ユーラシア大陸の西部、ピレネー山脈からオーデル川までを主要な領域とする国家。経済規模を示すGNPはアメリカに次ぐ世界第二位であり、東側経済圏における中核的役割を担っている。言語・民族を基準に分割された州により構成されており、東側諸国の中では最も地方分権が進んでいるとも言われている[要出典]。
ロシアソビエト社会主義共和国、スカンディナヴィアソビエト社会主義共和国などと共にソビエト連合を構成する。
――――西暦2022年3月8日。樺太――――
春分の日に近いこともあり、太陽はきっかり東の方向から昇ってくる。北樺太を守る第23軍隷下の北方特別混成団の司令部庁舎。普段なら当直士官ぐらいしか起きていない時間であるが、今日はどうしたことか団備品のキーボードを叩く音が聞こえてくる。こんな朝早くから庁舎の一区画に集まっているのは陸海軍の将校たちで、よくよく注意してみると制服の異なる日本人らしくない顔立ちの軍人――――他国軍の将校も混じっていた。
そんな庁舎の、別の場所。琉球諸島事変における駆逐艦沈没に関する調査委員会準備室という嫌がらせの如く長い名前の部署の長である飯田は、まだぼんやりとする意識のまま呟いた。
「……もうこんな時間か」
第一声がそれだった。もちろん誰かいるならこんなことは言わない。ブラインドから差し込む朝日で目が覚めて、きちんと上着がハンガーにかけられているかを確認して、最後に腕時計を見た時に気付いたのだ。
現在時刻は既に7時を回っている。
まあもちろん、それで何か問題がある訳ではない。むしろ取り乱したら問題だ。さも狙い通りの時間に起きたように背伸びをし、慣れた手つきでネクタイを締め、正装であるダブルの制服に袖を通す。申し訳程度に置かれた小さな鏡に自分の身を映せば、そろそろ眠気の抜けてきた海軍中佐の顔がそこにあった。
肩章や略綬やらに彩られた軍装。こうやって鏡を見続けていると妻も娘も彼のことを茶化すものだが、幸いにも今日は誰もいない。洗面所がないので髭は持ってきた電動式で目立たぬよう刈るに留め、仮眠室の扉を開けた。
暖房を使用していない廊下はやけに冷たい。いくら三月上旬とはいえここは北の果て。氷点下の世界である。温もりが流されぬうちにさっさと進む。
目指す部屋の入口が見えてきた。光が漏れているということは未だに作業が続いているということだろう。仕事を任せて寝るとはなかなか大層な身分になったものだが、飯田がいればいいというものでもないのだ。
扉を開ける。
即座に飯田に気付いた室内の全員が意識を向けてくる。無言のまま敬礼――もっとも、互いに脱帽時のそれだが――それに飯田が返礼する。
室内の様子をひとしきり見る。基本無言で、何か必要であれば僅かに言葉を交わすといった様子で作業を進めるその集団。その一角に座り作業を進める日本の陸軍佐官を認めた飯田は、落ち着き払って口を開いた。
「三鷹少佐、進捗はどうなっている」
いったい何杯目なのだろうか。珈琲を片手に三鷹が答える。中央即応軍より派遣された三鷹はこの中ではかなり前線寄りの人間といえるだろうが、少し脂汗が出ているあたり夜更かしは苦手なようだ。
「大筋はまとまりました。ご確認ください」
そう言いながら三鷹は記録媒体をコンピューターより取り出した。容量が少ないのでウイルス混入のリスクが低く、管理がしやすい
持ち出し厳禁とでかでかと書かれたそれを差し込み口へと入れるため、飯田はコンピューターの電源を入れる。その視界の端で三鷹が珈琲を一気に飲み干した。
……眠気覚ましと珈琲を飲みたがるのは結構だが、彼ほど中毒となるのは避けたいものだ、なんせあれに含まれるカフェインは、世間一般が思うよりも僅かな量で致死量に達してしまうのだから。
まあ、三鷹を始めとするこの場にいる者たちは休まずに作業を続けていたわけで、それに比べれば珈琲などなんでもないか。そう思い直し飯田は起動中と書かれた画面を睨む。
そもそも徹夜というのは時間を無駄に消費するものである。人間夜は休むものとして設計されているし、それは脳味噌において特に顕著である。脳は人間が意識を持ち、視覚情報や聴覚情報を処理するだけで疲れていく。再起動せずに動かし続けるコンピューターの能率が落ちるのと同じようなものだ。
だがそうであっても、今回はそれ以上に報告に速さが求められる案件だった。しかも事が事なので事態が複雑、手数がいる。三鷹すら駆り出されていることを見ればそれは明らかだ。
いくら機密を保つためとはいえ人員だけでなくスケジュールまでも余裕なく組んだのが招いた事態と言えるだろう。得体も知れない存在である『やつら』を調査する以上、予備日くらい設けてくれればいいものを……地平線の下に隠れた東京には口には出さず心の中で文句を垂れておく。飯田は徹夜をしなかったが、どうせこの皺は指揮官すなわち管理職である飯田に回ってくるのだ。
まあそんなことはどうでもいい。報告書の内容を確認しつつ、飯田は今日のスケジュールを確認。
「……三鷹、
「正午の予定です」
正午に到着ということは五時間もないといったところか。正直足りないが、ここまで来ればそれで何とかするしかない。
「迎えの手配はどうなっている?」
「橘中尉に任せてはありますが……申し訳ないが中佐、そちらの方お願いできますか?」
やはりと言うべきか皺が回ってきた。飯田は確認作業を続けつつそれに間髪入れずに返す。
「よし分かった」
まあ仕方のない話なのだ。先日の締めくくりとして起きた爆発事故。『やつら』がいかなる存在なのかをあぶり出すために編成された特務実験大隊及び多国籍チームは、その事故により「死者が出た」という事実に直面していた。
これは非常に厄介なことだ。なんせ政府は当面『やつら』のことを「正体不明」で押し通す
ともかくやるべき事を確実に、だ。飯田はひとしきりの確認を終えると、英語で全体に軽い指示――疲労気味の部下に訓示という形式を取ると間違いなく
「ああ、おはようございます中佐。よく眠れました?」
部屋を出ると、まるで入れ違うかのように小河原大尉が廊下の先からやって来ていた。抱えた段ボール箱と小脇に挟んだ新聞紙。今日の赤欧を迎え撃つ準備をいろいろしているようだ。
「おはよう。お前こそしっかり眠れたのか?」
「もちろんです。これからどちらに」
「空港だ」
そう答えると、小河原は楽しげな表情になる。
「陣頭指揮とは、いやぁ流石です」
「なんだその言い草は」
「いや中佐、自分はあまり無理なさらないでください、という意味で言っているのです」
「……気遣い感謝する」
相変わらずな奴だ。飯田はため息の一つも吐いてやりたいところだが、小河原の態度はいつものことなので放って置く。
「いえいえ……それで、結局爆発の原因は?」
すると小河原は、先ほどとは態度を一転し小河原は急に周りを憚るような――もっとも、周りには誰もいないのだが――調子になる。
「いや全く不明だ。死者4怪我人9で施設は一区画が全壊、周囲のブロックも壁が歪んだりはしているそうだ。いい知らせと言えば、米国の学者が怪我だけで済んだことぐらいだな」
「そうですか、それにしても……『やつら』の研究を共同で進められるのは信頼と利害の調整を経たおかげであるでしょうに、よくもまあ米国は躊躇いもなく民間を送り込んでくるものですね」
小河原はやれやれと首を振って見せる。言うまでもないが人命は官民問わず等しく尊い。ではなぜ飯田と小河原が米国研究者に死なれると困ると言っているのかと言えば簡単な話で、
死者が出れば話題になる。そうなれば何らかのルートで情報が洩れるのは必須。官よりかは民間の方が問題は大きくなりやすい……そう考えるのは今の日本人に少なからずこびり付いている偏見だ。飯田と小河原に関しては彼ら自身が官の立場にあることもあって余計にその傾向が強い。
ちなみに、米国には官民統一の情報保持資格が存在しており通常の機密保持においてはなんの問題もないことだけは忘れてはならない。むしろ民間に委託するたびに情報漏洩のリスクを負わねばならない日本とは大違いなのである。
とはいえ、それを知ってはいても不信感を抱かずにはいられないのだ。
反社会運動、特に共産主義関連の騒動は、当然ながら民間から起こる。軍が部隊単位で蜂起したりすることもあるが、それは稀なケースだし、民衆の感情を汲んでいない以上長続きはしない。結局の敵は反社会分子に煽られた民衆だ。
この混迷の時代において、日本国の秩序を守っているのは旧時代的なムラ社会の概念だけ、そんな風に言っても言い過ぎではないかもしれない。国民の命そして財産を護るためにある軍にあるまじきことだが、誰しも背後からだけは刺されたくないものである。
閑話休題。
「……ああそうだ、赤欧が派遣してくる相手の情報はあるか? 出迎えの前に軽く確認しておきたい」
そう飯田は話を変えるように聞く。すると小河原は、段ボールに詰められた資料の一つを器用に取り出し、片手でぶらりと広げて見せる。
「彼です」
広げられた資料には正装の男性の写真。見た目になかなか若そうである。A4綴じのファイルを片手で持っているので写真は90度傾いて見えるが、まあそれはいい。小河原は続ける。
「ソビエトヨーロッパ海軍の少佐。シュナイダーとかいうらしいです。海外への駐在経験とか、そういう外交絡みの公式で名前は出てきませんでした。一見外交素人ですが……」
そこで小河原は言葉を詰まらせる。外への露出が少ない人間ということは「隠しカード」である可能性も考慮せねばならない。秘密主義が横行するソビエトならなおさらのこと。それは即ち、事前に立てられる対策がないことを示していた。
「そうか、ありがとう。今日は頼むぞ」
「はっ」
両手が塞がっているので敬礼は省略。小河原は段ボールを抱えなおして部屋へと入っていき、飯田は階段を目指す。あそこまで進んでいるのだ、報告はほどなく完成することだろう。後はそれをもとに動く別の部署で何か厄介ごとが起きないかを祈るだけ。
「空港に向かってくれ」
「はっ」
待機していたのだろう。すぐに車両は雪と氷の世界を走り出す。サスペンションを通じて氷が砕かれる振動が伝わってきて、それがエンジン本来の振動と混じり合う。
「……」
空港までの暫しの休息。しかし思考を止めれば、すぐに今回の爆発事故が頭をよぎる。
それは琉球諸島事変で我が国にとんでもない損害を与えた『やつら』を生きたままに解剖していた最中に起こった。解剖の対象は砲撃を行わずに突撃してくる仮称Ⅱ型。爆発する要因なんてなかったはずなのだ。
だがそれでも、爆発は起きた。何が起こっているかも、これをどう解釈するべきなのかも見えない。
ただ今分かっているのは、飯田が、いや
「ほぉ……」
日本語が聞こえた。そう、飯田たちの母国語である日本語だ。
「いやはや、これは立派な演習場だ。我が故郷にもひとつは欲しいものです」
気持ち悪いほどの流暢な日本語でそう言ってみせるのは猛吹雪にも負けなさそうな分厚い服に身を包んだ男。赤に縁どられたそのカーキ色の制服は、飾り気はないが威圧感なら十分だ。
「最も、ここが放棄された街でなければ……の話ですがね。いつ見ても捨てられた街ほど悲しいものはない」
その言葉にソビエトヨーロッパ海軍より派遣された尉官がまるで同意を促すかのようにこちらを見やり含み笑いを――そう、勝ち誇った笑みを浮かべて見せる。
「我が国において建築物、特に民家は消耗品です。欧州とは事情が違うのです」
そう返すのは小河原だ。今日の天気は幸いにも晴れ。雪の降り積もる北の世界では、第一種軍装の無装飾な紺はよく目立つ。
その会話を横で黙って聞きつつ、飯田は軍人を横目で見る。ソビエトヨーロッパでは管区軍ごとに制服が違うと聞いているが、彼の制服は襟と言い勲章のつけ方といい明らかな
背後には東側の盟主が居るのだぞと、彼の制服はそう語っていのだ。重厚な軍服はすっと細めの輪郭に高い鼻を添えるいかにも欧州人らしい顔立ちには全く似合っていない……まさに虎の威を借りる狐とはこのこと。いや、背後にいるのはロシアなのだからここは熊の威を借りる狐と言うべきか。
それが半世紀以上続く欧州の現実なのだ。
ソビエトヨーロッパより派遣された調査チーム。それはたった二人というチームと呼ぶに相応しくない人数ではあったが、しかし我が物顔で監視台に立つ彼らほど挑発的な存在はいないことだろう。
そもそも、いくら国境近くとはいえ西側の軍事拠点である樺太に、それも陸軍演習場の中にまで安々と入られてしまっているこの現状。政府は何をやっているのかとも言いたくなる。恐らくは『やつら』に関する情報提供の見返りとして何らかの要求――例えば、先日発表された満州-蒙古国境線交渉の再開――はあったのだろうが、それにしても
「いやいや、こういった住宅の価値は理解していますよ。故郷では再利用されますがね」
原子力空母も複数所有する赤欧海軍の
ソビエト圏を作り上げた過去の人物たちが見たらなんと言うのだろうか。いや、そんなことは日本人である飯田にとってはどうでもいいのだが。
《状況開始十分前、工兵隊退避せよ》
無線機が指揮所の声を電波に変換し、演習開始を告げるサイレンが鳴り響く。電気の通っていない信号機に取りついていた工兵たちが定められた退避エリアへと駆けていく様子が屋上からはよく見えた。
ここは陸軍第23軍が所有する市街演習場。70年代に整備されたニュータウンをそのまま流用したもので、一つの町が丸ごと演習場となっている。まだ干拓事業が国内の人口爆発に対応できていなかったころ、膨れ上がった満州の人口を吸収するために作られたのがこの尾羽という都市だった。
樺太の西にある満州は建国以来東北アジア大陸において突出して治安の安定した国だ。公共サービスはともかくとしてインフラは発展しているし、なにより欧州様式の建築物が立ち並ぶ都市部は憧れの的だ。
故に満州は膨張し、そしてその人口の重みに耐えきれなくなった。それが生み出したのが、満蒙開拓団の二世、特にその中の次男三男が追い出されることによるUターン移民である。大陸からやって来た人間は国境線の向こうに追い出せばいい話だが、日本生まれとなると話は変わってくる。彼らは当然日本に住みたがり、しかし日本においても第一次ベビーブームが過ぎ去ったばかりで、食料供給は追いついていないのが現状だった。
そのため60年代後半の樺太、そして朝鮮には大量の人間が流れ込んだ。開発が進んでいなかったところに人間が流れ込んでくるのだ。労働力的に発展する余地を得た北樺太などは大いに発展した。この樺太最北の街である尾羽も一時期は二百万に達するほど膨れ上がった。
石油の産出も確認されていたこの街は、当時は黄金に輝いていたことだろう。
だが所詮は大量のUターン移民と国内の人口爆発に支えられた「人口の流刑地」。
国内でより生産性の高い干拓地が次々完成するにつれ国民は南へと去り、今や基幹産業であった労働力集中型の工業は瓦解し、虚しく残された工場街の廃墟のみが往時の繁栄を伝える。基礎から崩れるように倒れる廃墟たちは、もはや撤去する予算すら出せない状況らしく、書類上だけでの所有主の名が刻まれた「立入禁止」の四文字が雪に埋もれていた。あの様子では、屋根もとうの昔に抜け落ちてしまっていることだろう。
現在の経済は農業と軍の研究施設、それと周辺住民向けのサービス業によって成り立っている。稀に物好きが観光に来たりもするが、地域を支えるほどではない。それがこの最北の市の現実。こういった場所は軍にとっても都合がいい。
だからこそ、ここで『やつら』を調べ尽くす。第53軍がその全力をもって得た唯一の戦果、沖縄の百何十万人もの屍の上に置かれた欠片のような戦果。それを調べ尽くさねばならないのだ。
「工兵隊退避完了! 大隊長、いつでも行けます」
通信兵が報告し、特務実験大隊の隊長を務める三鷹が飯田に目配せ。飯田に大隊の指揮権などないが、一応の確認だろう。眼だけで答えておく。
「よし、始めろ」
それは演習場全体に広がり、やがて地響きに変わる。それは小さな響きだ。折り畳み式の卓上に置かれたマグカップが僅かに震える程度だ。
だが、確かに揺れている。
「イイダ中佐。あなたは、オキナワに関する責任者だ。そうでしょう?」
隣から聞こえる日本語。隣にいるのはもちろん、ソビエトヨーロッパ海軍、シュナイダー少佐である。
「私は海軍の駆逐艦に関する調査を命じられただけです」
飯田がそう返すと、彼は僅かに軍帽に手をかけた。
「だがいずれはそうでは無くなる、違いますかね?」
何を言わんとしているのかが分からない。いや意味は通じる。飯田に「琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室」の設置を命じた大迫海軍幕僚長の魂胆はそうだろう。しかしそんな内部事情を
間諜からの情報か? それともただ鎌をかけているだけか? ともかく飯田は眉を潜めるだけに留める。
そんな飯田を気にも留めず、シュナイダーは続けた。
「我が国はこの件に大変興味を持っている。そしてそれは連合の総意なのです……加えて」
シュナイダーの言葉が続く中、視界に収まっている集合住宅地で土煙が舞う。まるで爆破解体のようなそれは、疑うまでもなく『やつら』が巻き起こしたものだ。
今回の実験は要約するなら破壊力を測るもの。沖縄では203㎜を備える砲兵大隊の効力射すらものともせず突っ込んでくる『やつら』に対し、第56師団が市街を盾にするように遅延戦術を行った。だが実際には数時間も持たずに突破される。
その原因は、『やつら』の衝撃力だ。『やつら』には木造家屋は当然のこと、鉄筋コンクリートすらも突き崩す力があるかも知れないのである。
引き寄せるための機関銃が遠隔操作で発砲開始。一丁だけでは頼りない5.65㎜SEATO弾の発砲音が響く。そして引き寄せられたのだろう『やつら』が再び土煙を上げる。機関銃を固定している建物が崩れればその音は止むだろうが、すぐに鳴りやむ様子はない。
その音に紛れ込ませるかのように、シュナイダーは言った。
「我々も興味があるのです。あれを――――モスクワで使ったらどうなるか」
「……」
飯田は、赤欧海軍少佐を無表情で見据えるに留めた。
「いやはや、お見送り頂きありがとうございます」
ソビエトを象徴する赤い星が垂直尾翼に描かれた小型機を背後に、シュナイダー少佐は笑ってみせる。非公式とはいえ他国を代表する人間の見送りだ。滑走路には見送りのため飯田や、三鷹を始めとする特務大隊の人員が控えていた。
「特にオガワラ大尉、あなたとはなかなか楽しいお話が出来ました」
「そう言って頂き光栄であります。少佐」
小河原は笑ってみせるが、それは当然張り付けたような笑み。シュナイダーはあれ以降飯田とは言葉を交わさず、小河原にばかり会話を仕掛けていた。まるで飯田に伝えたかったのはあれだけだと言わんばかりに。
「では、我々はこれで」
シュナイダーはそれだけ言い、小型機へと乗り込む。与圧扉が閉まればその白い機体はすぐさま動き出し、滑走路より飛び立つ。分隊長の号令の下、見送りの兵もそそくさと退場していく。
「小河原、ご苦労だったな」
「いえ、この程度は」
そう言ってみせる小河原。もちろん疲労がない訳ではないだろう。なんせ半日以上は相手をさせられていたのだ。もちろん態度に出ることなどないだろうが、ともかくよくやったものだ。そしてそれはこの部隊全体にも当てはまる。様々なトラブルこそあったが全ての日程をこなすことが出来たのだ。人員の足りない中でよくやったものだ。
ここで得た情報は疑いようもない価値がある。だが残った疑問、さらには新たに沸いた問題も多い。
「……なあ、小河原」
「はい?」
「『やつら』を兵器転用できると考えるか?」
「沖縄でこそインパクトはありましたが、今回の結果を見る限りでは現実的でないかと」
小河原は即答。なんせその問はここにいる誰もが頭の隅で考えていることだ。
「だろうな」
今回の実験の最大の成果、それは『やつら』の脆弱性であろう。
『やつら』は海から沖縄へと「上陸」した。そして陸上も移動した。水棲生物が陸に上がったなら普通は自重に耐えきれずその場で死に至るはずだから、この時点で体格が強固なのは分かる。
だがそれは、鉄筋コンクリートを破壊するほどではない。厳密には、『やつ』
つまりどういうことかと言えば、『やつら』の脅威はただひたすらに数なのである。沖縄全土を覆いつくすかのような『やつら』の波。それが衝撃力を生み出し、陸軍の防御陣地を突き崩したのである。
まるで中世の攻城戦だ。数に物を言わせ、力づくで城門を蹴破る。陸軍は散兵戦術を基本としていて、防御陣地も横の連携により構成される見えないネットワークを要とするものだ。数で来られた日には勝てるわけがない。
では、それに合わせた防御をすればいいだけの話。『やつら』は偵察衛星や
それを示せただけでも、今日は良しとするべきか。
頭に浮かぶのは先ほどの赤欧海軍少佐のシュナイダー。どこか飯田たちを見下すような彼が、そしてその背後に控える
『やつら』を開発したのが連中であろうとなかろうと、西側は『やつら』を手に入れてしまった。もし『やつら』が東側の新兵器なら西側に開発・生産できない理由はないし、そうでないなら西側が新兵器を手に入れるだけだからだ。
だが、こんなもの兵器であるものか、ここまで効率の悪い破壊装置もなかなかないだろう。それは今回ハッキリと示された。
飯田は頭の中に沖縄本島を描く。そこに上陸したあとの『やつら』の動きを描く。美しい動き、統制された動きで祖国の領土を蹂躙する『やつら』。
「……よく出来た作戦だ」
これだけの組織的行動を取れる敵。数世紀も劣った戦術で我が国を圧倒する敵。しかし飯田がその目で見た敵の姿は、あまりに醜く、知性などを感じることはできない。しかし戦略は立派だった。どこで習ったのか知らないが、沖縄を分断、そのままの勢いで見事に二個師団以上の戦力を撃破してみせた。
――――こいつらは進化している。目的別にな。
大迫閣下は仮説を立てている。『やつら』には目的がある。そのために進化した、と。そして
それでも大迫閣下はそれを飯田に伝えた。飯田はその可能性を本気で検討しなければならない。それが仕事というものだ。
では仮説に基づいて考える。結果たどり着くのは『やつら』がこれほどの作戦を完遂するためには、明確な意志を持ち、そして『やつら』を沖縄に、それも読谷という一箇所に上陸させた上位個体が存在しなければならないということだ。
この沖縄を踏み潰した『やつら』の行動を群意識や習性といった適当極まりない仮説で説明することは出来ない。『やつら』を完璧に統括する存在が必要なのだ。『やつら』を指揮する上位個体があると考えるのが妥当なのだ。
そんな存在など、いるものだろうか?
今の話では実行個体と指揮個体を区別した。それは分業の考え方だ。進化と分業は全くもって違う。分業は同じ個体で行うものだ。では『やつら』の一部が全体を統括する長になりうるか? そんな社会性を備えるほど『やつら』に知能があるとは思えないし、仮にそう言った社会性を持っていてもそれが沖縄を蹂躙できるとは到底思えない。『やつら』が群れを成し、それが完璧に制御された時に――即ち、完璧な縦方向の支配体制が確立された時に――初めて『やつら』は戦略兵器級の威力を発揮するのである。
……ではやはり東側が?
それは違うだろう。可能性としては絶対に捨て置いてはならないが、それに固執することは思考停止を招く。
飯田が見る北樺太の空は、嫌味なほど晴れ渡っていた。
西暦2022年、この年を境に――いや、それ以前からかもしれないが――母なる海は人類に牙を向いた。初めは何の目的があるとも知れず、それらはただ海をゆく船を沈めた。しかしある時から、やつらは陸地にその悪意を伸ばし始めていた。それに気づいた者は少なく、気づいた者も大半はなにもせずに傍観していた。一般的に見れば合理性も経済性も存在しない悪意が、いったいどこへその矛先を向けているのかを測りかねたからだ。故に傍観を続けた。その意味では当事者はまだ誰もいなかった。
そしてなお、やつらが陸地に足がかりを作り始めた今でさえ、誰もやつらの本質を、見抜けていない――――。
補足事項【SEATO軍における指揮権】
反共軍事同盟であるSEATO加盟国はフィラデルフィア宣言(SEATO憲章)に基づく合同作戦を行う可能性が極めて高い。そのため同盟諸国は、有事の際に戦力をSEATO統連合軍最高司令部に預け、一括運用することについて同意しており、それに伴う現場の指揮権も一括管理されることになっている。すなわち指揮官にはSEATO「軍」指揮官としての指揮、末端の兵にすら「SEATOという共同体」のために戦うことを求められる。同意の形骸化を防ぐため、戦力供出に関する同意は五年ごとに更新される(SEATO憲章は反共を掲げるが、貢献の形式は定めていない)。
展開群(陸上部隊)・艦隊(海上部隊)・航空団(航空部隊)司令部クラスとなると供出部隊の規模に応じて均等に参謀が派遣されるが、現場レベルではその場の最高位が(陸海空の職種問わず)指揮権を原則として保有する。また同階級の将校が複数いる場合は供出部隊の規模に応じて指揮官が決定される。
なお指揮官変更による混乱を避けるため、複数部隊が合流した際には双方の同意のもと先着部隊指揮官への指揮継続が可能であるとしている。
要約すると、兵隊をいっぱい連れてきた将校が指揮官になる。一応例外アリといった形。
……よって今話では先着でかつ最大規模の戦力を供出している特務実験大隊の三鷹少佐が指揮権を持つとすることも可能であるが(実際、飯田中佐は大隊の指揮は取っていない)、一部で飯田中佐が最高位として振る舞う場面がみられることから、尾羽のSEATO部隊(少数とはいえ他国将校が参加していること、臨時的なもので存在も公表されていないが部隊編成は琉球諸島事変へ向けての共同宣言に基づいていることからSEATO軍部隊であると判断できる)の指揮権は飯田中佐が握っていると考えられる。