胡散臭いTS美少女占い師は今日も路地裏で笑う   作:高丸

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第五話 霊感少女

 放課後の校舎は、昼の喧騒が少しずつほどけていく時間帯だった。部活に向かう足音と帰宅する生徒の話し声が交差し、夕日が窓ガラスを橙色に染めている。長く伸びた影が廊下の端で揺れ、どこか現実感の薄い静けさが混じり始めていた。

 

 菅原一華は、その流れの中を一人で歩いていた。

 

 黒髪は肩に触れる程度の長さで整えられ、細いフレームの眼鏡の奥で瞳が落ち着きなく揺れている。表情は普通の中学生と変わらないはずなのに、その眼差しだけが常に周囲と噛み合っていない。

 

 昔から、少しだけそうだった。

 

 誰もいない廊下に立つ影。夜道で一瞬だけ感じる気配。聞こえるはずのない呼び声。

 

 それは幼い頃から確かにあったが、最初は数ヶ月に一度あるかないかの些細なものだった。疲れているだけだとか、気のせいだと片付けられる程度の違和感。

 

 それが変わったのは、ここ数年の内だった。

 

 月に一度。

 

 週に一度。

 

 数日に一度。

 

 そして今ではほとんど毎日のように“それ”は現れる。

 

 ただ見えるだけではない。

 

 最近は明らかに違っていた。

 

 見えているだけだったはずの“何か”が、時たまこちらを認識しているような様子を見せる。視線が合うはずのない場所で、確かに目が合う瞬間がある。

 

 それでも一華は誰にも言えなかった。

 

 父は帰りが遅く、家にいる時間はほとんどない。母はもう何年も前に家を出ている。友達にも相談できる相手はいないし、何より言ったところで信じて貰えない。

 

 だから必死に目を反らし、知らないフリをする。気のせいだと、疲れているんだと言い聞かせる。

 

 しかしその異常は、ただの思い込みで済ませるには、もう遅すぎるところまで来ていた。

 

 靴音が廊下に響く。

 

 一華は小さく息を吐き、校舎の外へ向かった。

 

 昇降口を抜けた瞬間、夕焼けが視界を開く。校門へ向かう生徒たちの流れに混ざりながら歩いていた、その時だった。

 

 視界がわずかに歪むような感覚がした。

 

 一華は反射的に後ろを見た。

 校舎の影の奥に、何かがいる。

 

 人の形に似ているのに、人ではない。輪郭が揺れていて、目を凝らすほど形が崩れていくような存在。

 

 その“何か”が、こちらを見ていた。

 

 呼吸が止まる。

 

 次の瞬間には走り出していた。

 

 校門を抜け、通学路を外れ、人気の少ない裏道へと飛び込む。背後から追ってくる気配は、距離を詰めるごとに濃くなっていく。足音はないのに、確かに“追われている”という確信だけがあった。

 

 息が上がる。胸が痛い。

 

 それでも止まれなかった。

 

 曲がり角をいくつも抜けた先で、一華は路地へと転がり込むように逃げ込んだ。薄暗い裏通り、古い建物の隙間、夕暮れの光が届かない場所だった。

 

 そこでようやく、一瞬だけ息を整える。

 

 ──いない?

 

 そう思った瞬間だった。

 

 振り向いた視界の端に、それが写り込む。

 

 さっきより近い。形もはっきりしている。顔のようなものが、こちらを覗き込むように歪んでいる。

 

 逃げ場はない。

 

 その事実が頭に落ちた瞬間、足がすくんだ。

 

「……っ」

 

 声にならない息が漏れる。

 

 そのとき、路地のさらに奥から別の気配が流れ込んだ。薄暗い空間の中に、不自然なほど整った静けさ。

 

 そこにいたのは高校生くらいの黒いローブを羽織った女だった。

 

 場違いなほど落ち着いた空気の中で、安っぽい折り畳み机とひびの入ったガラス玉を前に座っている。

 

 夕暮れの光が届かないはずの場所なのに、その女だけがやけに鮮明だった。

 

「占っていかないかしら。初回無料よ」

 

 間の抜けたほど軽い声。

 

 状況が理解できなかった。

 

 だが背後の“それ”が動いた途端に、心臓を握り込まれるような悪寒が走る。

 

「──やかましいわね」

 

 彼女の指先が軽く動く。

 

 それだけで路地裏の喧騒が遠のいたような錯覚が走った。

 

 背後の気配がぴたりと止まる。それはまるで見えない壁に阻まれているかのようだ。

 

 一華は呆然とその光景を見る。

 

 彼女はようやく視線をこちらへ向け、紅い目が一瞬だけ細められる。

 

「あら珍しい。コッチ側ね」

 

 彼女はガラス玉へ手を置き、何事もなかったように言う。

 

「運が悪いわね、貴方」

 

「な、なんなんですか……あなた……」

 

「ただの占い師よ?」

 

 あまりにも雑な答えだった。

 

 一華が言葉を失っていると、興味深そうに目を覗き込でくる。

 

「霊感持ち。しかも最近になって急に強くなってる」

 

「……え?」

 

「見えるだけじゃなくて、向こうにも見つかるようになってるわね」

 

 思わず息を呑む。

 

「どういうことですか……?」

 

「後で話すわ」

 

 女は立ち上がった。

 

 その動きは軽いのに、空気の重さだけが一段階変わる。机の上のガラス玉が微かに鳴った気がした。

 

 彼女は路地の奥、背後の“それ”へ視線を向ける。

 

「随分としつこいわね。どうやら貴方に相当お熱みたいよ」

 

 少しおどけたような声だった。

 

 恐怖も嫌悪もない。ただ事象を楽しんでいるだけの声。

 

 一華の方が理解できずに固まっている間に、彼女はローブの袖から模様の書かれた細長い紙束を取り出した。和紙に近いが、普通のそれとは明らかに違う。

 

「下がって」

 

 有無を言わせない声に、反射的に身を引く。

 

 紙片を指先で軽く弾くと、刻まれた紋様が淡く光を帯びた。その光に触れた瞬間、異形の輪郭が崩れ始め、黒い霧となって空気へ溶けていく。

 

 数秒も経たないうちに、その姿は跡形もなく消え去っていた。

 

 そして何事もなかったように紙を戻し、彼女は椅子に座り直した。

 

「はい終わり」

 

「……終わり……?」

 

 自分の声は混乱からか掠れていた。

 

「とりあえずこれで今すぐは死ななくなったわ」

 

「今の……何なんですか……?」

 

「霊よ」

 

 彼女は淡々と続ける。

 

「一般には幽霊や妖、あるいは怪異と呼ばれるものね」

 

 その口調はまるで明日の天気でも話すみたいに軽く、一華にとっては余りにも現実味のない言葉だった。

 

「幽霊……って……」

 

 言葉が遅れて追いかける。

 彼女は小さく首を傾げた。

 

「見えてる時点で説明はいらないと思っていたけど」

 

 机の上のガラス玉を指で軽く弾く。

 

「貴方も薄々わかってはいるでしょう?今後、こういうの増えるわよ」

 

「え……?」

 

「貴方、引き寄せるタイプだから。中途半端に霊気が漏れてるのよ。向こうからしたら目立って仕方ないでしょうね」

 

 一華の背中に冷たいものが走る。

 

「それ、どうすれば……」

 

 彼女は少しだけ考える素振りをしてから、再び袖に手を入れた。

 

 中から取り出したのは、掌に収まるほどの小さな木のお守りだった。

 

 丸く削られた木片には見慣れない紋様が細かく刻まれており、上部には穴が開けられて赤い紐が通されている。神社で売られているお守りにも似ているが、どこか違う。不思議な存在感があった。

 

「これ、持っていきなさい」

 

 投げ渡されたそれを一華は反射的に受け取る。

 

「初めてだからサービスしてあげるわ」

 

 木の感触が指先へ伝わる。温かくも冷たくもないはずなのに、なぜか手放してはいけないもののように思えた。

 

「それ、目印」

 

「目印……?」

 

 彼女は机に頬杖をついたまま視線だけを向ける。

 

「持っている限り、位置が分かるようにしてあるわ」

 

 そのままゆっくりと告げた。

 

「私の位置も、貴方の位置もね」

 

「それって……監視じゃ」

 

「違うわよ。放置すると死ぬから見てるだけ」

 

 一華は返す言葉を失った。

 

 彼女は頬杖をついたまま続ける。

 

「貴方、このままじゃ危ないもの」

 

「じゃあ……どうすればいいんですか…?」

 

「学べばいいんじゃない?」

 

 一華は思わず顔を上げた。

 

「学ぶ?」

 

「力の使い方をよ」

 

 彼女は肩をすくめる。

 

「見えるだけで終わるか、それとも扱う側になるか。その違いよ」

 

「私……普通に戻れないんですか」

 

 一瞬だけ沈黙が落ちた。

 

「無理ね。貴方の体質は生まれつきのものだもの。変えることは出来ないわ。他の誰であってもね」

 

 机の上の札を軽く叩く。

 

「でも鍛えれば今よりずっと生きやすくなるわ」

 

 その言い方は妙に現実的で、逃げ道を塞ぐわけでも突き放すわけでもなかった。

 

 視線が少しだけ細くなる。

 

「あとそのオドオドとした態度も直しなさい。怯えてると寄ってくるわ。一々祓うのも面倒なのよ」

 

 一華は無意識に唾を飲み込んだ。

 

「で、どうするの?」

 

 問いかけは淡白だった。選ばせているようで、実際には殆ど決められた答えを問うているだけ。しかしその言葉を受けても、一華はすぐには答えられなかった。

 

 頭の中が追いついていない。

 

 ほんの数十分前まで、自分はいつも通り学校で授業を受けていたはずだった。友達と話し、帰り支度をして、家へ帰るだけの平凡な一日になるはずだった。それなのに今は、幽霊がいると言われ、怪異がいると言われ、そのうえ自分はそれらに狙われているらしいと告げられている。

 

 理解できるはずがなかった。

 

 いや、本当は理解したくなかったのかもしれない。

 

「私……」

 

 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく、掠れていた。

 

「普通に生きていただけなんです」

 

 彼女は何も言わない。

 

 その沈黙に促されるように、一華は続けた。

 

「見たくて見えてたわけじゃないし……こんなの、好きでなったわけじゃないのに……」

 

 俯いた視界がじわりと滲む。

 

 「お母さんは出ていって…お父さんに言っても理解してくれなくて…必死に気のせいだと思い込もうとして…」

 

 怖かった。見えないはずのものが見えることも、誰にも相談できなかったことも。そして何より、今日見たあの異形が自分の妄想などではなく、本当に存在していたことが。

 

 彼女はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 

「そうでしょうね」

 

 その返答は慰めでも同情でもなかった。ただ目の前の事実を認めるだけの声だった。

 

「でも残念だけど、それは変わらないわ」

 

 一華は唇を噛む。

 

「貴方が望まなくても、向こうは来る」

 

 静かな声だった。

 

「今日みたいにね」

 

 反論はできなかった。

 

 思い出すだけで背筋が冷え、胸の奥がざわつく。自分は逃げた。必死に逃げた。それでも追いつかれた。もしあの路地がなかったら。もしここに彼女がいなかったら。その先を想像しただけで呼吸が浅くなる。

 

「だから選びなさい。見ないふりを続けるか」

 

 一拍置く。

 

「それとも生きるために向き合うか」

 

 二人の間に静寂が広がった。

 

 遠くで車の走り去る音が聞こえる。西の空には燃えるような夕焼けが広がり、沈みゆく太陽の光が高層ビルの窓を赤く染めている。

 

 一華は掌の中の木のお守りを見つめた。

 

 震えていた指は、いつの間にか少しだけ落ち着いている。

 

 怖い。

 

 その気持ちは今も変わらない。

 

 けれど、もう見なかったことにはできなかった。今日までのように目を逸らし続けても、向こうは勝手に現れる。逃げても追ってくる。その現実だけは嫌というほど思い知らされていた。

 

 やがて一華は顔を上げた。

 

 怖さは消えていない。

 明日になれば後悔するかもしれない。

 それでも、何もしないまま怯え続ける未来だけは嫌だった。

 

「……教えてください」

 

 声は小さかった。けれど今までで一番はっきりしていた。

 

 目の前の女は何を言うでもなく、ただじっと一華を見つめる。

 

 やがて、小さく頷いた。

 

「いいわ」

 

 短い返答。

 

 その瞬間、路地の空気がわずかに軽くなった。

 

「私は九条咲。今日からよろしくね」

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