空魚の泳ぐ、森林の間の踏み固められた地面を、二頭の走りオオカミが走る。
「すごい! 気持ちいい!――ありがとう。クゥ、ルゥ!」
走りオオカミの背中に乗ったまま、身を乗り出してその背に思い切り抱きつく桜花。
フサフサの毛並みに、桜花の顔が埋もれた。
「…おねえちゃん、苦しいよぅ」
「わわっ!…ごめんくーちゃん」
桜花の腹と走りオオカミの背に挟まれた紅葉の声に、桜花は慌てて身体を起こす。
押し潰されていた紅葉のキツネ耳が、ひょこんと戻った。
「ふふっ。おねえちゃん、楽しそう」
「楽しいね!」
隣を走っていた永愛の声が、風の音に紛れつつも桜花に届く。
「…そろそろ、目的地に着く」
「うんっ! 行こう!」
手綱をほんの少し引くと、走りオオカミは更に速度を上げた。
△▼△▼△▼△▼△
「てやっ!」
「ブオオオオッ!」
桜色のツインテールが、
地面に着くほど長い耳を持つ、丸々と太ったバイソンが地面に倒れた。
「ごめんね」
「…桜花、ちゃん。すごく…強い」
桜花の後ろにいた永愛が、ぱちくりと瞳を瞬かせる。
「えへへ」とはにかんだ桜花は、ポーチから魔性図鑑を取り出した。
「おねえちゃん、図鑑、どうだった?」
「んっとね」
バイソンの前で図鑑を開くと、ページがパラパラとめくれ、一つのページで止まる。
「…ロップバイソンって言うんだって。お肉はミネラルが豊富でジューシーで、特に耳の部分がコリコリでおいしいらしいよ」
「わあ。…お腹ぺこぺこ」
桜花が図鑑を読み上げている間、穴が開きそうなほど図鑑を見つめていた永愛が、口を開く。
「――その図鑑、高度な魔法がかかってるの?…魔具? こんな魔具を、どこで…」
「お友だちのネムにもらったんだ! 見てていいよ!」
「んっ。…ありがとう」
桜花が魔性図鑑を永愛に手渡すと、永愛は魔性図鑑を開いた。
図鑑から目を離さなくなった永愛に微笑んだ桜花は、カゼハバネを握り直した。
「よーし。それじゃ、解体していくよ」
森の中の開けた地面に、焚き火の炎が上がる。
串に刺さった肉から肉汁が落ち、香ばしい匂いが漂っていた。
くぅ、と紅葉の腹の音が鳴った。
「くーちゃん、もう少し待っててね」
「…うん。ありがとう」
「…桜花、ちゃん。解体できて、逞しい。……猟師の子?」
魔性図鑑を膝に置いた永愛が、桜花に視線を向ける。
「ううん。――でも、生きるってことは頂くってことなんだって、私のおじいちゃんから聞いた…から?」
「…そう、なんだ」
桜花をじっと見つめたまま、永愛は唇を一度開いて、そして閉じた。
火から離れた場所に座っている走りオオカミに視線を移す桜花。
「リナリア、来れなかったね」
「うん、今日はお勉強だって。ミモザさんに、連れてかれちゃったね」
「お勉強、えらいなあ」
桜花の視線に釣られ、紅葉も二頭の走りオオカミを見る。
伏せたまま大あくびをした走りオオカミは、前脚の上に頭を乗せた。
「桜花、ちゃん。聞いてもいい?」
「うん? どうしたの、永愛。……えっと、呼びづらいなら、呼び捨てでも、おうちゃんでもいいよ?」
つっかえながらも桜花を呼んだ永愛に、桜花が胸に手を当てて答える。
永愛は何度か口を開け閉めして、息を吸った。
「……おう、ちゃん。は、平成…初期の生まれ? わたしの時代とは少し違う気がすると、思ってた」
「んに。そうだよ? 永愛は違うの?」
首を傾げる桜花。永愛が小さく頷く。
「わたしは、令和後期の生まれ。……令和って言うのは、平成の一つ後の年号」
「そうなんだ。…私、永愛から見ると、おばあちゃん?」
「違う。…年代的にはそうかもだけど、そうじゃない。……この世界に来た旅人の時代は、ばらばら」
「ふむふむ」と何度か繰り返していた桜花は、がばっと顔を上げた。
「そんなことも、あるんだ。面白いね! 永愛、私にとっては未来人だ!」
「そうかも、しれない。…おうちゃんみたいに温かなひと、初めて」
「そうなの?」
地面を見つめ始めた永愛に、桜花は立ち上がってゆっくり近づく。
永愛の前まで来ると、ゆっくりと抱きしめた。
「えへへ。あったかい?……あれ、違った?」
「……そうじゃないけど、そう」
桜花の小さな身体に包まれた、更に小さな永愛が
紅葉の声が、割って入った。
「えっと…おねえちゃん、お肉が焦げてきてる……」
「えっ。わあああああ!! 焦げちゃう!!」
永愛の身体を離した桜花は、慌てて焚き火から肉を離した。
「ごちそうさまでした!…おいしかったあ」
「くれは、もう食べられないぃ…」
三人と二頭の走りオオカミは、たっぷりの肉で満腹になり、それぞれ地面や倒木で休んでいる。
走りオオカミは、食べ終わった後の骨を舐めていた。
「んに。クゥもルゥもお腹いっぱいみたいだね。残りのお肉はポーチにしまっておくよ!」
傍に置いていた肩掛けポーチを拾って、ごそごそと肉を詰め込んでいく桜花。
永愛が桜花の様子をじっと見ている。
「そのポーチ、空間収納機能付き…。容量はあるの?」
「んー?…分かんない! 重さは中身の分だけ増えるみたいだよ!」
永愛に向けて、ポーチをかざす桜花。
「たぶん、それ…かなり貴重。…おうちゃん、只者じゃ、ない」
「ほえー。でも、これをくれたネムがすごいのかもだよ?」
しげしげとポーチを眺めていると、紅葉が足元まで来た。
「…おねえちゃんもネムさんも、すごいよ?」
「えー。んへへ。くーちゃんも、永愛もだよ!……でも、すごいものなんだ。ネムにありがとう、だね」
ポーチに肉を詰め込み終えると、桜花たちは出発した。
△▼△▼△▼△▼△
森林の中でうねうねと延びる細い道を、歩いて進む桜花たち。走りオオカミを引き連れている。
「けっこう、木が多くなってきたね」
「借りた地図では、ホタルの洞窟はこの辺り。…もう少し先かも」
木漏れ日の差す道を歩いていると、その先が開いてきた。
「洞窟だあ!」
「おねえちゃん、待ってー!」
木々がまばらになった先には切り立った崖がそびえ、岩肌に洞窟。
駆け寄る桜花を紅葉が追いかける。
洞窟の前に立った桜花の笑顔が輝き始めた。
「洞窟だよ! 冒険の香りがする!」
「…ここ、みたい。岩肌は普通。中にラピスがあるの?」
桜花に追いついた永愛が、ホタルの洞窟を観察している。
洞窟の周囲には青いウサワタが転がっていた。
「入って、みる?」
「入ろう!…ここで待っててね、クゥ、ルゥ」
「アォン」
クゥの鼻先を撫でると、スピスピと鳴く。桜花に
何度か撫でてから手を離した桜花は、指先に魔法陣を展開させた。
「それじゃ、行こっか!…洞窟の中は危ないかもしれないし――『毒調べ』」
「うん!」
桜色の炎が桜花の指先に灯ったのを見て、聞こえないくらいの声で永愛が呟く。
「…無詠唱。おうちゃん、やっぱり…普通の旅人じゃない」
鼻歌を歌いながら進む桜花と紅葉に一歩遅れて、永愛が続いた。
洞窟の中に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が三人を迎える。
ゆらゆらと、洞窟の中を照らす毒調べの桜色の炎。
「――うん、大丈夫そう。色も揺れも、変わってないね」
毒調べの炎を灯したまま、奥へと進んでいく。
青い、光が見えてきた。
「わああ!――綺麗…宝石が、青に光ってる!」
「あれがラピス? 綺麗だね、おねえちゃん!」
洞窟の奥では、壁や地面、天井からもラピスの宝石が生えている。
壁から伸びたラピスに触れて、観察する永愛。
「…ラピスが示す、青き道を
「すべすべ。…持って帰ると、悪いね」
桜花と紅葉もそれぞれ近くのラピスに触れると、ひんやりとした冷たさが伝わってきた。
「おねえちゃん、永愛さん。あそこ、光ってるよ!」
「んに?…ほんとだ! くーちゃん、えらい!」
紅葉の前足が示した先には高い岩壁があり、その上の空間からは青い光が瞬いていた。
桜花が紅葉を抱き上げて、その場で回る。
「…上に、行ってみる?」
「行こう!」
「うん。…任せて。『マキナル・ウーラ・アル・ヘイスオル・ティムオル』」
呪文を唱えたあと、永愛と桜花、紅葉の身体がふわりと宙に浮く。
「浮いてる…!」
「すごい、なにこれ! さっきのも魔法使いみたいでかっこいい!」
「…詠唱、知らない?」
空中に浮きながら、身体の前でふよふよと足を泳がせて、満面の笑みになる桜花。
「初めて聞いた!」
「そう…やはり」
「そうだ。くーちゃん、おいで。永愛も!」
紅葉を服の胸に収めて、桜花は考え込んでいた永愛の片手を掴む。
「よーし!」と口に出してから、背中から翼を生やした。
「飛ぶよ!――軽い!」
「ひゃあぁ!」
「――っ」
グンと加速して風を切り、洞窟の中を飛翔する三人。
あっという間に岩壁の上に着いた。
岩壁の上に立つ桜花の隣で、永愛が座り込んで深呼吸をしている。
「わあ…おとぎ話の中みたい…」
「…きれい」
「……ふぅ、はぁ。…これは、幻想的。まさに、ホタルの洞窟」
三人の眼前には、瞬くように淡く光る壁と、その光と同じ周期で青く輝くラピスの
「洞窟の壁に生えたコケが光って…その光の青をラピスが反射してる?…これは」
「来てよかったね!」
「――うん。そう。とても、そう」
△▼△▼△▼△▼△
洞窟の外の、木陰の下に座ってひと休みする桜花たち。
走りオオカミの横腹に背中を預けた桜花が、背伸びをした。
「んー。ホタルの洞窟、綺麗だったけどグリモアの暗号は分かんなかったね」
「たぶん、現状では判断する材料が足りない。…他の洞窟も見てみたい」
「楽しみだねえ」
膝の上で眠る紅葉を撫でながら、ぼんやりとあくびを嚙みしめる桜花に、永愛が向き直る。
「おうちゃん」
「永愛、なに?」
「…魔法とは、再現可能な技術と聞いた。わたしが使ってみても、そうだと思う。…無詠唱魔法は相当な熟練が必要で、それでも魔法は決まった効果に限られる、はず」
「ふむふむ。そうなんだ」
上体を起こして、
「――だからこそ、あなたの魔法は技術の枠を超えている……気がする。少なくとも普通の旅人じゃ、ない。なぜ?」
「んー。なんとなく、こうかなって思ってやってみてるから、分かんない!…普通って違うの?」
首を傾げる桜花が尋ねると、永愛はぱちくりと瞬きを繰り返した。
「…もしかして。おうちゃんは、しばらく白の街に戻ってない?」
「うん? 最初に会ってから帰ってないよ?」
「そう…それなら、知っておくべきかもしれない」
不思議そうな顔の桜花を見つめ、永愛は一度、唾を飲んだ。
「…わたしたちが最初に来た白の街。…その西地区は、崩壊した」