「おい、交代の時間だ」
「ん……」
眠っていたところを俺から蹴り起こされ、ヤシロは目元を擦りながら起き上がった。
……なんだ、その不服そうな顔は。自分で決めたルールだろ。そのことを指摘すると、
「いきなり叩き起こすとか、あんたってつくづく気の利かない男ね……レディの起こし方も知らないの?」
「レディってガラかよ」
俺は鼻で笑いながら答えた。
「レディ扱いしてもらいたいなら日頃から相応の振る舞いをしろよ、ハネッカエリの叛逆児が。王子様から目覚めのキスでもしてもらいたかったのか?」
「ったく……」
不機嫌そうに舌打ちしたあと、ヤシロは訊ねた。
「それで? ショッキラスはどうなってる?」
「相変わらずだな。引っ込む気配もないどころか、むしろ増えてるきらいすらあらぁね」
そう肩をすくめながら双眼鏡を手渡すと、ヤシロはその双眼鏡で辺りを見た。その視線の先には、島の周りで黒い渦のように蠢くショッキラスの大群が見えているはずだ。
それを確認したあと、ヤシロは溜息をついた。
「なるほど……待てば引く、なんてことはなさそうね。長期戦になればなるほど不利か」
俺はヤシロの隣に腰を下ろして、声を潜めたまま続けた。
「水は裏の天水桶であと数日。干物と缶詰も、四人で食ってりゃ長くは保たん。それに……」
ちらと、社務所の方を顎で示す。寝ているエドウィンと、その手前で毛布にくるまったアキラ。
「食わせる口が二つ増えてる。割り算くらい、おまえでもできるだろ」
「そうね。で、無線は?」
「変わらず全滅だ。念のためさっき全帯域舐めてみたが、ノイズしか返ってこなかった」
「そう……」
ヤシロは双眼鏡を目から離さないまま、小さく息を吐いた。
通信が使えなくなる前にアキラのことは報告していたから、島にまだ生存者がいること自体は本隊側も把握しているはずだった。
しかし、向こうがどう考えているのかわからない。迎えに来る算段を立てているのか、それとも未帰還の二名はとっくに戦死者として処理されているのか、この島からはそれを確かめる術すらない。
「本隊は、動かないでしょうね」
まるで俺の頭の中を読んだみたいに、ヤシロが言った。
「無線は死んでる。そもそもわたしたちがどこにいるのかもわからないのに、あの群れの中へ突っ込んでくる馬鹿はGフォースにはいないわ。むしろいたら困る」
「相変わらず手厳しいな」
「信用してるのよ。わたしの知ってるGフォースなら、そんな無茶は絶対しない。だから、向こうからの助けは当てにできない」
皮肉でもなんでもなく、ただの事実を読み上げる口調だった。
腹は立つが、否定はできない。確かにヤシロの言うとおり、トガシ隊長やミヤガワ副長は勝算のない賭けは絶対に打たない人たちだ。
……つまり、このままではこの膠着は動かないということ。
「だが、こっちから動くったって……」
俺は浜の方を見た。月明かりの下、黒く蠢く闇。その中央に、ショッキラスに覆われたメカゴジラ機龍が墓標みたいに突っ立っている。
「打つ手があるか? まず浜への道は、見てのとおりだ。突っ切るのは論外。狼煙でも上げて沖に報せるか? 火を焚いた瞬間、助けが来るより先に俺たちが食われるだろうな」
「照明弾は?」
「同じことだ。動くもの、音を立てるものに、あいつらは寄ってくる。的を背負って踊るようなもんだろうよ」
「……無線をどこか高い所から飛ばす、ってのは?」
「通信障害がどこまで影響があるかわからん。沖の本隊が助けに来ない様子から見る限り影響は島の全域で、どこから飛ばそうが無駄だろう」
言いながら、一つずつ手札が潰れていくのが分かった。
ヤシロも同じ結論に至ったらしい。双眼鏡を下ろして、舌打ちひとつ。
「……つまり、手詰まりね」
「そうだな」
茶化してみたが、ヤシロは乗ってこなかった。
代わりに、また双眼鏡を構え直して、しばらく黙って島を見ていた。やがて、ぽつりと言った。
「……ねえ、ハヤマ。変だと思わない?」
「あ? 今さら何もかも変だろうが」
「そうじゃなくて」
ヤシロは双眼鏡を俺に押し付けてきた。
「ショッキラスの群れの動き。ちゃんと見てよ」
受け取って、双眼鏡を覗き込んでみる。
最初は、ただ黒い塊にしか見えなかった。島をぐるりと取り巻く、蠢く闇。だが言われて目を凝らすうち、その「渦」に妙な偏りがあることに気づいた。
群れが均等じゃない。
島を覆う群れの密度にムラがある。明らかに片側、島の中央、山の方へ向かって濃くなっているようだ。まるで、何か大きなものに後ろ髪を引かれながら、それでも海から這い上がり続けているような。
「……餌を食い尽くした島から離れもせず、わざわざ留まってる」
ヤシロの声は低かった。なにか感づきつつあるときの様子だ。
「それだけでも妙なのに、留まり方にも向きがある。あいつら、何かに引き寄せられてるのよ。この島の、奥の何かに」
「……何かって、なんだよ?」
「さあ。それが分かれば苦労はしないでしょうよ」
俺は双眼鏡を下ろした。
怪獣の大群というのは災害だ。地震や津波と同じで、理由なんかないただそこにある脅威、そう思っていた。
だが、もしこの群れの異常な行動に理由があるとしたら。何かが、こいつらをこの島に縛りつけているのだとしたら。
「……考えすぎじゃねえのか」
「かもね。でも」
ヤシロは膝を抱えて、闇に沈む島を見据えた。
「理由のわからない敵ほど、怖いものはない。理由がわかれば、つけ込む隙も見つかる。生き延びたければ観察することよ。何でもね」
その横顔が、ふと、いつもより遠くを見ているように見えた。
……『
しかし、俺はその実態がどうだったのかを知らない。
……ヤシロ=ハルカが経験したというオペレーション=エターナルライトの最前線、そこで何があったのか本当のところを俺は何も知らない。
知っているのは、ヤシロのいた戦線から生きて帰った人間がほとんどいなかったという点だけだ。ヤシロはその数少ない一人で、それきり武勇伝のたぐいも本人の口からは一度も聞いたことがない。
こいつが今どんな目でショッキラスの群れを見ているのか。俺の知らないどこかの地獄でこいつは今と同じように、たった一人で「観察」して生き延びてきたんじゃないのか。
訊いたことはないし訊く気もない。だが……
「……なによ、人の顔じろじろ見て。気持ち悪いわね」
言われて我に返り、俺は慌てて目を逸らした。危ない危ない。柄にもないことを考えるところだった。
「見てねえよ、自惚れんな」
俺の返答にヤシロは小さく鼻を鳴らすと、話を戻した。
「とにかく、当面の方針。馬鹿みたいに待つのはなし。隙を探す。群れの動きでも、妨害電波でも、なんでもいい。膠着を破る取っ掛かりを見つけるまでは、死なないことね」
「言われなくても死なねえよ」
「あんたはね。問題は民間人、特にアキラよ」
ヤシロは、毛布の山に目をやった。アキラの寝息は、規則正しく上下している。
「何があっても、アキラだけは本土に帰す。食料も、退路も、最後の一手も、優先順位の一番上はあの子。いいわね?」
有無を言わせぬ口調だった。
だが、それを命令だとは思わなかった。自分の生死も含めて優先すべきものの順番で動く、こいつは昔からこういう奴だ。いつだったか機龍隊のメンバーが怪獣に襲われた時も、こいつは恩着せがましいことは一つも言わずただ助けに入っていた。
……あのときと同じ目をしてやがる。
「……言われなくたって、そうするさ」
俺がそっぽを向いてそう答えると、ヤシロは少しだけ意外そうな顔をして、それからふっと笑った。
「あら。たまには気が合うじゃない」
「気色悪いこと言うな。休ませてもらう」
「了解」
悪態を残して、俺は毛布にもぐり込んだ。そして眠気の中で思考を巡らす。
――この島には、何がある?
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は眠りに落ちていった。
輸送艦の作戦室は、空調の音ばかりが低く唸っていた。
通信機の向こうから、Gフォースの高官の一人がトガシに言った。
〈……状況は把握した。トガシ中佐、ご苦労だった〉
机に置かれた通信用スピーカーから流れてきたのは、年嵩の男の声だった。慇懃で、淀みがなく、どこか書類を読み上げるような響きがある。
〈現地の通信障害、メカゴジラ機龍の活動不能、そして敵性生物ショッキラスの規模……報告は理解した。その上で、統合司令部としての決定を伝える……〉
上層部との会議に同席していたミヤガワは、無意識に背筋を伸ばしていた。これから行われる指令がヤシロとハヤマの、部下たちの運命を決めることになる。
Gフォースの高官は淡々と告げた。
〈大黒島の焼却処分だ〉
空調の音が、急に遠くなったような気がした。
〈現在検討中の戦略爆撃により、島嶼部もろともショッキラスを殲滅する。残存する個体の本土上陸を防ぐためには、発生源たる大黒島もろとも焼き払うのが最も確実かつ迅速である……というのが、こちらの専門部会の結論だ〉
「お待ちください」
気づけばミヤガワは口を開いていた。
大黒島にはまだヤシロとハヤマが残っている。それを回収しないまま爆撃を行うのは、彼らを見捨てるのにも等しい。容認しろというのか、部下を爆撃の巻き添えにすることを。
それを言いかけて、後ろから肩に手が置かれた。
「…………。」
トガシだった。振り返らないまま、ただ静かにミヤガワの肩を押さえている。
……そうだ。情に訴えたところで、回線の向こうにいるお偉方には届かない。Gフォースの兵士は皆相応の覚悟でもって任務にあたっている。むしろ「現場指揮官が私情で命令に逆らった」と処理されて終わりだ。
代わりにトガシが口を開いた。
「……決定は理解しました。その上で、現場指揮官として三点だけ確認させていただきたい」
声は低く、平らだった。怒気もなければ嘆願の色もない。ただ事実を積み上げる声だ。
トガシは言った。
「第一に、生存者の件です。我が隊が大黒島にて生存者一名の保護を確認したのは、すでに正式にご報告したとおり。加えて、その対応に当たった隊員二名が現在島内に取り残されている」
〈…………。〉
トガシの言葉に、スピーカーの向こうは沈黙している。
「島に生存者がいると承知の上で焼いたとなれば、その事実が記録として残ります。後日誰がその判断を下したのかと問われたとき、その問いに答えるのはこの命令を発した方の名前になる。私はそのことを確認しておきたいのです」
〈……脅しのつもりかね、中佐〉
「脅しではありません。事実の確認です」
上層部から帰ってきた言葉は恫喝だ。それに対しトガシは眉ひとつ動かさなかった。
トガシは冷静に続けた。
「第二に、戦術上の問題です。モナークから派遣された科学顧問の分析では、島の焼却はショッキラス対策としてむしろ逆効果である、という見解が出されています」
横で聞きながらミヤガワは思い出していた。
たしかにマキ博士は『単に駆逐するだけでは同じことが繰り返されるだけ、根本の原因を対処するべき』と言っていた。そこからすると拡大解釈のきらいはあるが、たしかに性急で強引な対処が事態の悪化を引き起こす可能性は高い。
「奴らは大型生物に取り憑いて外洋を渡る性質を持っています。島ごと焼いて追い立てれば、群れは海へ散る。殲滅どころか、本土上陸のリスクはむしろ高まります。『本土を守るため』が目的であれば爆撃という手段は目的に反します。これは私個人の意見ではありません、専門家の分析に基づいた正式な見解です」
トガシの組み上げた論理にミヤガワは内心で舌を巻いた。
それから気づく。トガシのこの主張は上の連中が掲げる「本土防衛」という大義名分をそっくりそのまま理由に使っている。これを否定すれば爆撃について「本土防衛が目的ではない」と自白することになる。
そして第三に、とトガシは言う。
「メカゴジラ機龍です。現在、機龍は島内に停止したまま健在です。機龍はゴジラの骨格を用いた、二度と同じものは造れない唯一無二の対ゴジラ戦力。ここで爆撃を行なって機龍が破壊されれば、我々人類はゴジラに対抗できる最大の抑止力を喪うことになります。次にゴジラが現れたとして、そのときはどうされるおつもりですか」
〈それは……〉
トガシの言葉に、高官たちは黙り込んだ。
トガシが提示したのは三点だ。生存者。戦術。そして機龍。どれも感情に一切寄りかかっていないが、それでいてすべてが同じ一点を指していた。
ここで大黒島に爆撃を行なえば、後で必ず誰かが責任を問われる。それでも、あなた方の名前でそれを命じるのか、と。
〈…………。〉
長い沈黙があった。
空調の音だけが低く唸り続けている。やがてスピーカーの向こうの声が、わずかに硬さを増して返ってきた。
〈……では、トガシ中佐。貴官はどうしろと言うのかね〉
ここで初めて、トガシは半歩譲った。
「猶予をいただきたい。その間に取り残された生存者を回収し、群れの誘引源を特定して、これを断つ。この作戦には、通信障害さえ解消すれば機龍も投入できる可能性があります」
〈それで事態が解決できなければ、どうする〉
「そのときは、そちらの判断に従います」
〈…………。〉
差し出された落としどころに、回線の向こうで誰かが何かを相談する。
やがて高官のひとりが答えた。
〈……四十八時間だ〉
声は表面上譲りながら、その実何ひとつ譲っていなかった。
〈四十八時間以内に状況の打開が確認できなければ、戦略爆撃を実施する。これは本土防衛に向けた決定だ。延長はない。期限までに生存者の生存が確認できなかった場合……〉
しばらく間を置いてから、答えがあった。
〈……戦死として処理する。以上だ〉
ぶつり、と回線が切れる音のあと、作戦室には空調の唸りだけが残った。
ミヤガワは、詰めていた息を吐いた。
「……四十八時間。ぎりぎり、もぎ取りましたね」
「もぎ取った、か」
そう呟いてから、トガシは黙り込んだ。こういうときのトガシには何か考えがあることを、ミヤガワは長い付き合いから知っている。
だからこそ、ミヤガワは思うところをぶつけることにした。
「……あれは、はじめから焼く気で固まっていた。生存者がいることも機龍が残っていることも承知の上で、それでも焼こうとしていた」
「……そうだな」
れっきとした怪獣災害、それも犠牲者が出ているというのに、高官たちはこちらの報告に一度も驚かなかった。まるで島で何が起きているかを最初から知っていたかのように。
ミヤガワは続けた。
「本土防衛が理由なら、逆効果だと言われて引き下がるはずがない。なのに猶予は出した」
その理由を、ミヤガワはこのように推察する。
「生存者がいたのに爆撃を強行したことが明らかになれば責任問題になるだけでなく、あとで調査が入る可能性がある。だから敢えて猶予を出したのではないでしょうか。順当なプロセスを踏んだことを記録に残すことで、あとで余計な詮索をされないように」
今回の高官たちの態度ではっきりしたことが一つある。
大黒島には、上層部が島ごと焼いてでも揉み消したい“何か”がある。ショッキラスでも生存者でもない、別の何かが。
「つまり
「ミヤガワ」
遮る声は鋭くはなかった。
見ると、トガシはゆっくりと首を振っていた。それから闇夜の海の向こうに浮かぶ黒い島影へ目をやる。
「……貴官の言いたいことは、分かっている。俺も同じことを考えている」
そこから先はほとんど独り言のようだった。
「だが、今の俺たちにできるのは勘繰ることじゃない、あの島から生きてる人間を連れ帰ることだ。理屈の答え合わせはそれからでいい」
「……」
ミヤガワは、口の中の言葉を呑み下した。
言われてみれば、そのとおりだ。上の思惑がどうあれ、それを暴いたところで、島の二人が一秒でも長く生きられるわけではない。今この瞬間にも削られていく時間の前では、勘繰りなど何の役にも立たない贅沢だ。
背筋を伸ばすミヤガワに、トガシは命じた。
「妨害電波の発信源、引き続き探らせろ。島の状況が少しでも動いたら、即座に動けるよう全部隊を準備させておけ。四十八時間、一秒も無駄にはできん」
「島への呼びかけは?」
「引き続き続けろ。万一爆撃が決まったら安全を確保させる必要がある」
「了解しました」
返事をしながら、ミヤガワはあの島に取り残された二人の部下のことを考えた。口を開けば喧嘩ばかりで、それでいて誰よりも噛み合うあの二人なら、あるいは。
壁の時計の針が、四十八時間の最初の一秒を削り始めた。