「ほう。君たちは迷子になって、この場所に辿り着いたんじゃな。…何処に行く予定なのじゃ?」
その場が落ち着いた頃、桜花と紅葉の事情を聞いたエルフの言葉だ。
「うーん。決めてないけど、冒険したいな! とりあえずこの木のてっぺんまで登ってみたい!」
「はい。この場所が何なのか、くれはたちは何も分からないんですけど…。とにかく上を目指してみようと」
「さっすがくーちゃん! そういうことだよ!」
桜花に続く紅葉の言葉に、桜花は紅葉を抱き寄せる。
エルフの少女は小さく笑い、そして顎に手を当てる。
「冒険か。それは――いいな。心が、踊る」
「だよね! えへへ」
「そうじゃな。……うむ。それに、この樹はきっと多くの冒険となるじゃろう。――何より、頂上からの景色はまさに、絶景じゃ」
「絶景…!冒険…! それ、すっごくワクワクするね!」
「うん。くれはも楽しみ!」
顔を見合わせる、桜花と紅葉。
明るい空気が満ちるも、エルフの少女が「じゃが」と空気を止めた。
「危険な道のりになるかもしれんぞ。ボクですら、この星樹の上層は、現在観測できなくなっておる。それでも、行くか?」
桜花は紅葉に視線を向け、そしてゆっくりと頷き合う。紅葉の琥珀色の瞳が、エルフを見た。
「うん。行くよ! 冒険だもん。分からないから、ワクワクするんだよ!」
にこやかに言い放った桜花と、そして隣に立つ紅葉。
エルフは眩しいものを見るように、彼女たちを見つめる。
一言、「良し」と溢して少しだけ真剣な表情になった。
「さて、ボクのことは…ネムとでも呼んでくれ」
「ねむ?分かったよ!かわいい名前だね!」
「そうじゃろうそうじゃろう!大切な友からもらった名前じゃからな」
名前を褒められて大きく微笑むネム。にこやかなまま、二人へ話しかける。
「うむ。…クレハも、ボクのことはネムと呼んでくれ」
「は、はい。ネムさん」
紅葉の返答に、「うむ」と頷くと、笑顔になるネム。
「ぬっふふ、君たちの冒険にボクも同行しようと思っての。と言っても、霊体だから、オーカたちには触れられず、付いていくだけじゃが。良いかの?」
「うん!もっちろん! よろしくね、ネム!」
桜花は再び距離を詰めて、両手でネムの手を握ろうとするも、再びその手は空を切った。
△▼△▼△▼△▼△
星樹の迷宮を、桜花たちは歩む。
淡く光る洞の道。並ぶ桜花と紅葉の後ろを、ネムが浮いている。
「わあ! くーちゃん!綺麗な木の実があるよ!…ネム、これは食べれるの?」
桜花が見つけたのは、赤い小粒の果実。木壁から生える
ネムは目を閉じ、指を立てた。
「うむ、食用可能じゃ。じゃが――」
「いただきます……ふぎゃっ! ひゅっぱいー!」
しかしネムの言葉は途中で止まる。
食用可能と聞いた桜花が、即座に口に運んでいたからだ。
「おねえちゃん! 大丈夫?」
「ベロがひびれう…」
目をつぶり、舌を出す桜花。頬に手を当て、はふはふと息を漏らす。
笑うネムが、果実に指先を向けた。
「それもまた経験じゃ、な。…これは、モルモの実での。熟すまでは痛いほどに酸っぱいのじゃ。――ほれ。そこの紫色になった実を食べてみよ」
「…こっち?」
ネムが指した果実をもぎ取り、口の前に運ぶ。
恐る恐る、かじる桜花。――瞬間、桜花の表情が弾けた。
「あっまい!おいしい! これは、イチゴみたいだけどもっと甘いね」
頬っぺたに両手を添えて、満面の笑みだ。
ごくりと、唾を飲む紅葉。
「ほら、くーちゃんも」
もう一つ、もぎ取ったモルモの実を紅葉に差し出す。
桜花の手のひらの上の果実を、紅葉は慎重に、口に入れた。
「…おいしい。これが、イチゴの味…」
ゆっくりと味わう紅葉を見て、にんまりと微笑む桜花。
「ね! おいしいでしょ!いくつか持っていこう」
モルモの実をもぎ取り、肩にかけたポーチにしまっていく。
「うむ、気に入ったようじゃな。――そのポーチは見た目以上に詰め込めるようになっておるからの。ただし、重さは中身の分だけ増えるから注意じゃぞ」
「うん! ありがとう!このポーチもとっても素敵だね」
ポンポンと、モルモの実が入ったポーチを叩く桜花。
ふと、カップ状の花が咲いた草に目を移した。
「ネム、これはなに? 綺麗な青い花」
「おお! それはコダマソウじゃ。これは面白いぞ。オーカ、この花弁になにか話しかけてみろ」
「こだまそう?」
首を傾げて、花に顔を近づける桜花。
そのまま、言葉を投げかけた。
「こんにちは!私は桜花! 冒険がとっても楽しい!」
「――うむ。では根元からちぎって、茎に息を吹き込んでみるのじゃ」
「うん。こうかな?」
桜花は手に取ったコダマソウの茎を、口に当てる。
紅葉が静かに見守るなか、息を吹いた。
『こんにちは!私は桜花! 冒険がとっても楽しい!』
コダマソウから発せられる、桜花の声。
桜花と紅葉の瞳が、キラキラと輝く。
「なにこれすっごい!」
「おねえちゃんだ!」
それぞれの反応に満足げなネム。
何度かコダマソウを吹くも、声は変わらず発せられた。
それから桜花はゴソゴソと、コダマソウをポーチにしまう。
「む」
その時、ザリ――と、何かの音がした。
ネムが、口元に指を当て、静かにというジェスチャーをする。
真似て、紅葉にも同じジェスチャーをする桜花。
「――魔性のお出ましのようじゃ。オーカ、クレハ、いけるか?」
「…うん。大丈夫」
コクリと頷き、桜花はポーチから取り出した小剣を、握り締めた。
ビクリと小さく跳ねる紅葉。
曲がる樹の通路の先から、現れたのは一匹の小豚鬼。片手には棍棒を持っている。
桜花たちに気づいて、慎重に近づいてきた。
「グゴッ」
「あれは、ゴブタンじゃ。魔性の中では弱いほうだが、知能は高めじゃの」
ゆっくりと距離を詰める子豚鬼――ゴブタン。
皺くちゃなその顔が、歪む。
桜花の指先はかすかに、震えていた。はやる鼓動が、耳に響く。
ふと、隣を見ると、四肢が震えている紅葉。
桜花は小さく息を
「くーちゃん、大丈夫だよ。見てて」
「…おねえちゃん」
小剣を握り直す桜花の指先の震えは、止まっていた。
まるで歩き出すかのように、踏み出す。
「いくよっ」
接近する桜花に、ゴブタンが棍棒を振り下ろす。
柔らかに、斜め前方に跳躍する。その髪の一房にも当たらない。
「てやっ」
「ゴギャッ!」
切り付けられたゴブタンの顔が、更に歪んだ。
乱暴に振り乱す棍棒を、躱し続ける桜花。躱す度に、ゴブタンを切り付ける。
桜色のツインテールが、舞う。
「やっ! やっ!…やあ!」
数度の剣閃を受けて、ゴブタンは地に沈んだ。
桜花はそのまま小剣を構えてゴブタンを見るが、起き上がることは、ない。
大きく息を
「おねえちゃーー!」
「んにっ」
紅葉が、桜花の懐に飛び込んできた。
その小さな身体を、ぎゅっと抱きとめる。
「オーカ」
胸元に紅葉を抱きしめたままの桜花に、ネムが寄ってきた。
ニヤリ、と笑みをこぼす。
「よくやったの。動きは未熟じゃが、節々から才気を感じる」
「ほんと? えへへー」
「おねえちゃん、すごい!…それに、ありがとう」
「うむ」と、口元を緩めるネム。それから、緩めた口元を引き締めた。
「じゃがの…星樹のこの先は、ゴブタンよりも強力な魔性が多く棲む。…進んだことを、後悔することもあるかもしれん。――それでも、オーカは進むのか?」
ネムのセピア色の瞳が、わずかに光る。一歩近づき、桜花たちの正面に立った。
桜花は一拍だけ、キョトンとした表情。にこりと笑った。
「うん。進むよ。だって、行かないほうが後悔すると思う」
「ふむ。…うむ。その心意気、ボクは好ましく感じるな。――じゃが、クレハはどうする?」
桜花の腕の中に納まっていた紅葉が、小さく息を飲んだ。
ネムが、厳かな表情のまま、続ける。
「見たところ、その子は身体相応のマナしか持っていないようじゃ。…連れて行くのは、危険かもしれん。下層のここで、待っていてもらった方が安全ではあるぞ」
ゴクリと、紅葉は唾を飲みこむ。
腕の中に視線を落とす桜花。軽く頭を撫でてから、ネムに視線を戻した。
「…そう、かもしれない。それでも、私は……くーちゃんはどうしたい?」
紅葉は一度だけ目を閉じてから、ぴょんと飛び降り、地面に立つ。
樹の地面は、滑らかで紅葉の四肢を受け止めた。
「くれはは、行きたい。おねえちゃんと一緒にいたい」
「――うん」
ネムから桜花に目線を戻し、二人は静かに笑う。
「それなら、私はくーちゃんを連れていくよ。だって、その方が楽しそうなんだもん」
桜花も立ち上がり、ネムを見る。
ネムは、表情を変えずに二人を見ていた。
「それに、お互いに助け合えばいいんだよ。…そうしたいんだ」
桜花は最後に紅葉を流し見て、頷きあった。
そこまで聞いたネムは、ふっと口角を上げる。
光っていた瞳も元に戻り、ネムは空中にふわりと浮いた。
「うむ。きっと、オーカとクレハは良いコンビとなるな。――それに」
胸元に手を当て、言葉を続ける。
声の抑揚が、柔らかくなった。
「心は、生きる上で重要な器官じゃ。心が望むのなら、それは進む理由と言っても良い。……すまんの。意地悪なことを聞いて」
「ううん。ネムは、私たちを心配してくれたんでしょ? ありがとう」
「あの、ありがとう、ございます。くれはも、頑張ります!」
ぺこりと礼をする桜花と、それに倣う紅葉。
顔を上げた桜花は、「あれ?」と呟いた。
「ねえ、ネム。ここ、少し暗くなってきたよ」
「…わ、ほんとだ。さっきより暗い気がする」
きょろきょろと、辺りを見渡す二人。
明るかった樹の通路は、ほんのりと青白くなっていた。
「うむ。星樹の外では日暮れのようじゃ。夜になると、更に暗くなるぞ」
「そうなの?…それじゃあ、今日はここまでだね。お休みしよう!」
元気に休息を宣言した桜花。
ネムは安全な場所として、少し入り組んだ場所へ案内した。
△▼△▼△▼△▼△
星樹の通路の、枝分かれしたうちの一本。その突き当りの空間。
そこには、淡く光る、青い花々が咲いている。
そして奥には、壁から湧き出る水が溜まった泉があった。
「わあ――きれい」
「すごい、ね」
足を踏み入れた桜花と紅葉からは、漏れ出るような声。
「うむ。星樹とは、世界のマナの均衡を保つ存在なのじゃ。…じゃから、そこの泉にはマナが混ざっておる。浸かるとマナが回復するし、そのまま入れるぞ。――何より、この泉は温かい」
「温泉だあ!!」
湯気が、泉から立ち昇っている。桜花は両手を上げて、歓声を上げた。
ソワソワと、泉に近づく桜花は水面に手を当てる。
「あったかい! 温泉だよ!くーちゃん、温泉だよ!」
「きゃー!」
桜花は大きく振り返って紅葉を抱き上げ、くるくると回りはじめた。
なされるがまま、紅葉は一緒に回る。
「喜んでくれたようで嬉しいの。…そうじゃ。エルフはの、お湯に浸かる前に、身体を清める習慣があるのじゃ。――清めの魔法、3C魔法を知りたいか?」
「さんしーまほう? 魔法!教えて!」
「魔法…くれはにも使えるかな」
ネムの前まで駆け寄って、片手を上げる桜花。紅葉は抱かれたままだ。
ネムは指を立てて、再度口を開いた。
「まあ、問題ないぞ。――魔法とは、マナがあれば誰でも再現可能な術式じゃ。……では、早速じゃが、指先にマナを集めて、ボクの指の動きをなぞってみてくれ」
二人は、ネムの指の軌跡をなぞる。
何度か繰り返して、そして。
「できた! わあ…体がしゅわしゅわ。ほら、くーちゃんも!」
桜花の身体を、いくつもの泡のようなものが包む。少しして、桜花の魔法が紅葉の身体も泡で包んだ。
少し経って、泡はゆっくりと消えていった。
「うむ。それが、3Cのうちの一つ。汚れや異物を分解する『クリア』の魔法じゃ。――気持ち良かろう?」
「うん。とっても!」
「くれははできないよぅ。マナが見えなくて…ごめんね、おねえちゃん」
自らの前足に、視線を落とす紅葉。
その頭をひと撫でし、桜花は笑いかけた。
「くーちゃん、大丈夫だよ! あとで一緒に練習しようね」
「おねえちゃん…うん!」
それから二人は、樹の凹凸によって作られた、湯舟に入った。
「ふわあ…。あったまるうぅ」
肩までお湯に浸かった桜花が身体を伸ばし、力の抜けきった声を吐いた。
泉の少し浅いところには、紅葉が顔を出す。
「おんせん、あったかい」
「温泉…気持ちいいね、くーちゃん!」
「…うん、気持ちいい!」
目を閉じて、ゆっくりと身体を休める。
桜花たちの側に咲く花が、柔らかな灯りとなっていた。
「ふわ…ぽっかぽかだあ」
「くぉん…」
湯舟から上がった桜花と紅葉は、樹の空間に寝転がっている。
紅葉の瞳は既に、半開きだ。
「…でも、ネムは入れないの、勿体ないね。私たちだけ入っちゃった」
「むふふ。君たちが癒されたのなら、ボクにとっては一緒に入ったのとそう変わらんよ」
桜花たちの傍で、宙に浮いたまま足を組むネム。
「そっか――えへへ」
「――うむ。…明日からもきっと、冒険が待ち受けているじゃろう。ここに魔性は来れないから、今日は、ゆっくり休むと良い」
「うん、そうする――」
ゆるやかに、桜花は瞳を閉じる。
星樹のなかで、三人は穏やかな夜を迎えた。