記憶の澱   作:ゆゆみみ

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第30話 忌憶

 

 記憶の(おり)が浮かび上がり。

 忌憶(きおく)(おり)が解かれる。

 

「ああ、ああああああああああぁぁぁ!!」

 

 頭が割れるような痛み。

 喪われていたはずの、記憶の濁流。

 激痛に頭を抱えて叫び続ける。

 

「あはは! あはははっ! いい反応! 用意しておいた甲斐があったよぉ! 口頭で伝えるだけじゃ、大したことないんだもん! 最初は愉しかったけどさぁ、一々リセットしといて良かった! 診察する中で気づいたんだって。アイツも(たま)には役に立つよ、こんな面白い仕組み(カラクリ)見つけてくれたんだから! あはっ! あははははっ……!」

 

 そんな僕を見て、戸賀崎さんは腹を抱えて笑う。(わら)う。嗤う。

 

 フラッシュバックのように脳裏を様々な景色が過ぎる。

 

 戸賀崎さん。初めて会った屋上。家の前。どちらでも言われた、姉が姉でないという話。そして、忘れさせられる(・・・・・・・)。僕自身が逃避を望み、そこにたった一言加えられるだけで、僕の記憶はなくなる。

 

 先生。先生は僕に何度もキスをしていた。愛撫を繰り返させられていた。あのマッサージの時には、交わった。僕の初めては、知らない内に奪われていた。

 

 あの人──いや、姉さん。姉さんもまた、同じ日に僕と交わっていた。僕が初めてだと思っていたものは、記憶は、まやかしだった。

 

 その前のことまでは、まだよく思い出せない。

 ただ、戸ヶ崎さん、先生、そして姉さん。直近の数ヶ月の間、僕の記憶は、その三人に好き勝手に弄ばれていた。

 戸賀崎さんに利用しようとしている僕は、反対に、彼女の愉悦を満たす玩具として使われていた。先生と、姉さんには、その欲望の捌け口になっていた。

 

 ──この世界は、悪意に満ちている。

 

 先生の、言葉の通りだった。

 

 世界は残酷だった。

 ヒトは悪だった。

 

 こんな真実など知りたくはなかった。友人と思っていた存在すら、ただ金に目が眩んだだけなのだから。

 

 もう、何も、考えたくない。

 もう、全て忘れたい。

 誰か言葉を。

 魔法の言葉を。

 僕に。

 

「その感じだと全部思い出した? 忘れたい? 忘れたいよね?」

 

 戸賀崎さんの言葉に希望を感じて、僕は縋るように彼女を見つめる。

 

「ざーんねん! そんなこと許すわけないじゃーん!」

 

 僕の事を指差しながら、もう片手では真横に傾けたピースマークを目元に当てウインクが投げつけてくる。彼女は、そう、愉しんでいた。僕の苦痛を。心の底から。

 

 この場に、希望なんてものはなかった。

 未だに痛む頭をソファの背に預ける。世界から、色彩が失われていく。心が、底まで落ちていく。粉々になって、沈殿していく。

 

 上澄みには、もう、何も、残らない。

 

 

「んー? 壊れちゃった?」

 

 さっきまで絶叫を上げていた透くんは、今は全身を弛緩させて、光のない眼で天井を見ている。その真上で手の平を振ってみても、なんの反応も無い。

 

「え、これで終わり? つまんなーい! もっともっと苦悶を、憔悴を、絶望を私に見せてよ!!」

 

 地団駄を踏んでも、やはり何の反応も返っては来ない。玩具(おもちゃ)が壊れてしまった。

 でも、そう、まだ、心だけ。心など、幾らだって修復は出来る。それに──

 

 

 ──まだ、その身体は残っている。

 

 

「何か反応あるかなー? あるといいなー。でも、まぁ、いずれにしても透くん()、愉しませてー? 私にぃ、ハジメテを沢山教えて……?」

 

 唇に立てた人差し指を当て、蠱惑的な笑みを浮かべる。僅かにその瞳が動いた気がした。

 

「やだー、透くんのえっち! こういうのには反応しちゃうんだから、もー。じゃっ、花音ちゃんも張り切ってやっちゃうぞー!!」

 

 右肩を掴み、ぐるぐると回して気合いを込める。私は軽い足取りで、適当な鼻歌を奏でながら、沢山の道具(おもちゃ)が入った箱を取りに階段を上っていく。

 

 ──世界は、私の都合の良いようにすればいい。

 

 

 透がいなくなってから、三日目。

 私は食事も喉も通らず、まともに寝れずにもいた。あれから、隣町も含めて思い当たる節を探したというのに、一向に見つからない。

 透の携帯に連絡を取っても、勿論返事は無い。透は、今頃どうしているだろうか。きっと苦しい思いをしているだろう。

 だから、私が、姉である私が護らなきゃ。助けてあげなくちゃ。

 

 朝日が昇る。

 部屋を照らす日光に目を細める。思い当たる節は粗方探し終えてしまった。今日からは、当てどない捜索が始まる。

 けれど、確信がある。きっと見つかると。何故なら、私と透は結ばれる運命にあるのだから。奪うことしか知らなかった、荒みきった私の前に現れた、天使。神の存在を信じるほどの、運命。これは、乗り越えられる試練。愛の試練。

 

 今日は、Tシャツにジーンズ。動きやすさを重視した格好だ。そして、いつもの物も後ろのポケットに入れる。直ぐに、抜けるように。髪を後ろで結いながら家の扉を開ける。

 

 そこには、目の前に亜麻色の髪をした女が立っていた。ワインレッドのドレスシャツと黒のタイトスカートの上に、白衣を羽織っている女。見覚えがある。

 

 ──透の主治医。大事な透を穢した女。

 

「やぁ、お困りかい?」

 

 飄々とした、軽薄な態度で、女は片手を上げる。私は反射的に後ろのポケットから其れを抜き、切っ先を真っ直ぐに向ける。

 

「何も困ってない。私は貴女が憎い。殺していい?」

 

「おいおい、展開早いな。というか、タクティカルナイフなんて何処で手に入れたんだい? その刀身の長さじゃ、立派な銃刀法違反じゃないか。……全く、スタンガンやら匕首(ドス)やら、最近の若い子は物騒なものばかり持ってるねえ。怖い世の中だよ、ほんと」

 

 女は胸の前で両手を上げて無抵抗を示してはいるが、へらへらとした笑みも軽薄な語り口も決して崩れず、怯える様子も見えない。それに酷く苛立ちを感じた。

 

「困ってるだろう? 愛しい愛しい弟くんが見当たらない、とかさあ?」

 

「お前、何か知ってるのか」

 

 感情の無い声で、真っ黒な眼で、私は続きを促すように刃先をあげる。ふるり、と僅かに女は震えた。怯えではないようだった。

 

「……いやぁ、三度目だよ。美少女に睨まれるのは。ふむふむ。やっぱり中々良いものだね、これは」

 

 意味不明な発言と恍惚めいた笑みを浮かべる女に、私は一歩踏み出して切っ先を胸の前へと近付ける。

 

「悪かったよお、ちょっと自分の世界に入っちゃっただけだって。……で、本題。私はキミの弟くんの居場所を知ってる。私もそろそろ動こうと思って、さ。でも、主役の一人を欠いた状態じゃあ愉しめないだろう?」

 

「巫山戯《ふざけ》ているの?」

 

「本気も本気さ」

 

「透の居場所、知っているの?」

 

「まぁねえ」

 

 どう考えても、嘘にしか思えなかった。運命の糸で結ばれた私が必死になっても見つからなかったのに、こんな軽薄な女が知っているはずがない。騙そうと、しているのか。ナイフを持つ手に力が入る。

 

「んー、花音ちゃんと私は従姉妹同士なんだよ。花音ちゃんは私のこと嫌いみたいで悲しいんだけどねえ。……ともあれ、彼女の周辺事情は知っている。少なくとも、キミよりは。そして、彼女は存外浅はかだ。基本、脳筋なんだよ。パワープレイヤー。キミと同じく脳き──止めてくれ、また興奮しちゃうだろ?」

 

 発言に信憑性がまるでない。

 自然と眉間に皺が寄って睨みつけると、女はまた体を震わせる。全くもって、意味が分からない。一方的な緊張感に我ながら呆れを感じてナイフを下げる。女は、それに対して安堵する様子すら見せなかった。

 

「何か証拠は。お前を信じるに足る証拠」

 

「そんな事言われてもなあ……。──ああ! そうだ! 割と気になってたんだけど、首切った後にわざわざ折るのって何でなんだい? それとも折るのが先かい?」

 

「……っっ!」

 

 私が何者なのか、こいつは知っている。その確信を持った上での問いかけ。しかし、それは決して鎌を掛けているわけではなく、純粋な疑問。

 

「……分かった。私を透のところに連れて行って」

 

「回答になってないんだが。対話をしてくれよ、対話をさあ」

 

 半笑いが返ってくる。先程の言葉は、こいつを信じる要素にはなり得ない。しかし、こいつにはその情報を集めるだけの力がある。それに、可能性があるのならば縋りたかった。少しでも可能性があるのならば。騙そうとしているのであれば、その場で始末すればいい。

 

「連れて行って。早く」

 

「……その気になってくれたならいいか。表に車を置いてある」

 

 そうして女と私は、白いセダンへと乗り込む。隣り合うのは嫌だったために後部座席へと入った。そこには雑多に複数の黒いビニール袋が置かれていた。私はそれも一瞥するも、既に心は透のことで埋まっている。

 

「さぁ、行くよ。なに、ほんの数分(・・)さ」

 

 そうして、荒々しく車は発進した。




タイトル回収話です。
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