頭を下げる。
桜花と紅葉を見て、微笑むエルフの男性。
「ふふふ。同性の子と仲良くなったら、頼んでみると良いよ」
「うん…ありがとう、シラキノ!」
「もう。おねえちゃんってば、くれはの耳もいつも触ってるのに」
「えへへ」
ぴょんと跳びはねた紅葉が桜花の肩に乗った。
もこふかな毛皮で頬ずりする紅葉を、桜花が撫でる。
「…里に、入らないのかい? オーカにクレハ」
「そうだった! お邪魔します!」
「
桜花たちは門をくぐり、里の中へ進んだ。
木が立ち並ぶ、里。家々は全て、木の上にある。
「秘密基地みたい!」
「ふわぁ…。すごい」
木と一体化したように建った家を、きょろきょろと見渡す桜花。
家の外でフルートを吹いていたエルフに手を振ると、手を振り返された。
「いい町だね」
「うん!」
「…まずは、服屋さんに行きたいなぁ。それからお風呂に、ちゃんとしたトイレもあるかな!? どこだろ」
「きゃっ」
上を向いて歩いていると、誰かにぶつかった。
そこにいたのは、猫耳パーカーを被り、首の後ろに大きな鍔の魔女帽子の少女。
ライトブルーの髪が、フードの隙間から見える。
「魔女の子だ!」
地面に座り込んだ少女に、桜花が抱きついた。
杖が地面に転がっている。
「むむ。…あったか、い……あなたは、白の街で会った」
「桜花だよ。明里桜花! こっちは妹のくーちゃん」
「くれは、です」
笑顔の桜花に抱きしめられたまま、動かない少女。
桜花の瞳を見つめている。
「あなたのお名前は?」
「…わたしは、
永愛から離れた桜花は手を伸ばして、転んだままの永愛を起こした。
「永愛! よろしくね!……それと、ぶつかっちゃってごめんね?」
「おねえちゃん、遅いような…」
「え、えへへ。そんなことも、あるよね!」
桜花たちやり取りを見ながら、手を握られたままの永愛。
そっと両手を添えた。
「いい。わたしも、ごめん。…それよりも、あれから無事だったんだ。良かった」
「…? 私はずっと元気だよ! 永愛も、元気そうで良かった!」
こくりと頷いた永愛。くりくりとした藤色の瞳が、桜花と紅葉を見ている。
「永愛は、前からここに来てるの?」
「ううん。さっき来たところなの」
「そっか。それなら」
桜花は手を離して、村に身体を向ける。
「三人で一緒に村を見よう?」
「…いいよ」
「うん!」
桜花は地面に転がる杖を拾い、永愛に手渡すと、再び手を繋ぐ。
桜花に手を引かれる永愛と、肩に乗る紅葉。
軽い足取りで、桜花は村へ踏み出した。
「見て! 木と家が合体してる!」
「すごいね!」
「興味深い。自然と共生というより、一体化してる?」
村の中へ進んでいく桜花は、弾むよう。
何人かのエルフの住人とすれ違う。
挨拶をすると、返事が返ってきた。
「永愛はここに、何しに来たの?…冒険?」
「ううん。…わたしは、秘伝の魔導書を探しに来た」
「魔導書、いいですね」
ピクンと立った紅葉の耳が、桜花の頬を撫でる。
くすぐったそうな桜花は、紅葉の耳を一撫でした。
「くーちゃんも魔導書見たいんだ。…魔導書、見つかるといいね!」
「ありがとう」
「魔導書…くれはも、読みたいな」
ぼんやりと呟いた紅葉に、永愛が視線を向けた。
「それなら、一緒に読む?…三人で」
「いいの?」
首を傾げる桜花。その瞳は煌めいている。
「いいよ。楽しそう」
「わ! えへへ!」
「ありがとうございます!」
桜花が永愛に抱きついて、三人の歩みが止まった。
身体を少し離して、永愛の肩を両手で掴む。
「珍しい魔導書、どこを探すの?」
「…まずは、この村の図書館に行ってみようと思ってる」
「図書館…おねえちゃん、あの木の上の建物は違う?」
紅葉が前足で差した先の木には、木製の看板が取り付けられた建物があった。
看板には、本の絵が描いてある。
「あそこかも!」
「お手柄だ」
二人の目線を受けて、紅葉の尻尾が大きく振られた。
桜花が再び、永愛の手を握る。
「じゃあ、行こう!」
「うん」
「ちょっと待って、お姉ちゃんたち!」
踏み出そうとした桜花たちの横から、幼い声が聞こえた。
振り向くと、そこにいたのは桜花よりもずっと幼い、エルフの女の子。
「旅人さんたちだよね! 私たちの村にようこそ! かんたいの
エルフの子は
「わぁ!…くーちゃん、永愛、いいかな?」
「うん」
桜花の視線の向いた、紅葉と永愛が頷いた。
「ありがとう。宴、行くよ!」
「うん! 来て!」
永愛と手を繋いでいる桜花の、逆の手を握ったエルフの女の子。
握った手を引っ張って、村の中を進んでいく。
木漏れ日の差す中、桜花たちの笑い声が響いていた。