「イエ、足りない訳ではないのです。エーそもそもですね、西南方面軍。つまり九州地方を守っている部隊ですね。これが現在奪還作戦の準備をしているのです。そのうえでですよ? 勘違いしないでほしいんですが、兵隊というのはすぐに投入できるわけではないのです」
「というと?」
「まず輸送力が足りません。沖縄を占拠した武装勢力の規模を考えると奪還には師団規模に及ぶ大掛かりな部隊を用意する必要があります。加えて沖縄は狭いのでその全てが敵前上陸となる。強襲揚陸艦の数はもちろん、海岸まで運ぶエアクッション艇……エートつまりホバークラフトですね、こいつが足りんのです」
「では、沖縄奪還は難しい。と」
「イエイエ、そうとも限らんのです。空挺という方法があります。つまりどういうことかと言いますと、目標地点を航空機で掃射した後、歩兵や装甲車、これらを一斉にパラシュートで落としてしまおうと。こういうやり方もあるのです」
H34.3.11《X-234days》
――――西暦2022年3月11日。東京――――
どんな時でも、朝は平等に訪れる。
琉球諸島事変より既に一週間以上が経過した。避難民は避難所に一通り分配され、鹿児島に移された臨時沖縄県庁もようやく犠牲者の数を把握し始めている。沖縄本島にほど近い島々の避難は多少の混乱を伴いつつも順調に進んでおり、今ごろ内務省などでは離島への避難命令をどこまで拡大するかで会議が煮詰まっていることだろう。
しかし国民が気にするのはそんなことではない。彼らは目に見える形だけでの成果を欲するものだ。つまりどういうことかといえば、沖縄奪還は急務である。とにかくそれしか言わないのである……もちろんただ沖縄奪還を求める世論というわけではない。慎重論は存在するし、避難民への支援物資も集まってはいる。戦災であれ天災であれ、同胞を支えるのは当然のことだ。
とはいえ、そんな人々ですら奪還作戦を未だに発表すらしない政府に少なからずの憤りを感じている。政府はそんな体たらくを晒していた。
まあ、勇み足で若い兵士たちを死地へ送り込むよりかは幾分マシなのだが。
「ようやく海軍大臣が頷いたよ」
そんな帝都東京。赤煉瓦造りの海軍省に存在する海軍幕僚部。2.26事件以来テロ対策として設置された非常ドアが存在する幕僚長執務室。その部屋の主である
それを聞くは幕僚長補佐官を務める
「貴様を補佐官の任から解く時が来た。今日までよくやってくれた……と言いたいところだが、ここからが正念場だ」
「はい」
今日まで飯田は「琉球諸島事変における駆逐艦沈没に関する調査委員会準備室」などという実体のほぼない組織の長を兼任させられていたのだが、そんな歪な体制もこれで終わりだ。
準備室はあくまで準備室。飯田がこれより新設される部署の長に任じられることで、ようやく体裁を整えて『やつら』へと対処できる。
「当然理解しているだろうが、今回の件の主導権を取るのは
大迫が関節の凝りを解す様に重心を動かすと、その椅子もそれに合わせて僅かに軋んだ。背後に立てかけてある日章旗と旭日旗は今日も無言で項垂れたまま。
「はっ」
短く返答。大迫な満足げな深い頷きをもって締めとする。
「失礼します」
飯田は踵を返し、新たなる部署へと向かう。
その名は沖縄県沖駆逐艦沈没事故調査室。
海軍幕僚長の直属として初めて正式に設置された、『やつら』専門の対策部署である。
「――――知っての通りであろうが、軍には我が国固有の主権線の早急な回復が求められている。しかしそれ以前の問題として、これ以上国民の財産と命が侵される事態も防がねばならない。我々はまず国民が抱える目の前の不安を取り除く。諸君らの奮闘に期待する」
飯田の言葉に敬礼をもって答える室の人員たち。その数僅か8人、さらにほとんどが幕僚部のメンバーを集めた関係で顔見知りばかり。幕僚部でなにかのチームを作るとしたらこんな感じの顔揃えになるだろうといった感じだ。急ごしらえ感は否めない。
それでも能力としては十二分に強化されたと言っていい。一応横須賀の連合艦隊司令部からの派遣士官を受け入れることで実働部隊との繋がりを持たせ対策部署らしい体裁も整えられている。それに大迫海軍幕僚長が描くのは三軍を巻き込む統幕本部付の部署なのだ。海軍主導とするため呼び水としての室と考えれば、このくらいの規模から始めて大きくしていくのが妥当であろう。
「では、早速だが始めよう。
「はっ」
準備室から続いて編入された木更津海軍中尉がホワイトボードを部屋の中央へと動かす。それから飯田が目配せをすると木更津は部屋に置かれたプロジェクターを起動、ホワイトボードに『やつら』の姿が映し出された。
「これが現在確認されている正体不明の生物だ」
その言葉を聞いた数名が顔を見合わせる。政府は『やつら』のことを正体不明の武装組織としており、幕僚部でもその見解に従っているのだからこの反応は当然だ。
もちろん『やつら』には「武装勢力」というより「生物」という表現が似合うというのは皆思うところであるだろうし、そのうえで武装組織と呼称するのは迅速な対応を後押しする方便だということは承知している――なんせ、新種の生物とか言ってしまうと
それでも『やつら』を生物だと言い切った自身の上司に違和感を抱いたのだ。軍が生物相手に苦戦するのは特撮映画ぐらいだから、まあ仕方がないとして……飯田は構わず続ける。
「さして驚くことでもないだろうが、これらが生物であるとことは既に証明されている。近々政府も公式にそれを認める予定だ。よって我々はそれを前提として議論を進めたいと思う。現在確認されているのは仮称Ⅰ型とⅡ型。それぞれの現在確認されているスペックはこれだ」
飯田は紙媒体を取り出し、それをプロジェクターの置かれた机の上に置いた。ちなみに割り当てられた部屋が多目的室だったため、プロジェクター以外の機材と机椅子は全て無造作に部屋の隅に追いやられている。後でちょっとした肉体労働をする羽目になりそうだ。
「仮称Ⅰ型が我が軍の哨戒機に対して発砲してきたタイプで、仮称Ⅱ型が実際に沖縄に『上陸』してきたタイプだ。こちらに関しては鹵獲個体が多数確保されてはいるが……」
「全長四~七
それを手に取り、一瞥してから不満げに言う室員。彼が連合艦隊司令部よりの派遣だったか。確かにこんな
「その通りだ。情報が不足している。特に仮称Ⅰ型に関しては鹵獲個体がなく写真観測による推定であるため、ほとんど何も分かっていない。我々はこれらの情報収集も行わなければならない」
飯田の言葉を聞いてどことなく不満げな表情になる士官。情報が揃った状態で作戦を作り、そして戦うのが海軍だ。
「まあ、艦政本部が協力してくれている。ある程度の情報は今後も回ってくるはずだ。ともかく、当面はこれら二種類を仮想敵として計画を策定することになるが……なにか質問は?」
「飯田室長」
すると別の室員が進み出た。
「やはり室長は陸上戦力を主軸とした作戦立案を考えているのですか?」
その質問は、
飯田は琉球諸島事変の発生直後――つまり沖縄が『やつら』に蹂躙された翌日――に大迫の命に従い防衛計画の草案を提出している。
それは飯田の成果であり、もちろん今回の室設立に当たって飯田が室長を任される根拠なのであるが、その草案には問題があった。
そもそも、あれの提出は西南方面軍が少数精鋭での沖縄奪還作戦を実施しないように釘を差すためだ。故に陸上での被害、陸上での戦闘ばかりを扱っており、対処は――扱われる想定が佐世保周辺に『やつら』が来襲するというものであったにも関わらず――陸軍を主体行うこととなっている。海軍にも関わらず水際防衛の計画ですらないのだ。
沖縄県沖駆逐艦沈没事故調査室は陸軍組織だ、飯田は陸軍だ――その実、彼の叔父と従兄弟はホントに陸軍将校と来たから洒落にならない――などと言われては困るのである。
だからこそ、飯田ははっきりと否定しなければならない。ここは海軍だ。
「いや、海上での戦闘は前提だ。だが計画には組み込まない、それは海上におけるアレの能力が未知数であるからだ。知っての通り海軍とアレの交戦経験はないからな」
実際には哨戒機への砲撃。駆逐艦「雷」が被撃沈、さらに二航戦「日向」航空隊による陸軍への近接航空支援となかなか交戦しているのだが、それは幕僚部ではタブーに等しい事象である。沖縄は対地上戦だからもちろんのこと、哨戒機や「雷」の被撃沈は奇襲攻撃であり、海軍は『やつら』との戦いにおいて全力を出せていない……それが
……そしてとても声を大にしては言えないが、海中を進む『やつら』への対処は不可能だ。計画に組み込まないというか、組み込む意味がないというのが正しい。なんせ『やつら』への対処に「水際」などは存在しないのだから。
「なるほど、では海上戦闘は」
そう質問を続ける士官。
「当然考えている。上陸を許せば社会資本への被害は甚大だ。それを防ぐのが我々海軍だろう」
飯田の言葉に、その通りだと頷く部下たち。
もちろん飯田の言葉に嘘はない。とはいえ防ぐための具体的な手段がある訳ではない。だから誰も何も言わない。対策が上がってからでいいのだ。そういうことにしておけ。それでいい。
なにせ今は、それ以上に早く為さねばならないことがあるのだから。
飯田は全体を見渡しながら告げる。
「海上でのアレの戦闘能力は後々検討するとして、大迫閣下はまず沿岸部での具体的な防備案を立案せよとのことだ。それを叩き台に次回の統合幕僚会議に提出する作戦要綱を作成する。無論、これは海軍根拠地の防衛にも直結する。しっかりと取り組んでほしい」
「はっ」
海上戦闘を棚上げしていると言われればその通りだろう。ここは『やつら』への対策最前線。だがここは決して全ての判断を下す部署ではない。
重要なのは『やつら』への対処において海軍が主導権を確保すること。
海軍が陸上での作戦案を出すのはお門違い? それを押し通すために統合幕僚本部、そして統合運用のシステムが存在するのではないか。なにはともかく、これは
「既に来年度予算は確定しているが、予算度外視で想定しうる事態への対策を考えてほしい」
そこで、だ。飯田は言葉を切って部屋を見渡す。そしてあるところで止まった。そこに8人の海軍軍人は目を向ける。もちろん彼らも気付いていたが、ここには飯田含め9人の室員
「多方面より事態を想定するため、室は各省よりのオブザーバーを受け入れることにした。各々の立場より、的確な助言を求めるものである」
総勢14人。ひとまずこれが、記念すべき第一回会議のメンバーとなる。
防衛案というのは戦場――つまり、仮想敵が攻めてきそうな場所――を定めてから策定するものだ。
軍事活動において地形というのは天使にも悪魔にもなり得る存在で、あらゆる計画というのはその地域にしかない地形に沿って展開される。それは仮想敵が『やつら』という酷くヒトから離れた存在であっても変わらない。
と言ってはみても、『やつら』が攻めてきそうなのは海岸線だ。そして海岸線は日本中に存在する。
つまり、敵さんはそこら中に攻めてくるということ。計画立て放題。全くもって嬉しくない悲鳴だ。
「やはり東京は広いですね」
東京なら政府はもちろん国民にとっても大きな関心事であるし、なにより分かりやすいだろう。という訳で会議は東京防衛を主軸に進むこととなる。しかし一口に東京と言っても対象が広すぎるのが問題だ。とりあえず皆で東京都市圏がすっぽり入った大判の地図を囲む。
地図には中央に東京
「とりあえず、東京中枢を目指すとして採りうる経路はどこだ?」
飯田の言葉に、陸軍省――正確には陸軍大臣直轄の中央即応軍――より派遣されてきた橘が答える。海軍省における陸軍中尉の制服は変に目立つが、仮想敵がソビエトで一致している現代ならばそこまで波風が立つこともない。
「浦賀水道を突破され、東京湾を素通りされるのでなければ……相模湾に上陸した後、多摩丘陵へと北上する形でしょうか」
橘が東京湾と相模湾に『やつら』に見立てた駒をいくつか置く。海軍の図番演習用駒を持ってきている都合上それは船の形をしていて、まるで黒船来航のようだ。
もっとも、駒は赤かったが。
「千葉や茨城に上陸される可能性は?」
「仮に上陸されても房総半島に関しては急峻な山岳も多いですから進撃は困難かと思われます。また確かに茨城の東部に上陸される可能性はあるでしょうが、東京までは100km近くありますし、住宅地が少ないため迎撃は容易かと」
そう言う橘。茨城南部と千葉北部は近郊農業が盛んな地域。そこまで住民の数は都市部と比べればはるかに少ない。それ故に迎撃は容易だろうというのだ。
それはもちろん、神奈川で『やつら』を防ぐのがいかに難しいかを示してもいた。
知っての通り市街地での戦闘は民間人の犠牲者を生む。
半世紀前ならいざ知らず、現代における最上の存在は人間の命。今や徴兵制すら批判の対象となる時代だ。街で発砲することがそう簡単に許されるわけがないのだ。仮に許されたとしても使用火器の制限や車両重量に耐えられないいくつかの道路。果ては特殊車両の通行許可、土地徴用について地権者とのあれやこれや……いざ戦闘となれば基本文句を言われることがない海上での戦闘と異なり、陸上での戦闘、特に自国本土での戦闘は制約が多いのである。
とはいえ、なら千葉茨城なら大丈夫という訳ではない。
木更津が東関東の地図を出す。地上での作戦を想定していない海軍は一般向けの地図しか持っていない訳だが、利根川沿いに開けた土地が東京まで続いていることぐらいは分かる。
「ふむ……利根川を遡上される可能性はないだろうか?」
「遡上ですか、なるほど」
『やつら』の機動力には目を見張るものがある。実際、沖縄での『やつら』は海中を平均15ノットという高速で移動してみせた。海中をである。水上における移動速度は不明ではあるが、抵抗しかない海中でこの速度なのだ。それ相応のものだと考えねばなるまい。
「まあ、これに関してはアレの詳細な移動能力が判明してからだ。今はいいだろう。他に何かあるか」
「いえ」
「では、東京湾から直接上陸する甲経路、相模湾より上陸し陸路をもって北上する乙経路、利根川流域を通過する丙経路。以上三経路を東京防衛では想定するものとする」
飯田はそれらの経路を迷うことなく脅威度順に命名する。地図にしてみると意外と攻撃方法は限られているように見えた。
「甲経路ですと浦賀水道を封鎖する以外に防ぐ方法がなさそうですね」
誰かがそう言う。『やつら』が山岳踏破能力に乏しいことは既に沖縄の恩納で証明済みだ。房総半島や三浦半島を乗り越えて東京湾に侵入される心配はないだろうから、確かに浦賀水道を塞ぐだけで甲経路を防ぐことが出来るだろう。東京が曲がりなりにも内湾の奥に位置しているということが幸いした。
ちなみに浦賀水道を封鎖するとなれば海軍の担当となるだろうが、先ほども確認した通り海上における『やつら』との戦闘は議論の対象ではないので省く。東京湾内の民間船をどうするかなどの解決すべき問題はありそうだが、飯田はひとまず甲経路に関しては議論を切り上げることとした。
もちろん、現実には浦賀水道封鎖なんて政治的に不可能だろう。だがそれは棚に上げる。
「甲経路に関しては後日でいいだろう。次に――――」
なんせ、会議が論じたいのは甲経路ではないのだから。
「――――このようにして、この地区を失うと南関東沿岸部の交通は事実上ストップします。ここを失うことだけは避けねばなりません」
地図の一点を指し示すのは運輸省の石川という男。そこには「横浜」と書かれている。
現在、会議は相模湾に上陸される乙経路の防衛を検討中である。乙経路は上陸後の進路が住宅地を横切る形となっており、もちろん初めの議論はどのようにして戦場を作るのか――つまり住民をどのようにして避難させるのか――となっているのだ。
いや、なっていた。というべきか。一体全体なぜ横浜の話になっているのか。
飯田は小河原に目配せ。小河原は短く頷いて、それから口を開く。
「失礼、石川係長。確かに横浜も乙経路上にはありますが、その前に茅ヶ崎方面の住民避難を考えませんと」
「お言葉ですが小河原大尉。私は今その茅ヶ崎の避難民を移動させるうえで必要な話をしているのです。横浜、厳密にいうなら横浜=川崎区間を失えば南北の移動が出来なくなります。先ほど言った通りここに関しては代替経路がないので、三浦半島と茅ヶ崎方面に多数の民間人が取り残されることになりかねません」
「いや、まず横浜を喪失する状況では茅ヶ崎方面の防護は困難かと思われますが……」
実際その通りだろう、乙経路においての横浜は上陸想定地点より相当に遠いはずだ。
「果たしてそうでしょうか? 資料によれば仮称Ⅰ型は砲撃を行うとのことでした。問題なのはこの区間にその砲弾が着弾することです」
「……つまり、流れ弾の話をしていると?」
要領を得ないといった様子で橘が聞く。
「ええそうです」
「待ってください、現在の我が軍の装備では高速で弾道飛翔する砲弾を防ぐことは出来ません。そもそも、沖縄では仮称Ⅰ型による対地攻撃は確認されていません」
「ともかくです、ここが一番重要なのです。東海道線が不通となれば最悪の場合相模湾沿岸部全ての交通に混乱をきたします。もちろん、軍の補給にも影響が出るでしょう」
石川は一歩も引く気配がない。それは橘も同様だ。
「石川係長のご意見は陸軍の継戦能力としての補給という意味なのでしょうが、そもそも神奈川県に即時展開できるのは座間の中央即応軍だけです。相模沿岸全てを守るだけの兵力はありませんので、基本的には遅滞戦術による撤退戦を主軸とします。事前に物資を用意することが出来ますので、補給面に関しては問題ないかと。また遅滞戦術ですので、いずれ東海道線は使えなくなります」
「ちょっと待ってください、じゃあ茅ヶ崎都市圏、小田原都市圏の防衛はどうなるんです? 東海道線は神奈川を繋ぐ重要な路線です。失えば神奈川県の交通が麻痺しかねません」
神奈川県民を見捨てるつもりですか。そう噛みつく石川。橘中尉は「いや、そういう意味ではなくてですね」と手を振りながら答える。
「もちろん茅ヶ崎都市圏にも部隊は展開します。ですが中央即応軍の戦力は民間人を防護するものであって、鉄道線を保護するものではありません。東海道線の全線防護は不可能かと」
「いえ、違うんです。鉄道が混乱することによってその民間人が避難すら出来なくなるんです」
石川はそう強く主張した。
「これは南関東全域に言えることですが、自動車道路が貧弱すぎます。よって住民が自主避難を始めれば直ちに道路交通網は麻痺します。運輸省は、鉄道線による迅速な避難こそが唯一の避難手段と確信します」
「――――とは言うが、実際どうなんだ?」
「さあ、そう言われましても」
飯田の問いに、曖昧に答えるのは小河原だ。準備室より引き続き飯田の指揮下に残っている彼と飯田は、現在小休憩中である。懐中時計を取り出してみれば既に十一時を回っている。そろそろ昼食時だ。
さて他の室員は煙草だろうか、赤絨毯のひかれる省の廊下には飯田と小河原の他に誰もいない。先ほどまでの会議を思い返し、どうしても引っかかるところがあった。それを小河原へと聞いてみる。
「……正直、私は鉄道がよく分からん。石川係長はああ言うが、鉄道はそこまですごいのか。自動車は使わなくていいのか?」
彼に言わせれば半日もあれば沿岸部の住民を避難させることが出来るそうだが、ベッドタウン化が進み多くの人口を抱える神奈川県南部からそう簡単に避難が出来るとは思えなかったのである。加えて言えば、東海道線は避難に使えない。
「まあ、鉄道への思い入れが強いんでしょう。道路は運輸省というよりか陸軍省と建設庁でやってきましたからねぇ……正直、こんなところで論争が始まるとは思いませんでしたが」
小河原はため息交じりにそう言う。飯田も頷くことで肯定。石川がおおっぴらに論点をずらしているのは明らかだ。
「彼は何が不満なのかね、私としては、もう少し建設的な話し合いを期待しているのだが。なんとかならないか?」
小河原は躊躇うように目線を泳がせる。周囲の目を気にするようなその仕草。廊下に目立った人影はない。
「……中佐、自分は石川係長“殿”が運輸省の答えだと思うのですが」
「こちらで好きなようにやらせてもらう、か?」
「なんせつい最近まで貨客船破壊は
それに。小河原は一間置いてから付け加える。
「海軍と運輸の不仲は
皆まで言われなくとも分かっている。運輸省と海軍は、対米戦争以来の不仲を未だに引きずり続けているのだ。
「まあ、だからって鉄道万能論を持ち出されても困るんですがねぇ……」
ぼやくように小河原。ポケットよりICカードを取り出し自動販売機に当てる。音を立ててペットボトルが転がり落ちてくる。
運輸省の石川はとかく交通の便、一時間に何人の民間人を輸送できるかばかり考えるが、現実の街には多くの要介護者が住んでいる訳で、単に鉄道があれば解決する問題ではない。かといって道路があれば解決するわけでもなく、そもそも交通インフラの話に拘るのがおかしいというもの。
「内務省の野原さんも言っていましたけど、避難が完了したことが確認されないと軍が発砲できないという事情は鉄道なんかじゃ解決できないですよね。要介護者とかは列車じゃ逃がせない訳ですし」
「問題は、限りある輸送手段をいかに適当に振り分けるか。そして避難完了を確実に確認する方法か……まあ、避難の際は
運輸
「別に運輸が非協力的なだけかと思いますが……まあ地方自治体の協力は不可欠ですよね」
避難に話を絞るのであれば、なにより重要なのは地方自治体の活動、要は「地元のヒト」だ。避難は
「自警・消防団レベルで綿密な避難計画が立てられれば、だいぶ変わるのだがなあ」
「自分もそう思います。民間防衛なくして乙経路を防ぐことは不可能です」
小河原も頷く。実際、沖縄に設置されていた自警団は、戦闘はともかく避難誘導には大変役に立った。
しかし忘れてはならないのは、沖縄では
「さて、どうしたものかな」
飯田が呟く。小河原は答えがなかったようで、ペットボトルのお茶を口に含むのみ。
「いずれにせよ人員が足りない。99年の東西宥和以来、陸軍も海軍も常に近代縮小化を目指してきたからなぁ、ここでいきなり増員に持っていくのは難しいだろうが……」
結局のところ、出来るものなら避難誘導まで全て官主導でやれればそれでいいのだ。結局のところ民間人まで駆り出されるのは人手が足りないからだ。人口当たり予備役員数が平均より多い沖縄でも人手が足りない――それ以上に機材も足りなかったが――のだから、人員不足は深刻である。
小河原は少し考えてからやがて口を開いた。
「中佐、過去の制度を復活させるのは如何でしょう?」
その意味を即座に理解できず、飯田はとりあえず聞き返すことにする。
「というと?」
「隣組とか、戦時体制ほど厳しくなくとも冷戦黎明期まで逆戻りさせればいいんですよ」
あっけらかんと言ってみせる小河原。まったくとんでもない暴論だ。そもそも隣組が瓦解したのは世帯構成が変化したからだ。もちろん復活なんて無理に決まっている。
飯田が顔をしかめたのは小河原にも見えただろう。彼は慌てるでもなく淡々と続ける。
「それが現実可能かは置いておいて、乙経路の犠牲者を減らすためにはそういうレベルでの民間防衛が必要かと」
「まるで総力戦だな」
「未だに冷戦時代ってことじゃないですか? 実際、沖縄でもそういう状況だったと聞きます。軍民運命共同体です」
未だに冷戦。その通りだ。東西宥和から間もなく四半世紀。しかし核戦争のリスクは消え去っていないし、核の均衡は未だに有効だ。陸軍が平時の部隊単位として
しかし世論は素直だ。実際核戦争のリスクは幾分どころか相当に減った。イデオロギーの戦いだなどと言っても世論はタダでは軍事予算を許さない。世論がそうなら社会も同じ。国民は総力戦といった全体主義からは程遠い場所を目指しているのだ。
「厳しいな」
たった一言。だが改めて呟いてみると、なるほど余計に実感が湧くというものだ。我が国がいかに重大な国防問題に直面しているかがよく分かる。
組織、法律、世論。どの側面から見ても今の日本は『やつら』に対抗できない。出来ないからこそ沖縄が落ちたのだ。
似たような思考を頭の中で何度もしていると、小河原は少しかしこまった様子で切り出してきた。
「中佐、失礼ですが……」
飯田は無言で続きを促す。
「この会議に意味はありますかね?」
「意味があるかないかではなく、意味は見出さねばならない。違うか?」
「いや、確かにその通りではありますが……自分にはどうにも、時間の無駄以外の何物でもないように感じられるのです。自分で言っておきながらアレですが、隣組なんて軍が作るものじゃないですし」
その通りである。そもそも軍とは戦う存在ではなかったか。避難計画など内務省が担当すればいい話である。
「とはいえ、琉球諸島事変が攻撃と解釈されている以上は『やつら』への対処は軍の管轄であるし、そうでなくともこれが各省庁の手に余る問題であることには変わりがない」
「ええそうでしょうとも。中佐のおっしゃる通りです」
この件は間違いなく軍主導の対策となるだろう、いやそうでなければならない。だからこそ小河原が抱いているであろう違和感が正確に
「大迫閣下は、どうも焦っているらしい」
大迫海軍幕僚長が対策の中核をこの「沖縄県駆逐艦沈没事故調査室」を発展させた組織に託したいと考えているのは間違いない。だがやろうとしているのは海軍の一組織が軍の枠組みすら超えた発言権を得るという非常に不健康な状況。まあ必要ならそれを成すことは厭わないが、反発を招くのは明白なのだからもっとゆっくりやるべきだろう。
だから飯田は確信を持って言えるのだ。彼は焦っていると。
「……何に対してでしょうか?」
それは分からない。
「さあな、だが閣下は「室」を発足させることをここまで急いでいた。今はまだ情報が足りない状況だ。必要なのは室ではなく、情報だろうに」
今日の会議だって仮定の数字が多すぎる。「仮定」などでは軍は動けない。「仮定」は楽観を産み、そして勇敢な軍人たちの首を絞めるのだ。
「室を作ること、ですか……まぁ、自分としては情報求めてあちこち飛び回るよりか東京に落ち着くほうが嬉しいのですけれども」
「お前なぁ……」
そこまで言いかけて、飯田は口を噤む。廊下の向こうに人影が見えたからだ。遅れて気づいた小河原もそれとなく身構える。
「――――失礼、飯田室長」
清潔な紺のスーツに身を包んだ石川は、会議の時よりか幾分柔らかい口調だ。
「石川係長、なにかね」
「いえ、少々室長に見ていただきたいものがありまして」
石川はいつの間にか小脇に抱えていた資料を手渡す。紐で留められたその資料、数十ページはあるだろうか。
「これは?」
「運輸省の方で既にまとめられているものです。まだ草案ですので……お渡しすることは出来ませんが」
ならなぜ見せたと言いたいところだが、まあ目を通してゆく。どこにでもありそうなタイトルに飾られたその文書は、捲れば簡易な地図や数字が添えられており――――。
「なんだこれは」
石川は勝ち誇った様子もなく、だがどことなく雰囲気で笑ってみせる。
「避難計画です」
「……」
なぜ。などと分かり切ったことは聞くまい。彼は海軍幕僚部がオブザーバーとして呼集しただけであり、その呼びかけに応じてくれたに過ぎない。そもそも『やつら』への対処を望み、さらに主導権獲得を目論むのであれば計画を率先して立てるのは当然。飯田も全く同じことをしようとしているのだから、文句が言えることではない。
「ところで、自動車を使うのか。先ほどはそんなこと口にすらしていなかったと記憶しているが」
精々反撃するならこのくらいであろう。会議では横須賀自動車道なんて話にも出てこなかった。
「道路も飽和しますが、完全避難を目指す以上鉄道もいずれは飽和します。横須賀線は決して強力な路線ではありませんので」
「なら会議でもそう言ってくれ。海軍幕僚部として、運輸省に誠実な態度を求めたい」
「では運輸省としては先ほど仰っていた「海上における遅滞戦闘」とやらにどの程度の戦力を投入するかを教えていただきたいものです」
飯田と石川の間で、静かに言葉が交わされていく。
「相模湾防衛と浦賀水道封鎖は最重要事項である。可能な限り投入するとしか今は答えられない」
それを言った途端、石川の声が冷えた。
「
「国民防護重視だ。そして石川係長、南西諸島の海上交通事情は把握しているつもりだが、今回の議論は襲撃への対処であって航路の防護ではない。それに関しては後日検討する」
目の前の男が話を逸らそうとしているのは明らかである。彼が言いたいのは沿岸防衛に多大な戦力を割くことによって海軍の本来の存在意義である制海権の確保――即ち、シーレーン防衛――が疎かになるということなのだろうが、物資が潤沢にあったところで国民がいなければ意味がない。
だが、そのどちらが重要かを決めるのは飯田ではない。ましてや石川でもない。
「なるほど、出過ぎた真似でした」
石川はあっさり引き下がった。
「中佐……あれって」
バレてますよね? 部屋へと戻っていく石川の背を見ながら、小河原はぼそりと言う。
「何をいまさら、それは前提だろう」
この「沖縄県駆逐艦沈没事故調査室」が意図的に海上での戦闘想定を避けていること。それは当たり前の話だ。なんせ勝てるわけがないのだから。だからこそ室は陸上戦を論じようとするのである。
「石川氏もあんな宣戦布告まがいの言い方をしなくともいいでしょうに……」
困惑気味の小河原。縄張り争いは非常に大事だが、そもそも省庁というのは分業制故に複数存在するのだ。お互いなくてはやっていけないはずなのに。
「……どうも、ことを急いているのは大迫閣下だけではないらしいな」