石の世界で、私ではない私の歌を聞いた   作:ニッチさん

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6:地下実験場跡

# 地下実験場跡

 

 山の腹に埋もれた入口は、翌日になってもそこにあった。

 

 当たり前のことなのに、コハクは妙な感覚を覚えた。昨日見つけた時は、森の中に紛れ込んだ異物に見えた。だが改めて見ると、その灰色の面と錆びた金属の縁は、周囲の土や岩よりもずっと強く存在を主張している。

 

 まるで、長い眠りから少しだけ目を開けた獣のようだった。

 

「まずは入口周りの確認だ。崩れたら全員まとめて土の下とか、笑えねえからな」

 

 千空はそう言って、斜面の土を手で崩しすぎないよう慎重に払っていく。クロムは今にも飛び込みたそうな顔をしていたが、千空に睨まれて渋々周囲の石をどかしていた。

 

「分かってるって。無茶しねえよ」

 

「お前の無茶しねえは信用度ゼロだ」

 

「ひでえ!」

 

「自覚がないのが一番ひでえんだよ」

 

 いつもの調子で言い合う二人を見ながら、コハクは入口の周囲へ視線を走らせた。

 

 獣の足跡がない。

 

 普通なら、雨風を避けられる穴や隙間には小動物が入り込む。だが、この場所にはそれがほとんどなかった。草の倒れ方も不自然に少ない。何かがここを避けているようにも見える。

 

「スイカ、昨日見つけた隙間はどこだ?」

 

「こっちなんだよ」

 

 スイカが倒木の陰へ回り込んだ。小さな体を屈めると、岩と金属の間にできた細い隙間を覗き込む。

 

「やっぱり奥に道があるんだよ。でも暗いんだよ。すごく暗いんだよ」

 

「空気は?」

 

 千空が尋ねる。

 

「すーって出てきてるんだよ。冷たいんだよ」

 

「換気は完全に死んでるわけじゃねえか。だが、地下で古い施設なら毒ガスも酸欠もあり得る。火を入れて様子見るぞ」

 

 千空は短い松明を作り、火を点けた。入口の隙間に近づけると、炎は大きく乱れず、小さく揺れたまま燃え続ける。

 

「いきなり死ぬ空気ってわけじゃなさそうだな」

 

「では入れるのか?」

 

「まだだ。まずは扉周りの土をどかす。崩れそうなら撤退。中に入っても、目印を残して進む。100億%迷子禁止だ」

 

「それ、クロムに言ってるのか?」

 

「九割クロム、一割スイカだ」

 

「スイカもなんだよ!?」

 

 スイカが驚くと、クロムが横で笑った。

 

「大丈夫だスイカ! 俺たちは一緒に気をつければいい!」

 

「お前が言うと不安なんだよ」

 

 千空はそう言いながら、紐を取り出した。

 

 片方を入口近くの太い木に結び、もう片方を自分の腰に巻く。さらにクロムとコハクにも簡単な布を渡した。暗い場所で互いを見失わないよう、目立つように結びつけるためだ。

 

「千空にしては用心深いな」

 

 コハクが言うと、千空は鼻で笑った。

 

「未知の地下施設なんざ、ワクワクと危険が仲良く手を組んでやがる。楽しいからこそ、死なねえ準備をすんだよ」

 

「それは同意できる」

 

 コハクは槍を握り直した。

 

 土と瓦礫をどかす作業は、思った以上に時間がかかった。金属扉は半分以上が地面に埋もれ、歪んでいる。だが完全には朽ちていなかった。千空は錆びた隙間に木片を噛ませ、クロムとコハクが力を合わせて少しずつ動かす。

 

 ぎ、と音がした。

 

 長い間閉じ込められていたものが、ようやく喉を鳴らしたような音だった。

 

「動いた!」

 

 クロムが声を上げる。

 

「もう少しだ」

 

 コハクが力を込める。

 

 金属扉は完全には開かなかったが、人一人が横向きで通れる程度の隙間ができた。その奥から、乾いた空気が流れてくる。土と錆と、何か酸っぱいような古い匂いが混ざっていた。

 

 スイカが鼻を押さえる。

 

「やっぱり変な匂いなんだよ」

 

「古い薬品か、金属か、腐った何かか。まあ、深く吸うなよ」

 

「腐った何かは嫌なんだよ……」

 

「3700年も経ってりゃ、だいたい粉だ」

 

「それも嫌なんだよ!」

 

 クロムは恐る恐る中を覗き込んだ。

 

 松明の光が奥へ伸びる。そこには、自然の洞窟とはまるで違う景色があった。平らな床。白かったらしい壁。天井から垂れ下がった何かの管。崩れた棚。割れた透明な破片。

 

「ヤベー……」

 

 クロムの声が震えた。

 

 恐怖ではない。興奮だった。

 

「本当に、旧世界の中に入るんだな」

 

「旧世界の中っつーか、旧世界の死体の腹の中だな」

 

 千空は松明を掲げ、隙間を通り抜けた。

 

 クロムが続き、スイカが慎重に足元を見ながら入る。最後にコハクが周囲を警戒しつつ中へ入った。外の森の光が、背後で細くなっていく。

 

 内部は思ったより広かった。

 

 最初の通路は崩落しており、片側の壁が土砂で塞がっていた。床には割れたガラスや、錆びて形の分からなくなった器具が散らばっている。白い壁には黒ずんだ染みがあり、ところどころに見慣れない文字が残っていた。

 

「千空、読めるか?」

 

 クロムが壁の表示を指差す。

 

「英語だな。大半は消えてるが……こっちは『AUTHORIZED PERSONNEL ONLY』。関係者以外立入禁止ってとこだ」

 

「カンケイシャ?」

 

「限られた奴しか入れねえ場所だったってことだ」

 

「やっぱ重要施設じゃねえか!」

 

「あるいは、ヤベーもん扱ってた場所だな」

 

 千空の言葉に、コハクは通路の奥を見た。

 

 暗い。

 

 松明の光が届く範囲は限られている。その先は黒く沈んでいた。獣の気配はない。人の気配もない。だが、何もいない場所の静けさとは少し違う。誰かが息を潜めているわけではないのに、見られているような感覚があった。

 

「この場所は、家ではないな」

 

 コハクが言う。

 

「見りゃ分かるだろ」

 

「そういう意味ではない。人が暮らす場所ではないということだ」

 

「研究施設、って線が濃いな」

 

 千空は床に落ちていた器具を拾い上げた。

 

 細い金属の筒。先端は錆びて崩れかけている。千空はすぐにそれを布で包み、直接触れないようにした。

 

「不用意に触んなよ。古い薬品やら金属やら、何が残ってるか分からねえ」

 

「お、おう」

 

 クロムが伸ばしかけた手を引っ込める。

 

「今、触ろうとしたな?」

 

「触ってねえ! 触ろうとしただけだ!」

 

「同じだ」

 

 コハクに言われ、クロムは悔しそうに口を尖らせた。

 

 通路を進むと、いくつかの部屋が並んでいた。

 

 最初の部屋には、朽ちた机と椅子があった。紙らしきものはほとんど崩れて読めない。棚の中には割れた容器が並び、底に白い粉の跡が残っていた。千空は匂いを直接嗅がず、空気の流れを見ながら慎重に確認する。

 

「薬品棚だな。中身はほぼ終わってる」

 

「使えねえのか?」

 

「使えるもんもあるかもしれねえが、ここで即判断はしねえ。持ち帰ってからだ」

 

「お宝じゃねえか!」

 

「毒の可能性もお宝に含めるならな」

 

 次の部屋は、さらに不気味だった。

 

 壁際に並んだ機械はすべて沈黙している。台のようなものが中央にあり、その周囲に細い管が伸びていた。何かを固定するための金属具が残っている。コハクはそれを見た瞬間、眉をひそめた。

 

「これは……寝台か?」

 

「医療用、あるいは実験用のベッドだな」

 

 千空の声も少し低くなった。

 

 クロムは機械を見つめ、さっきまでの興奮を少し失っていた。

 

「実験用って、人に使うやつか?」

 

「動物か、人間か、物か。まだ分からねえ」

 

「でも、これ」

 

 スイカが台のそばで小さく呟いた。

 

「なんか、怖いんだよ」

 

 コハクはスイカの肩に手を置いた。

 

 その感覚は分かる。刃物や獣とは違う怖さだった。痛みの匂いは残っていない。血の跡も、もう分からない。だが、そこに何かが縛られていたという形だけが、妙にはっきり残っている。

 

 千空は台の横に落ちていた金属板を拾った。

 

 腐食しているが、刻まれた文字の一部が読める。

 

「……L、ハイフン、00?」

 

「える、ぜろぜろ?」

 

 クロムが聞き返す。

 

「識別番号か。何かの管理ラベルだな」

 

「何を管理してたんだ?」

 

「そいつが分かりゃ苦労しねえよ」

 

 千空はさらに周囲を調べた。

 

 壁に残った表示。壊れた端末。割れたプレート。完全な記録はほとんど残っていない。だが、いくつかの単語だけが、奇妙に千空の目を引いた。

 

「……clone」

 

「なんだそれ」

 

「複製、だ」

 

「複製?」

 

 クロムが首を傾げる。

 

「同じものを作るってことだ。植物の挿し木みてえなもんから、もっとヤベー生命科学までいろいろある」

 

「生命科学……」

 

 コハクはその言葉を繰り返した。

 

 千空は別のプレートに目を移す。そこには、かすれた文字で「petrification factor」と読める部分があった。

 

「石化……因子?」

 

 千空の声が、わずかに変わった。

 

 クロムが目を見開く。

 

「石化って、あの石化か!? 全人類が石になった、あれか!?」

 

「断定はできねえ。だが、単語としてはそうだ」

 

 空気がさらに重くなった。

 

 この世界のすべてを変えた石化。その言葉が、山の奥に埋もれた旧世界の研究施設に残っている。偶然と言い切るには、あまりにも嫌な並びだった。

 

「千空」

 

 コハクが静かに呼ぶ。

 

「ここは、ただの旧世界の置き土産ではないのではないか」

 

「だろうな」

 

 千空は笑っていなかった。

 

「L-00、複製、石化因子。三つ並べば、100億%ろくでもねえ研究の匂いがする」

 

「戻るか?」

 

 コハクは問いかけた。

 

 危険なら、引くべきだ。少なくとも、一度村へ戻り、準備を整える選択肢もある。だが千空は、通路のさらに奥を見た。

 

「ここまで来て、何も見ずに帰る選択肢はねえ。だが無茶もしねえ。奥の空気と構造だけ確認して、一度引く」

 

「本当にそれで止まれるのか?」

 

「止まる。さすがにこいつは、慎重にやる案件だ」

 

 千空がそう言ったことで、コハクも頷いた。

 

 さらに奥へ進むと、施設の様子が少し変わった。

 

 手前の部屋は崩れ、錆び、朽ちていた。だが奥へ行くほど、壁の白さがわずかに残っている。扉の形も保たれていた。何らかの保存構造があったのか、外よりも劣化が遅い。

 

「なんで奥の方が綺麗なんだ?」

 

 クロムが呟く。

 

「密閉度が高かったんだろうな。空気も水も入りにくけりゃ、劣化は遅くなる。にしても、3700年って数字を考えると異常だが」

 

「じゃあ、奥に大事なものがあったってことか?」

 

「可能性はある」

 

 千空の言葉に、スイカが小さく身を縮めた。

 

「奥、寒いんだよ」

 

「寒い?」

 

「なんか、肌がぞわぞわするんだよ」

 

 コハクも同じものを感じていた。

 

 気温が低いというだけではない。空気が重い。静かすぎる。まるでこの奥だけ、時間の進み方が違うようだった。

 

 通路の突き当たりに、大きな扉があった。

 

 他の扉とは違い、厚い。錆びてはいるが、形を保っている。表面には古い文字が残っていた。千空が松明を近づけ、目を細める。

 

「……containment」

 

「なんだ?」

 

「隔離、とか封じ込めって意味だ」

 

「封じ込め……」

 

 クロムの声が小さくなった。

 

 コハクは槍を構えた。

 

「何かを閉じ込めていたということか」

 

「もしくは、何かを外に出さねえための部屋だ」

 

 千空は扉の隙間へ松明を近づけた。

 

 炎は消えない。だが、ゆらりと細く揺れた。扉の向こうから、わずかに空気が漏れている。冷たく、乾いた空気だった。

 

「スイカ」

 

 千空が呼ぶ。

 

「無理はすんな。見える範囲だけでいい。この下の隙間、覗けるか?」

 

「やってみるんだよ」

 

 スイカは腹ばいになり、扉の下の狭い隙間を覗き込んだ。

 

 クロムが息を呑む。コハクは周囲を警戒した。千空は松明の角度を調整し、光が少しでも奥へ入るようにする。

 

 スイカはしばらく黙っていた。

 

 その沈黙が、長かった。

 

「スイカ?」

 

 コハクが声をかける。

 

 スイカの小さな体が、ぴたりと止まっている。いつものように驚いて飛び跳ねるでもなく、怖がって後ずさるでもない。ただ、隙間の向こうを見たまま固まっていた。

 

「千空……」

 

 声が震えていた。

 

「どうした」

 

「奥に……」

 

 スイカはゆっくり顔を上げた。

 

 その顔から、さっきまでの好奇心は消えていた。

 

「奥に、誰かいるんだよ」

 

 千空の表情から、笑みが消えた。

 

 クロムが息を止める。コハクは槍を握る手に力を込めた。山の奥、白い箱のさらに奥。百物語が名を呼ぶなと告げた場所。

 

 そこに、誰かが眠っている。

 

 扉の向こうから漏れてくる冷たい空気が、かすかに揺れた。

 

 それは風ではなく、長い眠りの底に残された誰かの気配のようだった。

 

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