まれびとがたり 作:深夜テンション
記録――――2000年8月16日・東京
「追い込んだ! やれ!」
「ああ」
東京郊外に2級呪霊出現。
高専生2名が対処にあたる。
「蹴散らせ、『窮奇(キュウキ)』――」
「――ぎ、がっ。あ……? ま、まテ、止まッ……!?」
交戦中、黒舘2級術師の術式『四凶崇礼』が暴走。
『窮奇』降霊から呪力切れまでの1分14秒間、呪力出力の著しい向上を認める。
呪霊祓除に伴う被害が拡大。自身の限界を越えた出力であった、と本人は後述する。
現地の道路、家屋が大規模に損壊。人的被害は無し――
―――――
「――俄には信じがたいな」
補助監督の運転する車の後部座席で、夜蛾正道は資料に目を通していた。
「同一の生得術式ですら、術師の認知・観念によって表象が変わる。
人が違えば、厳密には『同じ術式』とすら言えないという説もある。
……だと言うのに……」
「口寄せに、託宣……ガハハ、『憑霊系は式神術に分類すべきか否か』、学生の時分にはディベートの題材にしたもんだが」
隣に座る眼帯の男が、面白がるように笑う。
「……奇しくも、現行の定義が裏付けされたわけだ。
これらは、一つの共通した理に属する呪術――
――『降霊術』であると」
「よく笑っていられるな……」
夜蛾は深いため息をついた。
東京、京都、青森、そしてアイヌ呪術連からの報告。高専が観測しているだけで4件、“『降霊術』に属する術式効果”の暴走という、前例のない現象が発生している。
被害者に共通して、呪霊や呪詛師の残穢は認められなかった。悪意ある術式効果ではないか……あるいは、高専の術者では気取れないほど、隔絶した術師によるものか。
「だから俺まで呼び出されたんだろう。死人も出ていないのに一級二人を投入とはな、老人どもも随分と浮足立っているらしい」
時系列を整理した結果、3件目であった高専生の暴走から4時間。総監部から通達があったのは夕刻であった。
日本の呪術的防衛の要、天元に紐づく結界の一つである、岩手県・遠野市の浄界。そこにゆらぎがある、と“窓”による報告が成されたのだ。
死傷者なし、逼迫しているとは言えないながらも、事態の規模から特級案件と認定。
夜蛾正道1級術師、および奈木野健介1級術師が派遣されることとなった。
「しかし、岩手ね……遠野と言えば妖怪案件、小粒の仮想怨霊の坩堝ではあるが」
奈木野は顎を撫で、自らの考えを述べる。
「全国的な降霊術の機能不全と言われれば、盆……8月16日という日付の方が気になるかね。
如何にも、“常世”とのやり取りが混雑しそうじゃないか」
「それだけでこれほどの呪術災害が起きるとは思えないが……無関係と考える方が無理筋だろうな」
現世、常世はあくまで信仰の形の一つであり、呪術的に解明されたこの世の理ではない。
だが……人々がそう信じ、畏れたとき、そこには
世に溢れる呪いの殆どは、術師が行使する術式ではなく、非術師の畏れのなれはてだ。空想、迷信を、“術”ではないからと侮れるわけがない。
囚われず、直視する。畏れを律し、正しく恐れ、備える……一級に上り詰めた術師としての精神性。
「なんにせよ、早急に解明する。
……やるぞ、奈木野」
「おう」
片や淡々と、片や鷹揚に。
――しかし、この日。呪術師達は。
制して久しい畏怖の味を、思い出すこととなる。
――――――――――
異変のもとを見つけることは、そう難しくなかった。
異質な呪力が遠野浄界の内側を滞留しており、それなりに呪術的知覚を乱されこそしたが、“隠す”意図がない以上、1級術師2人が行き詰まる道理はない。
夏の長い日も落ちた頃。2人は、ある一軒家の前に立っていた。
1階建ての古い日本家屋からは、異質な呪力が溢れ出していた。……刺激されて活性化したのだろう呪霊たちが遠巻きに彷徨っていたのを、手早く祓う。
「さて……この呪力、特級相当と言っていい出力だが。行けるか? 正道」
顎髭を撫でながら、奈木野が不敵に笑う。
夜蛾は、直面する事態の規模を理解してなお、自分の口の端が緩むのを抑えられなかった。
……数年前の、酷く打ちのめされ、荒れていた様子はもはや見る影もない。かつての頼もしい戦友の姿が、そこにはあった。
「誰にものを言っている。……行くぞ」
――――――――――
屋敷は結界に閉ざされていたが、それは外部からの侵入を阻むものではなかった。
門兵の式神や呪霊もおらず、肌感覚から覚悟していた内部の領域化もない。
2人は玄関からあがり、廊下を進んだ。
吹きすさぶ呪力の流れに逆らい歩く。
そして。
「……貴方、たちは……?」
行き着いた先。8畳の和室で、壁に寄りかかり座り込む若い男が、問いを投げかける。
――だが、呪術師たちは応じることも。
それに目をやることも、できなかった。
「…………なんだ…………これは」
“それ”は。
物々しい呪力を放っているわけでも、恐ろしい外見をしているわけでもなかった。
“それ”は、邸内に渦巻く異質な呪力の根源ですらなかった。
根源はその傍に、それとわかる形で在った。
だが。それでも。
全ての原因は、今この世を狂わせているのは“そちら”なのだと、夜蛾は直感させられた。
恐怖なのか、高揚なのか、自分でも判別できない。叫び出してしまいそうな衝動。
部屋の中央にあったのは、物々しい呪力を放つ女の骸と……泣かぬ赤子。
その赤子の、右膝から先が、消えていた。
「……ここで……何があった」
今も呪力を振り絞る男に、奈木野は、『何をした』とは聞かなかった。夜蛾にはその機微がよく理解できた。
自然の威容に圧倒されるような、諦観にも似た心地。
「……最初から、そうだったんです」
男は、目を瞑ったまま答える。
あふれる汗で前髪が額に張り付き、死人のような顔色をしているが、声音は比較的明瞭であった。
「彼女は……妻は、ずっと不安げだった……取り上げたその子を見て、泣いていました」
泣き果てたのだろうか、掠れた声。
「足がなかったからじゃない……きっと彼女には、わかっていたんだ。
……その子には、はじめから、魂がなかった……」
「――……」
夜蛾の心に驚きはなかった。
呪術師としての所感……傀儡操術師として、傀儡呪術学の研究者として。培ってきた全ての知識・感覚が、目にした光景に対し、導き出した解への裏付けが与えられる。
彼もまた、自身の経験からくる感覚によって、殆ど同時に同じ答えを導き出したのだろう。
「……天与、呪縛……」
奈木野が、掠れた声で零す。
“天”は――そう形容するしかない、今尚呪術師が解明出来ぬ“理”は、“縛り”という摂理をこの世に敷いている。
失われたもの、支払われたものに、帳尻を合わせる働き。
術師はときにこの理を利用し、自ら“縛り”を交わし、対価を支払い、“天”から利を引き出そうとする。
そして、“天”は時に、自ら奪うのだ。
肉体の器官や、術式、呪力……何かを奪い、そして、別の何かで帳尻を合わせる。
そうした生まれついての“縛り”を、天与呪縛と呼ぶ。
……“神隠し”。
それは、非術師の言葉だ。
彼ら呪霊被害を認識する一つの形である……というのが、現在の呪術界の認識である。
だが。それでも。術師たる夜蛾の脳裏に、その言葉が浮かんで離れなかった。
天に奪われようとしている赤子。“どこか”に“縛”られた魂……
「妻、は……その子の名と、自分を触媒にして……」
その子の魂を……取り戻そうと……」
降霊術の中でも最もニュートラルな、人間霊を降霊するタイプの術式。
天与の理と、命を賭した呪いが絡み合い成立した、あり得べからざる拮抗状態。
「……繋がっている……のか。“向こう側”の魂と……! 今も……! 引き合って……!」
“常世”、“彼岸”、“天国”や“地獄”といった、死後の世界の実在について、呪術界は解答を出していない。
術式で降霊された死者も、死ぬまでの記憶しか持たない。
“どこからか”呼び出される霊獣や式神が、口を聞くこともない。
確かなのは、今ここに空いた“穴”が、“どこか”に繋がっていること。
それが、現世で行使される全ての降霊術を狂わせているのだと、夜蛾は確信していた。
吐きそうな動悸を感じながら、夜蛾は口元を手で覆う。
今すぐ。
一刻も早く、この状況を、この間違いを是正しなければならない。
呪術師としての感覚が、悲鳴のように訴える。
「(だが……! しかし……! これは……この子は!)」
「(まだ、生きている……!)」
死者を蘇生しようと足掻いているわけではない。
誰かの魂を奪い、補填しようとしているわけでもない。
失われつつあるものを、繋ぎ止めようとしている。
これは、救命だ。
人としての心が、そう叫んでいる。
殺すべきだ。今、すぐに。
これが呼び水となっておこるかもしれない災いが、どれほどの命を脅かすか。
たとえ助けられたとして、これ程の呪いを帯びて生まれる子に、どれほどの苦難が振りかかるか。
「――正道!」
奈木野の叫び。
反射的に顔を向けると、その隻眼には強い光が灯っていた。
「(……ああ)」
友の目にあったのは、決断を強いる意図ではない。
なんとかならないのか、と。自分を托む、曇りなき意思。
夜蛾正道の意思が、自分と同じものだと、信じて疑わない様。
助けたい。
奈木野の隻眼に映る男の、畏れ、慄き、情けなく歪んだ顔は、はっきりとそう物語っていた。
「……奈木野……」
「ああ」
言葉が続かない。唾を飲む。
「彼、から。……結界を、引き継いでくれ」
軋むようにぎこちなく、けれど、頭が回り出すのを感じながら。
「……御母堂の呪力が露わになれば、直ぐに術師が殺到する。俺たちで対処する時間が欲しい」
「分かった」
奈木野は頷く。
「……何故……」
男が呆然と問う。
「助けたい。…………助けたいんだ」
夜蛾正道は、自分の腹から込み上げる思いの形を確かめるように、言った。
「見殺しになどできるか……!
……ご主人、立てますか。引き継ぎが終わり次第直ぐに、やってもらうことがあります」
男は、泣き果てたろう目から、一筋涙をこぼし。
唇を引き結び……強い眼差しで、夜蛾に向き直る。
「なんでも……なんでも、仰ってください……!」
夜蛾は頷く。
「縁を」
言葉にして、口に出したことで。直感的な考えに、確信が伴っていくのを感じる。
話し出しに掠れた声は、直ぐに力強いものに変わっていく。
「あの子に連なるものを、集めてください。
着せるはずだった服、あやすはずだった玩具……
あの子に紐付いたものを、ありったけ」
呪いは、存在する。
術師が呪力を編んで繰り出すものではない、弱くも深遠なる、世界を歪める超常の力。
“理”を相手取るのであれば、それらこそが力になる……
……その、はずだ。
「わかりました……!」
男は頷き、結界の引き継ぎのために、奈木野と話し出す。
それを尻目に、夜蛾は細く、深く息を吐いた。
畏れがある。
もはや、打倒すると決めた目の前の現象にではない。
今、自分という土壌から発芽しようとしている思考に。
「……そのまま聞いてくれ。俺に、一つ考えがある」
―――――
―――
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夜蛾正道1級術師、並びに奈木野健介1級術師により、未曾有のの呪術災害は、大事に至ることなく収束した。
死者は2名。現場であった家の主、長月幽玄とその妻小春。
外傷はなく、強大な呪力にあてられてのショック死であると考えられた。
活性化した呪霊の被害と思われる二次被害者は多数。
その後暫く調査は続いたが、慢性的な人手不足もあり、半ばこじ付ける形で打ち切られる。
時と、場所、そして被害者たる術師の術式。これらが噛み合った不幸な事故であった、と結論付けられた。
――現場から救出された赤子、長月依奈は、夜蛾1級術師の意向により、彼に引き取られることとなった。
「記録――」がやってみたかったところがある。
とりあえずかけた勢いで投げちゃう。