「……ショッキラス?」
聞き返すミヤガワに、マキ博士は画面の黒い塊を指しながら「ええ」と頷いた。
「学名、
「ゴジラに寄生するんですか?」
「ええ、そうです」
沖合に投錨した輸送艦。その作戦会議室に集まったのは指揮官のトガシ、副長のミヤガワ、そしてモナークから同行している怪獣博士のマキ博士である。机上のモニターには、日没前に観測ドローンが捉えた『黒いフナムシに覆い尽くされた大黒島の浜辺と、その中央に立ち尽くす機龍』が映し出されている。
マキ博士は画面の黒い虫を指しながら説明を始めた。
「本来のショッキラスはより大型の海洋性怪獣に寄生し、体液や排泄物を吸ったり、あるいは宿主が狩りで倒した怪獣の死骸を食べて生きています。浜に上がっていたマンダの死骸は間違いなくショッキラスの仕業でしょうし、機龍に群がったのも本物のゴジラと誤認したのかもしれません」
「なるほど、フナムシか……」
死骸を食べるフナムシの性質は、スカベンジャーという最初の見立てとも一致する。怪獣に寄生し、怪獣同士の戦いに便乗してお溢れを狙う。怪獣の世界ならではの共生の形だろう。
しかし、とミヤガワは言った。
「フナムシがあんな群れを成すんですか。それも上陸して人を襲うなんて」
「小型の怪獣が群れること自体は珍しいことではありません」
マキ博士が答える。
「群れが一体となって行動する超個体としての性質は、カマキラスやメガニューラなどの小型怪獣でも知られていますし、中には生体電磁波でコミュニケーションしたり獲物を探したりするための器官が発達している種も確認されています。あるいはショッキラスも同じように、生体電磁波を感じ取る器官を持っているのかもしれません。自分たちより大きな敵と戦うために身に着けた、むしろ合理的な戦術とも言えるでしょう。しかし……」
しかし、とマキ博士は続ける。
「あれほど大規模な群れは見たことがない。マンダ一頭を食べた程度では到底足りない規模です。おそらくあのショッキラスたちは宿主から離れたために飢餓状態の高ストレスな環境にあって、死肉だけではなく生きた獲物にも手を出すようになったんじゃあないかと」
「それが襲撃の理由か……」
宿主から離れて飢えたショッキラスたちが他の怪獣を襲い、さらに地上に進出して、より弱くて狙いやすい人間を襲うようになった。筋は通っている。
しかし、解せないところもある。ミヤガワが訊ねた。
「そもそも本来ゴジラに寄生しているものがなぜ離れて動いているんですか。それに、あんな規模の群れの寄生虫がゴジラと一緒にいるなんて聞いたことがない」
「そう、それなんですよ、問題は」
マキ博士は深刻な面持ちで答えた。
「あのショッキラスたちは宿主から離れて勝手に行動しているばかりか、群れの規模まで大きくなっている。おそらく近海に生息している他の群れが集まって合流してきているのでしょう。ハチなどは敵に攻撃されたとき警戒フェロモンを出して仲間を呼び集めますが、あのショッキラスたちにも同じことが起こっている可能性がある」
「では、今後もあの群れの規模が大きくなってゆくと?」
「……。」
否定の言葉は、返ってこなかった。
マキ博士はさらに言った。
「今はまだこの近海に留まっているようですが、このまま増え続ければこの島の収容能力に収まりきらなくなるでしょう。そうなれば、“より多くの餌がいる場所”を目指して移動し始める可能性もある」
より多くの餌がいる場所。その言葉で、一同は一つの結論に行き着く。
トガシがそれを口にする。
「……本土上陸か」
島一つを壊滅させるほど凶暴で、Gフォースでさえ手に負えない規模の人食いフナムシの大群が、本土に上陸して人を襲う。考えられる限りで最悪の未来像だ。
マキ博士は答えた。
「……可能性は、否定できないと思います」
そこでミヤガワが「しかし、」と海図を指でなぞりながら口を挟む。
「大黒島から本土まで、最短でも100キロはある。奴らは外洋を渡れるんですか」
「渡れます。思い出してください、ミヤガワ少佐。ショッキラスたちがどうやってこの島に来たのかを」
そう断言するマキ博士の言葉に、ミヤガワの指が止まった。
「マンダです。マンダの体内に入り込み、生きたまま食いながら、ここまで運ばれてきた。つまりショッキラスたちは、自力で泳ぐ必要はない。クジラでも、回遊魚の群れでも、漂う死骸でも、あるいは本土に向かう漁船や輸送船でもいい。大型の生き物や船舶に取り憑いて、本土の近くまで移動することができる」
そう言ってマキ博士は、海図の青い部分を手のひらでさらった。
「そして、一匹でも辿り着けば仲間を呼び寄せることができる。この海の全部が、奴らの輸送路になり得るんです」
マキ博士が指し示す海図の上では、大黒島と伊豆半島の間は開いた指二本分ほどの距離しかない。トガシもミヤガワも、もはや何も言えなかった。
それにもうひとつ気になることがあります、とマキ博士は付け加える。
「宿主から離れていることもそうですが、ショッキラスたちがこの大黒島から離れない理由も不明です。島民を食い尽くしたのは見たとおり、もはやこの島には餌がない」
……たしかに、とミヤガワも思った。
マキ博士の推測通りショッキラスたちが飢餓状態で凶暴化しているなら、こんなろくな餌もない小さな島に留まり続ける理由はない。むしろ新しい獲物を探しにゆくべきだろう。
にも関わらず。
「ショッキラスはこの近海に留まり、大黒島に繰り返し上陸しています。ひょっとすると、ショッキラスにはこの辺りから離れられない理由があるのかもしれない。もしくはこの島にショッキラスを誘き寄せる何かがあるのかも……」
「誘き寄せる何か? 例えば?」
「それはわかりません」
わからないことについてはわからないと誠実に首を振りつつも、マキ博士は断固たる口調で言った。
「しかし、今回のショッキラスの行動は明らかに異常です。どんな生き物でも、その行動には何かしらの必然があります。単に駆逐するだけでは同じことが繰り返されるだけ、根本の原因を対処するべきです」
マキ博士の説明が終わったところで、トガシは言った。
「……ミヤガワ、通信の状態はどうなっている?」
トガシから問われ、ミヤガワは部下から上がっている報告を共有する。
「例の通信障害は島内に限られているようです。こうして沖から様子を見ている分には影響はありませんが、島内にはドローンも介入できません。島のどこかから、なんらかの妨害電波が発生しているものと見られます」
「機龍の状態は?」
「妨害電波の影響で機龍本体の自己点検システムにアクセスできないため遠隔からの目視確認に限られますが、整備班からは『周りに集られているだけで目立った故障は見受けられない』とのことです。ただ、関節部や排熱口に入り込んでいるのも確認されています。齧られたりすれば再起動の際に駆動系へ影響が出る恐れが……」
「ああ、食べられる心配なら大丈夫だと思いますよ」
と、ここでマキ博士が口を挟んだ。
「ショッキラスの餌は死骸の有機物、たとえば肉や脂肪、軟組織です。骨や金属などの無機物は食べられません。メカゴジラ機龍はたしかにゴジラの骨を使っていますが、外装は金属や無機的な部品で覆われていますし、ゴジラに似ているから集りはするものの、単に群がるだけで何もできないでしょう」
「……そうか」
トガシは補足を受け止め、しばし熟考してから口を開いた。
「どう思う、ミヤガワ」
トガシの問いに、ミヤガワは逡巡した後に口を開く。
「……自分なら、このまま沖合で待機し状況を注視します」
「理由は?」
ミヤガワは粛々と答える。
「島の南側に向かったヤシロとハヤマの安否が確認できていませんし、最後の連絡で二人が見つけたという『生存者』のことも気になります。まだ生存者を残したまま我々だけ逃げ帰るわけにはいかんでしょう」
「……そうだな」
ミヤガワの答えを聞き届けて、トガシは言った。
「総員に伝えろ。Gフォースはこのまま別命があるまで沖で待機、状況を注視するとな」
「島の監視は?」
「交代で続けろ。状況が少しでも変わったらすぐに動けるようにしておけ。あとハヤマたちへ通信で呼びかけを続けろ、通信が回復すれば返信があるかもしれない」
「……了解しました」
両手を挙げて出てきた男は震えながら俺たちを見て、その目が俺たちの装備の上で止まった。
「……Gフォース」
男の顔が、くしゃりと歪んだ。
「Gフォースだ……軍隊だ、ほ、本物の……ああ……!」
次の瞬間、男はつんのめるように駆け寄ってきた。ヤシロが咄嗟に半身を引き、俺が間に出る。男はそのまま俺の装具に縋りついた。
「助けに来てくれたんだな、そうだろう!? ああ、よかった、よかった……もう駄目かと、ずっと、ずっと……!」
大の大人が、子供みたいにぼろぼろ泣いていた。膝が落ちかけて、縋りついた腕一本でかろうじて立っている。引き剥がすのも憚られて、俺はされるがままになった。
歳の頃は四十くらい? 無精髭によれたシャツ、ずり落ちた眼鏡。同じ学者でも、マキ博士とはずいぶん毛色が違う。あっちは野戦服の似合う日に焼けたアウトドア派で、こっちはいかにもインドア派って感じだ。俺の装備を握りしめる手も、首筋も、研究室の灯りの下でしか生きてこなかったような白さだった。
「落ち着け、あんた、名前は?」
「エ……エドウィン。エドウィン=ベニだ。デナム大で、海洋生物物理学を研究してる……」
しゃくり上げながら、男はポケットを引っ掻き回し、大学のIDカードを差し出してきた。エドウィン=ベニ、そう書かれたカードは薄汚れてはいたが、たしかに本物のようだ。
今度はヤシロが名乗った。
「わたしはGフォース機龍隊のヤシロ=ハルカです。こちらは同じく機龍隊のハヤマ」
「どうも」
「ヤシロ……」
ヤシロの紹介にエドウィンは何かに引っ掛かった様子でしばらく考えていたが、やがて思い当たって声を上げた。
「ヤシロ、ヤシロ=ハルカ! あの『オペレーション=エターナルライトの
オペレーション=エターナルライトの
そんなヤシロの微妙な反応に気づかないまま、エドウィンは目を輝かせながらまくし立てる。
「ファンだったんです! ヨーロッパ奪還に向けた人類の反攻作戦、オペレーション=エターナルライト! それにおける勝利の象徴、ヴァルキリー! 本物の英雄、ああ、本物だ、こんなところで会えるなんて! テレビで、何度も見たんだ! ぼくはずっと、あなたの……」
「人違いではありませんか?」
堪え切れなくなった様子で、ヤシロが遮った。
ヤシロの声は平坦で表情も動いてないが、俺は知っている。これは、ヤシロが心底うんざりしているときの顔だ。
「いや、でもGフォースのヤシロ=ハルカって言ったら……」
「人違いでしょう」
二度目は、取りつく島もなかった。
ヤシロの冷淡な反応でエドウィンは気圧されたように口をつぐみ、「そ、そうか……失礼、興奮してしまって」と、ばつが悪そうに視線を泳がせた。
『オペレーション=エターナルライトの
最初に誰が言い出したのかは知らんが、『怪獣黙示録』が一番激しかった頃に展開されたGフォースの欧州奪還作戦、オペレーション=エターナルライトに参加していたことが由来らしい。
怪獣との戦いを生き延びたヤシロを世間は祭り上げ、Gフォースも巷の戦意高揚のために最大限利用した。曰く、怪獣と戦う
……どうにも、面白くねえ話ではある。まぁ要するにただの広告塔だし、ヤシロ本人にあまり鼻に掛けた様子がないのは当人も思うところがあるのだろうが、そのことが却って癪に障るんだよな。
そんなことはさておき、ヤシロがエドウィンに水筒を差し出し、保護対象へのプロトコルどおりに訊ねた。
「怪我はありませんか? 体調は?」
水筒に口をつけながらエドウィンは答える。
「だ、大丈夫だ……お腹は空いてるけど、水と食料はここにあったから」
「他の生存者を見ませんでしたか? あなたの他には?」
「……いや。見ていない。ぼくが知る限りは、誰も」
エドウィンは首を振り、それから堰を切ったように喋り始めた。
「ぼくは二週間ほど前に島に来たんだ。伊豆諸島の固有種の調査でね、フィールドワークだ。港の近くの民宿に世話になってた。あの夜は山にいた。夜行性の生き物の採集で、夜は大抵山に入ってたから……翌朝、村に降りようとしたら、ショッキラスの群れが……」
「ショッキラス? あのフナムシの化け物のことを何か知ってるんですか?」
ヤシロの問いに、エドウィンは「ああ」と頷いた。
「あれはショッキラスだ。フナムシの変種だよ。本来はもっと深い海にいるはずなんだけど、上陸して人を襲うところを見たんだ」
「……詳しいんですね」
「これでも生物学が専門だからね。こんな形で役に立つとは、思わなかったけど」
声が湿り、眼鏡の奥の目が伏せられる。
「……怖くて、降りられなかった。ずっと山に隠れて、それからこの神社に移ったんだ。社務所に備蓄があったし、丘の上までは奴らもめったに登ってこないと分かったから。情けない話だがね。ぼくは、隠れていることしか……」
誰もそこまで訊いていないんだが。
……まあ、無理もないかとは思う。化け物だらけの島に閉じ込められたんだ。やっと頼れる人間に会えて、限界が来ちまったんだろう。
力なく笑ってから、エドウィンはまた俺の腕を掴んだ。今度は両手で。
「なあ、それで、救助は? 本隊はどこにいる、船は!? いつここを出られる??」
「おい、落ち着けって……」
「本隊は沖にいます」
ヤシロが答えると、エドウィンの顔がぱっと輝いた。
「沖に!? じゃ、じゃあ呼んでくれ、無線で! 今すぐ……」
「それが、無線が使えないんです。全帯域、不通で」
「……は?」
一瞬輝いた顔が、見る間に色を失っていった。
「そんな……いや、そうか、君たちの無線でも駄目なのか……」
エドウィンは俺の腕を掴んだまま、ずるずるとその場にへたり込んだ。天国から地獄、を絵に描いたような落差だった。
「じゃあ、じゃあ、ここからいったいどうやって出れば……?」
「通信が回復すれば状況は動きます。本隊は沖で待機しています。見捨てられたわけじゃありません」
ヤシロの冷静な答えにエドウィンは深呼吸を繰り返し、無理やり笑顔を作った。
「そ、そうか……すまない、取り乱した。心強いよ、本当に」
と、その視線が、俺の後ろで止まった。エドウィンが見ている先には、俺たちが保護したアキラがいる。
「おや、君は……島の子だね。よく無事で」
笑いかけた途端、俺の袖を握る小さな手に、ぎゅっと力がこもった。
アキラは俺の背中に半分隠れたまま、動かなかった。エドウィンからの挨拶にも、笑顔にも、何ひとつ返さない。ただじっと、エドウィンを見ている。
「はは……人見知りか。無理もないさ、こんな目に遭ったんだ。ぼくも怖いよ」
日が完全に落ちる前に、エドウィンは社務所の中を見せてくれた。
埃を被った棚に、乾麺と缶詰がいくらか。祭事用らしい蝋燭の束。裏手の天水桶には、雨水が半分ほど溜まっている。四人で切り詰めれば、数日は保つだろう。
食料を調べたあと、ヤシロがエドウィンに言った。
「荷物を調べましょう。何か役に立つものがあるかもしれない。ご協力いただけますか?」
「あ、ああ、わかった……」
まずは俺たち自身の装備からだ。
小銃が二挺と、予備の弾倉。拳銃。ナイフ。応急処置のキット。携行食が少々。あとは、とうに死んでいる無線機。
「火力だけ見りゃ、過剰なくらいだな」
「相手が怪獣じゃなきゃね」
ヤシロは弾倉の数を数えながら、こともなげに言った。
「あの大群には、焼け石に水でしょうね。一匹二匹を追い払うのが関の山。強行突破も無理でしょう」
「……だろうな」
つまるところ、今の俺たちにできるのは、ここに籠もって救援を待つことくらいだ。わかりきった結論だったが、改めて見ると落ち込まないでもない。
まぁ落ち込んでる場合でもないので、次に取り掛かる。
「先生の方は?」
「ぼくのは、研究の道具ばかりだよ」
エドウィンが広げたのは、いかにも学者然とした荷物だった。
採集用らしい小瓶がいくつも。ピンセット。ルーペ。防水のノート。汚れた野帳。注射器。標本用の小さなケース。
「ごらんのとおり、研究の道具ばかりさ。こんなので怪獣となんか立ち向かえるわけがない」
そう苦笑するエドウィンに、なるほど嘘はなさそうだと思う。フィールドワークだのなんだのという話とも、辻褄は合う。
その中でヤシロが指したのは小瓶だった。
「……これは?」
瓶の中には透明な液体が入っており、ラベルから見て何らかの薬品だと窺えた。それも一本や二本じゃなく、布にくるまれて何本かあった。
「ああ、それは」
エドウィンは、慌てる様子もなく答えた。
「麻酔だよ。標本採集用のね。夜行性の小動物を捕まえるとき、暴れられると傷つけてしまうから、軽く眠らせて、それから……まあ、標本にするわけだ。ぼくの仕事じゃあそんな珍しい道具でもないよ」
「……なるほど」
ヤシロは瓶を一本つまみ上げ、ラベルの薄れた表示をしばらく眺めていたが、やがて納得した様子で戻した。
「最後はおまえだ。見せてみろ」
「…………。」
俺が促すと、アキラは少しためらってから胸に抱いたそれをちらと見せた。
アキラの荷物は小さなトートバッグで、中身は一冊のスケッチブックと文房具、芯の減った鉛筆が数本。武器の類でないことはひと目で分かる。子供の宝物だ。
……まあ、危ないもんでもなし、むしろ子供の暇つぶしにはちょうどいいだろう。
「大事なもんならしまっておけ」
「…………。」
俺の言葉で、アキラはほっとしたようにそれをまた胸に抱え込んだ。
ひととおりの荷物検査を終え、ヤシロが肩をすくめて結論づけた。
「脱出の役に立ちそうなものはなさそうね」
「……そうだな。沖が動くのを待つしかないか」
心許ない結論だったが、口に出したところで何も変わりはしない。
そんな現状に耐えかねたのか、やがてエドウィンが口を開いた。
「み、水を汲んでくるよ。これでも毎日の水汲みで、慣れてるんだ……」
「ああ、頼んだ」
エドウィンが空のペットボトルを抱えて、裏手へ出てゆく。
アキラが動いたのは、その後だった。
「…………。」
戸口の外にエドウィンの背中が消えるのをじっと見届けてから、アキラはするりと俺たちの横を抜けて、拝殿の奥へ入っていった。迷いのない足取りで隅へ向かい、床板の一枚を慣れた手つきで持ち上げる。その下の暗がりから、古びた毛布と、紐で縛った干物の束を引っ張り出してきた。
アキラは束を解くと、一番大きな干物を選んで、俺に突き出してきた。
「おい……いいのか? おまえの飯だろ」
こくり、と頷く。それからヤシロにも一枚。自分は一番小さいのを取って、隅に座って齧り始めた。
……手慣れていた。床板の位置も、毛布の畳み方も、食い物の仕切り方も。こいつは襲撃のあとずっと、ここで寝起きしていたんだろうか。
違和感が脳裏をよぎる。
エドウィンは「誰も見ていない」と言っていた。嘘をついている様子はない。
他方、アキラもこの境内に泊まっている様子だし、さっき「他に生存者がいる」と言っていたがそれはきっとエドウィンのことだろう。
ならなんで、エドウィンはアキラのことを知らないんだ?
夜、エドウィンがトイレで外しているあいだ、夜営の支度をしながら俺はヤシロに訊いた。
「どう見る、あの先生」
「……民間人でしょ。保護対象。今のところは」
ヤシロは蝋燭の本数を数えながら、こともなげに答えた。
「ああいう臆病な人はね、一番安全な場所から動かないの。そして今この島で一番安全な場所は、武装したわたしたちの隣。だから大丈夫でしょ、わたしたちと一緒にいる限りは」
「……ずいぶんな言われようだな、あの先生も。おまえのファンだろ」
「その話はやめて。それに事実を言っただけよ」
ヤシロはしれっと答えるのだった。
「夜番にも数えてない。任せたところで、物音ひとつで悲鳴でも上げられたら全滅だもの」
「……たしかにな」
手厳しいが、反論の余地もなかった。あの泣きっぷりを見た後ではな。
それに、Gフォースの俺たちが怪獣絡みの状況で救護対象の民間人を当てにするのもどうかと思うし。
「……なあ」
「なに」
「いや……」
言いかけて、やめた。何が引っ掛かっているのか、自分でも分からなかったからだ。聞かれてもいないことまでよく回る舌か。俺の袖を握ったアキラの手の強張りか。それとも、ただの好き嫌いか。
そんな俺の内心の葛藤を察したのか、ヤシロは俺に言った。
「あの先生、気になる?」
「……ああ。なんとなくだが」
「あら」
ヤシロは手を止めずに、口の端だけで笑った。
「あんたは大体、誰でも気に食わないでしょう。わたしのことも」
すかさず反論した。
「訂正しろ。俺は誰でも気に食わんわけじゃない。気に食わん奴が、たまたま多いだけだ」
「その筆頭がわたしってわけ。光栄ね」
「自分で言うな」
「あんたが毎回突っかかるんでしょ」
声を荒げたいところだが、そうもいかない。大声を出せばショッキラスが聞きつけてくる可能性がある。
だから俺たちの口論は、自然と押し殺した早口の小突き合いになる。怒鳴れない小声の喧嘩ほど、間の抜けたものはない。
ひそひそと、しかし執拗にやり合っていると、ふと視線を感じた。見れば、隅で寝る準備をしていたアキラが、こちらをじっと見ている。
「……なんだ。なにか言いたいことでもあるのか?」
俺の問いかけにアキラはしばらく考えてから、おもむろに床板の埃へ指を這わせこう書いた。
“なかよし”
……なかよし? 誰と、誰が。
俺とヤシロが顔を見合わせていると、アキラは俺とヤシロの顔を交互に見ていた。どうやら俺たちのことを言っているらしい。
心外すぎる評価だ。俺は反論した。
「……あのなぁ、俺たちがそういうふうに見えるのか?」
内心で青筋を立てつつ、怖がらせないように堪えながら詰めるのだが、アキラは何の曇りもない目つきでこくりと頷くのだった。
俺が頭を掻きながら次の言葉を続けようとしたとき、横からヤシロが言った。
「あのね。このお兄さんとそういうことは一ッッッ切ないし、絶ッッッ対に有り得ないから、くれぐれも勘違いしないでね」
アキラにそう語りかけるヤシロの口調は不自然なほどに柔らかかったが、『一切』と『絶対』にやたら力が籠もっているし、なにより有無を言わさぬ気迫があった。そんなに嫌なのか。まあこっちも嫌だが。
その剣幕にアキラは目をぱちくりさせ、それからほんのわずかに口の端を緩めた。
「……w」
笑った、のか。声を失ったこいつが、島に来てから初めて見せた表情だった。
……まったく。こんなガキに良いようにからかわれてしまった。でもその小さな表情の変化に、なんだか毒気を抜かれてしまったのも事実だ。
ヤシロも同じ気分になったらしい。ふっと息を抜いてから、いつもの調子に戻って立ち上がった。
「……とにかく。夜番はわたしとあんたの二交代。子供と先生は寝かせる。文句は?」
「ない」
「よろしい」
ルールを決めたところで、今度は俺が立った。
「今夜は俺が先に見張りに立つ。起こしてやるからヤシロは先に寝てろ」
「わかった。じゃあ先に休ませてもらうね。おやすみ」
「ああ」
銃を提げて、俺は半ば外れた拝殿の戸口に腰を下ろした。
戸口の向こうには日が暮れて、夜の大黒島が広がっている。
麓の村は墨を流したようで、遠くで雨音に似たショッキラスどものざわめきが今も絶えず蠢いている。沖の方には、撤退した輸送艦のものらしい灯りが頼りなくぽつりと浮かんでいる。
「なかよし、か……」
アキラに書かれた間抜けな単語を思い出して、俺は小さく鼻を鳴らした。
こんな事態でも、笑えることはあるらしい。
「……やるか」
それきり、俺は黙って夜の闇に目を凝らした。
ショッキラスの学名はタイタヌスじゃないんだけど、それは彼らがタイタンではないためです。