記憶の澱   作:ゆゆみみ

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第19話 狼煙

 

 流石にカースト序列一位の戸賀崎さんに直接問い質すことが出来る人物はいないのか、誰も彼もがひそひそと声を潜めて話していた。

 僕はといえば、小林くんからの寝耳に水な話を受けて、ただぽかんと登校してきたばかりの戸賀崎さんに視線を向けることしかできない。

 

 そして、視線が合った。

 申し訳なさそうに眉を下げて両手を拝むように合わせ、こそこそと腰を曲げた状態で僕の席へと近づいてきた。

 

「あっはは……見事に噂になっちゃってるねえ。昨日の今日で、何処で漏れたんだか……」

 

 戸賀崎さんも流石に辟易とした様子で苦笑いを浮かべていた。

 

 ──昨日の今日、という言葉。

 

 そして、戸賀崎さんは『付き合っている』ということ自体を否定はしなかった。

 

「えっと、僕と戸賀崎さんが付き合ってるっていうのは……」

 

「えっ……?」

 

 僕の言葉に、戸賀崎さんはきょとんとした表情を浮かべて小首を傾げる。何でそんなことを聞くのかと、そう心から思っている表情だ。

 

「もぉー、冗談きついんだからー。き、昨日さ、私から告ったワケじゃん……」

 

 顔を赤らめた戸賀崎さんは両手を後ろ手に組み、小さく左右に体を揺らしながら、僅かに唇を尖らせて僕の方を見る。

 

 ──昨日?

 

 昨日とは、正に病院に行ってマッサージを受け、その後に姉さんに真実を告げられた日だ。

 確かに衝撃的な事実ではあったが、戸賀崎さんから告白されたのだとすれば、それもまた相当にインパクトのある事実である。

 しかし、僕にはそんな記憶は無い。授業が終わって、真っ直ぐに病院へ向かったはずだ。

 

 再び、戸賀崎さんの方を見る。彼女は変わらず僕のことを見ていた。そこに嘘は見えない。事実として、二人が付き合っているという噂すら流れているのだ。

 火のないところには、決して煙は立たない。

 

 不意に、ちらりと戸賀崎さんが小林くんへと視線を向けた。それだけで彼は察したのか、僕たち二人を残して何処かへ歩き去っていった。

 他のクラスメイト達は遠巻きに僕たちのことを眺めている。声を潜めれば、そこまで声が届くことはないだろう。

 何故だか戸賀崎さんは胸に手を当てて大きく息を吸い込み、そして、覚悟を決めたように目を見開いた。

 

「あの、さ。もしかしてなんだけど……、覚えてない? ええと、なんていうか……私、夏に会った時に何となく感じたことがあって。……三嶋くん、何か困ってることない? わ、私! 詳しいことは分からないけど、困ってることがあるなら助けになりたいの!」

 

 どきり、と心臓が跳ねた。墓穴を掘るのは避けたい。夏に会った時、と彼女は言った。戸賀崎さんに会ったのは、学校の屋上と自宅前での二回。

 そして、そのどちらでも記憶障害を起こしている。夏に会った時に感じた、困っていること、記憶を探っても、もうそれ以外には考えられなかった。

 戸賀崎さんは、そんな僕を見ている。こちらの様子を窺うような様子。しかし、その眼光には鋭い光が混じっているのを感じた。

 

 もう、バレている。全てではなくとも、僕が記憶に何らかの障害を持っていることが。

 小さく、息を吐いた。

 

「……うん、戸賀崎さんの言う通り。僕、ちょっと記憶が、さ。なんていうか、一時的に飛ぶことがあって」

 

 戸賀崎さんは真剣な表情で聞いていた。嘘か真か分からずとも、もはや周囲は彼女と僕が付き合っている前提になっている。いや、実際に僕が受け入れて忘れているだけなのかもしれない。

 ゾッと、した。僕は、僕が自覚している以外に、何を忘れているというのだろう。

 

 しかし、戸賀崎さんは、僕の話を頷きながら聞き、胸の前に出した両の拳をグッと握っている。その表情は、どこまでも真面目で、真剣だ。先程の言葉の通り、きっと助けになってくれるのだろう。

 学校で、僕の症状を知り、サポートをしてくれる存在がいるのは有難かった。

 ならば、何故かは分からないが、純粋な好意を持ってくれているであろう戸賀崎さんを、僕は利用することにしよう。その(とが)は、いつか甘んじて受ける。

 

 ──僕の平穏な学生生活のために。

 

「えっと、じゃあ、何か変な感じだけど……これから宜しくね。戸賀崎さん」

 

「うんっ!」

 

 笑顔と共に手を差し出す。陽だまりのような笑顔で、彼女はその手を取った。僕は軽く握り返す。心に罪悪感の棘が刺さるのを感じながら。

 周囲から小さく黄色い歓声が上がる、男子の嫉妬混じりの視線が向けられる。そんな、甘酸っぱい青春ではないというのに。

 

「じゃ、私は席に戻るね。もうすぐホームルームだしー」

 

 スキップするかのような軽やかな足取りで、彼女はすぐに自席へと戻っていった。そうして、間もなくホームルームの予鈴がなる。

 ひそひそと話をしていたそれぞれのグループも各自の席へと戻っていく。

 僕は姉さんのことを、戸賀崎さんのことを考えながら、頬杖を付いて曇天を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「宜しくねぇ、三嶋くん。ふふふっ……」

 

 少女は小さく呟き、そして、他の二人を思って嗤った。

 

 

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