超ド級巨大生物 VS 女装メイド   作:細川 晃

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第4話 箱入り娘

 

 

 なぜだろう。

 

 記憶喪失のはずなのに、僕はこういった状況に覚えがある。

 

 もしかすると実体験かもしれない。

 

 だとするなら記憶を失う前の自分も、きっと苦労していたんだろうなと思った。

 

「まだ正確な日時は決定していないが、今月中には統合軍総司令部から第七次討伐作戦が発令される。小春はそれまでに実戦装備の扱いに完熟し、シミュレーター上での作戦成功確率八十パーセント以上を達成できるよう訓練に励んでもらう」

 

「冗談、ですよね?」

 僕の声はかすれ、そして震えていた。

 

「冗談を言っているつもりはない」

 

「実戦に出て、戦えってことですか!?」

 

「さっきからそう言っている。戦力的な心配は当然あるが、これが現状において最良の選択だと確信している。まだ言っていなかったかもしれないが、小春の肉体はすでに生身ではない。脳以外のすべてが高度に機械化された全身機械化のサイボーグ。軍用の装甲義体に脳核を搭載してある」

 

「はい?」

 

「一応補足しておくと、統合軍では十二型装甲義体〝カササギ〟に脳核を搭載したサイボーグを重機械化歩兵と呼び、肉体の一部を機械に換装したサイボーグを軽機械化歩兵と呼ぶが、そういった区分の中でも小春の義体はかなり特殊な仕様となっている」

 

「…………」

 

「戦略機動部隊〝ハミングバード〟の専用機として開発され、前世代機の来栖野式十八型装甲義体〝ツバメ〟を圧倒的な機体性能で凌駕するスーパー・ハイエンド仕様であり、外部兵装を使用すれば、理論上は単独でのアルバトロス完全撃破すらも可能な――」

 

 もう我慢の限界だった。

 

「いい加減にしてくださいよっ! 僕はもうアリス様の遊びにはついて行けませんっ!」

 

 僕が叫ぶと、アリス様は小鳥みたいに目を丸くしていた。

 

「……小春?」

 

 彼女のつぶらな青い瞳と、小動物的な愛くるしさに、思わず怒りの矛先を収めてしまいそうになったが、こっちだって怒る時は怒るのだ。それを敬愛するアリス様にわかってもらうべく僕は心を鬼にして、毅然とした態度を貫いた。

 

「アリス様がお金持ちだってことは、本当によくわかりました。こんな大規模なイタズラは、そうそう仕掛けられるものではありません。それは素直に凄いと思いました」

 

「……?」

 

「サプライズも嫌いではありません。どちらかと言えば大好きです。こういうのは初めてでしたけど、存分に堪能させていただきました。陸地が大きく削られた世界地図が出てきた時なんて、心臓がドキドキしてうるさいくらいでしたから」

 

「……小春」

 

「ですけど、なにごとにも限度というものがあります。口うるさく感じてしまうかもしれませんけど、僕はアリス様を尊敬しているからこそ――」

 

 その時、プロジェクターから投影された奇妙な映像が、視界の端にちらりと映り込み、僕は驚愕のあまり息を止めた。

 

「え……なんで……」

 

 さーっと、全身から血の気が引いていく。

 

「小春?」

 

 アリス様が心配そうにこちらを見ているが、もはやそれどころではなかった。

 

 

《うーっ、うぅーっ! アリス様ごめんなさいっ、ごめんなさいっ》

 

 

 スクリーンに投影されたその映像は、メイド業務に勤しむ在りし日の雪風小春を色鮮やかに映し出していた。

 

《それにしてもどうして、勝負下着ばかりがこんなに……。あ、よかった。アリス様もたまには普通のやつを履くんだ》

 

 二カ月間の女装生活と、アリス様の壮大なドッキリを経験し、すでに大抵のことでは動じないつもりでいたけど、認識が甘すぎたようだ。

 

《あれ、ちょっとまてよ? ま、まさか……。ああああッ! これ僕のパンツじゃん!》

 

 ピンク色の女性物下着(自分用)を握りしめながら、一人の女装メイドが、アリス様の寝室で絶叫している。見間違えるはずもない。

 

《バレなければ、問題ないか。うん。でも、もし、もしも僕が男だってアリス様に知られてしまった時は、どうすればいいのだろう……》

 

 スクリーン上に音声つきで投影されているのは、まぎれもなく僕自身だった。

 

《……手術を、受けるしかないのかな》

 

 終わった。

 ……終わった。

 

「アリス様」

 

「なに? 小春」

 

「あの映像は、いったい……」

 

 錆びついたブリキ人形のように、頭部をギギギっと小刻みに揺らしながら、僕はどうにか正面へと顔を向ける。不思議なもので、極限状態に置かれて感性がマヒしているためか、現時点において僕は意外と冷静だった。

 

「あれは、私の部屋の監視カメラの映像」

 

 アリス様は一度席を離れると、プロジェクターを停止させてから戻ってきた。

 

「小春には話していなかったが、鶺鴒館には防犯上の理由から監視カメラが設置されている。ただプライバシーに配慮し、私以外には映像を閲覧できないようになっているので安心してほしい」

 

 アリス様、そういうことじゃないんですよ。

 

「もしかして、知っていたのですか?」

 

「なにを?」

 

「僕が男だと、あなたは知っていたのですか?」

 

「もちろん、最初から知っていた」

 

 最初、から……? もう隠す必要はないと言わんばかり態度に、僕はしばし絶句していた。

 

「だったらどうして、僕に女装を?」

 

 こちらが血を吐く思いで投げかけた質問に対し、アリス様は数秒間思い悩む仕草をしていたが、結局は普段通りの仏頂面のまま、こちらが耳を引きちぎってでも聞きたくなかった真実をサラリと口にする。

 

 

「今のところは、とくに理由はない。私の趣味」

 

 

「趣味? 僕はあなたの趣味で、この二カ月間、女装させられていたのですか?」

 

 

「そういうことになる。小春はそのメイド服を着ている時が、世界で、いちばん、かわいい、から」

 

 

「――――」

 

 その瞬間、心の奥で細い糸のようなものがプツリと切れた。

 

 そして気がつくと、僕はアリス様の前から逃げ出していた。

 

 

 

 

 そうさ、反論する余地なんてない。

 

 どれだけ見てくれが良くったって、僕は結局、気持ちの悪い女装メイドでしかなかった。

 

 だけど、女装メイドは女装メイドなりに、ご主人様のためにと思って、毎日心を砕いて一生懸命働いてきたんだ。

 

 報われたいだなんて、そんなおこがましい考えを抱いたことはなかったし、今の生活がいずれ終わってしまうことも覚悟はしていた。

 

 けれど、こんな結末は想像していなかった。

 

 はぁー。

 僕はいったい、なにを期待していたのだろう。

 

 ほんと、バカみたいだ。

 

《緊急事態発生! 緊急事態発生! 賽原基地司令官・来栖野有栖中将の指示により、当基地は現時刻をもって〝デフコン・ワン〟へ移行! 繰り返す〝デフコン・ワン〟へ移行する!》

 

《全戦闘部隊は、緊急出撃態勢へ移行! 繰り返す、緊急出撃態勢へ移行せよ!》

 

《基地警備部隊は、非戦闘職員をただちに避難誘導し、所定の位置で別命あるまで待機せよ》

 

《重機械化歩兵部隊は、対装甲義体用の実戦装備に換装後、ただちに――》

 

 ひどく耳障りな、人の心をざわつかせる不協和音の塊でしかないサイレンが、コンクリートで塗り固められた通路に大音量で鳴り響いている。サイレンには、複数人の慌てた声もまぎれていたが、今の僕にはただの雑音でしかなかった。

 

「少佐! 雪風少佐っ! お静まりください! どうかお静まりをっ!」

 

 髪は黄金色に煌めき、瞳は明滅する青い燐光を放つ。

 

「雪風隊長っ! お願いですから大人しくしてくださいっ!」

 

 密閉された地下空間を赫々たる熱風が吹き抜ける。

 

「邪魔」

「――ぐああッ」

 

 軽く押しのけたつもりだったのに、SF映画に登場する甲冑みたいなボディアーマーに身を包んだ屈強な男たちが、ボーリングのピンのように吹き飛んで、後続を巻き込んだ。

 

 はははっ、夢だ。

 そうか、これはきっと夢なんだ。

 

 さっきから常識的に考えればありえるはずのない、奇妙な出来事ばかりが身の回りで起こっているのも、きっと夢を見ているからに違いない。

 

 こんなにも破壊的な夢を見てしまうなんて、自分の精神状況が心配になる。

 

 やっぱり、知らないうちにストレスが溜まっていたのだろう。

 

 僕は立ち塞がる人々を手あたり次第に押しのけながら、夢の中のアリス様がドッキリのために建造したと思われる巨大な地下施設を上へ上へと進んでいく。

 

 ああ、もう。なんて大きな建物なんだ。地上はまだかな?

 

「HQ! HQ! こちら地下第五層、Bブロックに展開中のアルファ中隊だッ! 素手では目標の行動をまるで阻止できない! ただちに対装甲義体用装備の使用許可を求める!」

 

《ヘッドクォーターからアルファ中隊へ、全装備の使用を許可する。繰り返す、全装備の使用を許可する。全力で目標の行動を阻止せよ》

 

「了解。全力で目標の行動を阻止する」

 

「中隊長、本気でやるんですか!? 相手は錯乱しているとはいえ、この国で〝守護神〟とまで呼ばれた関東絶対防衛戦の英雄ですよ!? いや、この国だけじゃない。あの人は全人類に残された最後の――」

 

「そんなのはわかってる! だが命令された以上はやらねばならんだろうが! 中隊長から、全隊員へ通達。全装備の使用を許可する! ただし頭部を狙うな、目標への攻撃は首から下に限定する。なんとしても行動を阻止しろ!」

 

 より強烈な熱風が瞬間的に足元から立ち昇る。

 

 直後、僕の目の前で十文字の閃光が幾度も瞬いた。

 

 なにも存在しないはずの正面の空間が発光し、さながら綺羅星の如く輝いているのである。

 

 よく目を凝らすと、僕の周囲に淡く発光する微細な粒子が集まっていて、それが真円を描きながら高速で循環し、バリアのような薄い膜を形成しているのが見て取れた。

 

 どうやら十文字の閃光は、そのバリアの表面上で発生しているようだった。

 

「……?」

 なんだろうと思ってあちこちに視線を向けると、通路の五十メートル先でボディアーマーを装備した男性数名が横一列に並び、実寸大の、しかしオモチャのような外観の銃を両手で持って、レンズで覆われた奇妙な銃口をこちらに向けているのを発見した。

 

 彼らがトリガーを引くたびに、レンズで覆われた銃口が激しく輝いていたが、特にこれといった害はないので、そのまま歩いて通路の先を目指した。

 

「対装甲義体用レーザー小銃、効果なし!」

 

「中隊長! 目標は、対レーザーシールドらしきものを展開している可能性があります!」

 

「バカを言うなッ! あれは戦車が搭載する装備だろうがッ!」

 

「ですが、あれはまぎれもなく……」

 

「とにかく攻撃だ、攻撃を続行しろ!」

 

 またしても視線の先でなにかが輝いたが、僕はあまり気にせず前進した。

 

 途中、飛びかかってくる男性や女性を突き飛ばしたり、投げ飛ばしたりしながら、発見した階段を上って地上を目指す。なぜかエレベーターが機能していなかったので、階段を上っていくしかなかったのである。

 

「あ、日の光だ……」

 

 ようやく見覚えのある地下駐車場までたどり着いた僕は、地上から差し込む陽光に引き寄せられていく。そうしてやっと外に出られたのだが、この巨大なダンジョンはまだ終わってはいなかった。

 

 地上は、ひたすらに広大な平地で、どこもかしこも地面は頑丈なコンクリートで舗装されていた。

 

「ここって、日本だよね? まさか外国?」

 

 車道も同様によく整備されているのだが、立てられた標識はどれも英語で表記されていて、そこを一人でテクテクと歩いていると、ロードムービーに登場するアメリカ西部の田舎町にでも迷い込んでしまったかのような、不思議な気分になってくる。

 

 敷地内にはショッピングモールに似た、やたらと大型の建物がいつくも立ち並び、その付近に設置された巨大な看板には、簡素に〝PX〟とだけ書かれてあった。

 

 PXってなんだろう?

 

 そんな疑問を頭のすみに追いやりながら周囲を見渡すと、遥か遠くにフェンスらしき囲いがあった。

 

 きっとあの先に、賽原市があるに違いない。

 

 そう思い、フェンスに向かって歩き始めると、背後から聞きなれた声に呼び止められた。

 

「小春」

 

「アリス様」

 

 振り返ると、そこにはご主人様が佇んでいた。

 

 いや、もはや元ご主人様と呼ぶべきかもしれない。

 

「話を聞いて」

 

「嫌です」

 

 だから僕は、即座に彼女の願いを断った。

 

 すると普段からなにがあっても無表情だったその顔が、深い悲しみに彩られていく。

 

「――っ」

 胸の内に耐え難い喪失感が広がり、鈍い痛みが走った。

 

「待って!」

 

 もう振り返りはしない。

 

 メイド服のロングスカートと革靴のせいで、とてつもなく走りづらい。

 

 きっとすでに、ストッキングは伝線してしまっているだろう。

 

 それでも僕は走り続けた。

 

 しつこい追手を引きはがし、聞きなじみのない国の言語を叫びながら立ち塞がる人々をなぎ倒し、がむしゃらにフェンスをよじ登って施設の外へと飛び出した。

 

 当然、施設の外に出たからといって、追手が諦めてくれるわけではない。僕は立ち止まることなく、一心不乱に走り続けた。

 

 延々と、どこまでも……。

 

 

「…………」

 そうして相当な距離を走ったが、最後まで息切れ一つしなかった。普段ならば、どうして自分にはこんなにも体力があるのだろうかと、しばらく考えを巡らせていたところだったが。

 

 今は、そんなことはどうでもよかった。

 

 念願の賽原市、その東側の新町地区にたどり着いたのである。

 

「まさか、そんな」

 

 けれども眼前に広がる光景に対して、僕は絶句するほかなかった。

 

 歩道橋が崩れ落ちていた。エンジン部品を抜き取られた乗用車が道端で朽ち果てていた。

 

 ほとんどの高層ビルは無残に倒壊し、窓ガラスは一枚残らず砕け散り、どこもかしこも瓦礫の山で、人の気配がまるでしない静かな廃墟が、見渡す限り続いていた。

 

 ようするに、賽原市が滅んでいたのである。

 

「これが、賽原市?」

 

 根本から折れ曲がった道路標識が、ここが賽原市の新町であることを知らせてくれた。

 

 さすがのアリス様だって、ドッキリを仕掛けるためだけに、街一つを廃墟にするのは不可能のはずだ。そうなると、この街は、本当に……。

 

「……あ」

 唐突に、賽原基地でアリス様から聞かされた話を思い出す。

 

 僕は目を見開いて呆然と立ち尽くしたまま、ぼそぼそと呟いた。

 

「二〇一二年八月。九州地方に上陸。二〇一二年末までに、九州、中国、四国、近畿、中部、東北、北海道の順に侵攻。犠牲者は七千万人」

 

 その後、生き残った何千万もの人々が全国から関東地方に押し寄せて、ほんのわずかな食料や医薬品を巡って人々が殺し合い、関東は壊滅した、だったっけ?

 

 話し半分で聞いていたから、すべては思い出せないけど、たしかそんなことを言っていたはずだ。それで、わずか数年で人口が一千万人を下回って、二〇二三年現在、この国の総人口は百万人すら下回っている。

 

 アリス様の説明が全部本当だとするなら、世界中の国々が、現在の日本と似たり寄ったりな状況にある、ということになる。

 

 日本は消滅のせとぎわ。

 

 文明は風前の灯。

 

 人類がここまで追い詰められた、その原因は――。

 

「二〇〇〇年。世界各地に生じた空間の亀裂から、巨大生物アルバトロスが出現した」

 

 ありえない。

 

 ありえないだろ、そんなことは。

 

 そんな作り話、子供だって信じるわけがない。

 

「……っ」

 手から始まった震えが足腰へと伝わって、僕はよろめいた。

 

 こんな夢は見たくなかった。

 

 夢だったら今すぐ覚めて。

 

 昨日は天気が悪かったから、洗濯物がたくさん溜まっている。

 

 アリス様のお弁当も作らないといけないし、庭木の剪定、草むしり、室内の掃除だって頑張らないといけない。来栖野家唯一の使用人として、やるべき仕事がいっぱいある。

 

 普段よりも早く起きなくちゃいけないんだ。

 

 だからお願い、早くこの悪夢から目覚めてよ、お願いだから……。

 

 けれど、どれだけ必死に祈ったところで、僕が悪夢から目覚めることは決してなかった。

 

「全部、現実だったなんて」

 

 これまでの奇想天外な出来事のすべてが現実であり、これまでの日常の延長線上でしかないのだと理解するまでに時間はかからなかった。

 

「早く帰らないと」

 ふいにそう思い立つ。

 

 さっきまでは、もう顔も見たくないと思っていたのに、今はアリス様に会いたかった。

 

 彼女の身勝手な趣味や嗜好のせいで、不必要な女装を強いられたこととか。

 

 女装時の様々な肉体的、精神的な苦労とか。

 

 そんなのはもうどうでもいい。荒廃した賽原市を目にした途端、そういった細かな葛藤は、根こそぎ吹き飛んでしまった。

 

「アリス様」

 もう一度会いたい。

 

 その一心で来た道を引き返し、賽原基地を目指して歩き出す。

 

 会ったら、まずは謝りたい。

 

 そして許されるなら、今後のことをじっくりと話し合いたい。

 

 世界をこんなにも荒廃させた元凶であるアルバトロスに関しても、僕になにかできることがあるなら、可能な限り協力したかった。

 

 この体内時計が正確ならば、現在の時刻は正午過ぎ。

 

 今歩いている街道をまっすぐ道なりに進めば、おそらく三十分前後で賽原基地に戻れるような気がした。帰ってもいろいろとあるだろうから、きっと昼食は食べそこねてしまうに違いない。そう考えた僕は、瓦礫だらけの街道を黙々と歩みながら、今晩の夕食の献立について思いを巡らせていた。

 

 そうだ、夕食はオムライスにしよう!

 

 卵は当然、半熟のふわとろ。チキンライスも冷凍のものじゃなくて自分で作ってしまおう。

 

 あとそれからデザートも――。

 

「物音?」

 

 背後で瓦礫の崩れる音がした。立ち止まって、ゆっくりと振り返る。

 

「誰かいるのかな?」

 

 まさかアリス様? もしかして僕を迎えに――。

 

「おいおい、マジかよ。また幻覚か!? 覚醒剤キメすぎて、俺はイカレちまったのか!?」

 

「どうした」

 

「早くこっちに来い! メイドだ! メイドがいるぞ!」

 

「はぁ? なにバカなこと言って、……うわ、マジモンのメイドかよ」

 

 それは酷く汚れた格好の二人組の男性だった。

 

 しかし、浮浪者というわけではない。彼らの装いは汚れてはいたが、みすぼらしいわけではなく、防塵用のゴーグルと布製の丈夫なマスクで顔を隠し、軍隊の特殊部隊が用いるような、高機能なプロテクターを身に纏っていた。

 

 もちろん、そんな装いの人間が武器を所持していないはずがない。

 

 一人は真っ黒なアサルトライフル、もう一人は携帯用の対戦車ロケット砲と思われる大きな筒を肩に担いでいた。彼らの胸部には手榴弾がくくりつけられ、予備のマガジンや軍用ナイフなどが胸部の防弾ベストに収納されていた。

 

「スゲーっ! めっちゃくちゃ美人!」

 

「……光沢のあるプラチナブロンドと、澄んだ青い瞳。天然もの、なわけないか。あまりにも容姿が整いすぎていて逆に不自然だ。軍用サイボーグの〝カササギ〟にしては体格が細いし、軽度機械化用のインプラントも見当たらない」

 

「てことは、こいつロボットか」

 

「ああ。おそらく、アンドロイド。愛玩用のセクサロイドだな。きっとどっかの金持ちが使い飽きたから捨てたんだろ。……それにしてもなんて精巧なディティールなんだ、こりゃあ本物の人間と見分けがつかねーぞ」

 

 僕の知識の中にある一般人とはあまりにもかけ離れた二人組は、重装備であるにも関わらず瓦礫の上を草食獣さながらの軽快さで歩き、こちらへと駆け寄ってきた。

 

 そこでようやく気づいたのだが、彼らの戦闘服には至るところにドクロ、鳥、指を交差したジェスチャーのワッペンが縫いつけられ、ダクトテープが巻きつけられていた。補修しながら長年大切に使い続けてきたのだろう。

 

 今すぐに、この二人組の前から全力で逃げ出すべきかもしれないと思ったが、寸前のところで思い留まった。外見がどれだけ怪しくとも、彼らも僕と同じ日本人。

 

 世界有数の平和な国、日本に暮らす人々だ。

 

 こんなご時世だし、銃で武装しているのも仕方がない。

 

 日本人は、温厚で、仲間思いで、ちょっぴり平和ボケしている人々である。もしかしたら気のいい人達かもしれないし、他人を見かけで判断してはいけないと、たぶん学校の道徳の授業で教わった気がする。

 

 そこで僕は相互理解のために、一人の日本人として挨拶を試みた。

 

「はじめまして、自分は雪風小春です。あなた方は、どこから来られたのですか?」

 

「なんだ。言語機能も生きてんじゃん」

 

「そのようだな。完全な美品ってわけではなさそうだが、状態は極めて良好。こいつは大変な掘り出し物だ。ここまであれこれ危険な橋を渡ってきたが、賽原基地のおひざ元まで来たのは正解だったらしい。さすがは最後の楽園。世界一裕福な賽原市はダテじゃねえってこった」

 

「なんでこんな上物を捨てちまったんだろ、ほんと理解に苦しむわー」

 

「絶対に傷つけるなよ、売値が下がる」

 

「へいへい、わかってますよー」

 

 あれ? どうしてだろう。会話が成立していないというか、それ以前に、そもそも人間扱いされていない気がする。

 

「あ、あのー、お名前を――」

 

「どうせ愛玩用だろうけど、変な武器とか仕込まれてたら面倒だし、さっさとスキャンしちゃってよ」

「ああ、そうだな」

 

 やっぱり彼らは、僕を人間扱いしていないようだ。

 

 アサルトライフルを装備した軽薄そうな男性が指示を出すと、対戦車ロケットを担いだ大柄の男性がベストのサイドポケットから、物理ボタンが並ぶトランシーバーにそっくりな装置を取り出し、アンテナの先端を僕の腹部へと向けた。

 

 すると、筐体に備えられた液晶画面に複数の文字列が浮かび上がる。

 

「変だな」

 大柄の男性は、画面を凝視しながら首をかしげた。

 

「なにが変なんだ?」

 

「機体名称、型式番号、製造年、製造場所、すべて記載なし。文字化けもひどいな。かろうじて読み取れるのはスペック表の一部分だけだ。QPU・第八世代耐熱光量子汎用プロセッサ。ダイヤモンド、質量三千カラット。OS・モズ型バリアブル人工知能。主動力炉・ムクドリ型永久発電機構。エネルギー出力・ムクドリ七羽分? こいつほんとにセクサロイドか?」

 

「コピーライト、二〇一〇? なんとかバイオ、なんとかラボラトリーズインク? オール、リザー……、くそっ、文字化けしてて読めねぇ、やっぱりバグってんのかね?」

 

「もしくはスキャナーの故障かもしれない」

 

「まっ、なんでもいいや。それにしても、くくくくっ、エネルギー出力がムクドリ七羽って、なんだよその気色悪い単位はっ!? その辺に転がってるジャンク品のジェネレーターだって、適当に燃料入れてやれば湯沸かし器くらいにはなるはずだろっ!? 鳥が七羽で湯が沸くってのかっ!?」

 

「どこをどう読んでも、意味不明なことしか書かれてないしな」

 

「まったくだっ! 光量子、永久発電、未来から来たネコ型ロボットじゃあるまいし、子供の落書きかよ。そんなのがあったら人類はここまで追い詰められてねーよ」

 

 ……むかっ。知らない単語が多くて、とても早口だったから会話にはついて行けなかったけど、僕がバカにされていることだけはなんとなく理解できた。感じも悪いし、様子も変だし、こういう人たちとはあまり関わり合いになりたくない。

 

「……えーと、それじゃあ、僕はこれで」

 

 なので早々にこの場から立ち去ろうとしたのだが、彼らがそれを許すはずもなく。

 

「おーっと、動くな」

「ひぃ」

 真っ黒なアサルトライフルの真っ黒な銃口を眼前に突きつけられ、僕は一瞬にして身動きを封じられてしまった。

 

「や、やっぱり、それって本物?」

 

 自分でも今さらどうかと思うほどマヌケな質問に対し、軽薄そうな男性は一発の銃声によって一切合切を明解に説明してくれた。真っ黒な銃口から発射された弾丸は、僕の頭部の真横を通過して、背後の倒壊した家屋の外壁に弾痕を刻んだ。

 

「……っ!」

 賽原基地で目撃した玩具みたいな銃とはまるで違う。

 

 キラキラ輝くだけで害のなかったそれらとは異なり、現在突きつけられている本物の銃は、まず間違いなく、僕を一撃で殺すことのできる凶悪な兵器に違いない。

 

「両手を上げろ」

 

 軽薄そうな男性に代わって、対戦車ロケットを担いだ男性が、拳銃の冷たい銃口を僕の眉間に激しく押しつける。もはや服従以外の選択肢がなかった。すかさず両手を上げると、恐怖のあまり声帯が震えて小さな悲鳴が漏れた。

 

 グリグリと押しつけられた銃口に全神経が集中し、明確な死の感触に全身が震え、発汗し、血の気が失せていく。

 

「や、やめ……」

 

 やめてくださいっ。だれか助けてくださいっ。アリス様、助けてっ!

 

 耐え難い恐怖によって呂律が回らず、悲鳴を上げることも叶わない。

 

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 ただそれだけを願い続けて心を貝のように固く閉ざすしかなかった。

 

「お前にまともな論理回路がついてるなら分かると思うが、その綺麗な顔を吹き飛ばされたくなかったら、せいぜい大人しくしていることだ」

 

「…………」

 心が恐怖と絶望に染まり、僕は彼らに身も心も支配されていた。

 

「理解できたか? できたなら返事をしろ」

 

「……はい」

 

 見ず知らずの他人に絶対服従を強いられる。

 

 どこまでも屈辱的で、まさに理不尽の極みだ。ところが、そんなものはどうでもよく思えてしまうほど、死に対する恐怖は絶対的で、抵抗する意欲がまるで湧いてこない。

 

 湧き上がるのは自責の念ばかりであった。どうして僕は、見ず知らずの他人を無条件で信用してしまったのか。数分前の平和ボケした自分が心底恨めしい。

 

 けれど、どれだけ後悔したところで、なにもかもが遅すぎた。

 

「さっさと歩け」

 

「……っ」

 二つの銃口を突きつけられながら奴隷のように、強制的に歩かされる。

 

 恐怖に引きつった僕の顔を覗き込んで、名も知らない男たちはケタケタと笑っていた。

 

 

 

 

 銃口は雄弁であった。

 

 貪欲で、自己中心的で、どこまでも罪深い。

 

 これこそが人間の本性なのだと、僕は身をもって理解させられた。日本人なんだから無条件で優しいだなんて、そんな甘ったれた考えは通用するはずがなかったんだ。

 

 まして今は平時ではない。

 全人類が滅亡の瀬戸際に立たされた戦時下だ。

 

 二〇一二年。巨大生物アルバトロスの侵略によって、日本は国土の大半を失い、何千万もの避難民が全国から関東地方へと押し寄せた。そんな絶体絶命の関東地方で、わずかな食料や医薬品を求めて他者を容赦なく蹴落とし、自分が生き残るためだったらどこまでも残酷になれた人々こそ、二〇二三年現在も生き残っている日本人の正体なんだ。

 

 それに気づいた時、僕はなんだか無性に悲しくなって、銃口を向けられながらも、この絶望の時代を生き抜く人々に対して涙を流さずにはいられなかった。

 

 市街地から遠く離れ、視界の左右に荒地が広がる一本道を銃口で突かれながら延々と歩かされること一時間。僕が連れてこられたのは、赤さびだらけの廃工場だった。

 

 敷地内には、風雨を凌げそうな建物が密集している。

 

 おそらくここが彼らの拠点なのだろう。

 

「入れ。しばらくここで大人しくしていろ」

 

 軽薄そうな男性は廃工場の一角にある大きな倉庫へと、僕を手荒く押し込めた。

 

「うっ」

 

 倉庫内部の空気は酷く淀んでいた。なにかが腐敗した臭いと、お酢を薄めたような酸っぱい臭いが充満していて、たまらず鼻を押さえた。

 

「見張りが常に監視している。逃げ出そうとは思わないことだ」

「じゃあねー」

 

 それだけ言うと、彼らは倉庫から離れていった。

 

 口では脅していたが、僕がここから逃げ出すことはないと判断しているに違いない。

 

 ……まったくもって、その通りである。図星だった。

 

 なにせ彼らは銃器で武装しているのである。

 

 きっと廃工場の見晴らしのいい場所には、常にスナイパーが配置されていて、望遠鏡のような巨大なスコープを覗き込んで周囲を警戒しているに違いない。彼らはただ引き金を引くだけで、数百メートル離れた場所から人を殺せる兵器で武装しているのだ。

 

 見張りだって巡回しているだろうし、隙をみてここから逃げ出すのも難しいだろう。

 

「はぁー」

 これからどうしよう。

 

 いつのまにか倉庫内の臭いは慣れてしまっていた。ついさっきまで吐きそうになっていたのに、人体とは摩訶不思議である。

 

 それにしても、この臭いの原因はなんなのだろう。まさか野犬かなにかを多頭飼育しているのだろうか? せめて綺麗な水の出る蛇口と、バケツと洗剤と雑巾があれば、最低限の掃除ができるのだけど……。

 

「――おい、新入り」

 

「きゃあああ!?」

 

 びっくりしたっ! すごくびっくりしたっ!

 

 倉庫の暗がりから急に声をかけられ、おもわずその場で飛び跳ねた。

 

「ったく、うるせーな。もう少し静かにしろよ」

 

 それは少年的で、ざらざらとした響きのある、しゃがれた声だった。

 

「す、すみません。驚いちゃって……」

 

 ああ、とっさにここまで甲高い悲鳴が出てしまうなんて、思えば僕もずいぶんと女の子らしくなってしまったものだ。

 

「…………」

「うるさいと思ったら、急にだまりやがって。忙しいヤツだな」

 

 急激にテンションが落ちて塞ぎ込んでいると、誰かが倉庫の奥からふらふらと歩いてくる。

 

 十代後半から二十代前半くらいの女性、いや、もしかして男性だろうか?

 

 その人は、一目では性別が判断できないほど中世的な容姿をしていた。

 

 脂ぎったぼさぼさの黒髪、汚れた肌、意思の強そうなこげ茶色の瞳。

 

 背丈は僕よりも少し高くて百六十五センチくらいはあるが、かなり痩せていて体格は細く、栄養失調なのは明らかだった。

 

 この倉庫に閉じ込められて長いのか、体や衣服がとても汚れていて、何年も洗っていない犬のようなむっとした臭いが鼻を突く。

 

「お前、名前は?」

 

 口元には青あざがあり、水気のないカサカサの唇は血が滲んでいて、見ているだけで痛々しかった。きっと誰かから暴行を加えられたのだろう。

 

「雪風小春です」

 

「日本人? その見た目で? 綺麗な服も着てるし、もしかして愛玩用?」

 

「ぼく、人間ですっ」

 

「へー。じゃあ、サイボーグってこと?」

 

 僕は、賽原基地の地下室でアリス様から教えられたあれこれを思い出す。

 

「……そうですね。きっと、サイボーグなんだと思います」

 

「なんか訳ありっぽいな。まっ、どうでもいいか」

 

 その人はカラッとした笑顔で、こちらへと右手を差し出した。その手は爪がひび割れ、指先は至るところが擦りむけてボロボロになっていた。

 

「俺の名前は、マコト。有坂真(ありさかまこと)

 

「よろしくお願いします」

 

 よかった、普通の自己紹介だ。

 なんだかとても安心する。

 

 容姿に続き名前すらも中性的で、いまだに性別の判断がつかないけれど、とにかくいい人そうだ。

 

 銃口を突きつけて服従を強いるようなものが、荒廃した日本おいて一般的な自己紹介の方法であっていたなら、僕はこの世界そのものに絶望していたかもしれない。

 

 そういう意味でなら、僕は有坂さんに助けられたことになる。

 

 いずれ恩返しができればいいのだけれど、悲しいかな、今は捕らわれの身だ。

 

 自分のことで手一杯なのに、他人を助ける精神的な余裕などありはしなかった。

 

「あのー、有坂さんは……」

 

「よかったら名前で呼んでくれ。俺もお前のことは小春って呼ぶから」

 

「わかりました。それじゃあ、えーと、マコトくんは――」

 

 僕がそう呼んだ直後、マコト……さんの表情が怒りに染まった。自分はこういうところで運が悪い。二分の一の確率で、ハズレを引いてしまったようだ。

 

「俺は、女だ! 男っぽくって悪かったなっ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「はあ。……まあ、小春に悪気がないのはわかってる。俺だって、自分が男みたいだって自覚あるし、名前からして中性的だからな」

 

 自覚はあったんだ。となると、いくつか疑問が出てくる。

 

「えーと、マコトはどうして、その……」

 

「どうして男みたいな格好をして、男みたいな口調で喋っているのかって?」

 

「はい、そうです」

 

「自衛のためだ。今のご時世、女が可愛らしい格好でその辺をうろうろしてたら、エサを抱えて猛獣に近づくようなものだからな。しないよりはマシという程度だが、これまでは一応効果があったんだ。今はこうして捕まっちまったから、説得力ないけどな」

 

 なるほど、自衛のためか。僕は感心してしまって頻りに頷いた。その様子がおかしかったのか、マコトは苦笑しながら自分の話を続けるのだった。

 

「俺はもともと横須賀で暮らしていたんだ。横須賀にも基地があって、その周りには大規模なスラムが広がってる。今の日本じゃスラムなんて珍しくもないが、あそこは賽原基地とは違って、今でも食料が配給されているからな。相変わらず配給量は少ないが、なんだかんだ人が集まってくる」

 

「……スラム」

 

 それは発展途上国で見られるような、トタンや木材の切れ端とかで造られた掘っ建て小屋が密集する貧民街だったはずだ。関東一帯が、廃墟となった賽原市と同等の被害を受けているのだとすれば、スラムの一つや二つあっても不思議ではない。

 

 そう頭では理解していても、当事者であるマコトから現代日本の一般的な生活水準を聞かされると、言葉では表しがたいショックがあった。

 

「…………」

 

 それと同時に、これまでの二カ月間、僕が現代日本においてどれほど豊かで、どれほど贅沢な生活を送ってきたのかを理解して戦慄する。

 

 電気ガス水道が使い放題で、食料だって生鮮食品こそ不足していたけれど、アルバトロスが出現する以前の生活水準が、ほぼ完全に保たれていたのである。

 

 それがどれほど困難なことなのか、知識が乏しくとも想像に難くない。

 

 アリス様……。

 

 理由はわからないけど、僕はそれほど大切に守られていたのである。

 

 心の中でその事実を噛みしめながら、これまで自分を守ってきてくださったご主人様に対して、ただただ深く感謝するしかなかった。

 

「マコト、質問です。横須賀には、どれくらいの人々が暮らしているのですか?」

 

「だいたい二十万人くらいだったかな? 詳しくはわからない」

 

「二十万人……」

 

 日本の総人口の二割ってところか。二十万人で総人口の二割、少ないなぁ……。

 

「話を戻すが、横須賀では食料が配給されるから、餓死する心配はない。ただ医薬品や日用品は慢性的に不足していて、こればかりは横須賀を出て、横浜とか鎌倉とかの旧市街地を探索して物資を持ち帰ってくるしかないんだ」

 

「……なるほど」

 

「そうやって生計を立てている人を横須賀では〝スカベンジャー〟って呼んでる。ちなみに、俺もスカベンジャーだ。他のスラムだと、この職業がなんて呼ばれているのかは知らないけどな」

 

 スカベンジャー、和訳すると廃品回収業者か。

 

「マコトは、どうして賽原まで来たのですか? 横須賀からだと、それなりに距離がありますよね?」

「近場の横浜や鎌倉は、目ぼしい物資を粗方取り尽してしまって、なにも残っていないんだ。だからスラムもなくて、たんまりと物資が残っていそうな賽原まで出てきたってわけ」

 

「ひとりで、ですか?」

 

「まさか。横須賀を出発する時は、大勢の仲間と一緒だったさ。全員で大きな台車を何台も押しながら、瓦礫だらけの道をずっと歩いてきたんだ。何日もかけてな」

 

「マコトの仲間は」

 

 仲間は今どこにいるのか。その質問を最後まで言い終えることが、僕にはできなかった。

 

 彼女の痛々しい表情が、すべてを物語っていた。

 

「……この廃工場を根城にしている連中に全員殺された」

 

「……!」

 

「奴らは小銃だけじゃなくて、対戦車ロケットとか手榴弾、粗悪品だが高出力のレーザー兵器なんかでガチガチに武装してやがった。俺たちも銃火器でそれなりに武装していたんだが、手も足も出なかった」

 

 世界は荒廃し、銃火器で武装した犯罪者たちが幅を利かせ、巨大スラムが乱立する。

 

 まさに世紀末だ。

 

「マコトは、……その、よく無事でしたね」

 

「俺は歳が若くて、女だったからな。……だから、その、命だけは助かったんだ」

 

 マコトの様子は、僕の目から見ても冷静だった。

 

 世の中に絶望して、なにもかもを諦めているわけではなく、どこか達観しているのである。

 

 戦闘に巻き込まれ、目の前で大勢の仲間が殺され、それでも彼女は感情を乱すことなく冷静さを保ち続けている。……そうか、今まで話してくれたことは、彼女にとって日常の一部でしかないんだ。

 

 誰もが自分の死を覚悟し、明日死ぬかもしれないと明確に自覚した上で、日常生活を送っている。巨大生物アルバトロスが出現する以前の紛争中の国々と同等か、それ以上に劣悪な治安情勢。現代日本は、こちらの想像を遥かに超えて非情であった。

 

「…………」

 重度の記憶喪失で、正確な記憶が直近二カ月分しかない自分は、あまりにも無知だ。

 

 どれだけ慎重に言葉を選ぼうと、今の僕では、マコトを慰めることはできないだろう。

 

 それどころか逆に、彼女をより深く傷つけてしまうかもしれない。一度でもそう考えてしまうと、マコトに掛けるべき次の言葉がどうしても見当たらず、口を閉ざして視線を泳がせるしかなかった。

 

「ところで、小春はなんで奴らに捕まったんだ?」

 

「え?」

 

 そんなちっぽけな僕の逡巡を知ってか知らずか、マコトは朗らかに笑っていた。

 

「いやだから、小春って名家のお嬢様かなにかだろ? それがどうしてこんな廃墟なんかにいるんだよ」

 

「いえ、僕はお嬢様ではありません」

 

「違うのか?」

 

「違います、使用人です。旧町方面の、えーっとここからだと、だいたい北西方向の山間部に鶺鴒館というお屋敷があるのですけど、そこでメイドとして働いていました」

 

「へー、メイドかー。本物のメイドなんて初めて見た。それで、まさか雇い主と喧嘩でもしてお屋敷を飛び出して来ちゃったのか? ……いやすまん、小春がそんなマヌケなことするわけないか」

 

 図星だった。言葉が刃となって、予期せぬタイミングで僕の心を深く抉った。

 

「え? マジで? 冗談のつもりだったんだけど……」

 

 自分が特大の地雷を踏み抜いてしまったことに気づいたのか、マコトは口を開けて呆然としている。

 

「事情はもっと複雑ですけど、おおむねそんな感じです。ある事情で大喧嘩して、ご主人様の制止も振り切って、安全な場所から飛び出して来ちゃいました。それで賽原市の市街地を歩いていたら、急に二人組の男性に声をかけられたんです。彼らは銃を持っていましたけど外で人と会うのは初めてだったので、挨拶しようと思って……」

 

「つまり小春は、銃で武装したいかにも怪しい連中と遭遇したのに、逃げも隠れもせずに自分からノコノコと近づいたわけだ。完全にカモだな。俺なら罠を疑うレベルだ」

 

「……はい」

 しゅん。

 

「はぁー。ほんと、呆れてすぎて怒る気にもなれない」

 

「すみません」

 おっしゃる通りです。

 

「箱入り娘って本当にいるんだな。ある意味で感動する」

 

「だから、自分はただのメイドで……」

 そもそも僕は男だし……。

 

「あのなぁ、俺からすると――」

 

 くわわっと目を見開き、マコトは僕を指差しながら叫んだ。

 

「お前は立派な、世間知らずの箱入り娘だっ!」

「そんなー」

 

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