「お前、いったい何者だッ」
しゃがれた声が廃工場に轟いた。
夜空を見上げていた視線をゆったりと正面に戻す。すると大小様々な銃火器で武装した集団が物陰からぞろぞろと現れた。彼らの装備する無骨な暗視ゴーグルが、闇夜の中で月光を浴びて鈍く輝く。
「何者だッ! おい、答えろッ」
再度そう叫んだのは、あごひげを蓄え迷彩服を着こんだ年配の男性で、四組のレンズが並ぶ蜘蛛の複眼に似た暗視ゴーグルを装着し、ハンドメイドと思しき無骨なロケット砲を肩に担いでいた。おそらく彼がこの武装集団のリーダーなのだろう。
「わかりません」
僕は素直に答えた。
「……なんだと?」
「記憶喪失です。だから自分でも、僕が何者なのかわかりません。……ただ、それでもあえて答えるのなら、僕は来栖野家の使用人です」
かつて、アリス様が綺麗だと褒めてくださった淡い金色の長髪が、立ち昇る排熱風によってはためき、揺れ動く。
この髪には熱交換器としての役割もあり、カーボンナノチューブも凌駕する熱伝導効率によって機体内の熱を吸い上げ、唯一の生体器官である僕の頭脳が納められた脳核を最優先で冷却し続けている、らしい。
その冷却機能は正常に作動しているはずなんだけど、さっきから頭が妙にぼーっとする。
もしかすると何かの調整不足で、排熱が上手くいっていないのかもしれない。
「統合軍お抱えのサイボーグ野郎が、なに意味不明なこと言ってやがるッ! 俺たちを動揺させたけりゃもっとマシな言い訳をしろ! そのフルチューニングのボディと、お前が身に着けている高価なメタルは、どう見たって軍用品じゃねえか!」
《レーダー照射を検知しました》
あ、ロックオンされた。
どうやらあの男性が構えているロケット砲には高度な照準機能があるらしい。
手作りのはずなのにずいぶんと高性能である。きっと彼は優れたエンジニアなのだろう。
いかに渡り鳥の防御機構が優れていても無敵というわけではない。
ロケット弾が機体に直撃すれば、最悪の場合、一撃で行動不能に陥ってしまう。
現代兵器とはそれほどまでに強力であり、いかに粗悪な見た目をしていても、決して侮ってはいけないのだ。
「もう、やめましょう。ここは見逃していただけませんか?」
「はっ、寝言は寝てから言え。お前は俺たちの仲間を二人も殺してんだ。今さら生かして返すわけねぇだろうがよ」
「そうですか。わかりました。とても残念です」
予想通り、交渉は決裂した。
待っていましたと言わんばかりに、正面から多数の銃口が突きつけられる。
どうしたって戦闘は避けられそうになかった。
「最後に一つだけ質問があります」
「なんだッ」
「あなたは今までに、どれだけの人を殺めてきたのですか?」
「それこそ愚問だ、くだらねぇ。百より先は数えてねぇよ!」
男は悪びれた様子もなく言い放つと、ニヤニヤと笑いながら、僕の体をなめ回すように下から上へとおおげさに視線を走らせる。
「わかるぜぇ、お前の考えてることが手に取るようにな。お前は、俺たちが外道だと言いてぇんだろ? 俺たちは、善良な人々を食い物にする救いようのない畜生だってな。……まあ、たしかに俺たちは外道だ、他人様の命なんぞ道端の石ころ同然に考えてる傲慢なクズ野郎だ」
「…………」
「けどな、それに関しちゃあ、俺たちはお前にとやかく言われる筋合いはねぇよ。どうせお前は今まで、あのクソみてぇな配給食の味も知らず、うまい飯を腹いっぱい食って、綺麗な湯水を毎日何百リットルと消費して、温かくて安全な場所で、なに不自由ない生活を送ってきたんだろ? えッ!? どうなんだッ!?」
「……ええ、はい。その通りです」
僕が答えると、男はニタリと表情を歪ませた。
「ははッ、やっぱりそうかッ! その小綺麗な顔を見た途端に、ぴーんと来たんだッ! 裕福な環境でぬくぬくと暮らしてきた、世間知らずの甘ったれだってなッ! 俺とお前に、どれほどの差があるって言うんだッ! んッ!? その快適な生活を維持するために、どれだけの人間が犠牲を強いられたか想像つくかッ!?」
男は絶叫しながら、ロケット砲のトリガーに指をかける。
「お前ら統合軍の軍人は、役立たずの無駄飯食らいばっかりじゃねぇかッ! お前らは軍人としての義務を放棄して民間人を守らず、なにかにつけて復興を延期し、慢性的な物資不足を解消せず。あげくの果てに、巨額の費用を投じたアルバトロス討伐作戦は最後の最後で失敗しちまったッ! もう俺たちに余力なんざ残されていねぇってのによッ!」
「…………」
「お前ら軍人のやってることは、他人様の命を食い物にする外道な俺たちと、なんら変わらねぇじゃねぇかッ!」
男は肩で息をしながら、強烈な殺意と絶望を周囲にまき散らしていたが、そんなものは気にもならなかった。マコトの遺体を抱き上げた時の濃密な血液の匂いと、生命が失われて弛緩した身体の感触が脳裏から離れず、相手に同情する気持ちを摘み取っていく。
なるほど、たしかに僕はこの男の言うように外道かもしれない。
「満足しましたか?」
「なんだと?」
しかしだからと言って、社会制度全般が崩壊し、警察力が存在しない現代の日本に、他人の命をためらいなく奪うような危険人物を野放しにしておくわけにはいかなかった。
「言いたかったことはすべて言えたのでしょう? 満足しましたか?」
「……てめぇッ」
僕は腰部左右のランチャーから対物ブレードをそれぞれ抜刀し、両手に装備した。
その銘は共に、相州五十七代鬼正。
いかに優れた兵器であろうとも、兵器とはとどのつまり消耗品である。
消耗品が一点物では話にならない。
つまり、真の意味で相州鬼正が優れている点は、まるで一点物のように高品質かつ高性能でありながら、それが十分な量産性をも兼ね備えていることにあった。
出撃時、片側一基あたりに納められた鬼正は、最大搭載量の五振り。
主力戦車の装甲を両断しようとも刃こぼれ一つしない耐久性を誇る鬼正ではあるが、両手に装備したそれらが何らかの原因で破損しても、まだまだ予備が残されているわけである。
「死ねッ!」
男は叫びながらロケット弾を発射した。
白煙を吹きながら迫りくるそれを真正面から叩き斬って両断する。
撃墜された飛翔体の残骸は爆発することなくあたりに散らばった。
「撃てッ! 撃ち殺せッ!」
独断で他人の命を奪っていいはずがない。それは理解している。
だけど今ここで、この男たちを全員殺さなければ、凌辱の限りを尽くされた上でなぶり殺しにされるだろう。僕はまだ死にたくない。
生きたい。生き抜いて、もう一度アリス様に会いたいんだ。
《荷電粒子推進機構、始動。一号炉及び二号炉、点火》
だから――。
《極超音速戦闘へ移行します。ご注意ください》
左右の肩甲骨付近で、つぼみのように閉じていた三次元推力偏向パドルが滑らかに動作し、鈍色の花弁三枚が花開く。その奥にぽっかりと開いた噴射口から、摂氏一億度に達する微細な重金属粒子が亜光速で下方へと放たれた。
足元の硬質な地面が円錐状に弾け飛ぶ。
もはや何もかもが緩慢だった。
人の動きは言うに及ばず、数多くのライフル銃や重機関銃から発射された無数の弾丸すら、スローモーションとなってノロノロと空中を進んでいる。
双発の荷電粒子推進機構と、三次元推力偏向パドルが実現する驚異的な機動制御によって、急加速とクイックターンを繰り返す。
二振りの現代刀・相州鬼正を月光の下で煌めかせ、通常の人間ならば瞬時に五体が引きちぎられるほどの激烈な加速と減速に耐えながら、人間の反射神経や動体視力では決して認識できない速度で、敵集団を切り刻んでいく。
刀身が極めて高速で振動している最中も、鬼正は通常の刀剣と同じように物静かなままだった。
「……ふぅー」
勝敗はすでに決していた。最新鋭の軍用兵器を相手に、雑多な火器で真正面から挑んだところで最初から勝ち目などない。
もしかすると彼らは死に場所を求めていたのだろうか。
極超音速戦闘を開始して一秒が経過する前に、敵戦力の排除が完了した。
背後では、泣き別れになった大量の遺体が転がっている。
遠くの建物にはまだ幾人か潜んでいるみたいだけど、彼らがそこで大人しくしている限り、こちらから手出しするつもりはない。
「…………」
しばらく睨み合いを続けたものの彼らに動きはなかった。
もう抵抗する気もないのだろう。
「――っ!」
そう思って建物に背中を向けた途端、背後から強力な指向性レーザーが放たれた。
照射された指向性レーザーと、電磁流体装甲を形作る荷電した重金属粒子の防御層がせめぎ合い、白い閃光が瞬いている。
これが光学兵器の恐ろしさである。
レーザーは、銃弾やロケット弾よりも遥かに早く前進し、照射とほぼ同時に、目標に命中する。ようするに照射されたレーザーを回避するすべはない。電磁流体装甲を展開していなければ致命的なダメージは避けられなかっただろう。
ゆえに容赦はしない。鬼正をランチャーに収納しつつ、レーザー照射から逃れるべく身をひるがえし、右腕を前方へと突き出した。
《荷電粒子砲〝雷鳥(らいちょう)〟起動しました》
「威力は最大出力の三十パーセントに制限」
《了解》
荷電粒子砲は、膨大な電力を消費することで、荷電粒子という名の砲弾を亜光速で射出する大砲の一種であり、運動エネルギー兵器だ。
それゆえ発射の際に大きな反動が発生する。
機体が後方に吹き飛ばされるのを防ぐべく、僕は背面に並ぶ双発の推進機構を再度点火し、衝撃に備えた。
《荷電粒子砲〝雷鳥〟発射準備完了。セーフティを解除します》
戦略兵装機構〝渡り鳥〟の腕は、いうなれば荷電粒子砲〝雷鳥〟の砲身であった。
無尽蔵の発電能力を誇るムクドリ型永久発電機構から供給される膨大な電気エネルギーが、胸部から右肩を伝って、上腕から前腕へ、そして最終的に手のひらへと集束していくのが強烈な発熱と共に感じ取れる。右腕を覆い尽くす渡り鳥の装甲の隙間からは、ゴムの焼ける異臭と白煙が立ち昇り、幾重もの火花がほとばしっていた。
《警告。右腕内部に異常発熱を検知、右前腕駆動系モジュール融解、ただちに――》
それでも僕は、目標である廃工場の建屋へと、発射口の埋め込まれた手のひらを向けた。
「――発射」
双発の推進機構が青い火柱を背後へと噴射する。
刹那、手のひらから放たれた青白い発光体が、一条の光線となって空中を駆け抜け、瞬く間に破壊目標へと到達した。
摂氏一億度を超える荷電粒子の塊が着弾すると、その周囲は融解する間もなく瞬時に光へと還元され、巻き起こったプラズマ爆風が一切合切を吹き飛ばし、衝撃波が地面を薙ぎ払った。
《目標殲滅。周囲に敵勢力及び、生体反応なし。準警戒態勢へ移行します》
終わった。
そう確信した途端、強烈な疲労感が全身に押し寄せ、すぐに身動きがとれなくなった。
そのまま瓦礫の上で立ち尽していると、やはり排熱に問題があったのか頭がぼーっとして、だんだんと意識が薄れていった。
「――――」
西の空から聞こえてきたヘリコプターのローター音に耳を傾けながら、僕はそっと意識を手放す。どこか遠くで、アリス様の声を聞いたような気がした。
消毒用アルコールの匂いがする。
「……んっ、……うぅ?」
ふと目を覚ますと、自室のクローゼットに仕舞っておいたはずの鳥柄のパジャマを着て、清潔なベッドの上で横になっていた。
寝ぼけまなこをぐりぐりと擦りながら、首だけを動かしてあちこちを眺めてみる。
その結果わかったのは、ここは病室というよりも独房か、もしくは死体安置所のような一室ということだけであった。
ドアは一つだけ、室内に窓はなく、床も壁も天井もむき出しのコンクリート。
壁面には大きな鏡がはめ込まれているのだけど、たぶんあれはマジックミラーだろう。
きっと鏡の向こう側が暗室になっていて、誰かがこちらを監視しているに違いない。
僕は上半身だけを起こして、鏡を無言で凝視する。すると誰かが慌てて立ち上がったのか、向こう側から椅子の倒れる音が聞こえてきた。
ほどなくしてドアがノックされる。
「どうぞ」
「……小春」
廊下からひょっこりと顔を覗かせたのは、軍服姿のアリス様だった。
ということは、ここは賽原基地の内部である可能性が高い。
彼女は出勤する時以外、その制服を着たがらないからだ。
「体調は?」
「大丈夫です。……あの、僕はどれくらい眠っていたのですか?」
「小春が基地から緊急発進した渡り鳥を装備して、郊外の廃工場を根城にしていた武装集団と交戦してから七十二時間が経過している」
丸三日か……。
アリス様は、とぼとぼと室内を歩いて、部屋のすみに置かれていた丸椅子を取ってくると、ベッドの近くに置いてそっと腰を下ろした。
黒髪の奥で輝く青い瞳が、こちらをまっすぐ見つめている。
彼女の鮮やかな瞳に見つめられていると、自分の軽率さを悔いる気持ちで、胸が張り裂けそうになる。
「すみませんでした」
「……?」
「僕は、アルバトロスの存在や、人類が滅亡寸前まで追い詰められている現実を最後まで信じられなかった。アリス様は全部本当のことを教えくださったのに、なに一つ信じることができなかった。本当にごめんなさい」
「謝罪は必要ない。あなたは当初、人類統合軍の存在すら知らなかった。あなたは自分で想像しているよりも、ずっと多くの記憶を失っている」
「……はい」
「そして記憶の欠落が特に顕著なのが、二〇〇〇年以降。人類とアルバトロスの戦争が始まった二〇〇〇年以降の記憶を、あなたは丸ごと失っている」
「…………」
「戦前の平和な時代の記憶しか持たないのであれば、私がどれだけ言葉を尽くしたところで、現在の世界情勢をすんなりと理解するのは不可能だった。今回の一件は、私に落ち度がある」
「でもアリス様、僕は――」
あなたを傷つけて、賽原基地にも多大な迷惑をかけてしまった。
「必要ない」
それをどうにかして償いたかったが、僕の願いはアリス様によって一蹴されてしまう。
「小春が無事でよかった」
アリス様は優しく笑っていた。
白くて小さな手が、僕の頬にそえられる。
「……うぅ」
ぽっと頬が熱くなるのを感じたが、それもすぐに治まって、なんだかとても穏やかな気持ちになる。ほどなくして彼女の手が離れていくのが、ただただ悲しかった。
「アリス様」
「?」
「賽原基地の人々は、僕のことを知っている様子でした。記憶を失う前の自分は、いったいどんな人物だったのですか? どうして自分は記憶を失ってしまったのでしょうか?」
この質問も以前までなら、アリス様は黙秘を貫いていただろう。
けれど今ならば、彼女は包み隠さず、真実を話してくれる予感があった。
「……もともと小春は、人類統合軍の軍人だった」
「!」
はたして予感は現実のものとなる。
「あなたが統合軍に入隊したのは、二〇一二年の春。あなたの頭脳は義体との親和性が極めて高く、訓練課程において歴代トップスコアを記録している。しかし戦局の悪化から訓練期間は極限まで圧縮され、すでに実戦にも耐えうると評価されていたあなたは、全身機械化の翌々月には、当時の最精鋭部隊、極東方面軍・第一軍団・第一師団隷下の第一〇一重機械化歩兵連隊へ配属された」
「…………」
「同年十月、アルバトロスの侵攻から関東を死守するべく発令された関東絶対防衛戦において首都防衛任務に就いていたあなたは、第一〇一重機械化歩兵連隊の一員として、アルバトロスの体内から出現した数万もの小型戦闘ユニット、つまりキメラと長時間に渡って交戦し、目覚ましい活躍を見せた」
「…………」
「そして九十六時間の激戦の末に、アルバトロスの進路をそらして、関東地方への侵略を阻止するという人類史上初の偉業……奇跡を成し遂げた」
「あの、僕が所属していた歩兵部隊は……?」
「消滅した。小春を除く全隊員が、関東絶対防衛戦において戦死している」
アリス様は淡々と話し続けた。
「二〇一八年。当時、賽原基地の副司令官であった私の要請に応じる形で、あなたは戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長に就任。二〇二〇年までにアルバトロスの完全撃破に五度成功した。しかし六度目、最後のアルバトロスを撃破する作戦は失敗に終わり、公式上の記録ではあなたは作戦中に戦死したことになっている」
作戦中に、戦死……。
「つまり、僕は一度死んだってことですか?」
「記録上ではそうなっている。あなたは作戦行動中に、最前線からの生還が困難だと悟ると、装甲義体のリアクターを暴走させて自爆し、敵のメイン動力炉の一部を破壊。アルバトロスを三年間も行動不能に陥らせるほどの深手を負わせた」
「自爆!? 僕、自爆して死んだんですか!?」
「そう」
記憶を失っているのだから当たり前だけど、何もかもがまるで別人だ。
生還すら絶望的な状況に直面した時、はたして今の僕は、かつての自分と同じように最期まで勇敢でいられるだろうか。
「だからオリジナルの脳核は、あなたが自爆した際に失われている。そこで私は、作戦失敗の翌週から――」
「……?」
アリス様は言葉を区切ると、一呼吸置いてから話を再開した。
「私は、雪風小春という人間の再現を試みた」
「えっ」
薄々気づいてはいたけど、やっぱり今の僕は……。
「雪風小春という人間を形作る上で必要な情報は、とある実験において一度データ化されており、それを培養した生体脳に複写する形で記憶と人格を保存していた。ただそれらの技術はまだまだ未成熟で、生体脳に複写できたデータの総量は、全体の二割にも満たないものだった」
「…………」
「私は二年以上の歳月を費やし、ボロボロの記憶情報を可能な限り整合性を損なわないように繋ぎ合わせ、少しずつ人格を再構築していった。そういった試行錯誤が実を結び、あなたという人格がその義体に宿ったのが、今から二カ月前のことになる」
アリス様は僕の質問に答え終えると、ゼンマイがほどけ切った人形のようにピタリと身動きを止め、一言も発することなく、じーっとこちらの様子を眺め始めた。
おそらくだけど、僕の反応をうかがっているのだと思う。
僕の人格が、人工的に作り出されたものだと知って、こちらが必要以上にショックを受けていないか、つぶさに観察しているんだ。
彼女のそういうところが、本当に研究者らしい。
「やっぱり実感がない?」
「そうですね、実感はないです。自分が複製された存在だと言われても、よくわからないというのが正直な感想です。でも裏を返せば、その人格を再構築する技術がそれだけすごいものだったということですよね」
そういえばアリス様は、現在普及しているサイボーグ技術を一人で確立させた天才科学者なのだと、誰かが誇らしげに教えてくれた。けれどそれは誰が教えてくれたんだっけ?
……ああそうか、マコトだ。
彼女が僕に教えてくれたんだ。
「……っ」
直後。赤黒い血液にまみれた銃殺死体を腕に抱く感触と、対物ブレードが人体を斬り裂く感覚を追体験し、そのフラッシュバックによって、僕の意識は深く沈んでいく。
僕は自らの意思で、たとえ凶悪な犯罪者であっても、数多くの人間を殺めてしまった。
これは、その罪に対する相応の罰なのかもしれない。
錯乱するほどではないけど、とても辛い記憶だ。
きっともうトラウマになっている。叶うなら即刻忘れてしまいたい。
けれど僕は、これから何十年と、この記憶と向き合っていかなければならないのだろう。
「顔色が悪い」
「――!」
その一言で、僕は慌てて意識を現実へと引き戻した。
「大丈夫?」
「はい、平気です」
少し無理をしてでも笑顔を作った。頬が引きつっていなければいいのだけど。
「なにか他に質問はある?」
「……今回の一件で様々なことを学びました。僕の新しい体となったアマツバメと、その外部兵装である渡り鳥が、どれだけ強力な兵器なのか十分理解しました」
「そう」
この時点で、僕はすでに覚悟を決めていた。
けれど自分の意思で軍に戻る前に、人類統合軍の中将閣下にして、賽原基地の司令官でもあるアリス様に、どうしても答えてもらいたい質問が一つだけあった。
「世界は今、危機的な状況です。多くの国が滅び、食糧や物資が不足し、闘争本能をむき出しにした人々が、生き残るために凶悪な犯罪を繰り返している。人類は凄まじい速度で衰退し、滅びへと向かっています」
「…………」
「地球上から元凶を、アルバトロスを排除できたなら、アリス様は人類の滅びを回避できますか? もう手遅れなんてことはないですよね?」
「手遅れではない」
僕の問いかけに対し、アリス様は視線をそらすことなく即答した。
「今後予定されている第七次討伐作戦が成功し、アルバトロスの絶滅が完了すれば、私の指揮下にある賽原基地は、人類統合軍の先陣を切って人類社会の復興を開始する。賽原基地には、その復興を最大の目的として全世界の五十以上の国と地域から、高度な知識と技能に精通した約三万名の人員が集まっている。復興にはとても長い時間が必要となるが、まだ手遅れではない」
「…………」
「だから小春には、戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長として、今度こそアルバトロスを倒し、私たちが人類社会の復興に全力で取り組むための礎を築いてほしい。あなたには、その力が備わっている」
「僕が勝てば、世界は平和になりますか?」
「平和にしてみせる」
迷いのない澄んだ瞳だった。
「……わかりました」
彼女の下でなら、十年後、二十年後に、社会秩序を取り戻し、見事な復興を果たした賽原市を目にすることができるかもしれない。
争いのない、平和で穏やかな世界が実現できるかもしれない。
なんの根拠もないけれど、たしかな確信があった。
「僕、戦います。敵を倒します」
こうして自分は記録上において、人類統合軍への二度目の入隊を果たした。
自らの意思で、再び戦場へと舞い戻ったのである。
「ありがとう」
「……っ」
それを改めて認識すると、情けないことに緊張のあまり手足が震えてきた。もしかすると、自殺にも等しい決断を下してしまったのかもしれないが、もう後戻りはできない。
生きるか、再び死ぬか。僕に残された道は、この二つだけだった。
それからほどなくして、統合軍のIDカードがアリス様から手渡された。
人類統合軍・極東方面軍。
所属・賽原基地司令部付。
氏名・雪風小春。
階級・少佐。
これらの文言が、顔写真やバーコード、電子チップなどと共に記載されてあった。
これさえ携帯していれば、僕は賽原基地の内部を自由に行動できるらしい。
アリス様曰く、機密区画への出入りも可能なので絶対に紛失しないように、とのことであった。
――コンコン。
IDカードに関する注意事項に耳を傾けていると、ふいにドアがノックされる。
誰が来たんだろう?
たぶんアリス様の部下だよね?
僕は小さく首を傾げながら、ドアの方を注視する。
「入って」
「し、失礼します」
アリス様の声に従い、その軍服姿の女性は恐る恐る入室すると、すぐさま背筋をまっすぐ伸ばして敬礼した。
綺麗な女性だった。
短く整えられた黒髪と、やや色素の濃い肌、力強い琥珀色の瞳。背は僕よりも高くすらっとしていて、その意思の強そうな顔立ちを、統合軍の紺色の制服がよく引き立てている。
「……あ」
そんな彼女は、僕の顔を見た途端に、ひどく驚いた様子で両目を見開いた。
「小春?」
「えっ?」
急に名前を呼ばれた。誰だろうこの人。雪風少佐とか雪風隊長とかじゃなくて、直接名前を呼ぶってことは、かなり親しい間柄だったのだろうけど、まったく記憶にない。
これも記憶喪失のせい?
ただ、彼女の声はどこかで聞いた覚えがある。いやでも、そんなはずは……。
「すみません。どちら様ですか?」
「おいおい、本気で言ってるのか? 俺だよ、俺! マコト! 有坂真!」
「――っ!?」
もはや居ても立ってもいられなかった。紛失しないようにと注意を受けたはずのIDカードすらも手放して、彼女のもとに駆け寄っていた。
「小春、顔が近いって……」
目と鼻の先まで近寄って凝視してみると、たしかに彼女はマコト本人だった。
「とりあえず、わかってもらえたか?」
驚きのあまり声も出せず、ひたすら首を縦に振って頷くことしかできない。
すぐに気づけなかったのも無理はない。廃工場に監禁されていた時、彼女は垢まみれで全身が黒ずんでいたし、ひどくやつれてもいた。
けれどあの時とは打って変わって、今のマコトはとても健康的で、きっちりと統合軍の制服を着こなしている。もはや別人と言っても過言ではなかった。
それになによりも、マコトは死んでしまったのだ、という強烈な先入観が、血まみれの記憶となって脳裏に焼きついていたため、どうしても気づくのが遅れてしまったのである。
「本当に、マコトなんですか?」
「ああ、幽霊じゃないぞ」
そう言って、マコトは朗らかに笑う。
「でも、マコトはたしかに死んで……。僕、あなたの死体を血まみれになりながら抱きかかえていたんですよっ!?」
「あー、それは、なんというか、申し訳ない」
マコトはバツが悪そうに目をそらし、ぽりぽりと頬をかく。
「じつは幽霊だったりしませんよね?」
「だから違うって。この体は来栖野閣下が――」
「この場で閣下はやめて、そう呼ばれるのはあまり好きじゃない」
「す、すいません。……えっと、アリス博士が俺の新しい体を用意してくれたんだ」
「えっ」
僕が視線を向けると、アリス様はコクリと頷いた。
「遺体を例の廃工場から賽原基地に持ち帰り、マコトを全身義体のサイボーグとして蘇生させた」
「もしかして、それを全部アリス様が?」
「生体脳の摘出、脳核化、義体製造の監修、義体と脳核の最終接続までをひと通り行った。幸運にも脳自体に損傷はなく、記憶の欠落も一切ない」
「すごい! すごいです!」
「そんなにすごい?」
「はい! とってもすごいですっ!」
「……へへ」
湯船に肩までつかった時みたいに、アリス様の表情は緩み切っていた。
「本当にありがとうございます!」
「別にいい」
これまでお仕えしてきた二カ月間で、もっとも頬が緩んでいたアリス様だったけれど、賽原基地では常にお仕事モードを維持するつもりなのか、五秒と経たずして普段通りの仏頂面に戻ってしまった。
「こちら側としても思わぬ収穫があった。マコトは義体化に対する適性が驚くほど高かった。総合スコアは、歴代第九位の記録。基準値をクリアしている。しばらく訓練を続けていけば、いずれは極超音速戦闘も行えるようになるかもしれない」
「ということは、マコトを部隊に?」
僕はひそひそと、アリス様の耳元で囁く。
「その可能性も十分に考慮して、彼女を私直属の部下として統合軍に入隊させた。これほどの逸材をそのまま横須賀のスラムに送り返せるほど、今の統合軍に余裕はない」
そうか、いずれは実戦に。……とにかく生きていて、本当によかった。
胸を撃たれて冷たくなったはずのマコトが、じつは死んでいなかったなんて、都合のいい夢を見ているみたいだ。
「小春。そういうわけだから、これからよろしくな?」
「はい、こちらこそ!」
これは夢じゃないんだと確信するべく、マコトと固い握手を交わす。
すると目頭が急に熱くなってきて、涙をこらえるのが大変だった。
「ところで、小春に質問なんだけどさ」
「なんですか?」
「お前の階級って、具体的にどのくらいなんだ? ちなみに俺は、少尉って階級で入隊することになったんだけど。小春も身分証を受け取ったみたいだし、もうただのメイドってわけじゃないんだろ?」
マコトは、ベッドの上に放置された僕のIDカードを指出しながらそう言った。
「か、階級、ですか?」
白状すると、そもそも自分は統合軍の階級というものをよく理解していなかった。
アリス様の階級は、中将だ。これはきっと、とても偉いものに違いない。
けれど、僕に与えられた階級である少佐と、マコトに与えられた階級である少尉。
これらが、それぞれどれくらい偉いものなのか、今ひとつピンと来ていなかった。
たぶんこれも、記憶を失ってしまったからに違いない。
「えーっと……」
僕が視線で助けを求めると、アリス様はすぐに説明してくださった。
「小春の階級は、少佐。戦略機動部隊の隊長でもある。ちなみに少佐は、少尉の三つ上の階級。少尉よりも、少佐の方が遥かに偉い」
「…………」
「そ、そういうことらしいです。……あの、マコト?」
呼びかけても一向に返事がなかった。
マコトは愕然とした様子でフリーズしていた。
いったい、どうしたのだろうか。不思議に思いながら、ちょんちょんと肩をしばらく突いていると、再起動でもしたのか彼女はブルースクリーンから立ち直った。
「来栖野閣下――じゃなくて! アリス博士っ!」
マコトはひどく慌てた様子でアリス様に詰め寄った。
「なに?」
「まさか、小春は……いえ、雪風少佐は、アルバトロスの討伐に成功した部隊の生き残りってことですか!?」
「少し異なる」
……雪風少佐。
こちらは依然として性別を偽っているわけだから、良好な関係が築けているとは口が裂けても言えないけれど、今さらになってマコトから他人行儀な呼び方をされたのは、なんだかとても寂しかった。
「正確に言うと、小春は二〇一二年の関東絶対防衛戦において活躍し、のちに守護神と呼ばれた戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長本人」
「……関東絶対防衛戦っ!? でも、たしかハミングバードの隊長は、三年前の第六次討伐作戦で戦死したはずじゃなかったんですか!?」
「これ以上は機密レベルが高いため詳細な説明は省略するが、小春は重度の記憶喪失のような状態で、過去の出来事をほとんど忘れてしまっている」
「……記憶喪失?」
マコトはとても驚いていたが、しかしなにかを納得した様子でもあった。
「たとえ記憶を失っていようと、その卓越した戦闘技術に陰りはない。この長い戦争によって人材と物資が枯渇し、統合軍という組織は極度に疲弊している。現状の限られた戦力で最後のアルバトロスを撃破するためには、小春の技能が必須になる。だから私は、小春を統合軍少佐として復帰させた。……他に質問は?」
「いえ、ありません」
しばらくの間、マコトはなにかを堪えるようにうつむいていたが、急にパッと顔を上げて僕の近くへと歩み寄ってきた。彼女は奥歯を噛みしめ、口を固く結んでいる。
それは今にも泣きそうなのを必死に我慢している時の仕草だった。
「雪風少佐!」
「は、はいっ!」
「少佐は私のヒーローです!」
「あ、あの、マコト?」
「思い描いていた人物像とはだいぶ異なっていましたけど、それでもあなたが私のヒーローであることに変わりはありません。雪風少佐、ありがとうございました!」
マコトは深く頭を下げた。他人からここまで深々とお辞儀をされたのは初めての経験だったため、かなり慌ててしまった。
「あ、頭を上げてください!」
僕は半分パニックになりながら、マコトの両肩を掴んで強引に頭を上げさせた。
「マコト、あなたにそこまでさせておいて心苦しいのですけど、僕はなにも覚えていないんです。ですから、英雄とまで呼ばれた隊長さんと、今の僕は、ほとんど別人です」
「それはつまり、脳核に損傷が?」
「聞くところによると、第六次討伐作戦の際に、僕は相当な無茶をしたらしくて、その後遺症のようなものらしいです」
これまでの会話から推察する限り、アリス様はマコトに対してすべての情報を事細かに開示しているわけではなさそうだ。僕はその考えをくみ取り、言葉を慎重に選んでいった。
「……マコト、お願いですから僕に対しては、これまで通りの砕けた態度で接していただけませんか? というか似合ってないですし、そのかしこまった口調も、かなり無理していますよね?」
「やっぱり、ばれてた?」
マコトは居心地が悪そうに首をすくめている。
イタズラ現場を目撃されてしまった飼い犬そっくりの仕草だった。
「まあ、なんとなく。きっとマコトは自由なことが好きで、他人からの強制や、窮屈なことが苦手なんだろうなぁと、あの廃工場で出会った時から思っていましたし」
「参ったな」
どこか嬉しそうに、彼女は苦笑していた。
「あのアリス様」
「なに、小春?」
「今が戦時下である以上、軍隊にとって規則とか階級とかが、なによりも重要なのは理解できますけど、もう少し僕とマコトの上下関係を緩和できませんか?」
「……私は昔から、あなたの部隊教育の方針について、あれこれ口出したことは一度もなかった。そもそも賽原基地おいて、あなたの方針に意見できるような人間は誰一人いない。全部、小春の好きにすればいい」
どうやら僕は統合軍という組織に属していながら、軍隊の規則を守らなくてもいいらしい。
賽原基地司令官、来栖野有栖中将のお墨つきである。
ただこれって、数万もの軍人を統率する基地司令本人が、軍隊の規則や秩序を無視して構わないと宣言しているわけなんだけど……。冷静に考えてみると、かなりマズいよね?
ただまあ、これで面倒な上下関係を気にする必要はなくなったので、もう別にどうでもいいか。
「マコト、そういうことらしいので、僕と話す時はこれまで通りでお願いします」
「……わかった」
アリス様のくだした決定であるため、マコトも嫌とは言えなかったのか、表情をこわばらせながらも了承する。
「はあ、なんて場所だ……。俺の想像していた統合軍とまるで違う。軍隊ってやつは、どこもこんなに緩いものなのか?」
「こうも緩いのは私たちだけだと思いますよ? 賽原基地の軍人さんを何人か知っていますけど、皆さんとても職務に忠実な人たちでしたから」
そう言えば、暴漢の襲撃を受けた運転手のジョージさんは、きっとあの廃工場の連中に襲われて負傷したに違いない。曲がりなりにも、対戦車ロケットやレーザー兵器で武装した集団の襲撃から生き延びたわけだから、彼も生身の非戦闘員ではないはずだ。
おそらくジョージさん本人も、賽原基地の重機械化歩兵部隊に所属する全身義体のサイボーグなのだろう。
「なあ、小春」
「なんですか?」
僕の名前を呼んだマコトは、なぜか急に頬を赤らめてうつむいてしまう。
彼女は頑なに、こちらと目線を合わせようとはしなかった。
「ようするにお前は、俺と対等な関係を求めているんだよな?」
「はい。軍人である以上、限界はあると思いますが、……その、友人として、可能な限り対等な関係でいたいと思っています」
「そっか。……俺としても小春と友人関係になれるのは嬉しい、けど本当にそれでいいのか? なんて言うか、俺と小春とじゃいろいろと身分が違うだろ?」
「え?」
僕には最初、マコトの言いたいことが理解できず、首を傾げるしかなかった。
「俺は小春のことを心から尊敬してる。たとえ記憶を失っていても、俺にとってお前は憧れのヒーローだよ。そんな雲の上の存在と階級は違っていても対等な友達になれるなんて、それこそ夢みたいだ」
けれどここでようやく、彼女がなにを伝えようとしているのか理解するに至り、握り閉めた僕の両手は震え始めていた。
「俺は横須賀のスラムで、長い間一人で暮らしてきた。スラムでの生活は決して楽じゃない。だから自分の身体を切り売りして、人には言えない汚いことだって、それこそいっぱいしてきた。少し叩けば、いくらでもホコリが出てくる身の上なんだ」
「…………」
「英雄であるお前とスラム出身の俺が仲良くしていたら、まわりの連中は快く思わない。人間ってそういうものだろ? 場合によっては、小春まで巻き込んで迷惑をかけてしまうかもしれない、だから上下関係だけは普段からきっちり――」
「言いたいことはそれだけですか?」
あーもー、我慢の限界!
ネガティヴなことばかり口にして、自虐的な作り笑いを顔に張りつけたマコトなんて、もう見たくない。
僕は両手を後ろ手に組んで、いわゆる休めの姿勢になると、背骨が反り返りほどに息を大きく吸い込んだ。
「――有坂真少尉! 気をつけッ!」
「――っ!?」
脳裏に刻み込まれた職業軍人の本能に従って全力で叫ぶと、マコトはびくりと両肩を震わせて気をつけの姿勢になった。視界の端っこで、僕の号令にアリス様まで反応して姿勢を正していたけれど、今は見なかったことにしよう。
「これより人類統合軍・戦略機動部隊〝ハミングバード〟隊長、雪風小春少佐として、貴様に命令する!」
「……あの、小春? 急にどうしたんだよ?」
「新任の少尉風情が上官に口ごたえとはいい度胸だなッ! 貴様、返事はどうしたッ!」
「は、はいッ!」
「よろしい! では現時刻をもって、雪風小春少佐と有坂真少尉は、作戦中を除き、いかなる理由があろうとも対等な友人である! この命令に対する口ごたえは絶対に許さない!」
なんだか急に恥ずかしくなってきたけれど、ここで中断するわけにはいかない。
頬も耳も、湧き上がる羞恥心で真っ赤になっているだろうけど、ここでやめてしまったら、それこそすべてが無駄になってしまうのだから。
「少尉、復唱しろ!」
「こ、小春……」
「もう一度言う、復唱しろ少尉!」
「……現時刻をもって、雪風少佐と有坂真少尉は、作戦中を除き、いかなる理由があろうとも対等な友人であるっ!」
叫ぶような復唱を終えたマコトは、なにかを我慢するように震える唇を噛みしめた。
「えっと、じゃあ小春、これからもよろしくな」
「はい、よろしくお願いしますね」
「……えへへ」
マコトは、泣き止んだ子供みたいな面持ちで、朗らかに笑っていた。片時も警戒を緩めず、野生動物さながらだった彼女の雰囲気も、今はすっかり落ち着いている。
けれどマコトは、僕が本当は男であることを知らない。それなのに、なにが友人だ。
積みかさねてしまった罪の重さに押し潰されそうになる。
僕は自分自身を偽るばかりか、彼女の信頼までも踏みにじってしまったんだ。
「小春、さっきの号令、すごくカッコよかったぞ」
「そ、そうですか?」
胸中に沈殿した暗い感情の中でもがき苦しみながらも、僕は自分の胸にそっと手を伸ばし、巻きつけられたパッド入りブラジャーの具合を確かめた。
うぅ、かゆい。長時間寝ていたせいか、ゴムの締めつけが。
「号令の時なんて特にシビれたぜ! サイボーグには変な表現かもしれないが、記憶を失っても体は覚えているってことなのかもな」
「そうかもしれませんね」
僕はマコトと何気ない会話を続けながら、これから一生、女装して生活していく覚悟を固めるのだった。