家を出て裏の山道を200m直進、右に50m歩いた所に、ぼくの神様はいる。


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陽炎と朧

 それは憂さ晴らしだったのかもしれないし、逃避だったのかもしれない。

 

 両親の喧嘩を聞くのが嫌で、ある休日、ぼくは家を飛び出し裏山に駆け込んだ。

 

 

はぁ、はぁ、はぁ……

 

 

 せっかくの休日を怒声で台無しにされてはたまらない。そんな思いの元、裏山にやってきたのだけど……

 

 

……やることないなぁ。

 

 

 虫取りはそこまで好きじゃない。友達が傍にいるわけでもない。完全にノープラン。蝉の鳴き声だけがただうるさかった。

 

 せっかくだからこの山の全容を把握しておくか。そんなことを考えて散策を始めた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 ……喉が渇いた。着の身着のまま飛び出してきたため水分補給の手段は無い。夏の昼は、小学生のぼくにはあまりにも過酷な環境だった。

 

 

暑いなぁ……

 

 

 一旦帰って水筒を持ってくるべきか。そろそろ喧嘩も収まったんじゃないか。そんなことを考えながらもぼくの足は止まらず。

 

 

はぁ、はぁ……

 

 

 気づけば山の中を一回りしていた。季節が季節なだけに体中が汗でびっしょりだった。

 

 

……帰ろ。

 

 

 どうか喧嘩が終わっていますように。淡い期待を胸に募らせて帰路につく。すると……

 

 

……あれ?

 

 

 家から逃げ出した時は気づかなかったけど、分かれ道が存在していた。その奥には鳥居が見える。こんなところに神社が……?

 

 

……

 

 

 不思議とぼくは誘われるように歩き出した。汗でへばりつく服の不快感も今は遠く。

 

 

家の裏にこんな場所が……

 

 

 寂れた神社がそこにある。一礼してから鳥居を通ると、やけに空気が冷えた。

 

 ……心地が良い。なんともなしに安心できる、包まれるような存在感があった。喉の渇きすら忘れる程に。

 

 ぼくはしばらく突っ立って、ひんやりとした空気を吸っていた。すると突如、ぼくのものでない声が響いた。

 

 

「やあ。初めまして。人間を見るのは久しぶりだ」

 

 

 本殿の方向に振り返ると、一つのヒトガタが空から降りていた。

 

 美しいとか可憐とかではなく、″きれい″だと思った。木漏れ日を裂く、海のような方だった。

   

 

どうも、こんにちは。

 

 

 超常的出会いを前にしたぼくの口から飛び出した言葉は、驚くほど普通の挨拶だった。

 

 

「うん。挨拶ができるのはいいことだ。こんにちは」

 

 

 さて、どうするべきか。まずは探りを入れるべきか。

 

 

あなたは誰なんですか?

 

「私?私はここの神様だ」

 

 

 神様、と脳内で反芻する。なるほど確かに威厳はある。この強烈な存在感も、神様が発していると考えれば説明が付く。

 

 

あの……

 

「ん?」

 

また、改めて会いに来ていいですか。

 

「いいよ。私はきみを歓迎しよう」

 

 

 とにかく今は水分補給。まだ死にたくない。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

こんにちは。

 

「ああ。こんにちは」

 

 

 後日。学校の帰りから直接神社に顔を出した。

 

 

「きみ、小学生だよな。授業はいいのか?」

 

今日は午前で終わりなんです。

 

「なるほど。立ち話は疲れるし、そこで話さないか」

 

 

 神様が指さしたのは簡素な造りの休憩所。そこなら椅子も机もある。しかし雑草が至るところに生い茂っていて、椅子は浸食されかけていた。手入れも視野に入れる必要があるかもしれない。

 

 

えーっと……あなたはどういう神様なんですか?

 

「さあ?」

 

さあって……

 

「私自身も分からない。忘れちゃったんだ。人間からの信仰が遠のいて」

 

 

 胡乱げな表情で神様は宙を見やる。改めてだけど、やっぱりきれいだ。

 

 

「きみはどう?学校、楽しいか?」

 

……義務教育なので、楽しいとか楽しくないかとかは考えてないです。

 

「マセてるなぁ」

 

 

 別にいじめられているみたいなものは無い。ただ、友達と遊ぶ時も家族といる時もどこか冷めていた。

 

 そんなぼくが、この神様には無性に惹かれている。これが神性というものなのだろうか。

 

 

少しお参りしてもいいですか?

 

「もちろんもちろん。……せっかく参拝してくれるのなら何かもてなしてあげたいけど、生憎ここは草しかなくてな」

 

いえ、対価は要りません。ぼくがそうしたいだけですから。

 

「無欲だな。その歳ならもっと色々欲しがっていいものを」

 

 

 ぼくに欲しいものは無い。それでも一つ願いを残すなら、両親に喧嘩してほしくない。この一つに尽きる。

 

 拝殿に立ち、手を合わせる。合掌。願い事はしない。それでも念じる。神様に向けて一心に。

 

 

「……人間から信心を受けるのも久しぶりだ」

 

分かるんですか?

 

「それだけ強く祈られれば、いやでも気づく」

 

 

 ……また来よう。ぼくはそう決意した。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

こんにちは。

 

「やあ、こんにちは。……どうした?鎌なんて持って」

 

雑草を刈ろうと思って。

 

 

 せっかくの心地良い空間なのに雑草だらけでは気分が萎える。というわけでぼくは雑草除去を断行した。

 

 

はぁ、はぁ……

 

「ジュースでも用意できたらいいんだが、ここには何も無いからな……」

 

はぁ……神様がいるじゃないですか。

 

「神といえど全能ではないからな。あまり私に期待はしないでくれ」

 

 

 ぼくが罰当たりにならない範囲で雑草を刈りゴミ袋につめる間も、神様はふよふよと辺りを漂いながらぼくを見ていた。

 

 

はぁ、はぁ……暑い……

 

「夏場だからな。水筒、持ってきたか?」

 

はい。ここに。

 

 

 この空間はやけに空気が冷えている。とはいえ夏真っ盛り。その中で草刈りなどしていれば当然汗も流れていく。

 

 そして数時間が経過したが、刈っても刈っても雑草群は終わりが見えない。これは長期的に腰を据えて取りかかった方がいいな。

 

 

すみません。取り切れないのでまた来ます。

 

「おー、いつでも来ていいぞ」

 

 

 ひらひらと手を振る神様に一礼して、ぼくは踵を返した。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「だからアンタはなんでいつもそうなの!」

 

「オマエの方こそ、自分ばっかりじゃねぇか!」

 

 

 また始まった、と心の中で嘆息する。

 

 両親の喧嘩。聞く方はたまったものではない。というわけだから夕食を早々に胃へ収め、ヒグラシが鳴く山の中へ繰り出していった。

 

 持ち物は麦茶を入れた水筒、鎌、そしてゴミ袋。まとめてリュックサックに入れて家を出る。

 

 夕暮れ時の山は飲み込まれるような威圧感が漂っていた。猪や熊などの野生動物は確認されていないとはいえ、微かな恐怖がこめかみを突く。

 

 今日はよく晴れている。太陽が沈んでも、月光が道しるべになってくれる筈だ。

 

 

こんばんは。

 

「やあ、こんばんは。いつでも来ていいとは言ったが……どうしたんだこんな時間に。夜の山は危ないぞ?」

 

ルートは覚えてますから。

 

 

 それだけ言って、また草刈りを始めた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

お邪魔しました。また来ます。

 

「ああ。楽しみにしてるぞ」

 

 

 草のつまったゴミ袋を両手に、神社から去──ろうとして、忘れ物に気がついた。

 

 

「きみも律儀だなぁ」

 

来させていただいている立場なので。

 

 

 合掌し、強く祈る。それだけは忘れてはいけない。

 

 

「……うーん……?」

 

?どうかしましたか?

 

「いや……きみの信仰を受けて、何か思い出せそうなんだ。この記憶は……」

 

 

 顎に手を当て、思索に耽る神様。ぼくとしてもこの方の情報は耳に入れておきたかった。

 

 

「んー……ダメだ、分からん。よかったらまた祈ってくれ」

 

はい。それでは、さようなら。

 

「うん。さようなら」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

ここで宿題してっていいですか?

 

「いいよ。どうせ何も無いし」

 

 

 かなりの時間をかけてぼうぼうに茂っていた草を取り除いた。欲を言えば漆が剥げた本殿もなんとかしたかったが、人間が立ち入っていい場所ではないため断念。それに、小学生のぼくにはスキルも道具も足りない。

 

 たまに友達と遊ぶが、基本的にぼくはこの神社で放課後を過ごしている。すっかり入り浸るようになった。

 

 

「きみ、物好きだよな。こんな寂れた神社、普通来ないぞ?」

 

あなたと会えるので、つい。

 

「……私今口説かれてる?」

 

 

「ふふ、ごめんごめん。冗談だ」

 

 

 鉛筆を走らせる音。神様の視線。木々のざわめき。様々な声が場に漂う。

 

 

ところでですけど。

 

「ん?」

 

何かお供え物があった方がいいですか?

 

「んー……まあ嬉しいけど、それよりきみの祈りが欲しい」

 

 

 ぼくが祈りを捧げるにつれ、神様は記憶の破片を拾う。今はまだ断片的でしかないが、いつか繋がっていく筈だ。

 

 

神様ってどんなことができるんですか?

 

「私は信仰と記憶をほぼ失ってるから、そんな大層なことはできないな。他の神々と接触もできないし……うごご、神としての威厳が……」

 

いえ、あなたは間違いなく神様です。ぼくが保証します。……って、すみません。思い上がりが過ぎました。

 

「いいよいいよ。……ふふ、やっぱりきみは変わってるな」

 

すみません。

 

「褒めてるんだよ」

 

 

 もうそろそろ夏が終わろうとしている。蝉の合唱も規模が小さくなってきた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

こんにちは。

 

「はいこんにちは。寒いのによく来るなぁ。信心深いねぇきみ……」

 

 

 ありがたいことに親は放任主義だったため、毎日のように裏山に通っても特に何も咎められなかった。それは裏を返せばぼくに愛情をさほど抱いていないことの証明になるが、もうそんなことを悲しむ段階はとっくに過ぎている。

 

 ぼくはまだ子供だ。二人の思惑は推し量れない。……と、考えながらも疑問は湧く。

 

 どうして愛し合っているわけでもないのに結婚し、愛せない子供まで作ったのか。

 

 世間体を気にしたのか。本人たちに聞いてみないと分からないが、聞こうとは思わない。何が変わるわけでもないから。

 

 

神様。

 

「ん、どうした?」

 

あなたはこの神社から離れようと思ったことはありますか?

 

「……無いな。ただそこに在る。それが私の責務だと、記憶を無くしても意識に刻まれているからな」

 

そうですか。……すみません。不躾に。

 

「そうかしこまらなくてもいいって。ほら、そこの漢字間違ってるぞ」

 

ああ、ありがとうございます。

 

 

 冬になってもこの空間の温度は一定。ひんやりとした涼しさが辺りに漂っている。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 合唱が終わる。隣の女子生徒が泣き出したのを皮切りにクラスメイトが咽ぶのを聞き取りながら、ぼくは相変わらずどこか冷めていた。

 

 卒業生となったぼくはもうすぐ中学生。中学校は家から近く、また裏山に通うであろうことが予測された。

 

 

「よっしゃあ!みんな!打ち上げ行こーぜ!」

 

 

 しんみりとした空気を裂いたのはクラスのムードメーカー。その言葉に周囲は次第と頬を緩める。

 

 卒業式以前からレストランでお疲れ様会をするのは決まっていた。費用も支払った。行かないのは損だろう。ぼくは周囲に迎合するように首肯した。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「よし、フレンド申請送った。承認頼む」

 

早いな。

 

 

 中学デビューに先駆け、数日前スマートフォンを買ってもらった。あくまでお付き合いとして流行りのゲームをダウンロードし、チュートリアルをこなす。

 

 打ち上げのメンバーは多種多様だった。未だに泣いている者、内輪で話している者、ぼくたちのようにゲームに熱中している者等々……。

 

 ……退屈だ。みんなの中にある熱が、ぼくには無い。

 

 

……?

 

 

 そんなことを考えながら窓の外に目をやると、何かと目が合った感覚がした。この雰囲気は──

 

 

──神様……?

 

「ん?お前何言ってんだ?」

 

……ああすまない。ちょっと思考が漏れた。

 

 

 卒業祝いの夜は更けていく。二次会には……行かなくてもいいか。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

こんばんは。

 

「……きみ、卒業の日も私の所来るんだな」

 

やっぱりここが一番です。

 

 

 小学時代のメンバーから解放され、ぼくは相も変わらず裏山に足を運んでいた。一つ確かめたいことがある。

 

 

……神様、ぼくを見てたんですか?

 

「よく分かったな」

 

神様特有の存在感があったので。

 

「怖いな。いや私が言えた口じゃないが、よく認知できたな」

 

力を使えるようになった──という認識でよろしいですか?

 

「きみ限定でな。きみの魂の輪郭を借りることで遠距離からもきみを見ていられるようになった。ああ、特に副作用は無いから安心してくれ」

 

なるほど。

 

 

 神様の世界の話はぼくには分からないが、噛んで含めるような説明を受けて理解する。だが疑問は更に浮かぶ。

 

 

ぼくがあなたの信徒になったということですか?

 

「まあ大体その認識で合ってる。何度も祈ってくれたからな」

 

……そうですか……

 

「……珍しいな」

 

え?

 

「きみが笑うところ、中々見られないからな。記憶しておく」

 

 

 ……そんなに珍しい光景だろうか。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 中学に進学してもぼくの日常が変わることはなかった。勉強についていけないことはなく、怖い先輩に目をつけられることもなく、ただ神様の元へ通う毎日。

 

 

「きみ、部活動はどうするんだ」

 

合唱部に入ろうと思っています。

 

「へえ、いいじゃないか」

 

 

 定期テストや部活動の存在は疎ましくあったが、生きていく上で避けて通れない。その中でどうやって神様との時間を工面するか、そこが肝要だ。……しかし……

 

 

……

 

「顔、険しくなってるぞ。そんなに嫌なのか?学校生活」

 

あなたとの時間が減ると思うと憂鬱で。

 

「まあ何をどう思うのかはきみの勝手だが、私から言わせれば学び舎に通えるのは幸せなことだと思うぞ」

 

……分かってる、つもりなんですけどね。

 

「私の元……というか核か?……なんにせよ、私への信仰対象となった少女は満足に学校へ通えてなかった。だからどうしたと言われればそれまでだが……幸せは案外すぐ傍にあるかもしれないと私は思う」

 

ぼくからしてみれば一番の幸せはあなたといられる時間です。

 

「相変わらず物好きだなきみは……」

 

 

 会話を交わす中で気になったことが一つ。

 

 

信仰対象が学校に通えてなかったと分かったというのは、記憶が戻ったということですか?

 

「まだ雑音ばかりで不明瞭だがな。……一人の少女の記憶が、少しずつ蘇ってきている」

 

……ぼくの祈りは、正しいですか?

 

「知らん。だが、ここまで私を連れて来たんだ。きみにも共犯者になってもらうぞ」

 

 

 そう言って、神様はニヒルな笑みを浮かべた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「きみ、家族のことはどう思っている」

 

え?

 

 

 勉強前に伸びた草を刈っていると、そんな質問を受けた。

 

 

嫌いではないです。好きでもありませんが。

 

「理由は?」

 

……幼い頃から、放っておかれましたし。そもそも両親の仲が険悪なのも要因としてあります。

 

「……そうか」

 

どうしたんですか急に。

 

「いや……きみの場合、私があれこれ言える問題じゃないからな」

 

……記憶、ですか?

 

「私という神を造った者の記憶を垣間見たんだ。その過程で、きみにも家族を大事にしてほしいと思ったんだが……すまない。余計なお世話だった」

 

……それでも、お気遣い、ありがとうございます。

 

 

 バツが悪そうに目を逸らす神様。それでもぼくは神様を見ていた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 ぼくの冷めきった思考はコンクールで一位を獲っても変わらなかった。

 

 感激のあまり落涙する部員を眺めながら、『ああ、こんなものか』と諦めに近い感情を覚える。

 

 友達はいる。だが小学生時代ほど作らなかった。なぜなら、ぼくの心を溶かす()()とは出会えていないから。

 

 歌っている最中、神様が見ていたのは分かっていた。神様に恥じないよう、そして部員に課せられた責務として全力で歌唱した。それでも心はどこまでも凪いでいた。

 

 

「見ていたぞ。よくやったじゃないか」

 

……ありがとうございます。

 

「嬉しくないのか?」

 

なんというか……ぼく、昔から熱くなれなくて。

 

「そうか。だが、それも一つの在り方だ。誰にも責められるものではない。……ん、どうした。鳩が豆鉄砲食らったような顔して」

 

……いいん、ですか。

 

「きみがそういう気質だってことはとっくに知ってるぞ。その上で言うが、それ、そんなに悪いことか?」

 

……少なくとも正しさとはかけ離れていると思いますが。

 

「難儀だな。まあ、これからゆっくり向き合えばいい。若さとは自己分析の柔らかさみたいなものだからな」

 

 

 真っ向から否定はされず、されど肯定もしきらない。そんな距離感が、かつて出会った誰よりも好ましく思えた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

~♪

 

「へえ、中々サマになってるじゃないか」

 

一応現役ですから。

 

 

 歌唱練習は神社にて。ギャラリーは神様ただ一柱(ひとり)

 

 

「なあ、もっと歌わないのか?」

 

今日はここまでにしておこうかと……

 

「……そうか」

 

 

 ぼくが歌うのを止めると神様は見るからに寂しそうな表情を見せた。……そんな反応されると、こっちとしても放っておけない。

 

 

……やっぱりあと三十分くらいやります。

 

「……!そうかそうか。存分に歌え。ここには私たち以外誰もいないからな」

 

 

 正直、合唱部を続けるモチベーションは底をついていた。それでも、神様が喜んでくれるならやめるのはやめようと思う。

 

 

~♪……そろそろ終わりますね。勉強したいので。

 

「ああ。悪くなかったぞ」

 

 

 休憩所の机に教科書とノートを広げ鉛筆を走らせる。

 

 

「しかしきみは努力家だな。たまには羽休めしないのか?」

 

神様といられる時間そのものが息抜きのようなものですから。

 

「……私は、きみの思うような神様ではないかもしれないぞ」

 

仮にそうだとしても、今までの時間は嘘ではないと思ってます。

 

「強かだなぁ」

 

 

 一口に神と言っても千差万別。記憶を完全に取り戻したこの方がどんな気質を纏うか、ぼくは知らない。

 

 だとしても、ぼくはこの神様に救われていた。その事実は、どうなろうと覆せるものではない。

 

 

……よし、勉強終わり。

 

「お疲れ。今日も祈ってくか?」

 

その前に、もう少しだけここの空気を堪能したいです。

 

「ああ、構わない。存分に味わってくれ」

 

 

 緑に囲まれているのもそうだが、この神社はやけに空気が澄んでいる。息をしているだけで心地よい。

 

 

それじゃ、祈りますね。

 

「ああ。さて、今日はどんな記憶が見えることやら……」

 

 

 拝殿に立ち、合掌。そして強く念じる。

 

 

「──やっぱり。私は……」

 

 

 祈る。祈る。願い事じゃない、真っ直ぐな気持ちを思いに乗せる。

 

 

「……」

 

それでは、さようなら。

 

「……ああ。さようなら」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

修学旅行行くのでしばらくここには来られません。

 

「もうそんな時期か」

 

 

 歌って、学んで、通う内にぼくは中三。部活動はそろそろ終わりとなる。

 

 修学旅行先は有名な観光地。普段では見られない美景を味わえるだろう──と、思ってもぼくにとってはこの神社が一番だった。

 

 

「たまには私から離れるのもいいだろう。心のゆくまま楽しんでこい」

 

正直、行きたくないんですけどね。

 

「ハァ……きみは些か私に傾倒しすぎている。世間との触れ合いをもっと重要視した方がいいんじゃないか?」

 

これがぼくなので。

 

「頑固な人間だ」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「おーい、班員で写真撮るってよー!」

 

ああ、すぐ行くよ。

 

 

 予想通り、どこか退屈な旅だった。景色を綺麗だと思う心はあっても、意識はあの神社に囚われている。

 

 

「はい笑って笑ってー」

 

……

 

 

 友人との関係は大事にした方がいい。そう理解してはいても面倒に思ってしまう。

 

 

「今日の夕飯伊勢海老出るってよ!くぁー、腹減ってきたぁー!」

 

そうなんだ。

 

 

 もちろん、学友を邪険に扱うつもりはない。優しさを受けたら向き合って返すし、ノリと勢いに絡め取られることもある。

 

 だけど、どんな時でも心の中枢に神様が居着いていた。これはもう、変えようがなかった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「合格発表は明日か?」

 

はい。

 

「……ふふ、珍しいな。きみが緊張するなんて」

 

滑り止めは受けさせてもらえなかったので、ここで落ちると将来設計にヒビが入りそうで。

 

「そうかそうか。……そんなきみに、一つ頼みたいことがあるんだが、いいか?」

 

なんでも言ってください。

 

「……言っといてアレだが、安請け合いはよくないぞ。……こほん、頼みたいことは──私に名前を付けてくれないか?」

 

え?信仰されていたなら名前は……

 

「あると思う。だがそれよりも、きみに名づけてほしい」

 

 

 疑問符が脳内を駆け巡る。戸惑いと微かな喜びが思考を加速させた。

 

 

──(さざなみ)は、如何でしょう。

 

「漣、か。実に安直な名前だ……が、気に入った」

 

では、よろしくお願いします。漣様。

 

「ああ。私は今日から漣だ。よろしく頼む」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

漣様、いらっしゃいますか?

 

「きみがここに踏み入れた時点で私はきみを知覚している。それに、私には睡眠は必要ないからな。いつでもここにいるぞ」

 

 

 ぼくは高校生になり、毎日自転車を駆り学校に通うように。相変わらず静かな湖面のような毎日を過ごしていた。

 

 

「まったく、高校生になってもきみは変わらないな」

 

ありがとうございます。

 

「叱ってるんだよ」

 

 

 中学生時代以上に漣様との時間は減っている。毎日の通学が酷く億劫だった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「いつも思ってるけど、お前っていい奴だよな~」

 

え?

 

 

 凡人ではいても善人になったつもりはなかった。ただそう在るように、ぼくは日々を送っていた筈が……何故?

 

 

「だってお前、ポイ捨てされたゴミよく拾ってるし、人の悪口言わねぇし、献身的だし」

 

 

 そう言われて悪い気はしないが、それが当たり前ではないか?それに、ぼくの場合……

 

 

「毎日、息苦しくなんねぇの?」

 

……神様が見ていると思ったら、悪事はできないよ。

 

「あー、お前そういうの信じてる系?」

 

 

 信じるも何も、神様は実在する……と言ってやりたかったが、少し考えた。ひょっとしたら漣様はぼくが生み出した幻影なのではないかと。

 

 だがすぐに思い直した。今日までのあの時間は、嘘ではない。ぼくの心がそれを証明している。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「あたしと、付き合ってください!」

 

……え?

 

 

 放課後、校舎裏に来るよう言われのこのこ顔を出すと、告白を受けた。

 

 

……罰ゲームか何かですか?ぼくは大してお金持ってないですよ。

 

「違うよ!あたしは心から、あなたが好きなの!」

 

 

 さて、どうしたものか。

 

 ぼくは今まで誰かを好きになったことはない。最も身近にいた両親が仲違いを起こしていたから、愛情がなんなのか分からなかった。

 

 人を好きになるということ。それはきっと素晴らしいことだ。だが、ぼくに応えてやれる術は無い。

 

 

……ごめんなさい。

 

「…………そっ、か。ごめん。忘れて」

 

 

 泣かせてしまった。走り去る女子生徒の背中を眺めながら、後悔に近い罪悪感が脳に膿み溜めを形成する。

 

 好きな誰か。共にいて楽しいと、好ましいと思える相手。ぼくにとってそれは──

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「告られていたな、きみ」

 

……趣味が悪いですよ。

 

「私はきみが集団で殴られるかもしれないと危険に感じたから見てただけだ。他意は無い」

 

……ぼくは、間違っていたでしょうか。

 

「さあな。何が正解で何が間違いだなんて、きっと神にも決められはしないだろう。だが好きでもないのに相手に合わせて関係を成立させるのは、残酷なことだ」

 

…………

 

 

 ぼくはどうも、人間と繋がることが苦手らしい。そんなことを考えた一幕だった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「そろそろ夏祭りだが……きみは行かないのか?」

 

ぼくは漣様といられる方を優先します。

 

「言うと思った。……なら、私が一緒に行くと言ったら?」

 

え?

 

「きみから受けた信仰心を少しずつ溜め込んだことで、一日ぐらいならこの神社を離れて実体化できるようになった。さて、どうする?」

 

行きます。

 

「ふふ、即答だな」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 夏祭りということで駅周辺は歩行者天国となっていた。人でごった返しているため財布をスられないようにしなければ。

 

 漣様とは駅のロータリーで待ち合わせていた。普通に神社から一緒に行けばいいのだが、ぼくを驚かせたいとのことで待ち合わせ。

 

 ──そして、漣様はやってきた。

 

 

────

 

「おめかししてみたんだが……どうだ?」

 

──きれいだ……

 

「ふふ、見惚れるのもいいがそろそろ祭りも盛り上がり時だぞ」

 

……はい。行きましょうか。

 

 

 あまりにもきれいで心を奪われた。漣様の放つ神性は、ただの人間であるぼくには強すぎる輝きだった。

 

 

何か召し上がりますか?

 

「私は食事を必要としない……が、せっかくだ。焼きそばでももらおうか」

 

では。

 

 

 祭りらしい、パック詰めの焼きそばを購入。麺を啜る漣様はやはりきれいだった。今日のぼくはきれいしかボキャブラリーがない。

 

 

「なあ」

 

はい。

 

 

 花火が揚がる頃、漣様は不意にぼくへ話しかけた。身構える間もなく、その言葉を浴びせられる。

 

 

「私はもしかしたら近いうちに消えるかもしれない」

 

──え?

 

「きみの祈りで、私は自分の役目を思い出しかけている。……ああ、責めるつもりは欠片もない。ただかつて私が信仰された意味を、見つけかけているんだ」

 

 

 なら、ぼくは

 

 

「ならぼくは祈らない──みたいなことはやめてくれ。私は泥濘の日々を尊ぶことはあっても、囚われたくはないからな」

 

────

 

「今日、帰ったらまた祈ってくれ。少し手間をかけるが、頼む」

 

………………………分かりました。

 

 

 いつの間にか空は火花で彩られている。それなのにぼくは漣様を見ていることしかできなかった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

それでは、祈ります。

 

「頼んだ」

 

 

 消えてほしくない、とぼくは初めて願った。この心境は漣様に筒抜けな筈なのに、何も言われない。

 

 

「そうか……そういうことか」

 

何か……分かりましたか。

 

 

 喉がカラカラに渇いている。使い古した水筒は家に。

 

 

「……悪いが、今日は帰ってくれ。少し、気持ちを整理したい」

 

 

 それが、高校三年生の夏だった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 後日、ぼくは家を出た。一睡もできなかった。

 

 裏山を200m直進。右に50m。何度も繰り返した道のりだ。

 

 そして、そこに漣様はいた。

 

 

漣様……

 

「来たか。少し、話そう」

 

 

 いつものように休憩所の椅子にぼくらは腰掛けた。まったくもっていつもと変わらない雰囲気に、ぼくは不覚にも安心した。させられてしまった。

 

 

「……私は、祟りと怨念を鎮めるために信仰されてきた神らしい。やっと思い出せた」

 

 

 そう語る漣様はどこか懐かしむようで。

 

 

「私の元となった少女は、きみには言えないほどの苦しみを背負って夭逝した。皮肉だな。時間だけがそれを忘れさせてくれていた」

 

 

 それは、つまり。この神様を造ったのはその少女の家族で、この神様が祈られていたのはその少女の祟りを鎮めるためで。

 

 

「怨恨が私を形作り、信仰がそれを抑えた。だけどそれももう終わったらしい。……きみと会えて、やっと成仏できる」

 

嫌だ……嫌だ!

 

 

 気づけばぼくは口走っていた。だってそうだ。小学生だった頃から惹かれ続けた神様に、そんな別れを切り出されるなんて、思いもしなかった。

 

 

ぼくはもっとあなたと一緒にいたい!もっと、もっと……!

 

 

 激情のあまり言葉が出てこない。それなのに漣様は微笑んでいて。

 

 

「これを、きみにやる」

 

え……?

 

 

 差し出されたものはお守り。そんな、それじゃ、

 

 

「これがある限り、私はきみの神様だ。たとえ私が消えても、な」

 

嫌だ!嫌だ!いなくならないでください!ぼくは、ぼくは!

 

 

 制御しきれない気持ちが瞳から溢れ出す。神様は微笑みを崩さない。

 

 

「最後に。きみの両親の仲を取り持ってやる。残り少ない力だけど、それくらいはできそうだ」

 

そんな!ぼくはあんな親なんかより、ずっとあなたが──

 

 

 そう言おうとして、漣様の指先がぼくの口を塞ぐ。分かっている。それ以上言うなとでも示すかのように。

 

 

「さよならだ、人間。そしてどうも悔しいことだが……私はきみを愛しているらしい」

 

────!

 

 

 辺りを光が包み込む。ぼくの意識は、いとも容易く刈り取られた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

……あれ……?

 

 

 ぼくはいつもの山道に倒れていた。右に向かえば神社がある筈……なのに。

 

 

漣、様……?

 

 

 草木が生い茂り、道が完全に塞がれていた。手元には、あのお守り。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 高校を卒業したぼくは別の土地で働くことになった。あれから、今までが嘘のように両親の態度が軟化したが、あの二人を見ていると漣様を思い詰めてしまう。だからぼくは家を出た。

 

 忘れたくない。せめて意識の中では、あの方に生きていてほしかった。

 

 

ん……

 

 

 目覚まし時計が鳴る。解除ボタンを殴りつけ、身を起こした。

 

 

……おはようございます。

 

 

 風呂以外は肌身離さず身につけているお守りに語りかけ、顔を洗いに行く。

 

 

さーてと……

 

 

 朝食や身支度を済ませ、ぼくは安アパートの一室を出た。

 

 

『さよならだ、人間。そしてどうも悔しいことだが……私はきみを愛しているらしい』

 

 

 永遠の愛は誓えない。ひょっとしたら、将来気の合う人と結ばれるかもしれない。

 

 それでも、今だけはあなたに浸らせてほしい。

 

 ぼくは空を仰いで、歩き出した。

 

 

 

 

 


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