【杖と剣の死に戻り】 作:ネシエル
今でもあの声が、耳の奥に張り付いている。
「ウィル大好き」
最愛の君の声、
優しく、温かい。の声。
「僕もエルフィのことが大好きだよ」
ウィル大好き。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す回数を忘れ、ただ繰り返す幻影。
僕も大好き。
でも——どうしてなんだ。魔法も使えない、勇気もない、臆病な僕を、君はどうして好きになれる。
答えは、いつも決まって帰ってくる。
ウィルだからだよ。ウィルだから大好きだよ。
僕もエルフィのことが好きだよ。だから、こんな僕を好きでいてくれた君を否定した世界を、許せなかった。
▲▲▲
赤い空。血の煙。燃え上がる至高の塔。
500年。
この年代は消して軽く語ることは許されない。
かつて、世界を救うために立ち上がった。
「魔女王」と最強の魔法使い、初代「
魔法研究の最前線にして、
この世界を守護する『塔』である。
それが今は、無慈悲に燃やされている
崩壊する塔は、かつての栄光を失い、徐々に轟音と共に倒壊した。
轟音と煙と共に、その中から現れる一人の少年。
黒い布に包まれ、
漆黒のネノアの獅子の衣に覆われた者。
魔法世界の象徴である塔を壊滅し、
ウィル・セルフォルト。
塔に住む全ての
この惨劇を生み出して張本人はただ俯き、崩れた塔の残骸を見つめている。
「塔はこれで終わり。500年の歴史もこれで終わりか」
彼は左手に持っていた——アロン・マステリアス・オールドキングの首を、無造作に地面へと放り投げた。
ゴロゴロと転がって、瓦礫の隙間に落ちる。
——でも、今はただ無価値な肉になった。
それを捨てる。
ウィルは血塗られた己の左手を見詰める。
右手に愛剣である。
呪剣アイオーンを握りしめて。
「
空を見上げる。血の色。あの日、エルフィと見た夕日は、こんな色だっただろうか。
あの時、君と一緒に見たかった夕日も、こんな真っ赤な血の空なのか。
「いや、違うな。そうでしょう、エルフィ」
彼は胸元のペンダントを取り出す。エルフィがくれたもの。魔法が使えなくなるウィルのために、エルフィがくれたもの。魔法が使えないウィル・セルフォルトにも一時的に魔法を使えるようにする機能を持つが今は壊れている—でも、もういい。魔法なんて、最初から要らなかったんだ。
目は虚ろのまま、血塗られた呪剣を携えて、彼は歩き出す。燃え続ける学園を背に、ゆっくりと。
▲▲▲
五年前
孤児院の中。
身寄りのない子供たちが集う共通の家。
子供たちは、共通の性を持ち、
日々、この魔法絶対主義世界を生きている。
朝日が昇る中、
ウィル・セルフォルトは最初に起きて、
隣にいる幼馴染、エルファリア・セルフォルト。
通称、エルフィを起こす。
「エルフィ。起きて」
「うう……」
「エルフィ!!」
「うう……ウィル。もう少し寝かせて」
「ダメだよ。早寝早起きが体に一番いいって、エルフィが言っていたでしょう」
「じゃあ、おはようのチューをして」
「もう仕方ないな」
ウィルはおでこにキスをする。
「えへへ」
エルフィは笑顔になり、起きた。それを聞いていたクレアが、一緒に寝てくれた院長に言う。
「ねえ、パパ。また、ウィルとエルフィがいちゃいちゃしている」
「そうだな」
院長はあきれたように言う。
「じゃあ、父さん。僕とエルフィがごはんを用意するから、もうちょっと寝てて」
「ああ、いつもありがとうな」
▲▲▲
リビングルーム。朝ごはんを用意する。院長と他の兄弟姉妹が降りてきて、机に向かい合う。
「では、偉大なる魔女王と
「「「感謝を」」」
エルフィは目を輝かせながら、最初にサラダを食べる。
「うう!! ウィル。このサラダすごくおいしいよ」
「そうだな、ウィル。また料理が上手になったな」
「ありがとう。でも、僕はただ野菜を切っただけで、他は全部エルフィに手伝ってもらったんだ。僕、魔法を使えないから」
魔道具のことを思い出す。魔道具がなければ、料理を作ることさえできない。この世界の全ては魔法で構築している。
魔法が使えないウィル・セルフォルトは料理するだけでも他者の力を借りなけばならない。
「そんなことないよ、ウィル兄。魔道具を使えなくてもこんなに美味しい料理ができるんだから」
「そうよ、でもウィルお兄ちゃん。それそれ魔法を覚えたら。僕たちも魔法が使えるのに」
下の弟たちはウィルをからかう。
事実、ウィルよりも幼いのにもう魔法を使えるようになった
「こら、二人共、ウィルお兄ちゃんに失礼でしょう。今は使えないだけで、将来は……たぶん使えると思う?」
クレアも疑問に思う。
「あははは」
ウィルは薄笑いを浮かぶ、
「そう気を悪く思うな、ウィル。もう魔法を使えられないなら、ドワーフ式にすればいい。そうすれば魔法を使わなくても料理はできるだろう」
院長、この孤児院の運営者であり、
ウィルたちの親代わりが言う。
「ええぇ」
「なぜ、エルフィが落ち込むのだ」
「だって、ウィルと一緒に料理ができなくなるもん」
「そうか」
『愛が重いな』
院長はウィルの将来が心配になる
「ウィルお兄ちゃん。あ~んして」
ウィルはスプーンでおかずを持ってきて、クレアに。
「じゃあ、クレア。あ~して」
エルフィはほっぺを膨らませる。
「ウィル。私もあ~んして」
「いいよ、エルフィ。あ~ん」
「あ~ん」
エルフィはあ~んして、ウィルに食べさせる。
「ウィルおいしい。大好き」
「僕もエルフィのことが好きだよ」
『だから愛が重いって』
—院長が頭を抱えている。
「クレアとエルフィだけずるい。僕も僕も」
「俺もだ」
「二人とも落ち着いて」
弟たちはお皿を持ってウィルに近づいたが——転んだ。衝撃で皿が宙に浮く。エルフィが向かうが。
「危ない」
ウィルはエルフィに向かう皿を持った。けど、中身の料理がウィルとエルフィにこぼれてしまった。
「あ……」
▲▲▲
お風呂場。ウィルとエルフィが仲良く入っている。ウィルがエルフィの髪を洗う。
「エルフィ。大丈夫?」
「うん、平気よ。それよりもウィルは大丈夫なの? 料理目に入ったんでしょう」
「お父さんが魔法で洗ってくれたから大丈夫。弟たちがお父さんとクレアたちに怒られないといいけど」
「大丈夫。お父さん、優しいし。ちょろいし」
「そう」
「ウィル。今度は私が体を洗ってあげる」
「うん、お願い」
エルフィがウィルの背中をスポンジで洗う。
ウィルの肌、つるつるで気持ちいい……
エルフィは顔を赤くしながら、次々と洗う。
「……」
……お、大きい……
「どうしたのエルフィ。そんなに赤くなって」
「な、何でもないよ」
▲▲▲
玄関先。支度をする院長を子供たちが見送る。
「じゃあ、仕事に行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「気を付けてね、お父さん」
「安心しろ。別に戦闘しにいくわけではない。あと、ウィル、お父さんがいないとき、裏庭の森には絶対にいくなよ。最近、あの森から化け物が出てくるのだ。しっかり兄弟姉妹を見ておくのだぞ」
「うん、わかった」
▲▲▲
お花畑。風が優しく吹く。
「お父さん、まだ仕事かな。今日も遅いだろう」
自分では魔法が使えない。部屋を明るくすることも、魔法で家を綺麗にすることも、料理を楽にすることもできない。
こんな自分はどうすれば変えられるのだろうか。
「ウィル」
魔法を使えば、もう少し父さんの仕事も、クレアたちのことも、楽にできたのかな。
「ウィル!」
——魔法が使えれば。
「ウィル!!」
「うわ、え、エルフィ」
「どうしたの、ウィル」
「何でもないよ。ただ考え事をしただけで」
そうだ、エルフィ。エルフィは自分のことをどう思っているのだろう。この年齢でも魔法が使えない、こんな自分に、何でこんなに気をかけてくれるのだ。僕は何もできないのに。
思わず、下を向く。
「む~~、わたしを見て」
エルフィはウィルに抱きつく。
「うわあ」
「ウィルってば、違う女の子のこと考えたでしょう」
「ええ、違うよ」
「うちでは、クレアたちのことばっかり甘やかして」
「エルフィも甘やかしているよ」
「いや、とにかく他の女の子も男の子も考えないで。わたしだけを見て」
ウィルはエルフィを見詰める。
「どれくらい見ればいい?」
「ずっと」
「それは無理だよ」
「じゃあ、永遠に」
「ずっとより重い」
エルフィはウィルに顔を埋もれたまま。
「じゃあ、浮気だけはしないで。ぎゅーもして」
「わかった」
ウィルはエルフィをぎゅっと抱きしめる。
「頭をなでなでして」
「はいはい……」
エルフィの頭を優しく撫でる。
「よし、ウィルパワーを補充したし、怪物退治にいこう。ウィル」
「え」
エルフィはウィルの腕を引っ張る。
「え、エルフィ、怪物退治って」
「森に変な怪物がいるんでしょう。お父さんが困っているし、わたしとウィルでやっつけよう」
「え、そんなの危ないよ。エルフィはすごいけど、ぼくはちっとも魔法を使えないし」
「大丈夫。私は大好きな杖を持ってきているし、これがあれば勇気がぱくぱく湧いてくるから」
エルフィは杖をぐるぐると振り回す。
「だから、平気だよ。私がウィルを守ってあげる」
▲▲▲
森の中。無事に入った二人は冒険をしていた。だが——魔導士が作った魔造兵器に出会う。エルフィが魔法を放つが、その特性は魔法反射。跳ね返った魔法がエルフィに向かう。
咄嗟にウィルが飛び込む。
「あ」
「ウィル? ウィルッ……ウィル! しっかりして」
しかしクリーチャーは足を止めない。狼型の魔造兵器が歩いてくる。
「ウィルに近付くな」
エルフィは瞬時にその特性に気づく。氷の槍ではなく、氷の息吹——指向性のない魔法で魔法反射を無効にする。しかし、それでも無駄だった。クリーチャーは確実に来る。
「ウィルに手を出すな」
エルフィはウィルの前に立つ。後ろにいる最愛の存在を守るため。しかしクリーチャーは最初からそんなものを求めていなかった。大戦から逃げ、魔力が尽き、この喉の渇きを癒やすため——十分な魔力を蓄えた肉で喉を潤す必要があった。後ろにいる魔力ゼロのゴミではない。
クリーチャーはエルフィを掴む。
「きゃああああああ」
「!!」
ウィルは目を覚ます。
「エルフィ」
起き上がろうと必死になる。ここで魔剣を発現すればいい。魔剣を発現することによって、無価値だったウィル・セルフォルトに初めて価値が付く。
「エルフィ!!」
クリーチャーがエルフィを口の中に入れる。
「いやだ、誰か助けて。ウィル、お義父さん」
ウィル・セルフォルトはこの絶望的な状況で——魔剣を発現しなかった。
ウィル・セルフォルトには魔力が存在しなかったのだ。
くちゃ……
肉が食い破られた音。滴る血の匂い。次に聞こえたのは骨の砕ける音。
「え……」
ぐちゃぐちゃ。
「エルフィ、どこにいる」
その次、ウィルは目撃した。クリーチャーの口元から漏れた水色の髪の毛。
ぐちゃぐちゃ。ごくん。
クリーチャーはエルフィだったものを飲み込んだ。
「あ……」
幼い子供でも分かった。エルフィ、エルファリア・セルフォルトは死んだのだ。
「まて、待て!!!!」
痛覚を無視して走り出す。クリーチャーは若い幼い女の肉を食らい満足しているところを邪魔する蟲以下を祓う。その衝撃でウィルは樹木にぶつかる。
「あ……まって、まてええええええ」
ウィルは穴の開いた体でクリーチャーを追いかける。熱い。熱い。なんでこんな——エルフィ、エルフィ……
その時、ウィル・セルフォルトは死んだ。
▲▲▲
「はあ…はあ…」
「ウィル?」
「あ……ああ、こ、ここはどこ」
ウィルはエルフィの顔を見る。
「エルフィ、エルフィなのか」
「どうしたのウィル。大丈夫」
ウィルに駆け寄るエルフィ。ぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、エルフィ」
「どうしたの、ウィル」
「何でもないよ、変な夢を見たんだ。僕とエルフィが死んだ夢を。ところで、ここはどこだ」
見覚えがあった。この森——あの化け物が。
「!!」
殺気。とっさにエルフィを押しのけて回避するが——
「ああ」
足元が熱い。見下ろすと、ウィルの両足が無くなっていた。
「あ……あ」
「ウィル! ウィルッ!! 大丈夫ッ!!」
熱い。熱い。でも今はそんなことに関係ないのに、痛みで喉が声を通さない。
「怪獣。よくもウィルを傷つけたな」
氷涙の静女——エルフィが魔法を放つ。
「エルフィ、ダメだ」
遅い。ウィルの声が届く前に、魔法反射によってはじき返された魔法がエルフィに当たる。エルフィがウィルより遠くへ吹き飛んだ。
「エルフィ!!」
クリーチャーは歩き出す。目の前の最高の肉を求めて。綺麗な肌、幼いながらも磨かれていない絶世の美貌。色気ある女を食うために——クリーチャーは歩き出し、肉以下を跨ぎ歩く。
「やめろ、やめろ、ぼくを見ろ、ぼくをみろおおおお」
クリーチャーは瀕死のエルフィを片手で持ち上げる。
「ウィル……」
「やめろ」
「わたし……」
「やめてくれ」
「ウィルが……大好きだよ」
「やめろおおおおお」
ぶしゅん。
クリーチャーはエルフィを握り締める。
「あ……ああ……」
血、肉汁。あらゆる液体がエルフィから絞り取られる。両手で握り締めて、クリーチャーはそれを飲み干す。
ごくん。ごくん。
まさにオアシス。森をさまよって、こんな極上の肉に出会えるなんて。幼い女の子の肉は格別だとクリーチャーは感じた。握りし終わったエルフィの搾りかすを食べる。
「■■■■」
少し、うるさいな。消すか。
クリーチャーが腕を振ると——ウィル・セルフォルトは死んだ。
▲▲▲
「……」
「ウィル?」
「ここはどこだ」
ウィルはエルフィの顔を見る。
「エルフィ、エルフィなのか」
「どうしたのウィル。大丈夫」
瞬間的にウィルはエルフィの腕を引いて走る。
「!? どうしたのウィル」
「エルフィ、ここは危険だ。今すぐ逃げるよ」
エルフィはウィルの切羽詰まった言葉を聞き、一緒に走る。
間違いない。夢なんかじゃない。時間が巻き戻っている。
どうして巻き戻っているのか。今はそんなことはどうでもいい。とにかくエルフィを連れ戻して、家に帰るのだ。
「gaaaaa」
ウィルとエルフィの前にクリーチャーが現れる。
「そんな、来た方向と逆に走ったのに」
逃げるのは不可能。前提が崩れた。ならば戦うしかない。
「怪獣! ウィル、下がって」
「ダメだ、エルフィ。あいつには魔法が通じない。放った魔法が返ってくるんだ」
エルフィはそれに気づく。
「確かに、魔法反射の術式が付いているわ。なら——」
白の芸術。五体の氷の分身。エルフィが独自に開発した魔法。放った魔法の指向性を奪う——これがこのクリーチャーの魔法反射の原理なら、指向性を与えない魔法でやればいい。
エルフィの分身たちはクリーチャーを翻弄する。
「!」
強靭な爪で分身を壊す。それでも複数の分身が接近を許さない。
「今だ、
複数の分身による自爆攻撃。瞬く間にクリーチャーを氷付けにした。
「どうだ、この攻撃なら」
「さすが、エルフィ、凄いよ」
ウィルは喜ぶ。
これで家に帰れる。
気が緩んだ——その時、死の気配に気づかなかった。
「!?」
クリーチャーを凍っていた氷が赤く光った。
「ウィル逃げて」
「!?」
エルフィがウィルを庇う。視界は全て炎に包まれた。
焼け野原。
「エルフィ?」
ウィルは目が覚める。
「ウィル……大丈夫?」
背中が焼け焦げ、頭から血を流すエルフィの姿があった。エルフィの後ろには解けた氷の壁。
「エルフィ、大丈夫。しっかりして」
「ごほん……ごほん……」
エルフィは力尽きて倒れる。
「ごめん、ウィル……わたしが誘ったせいで、ウィルを巻き込んでしまって」
「そんなことないよ。悪いといえば、僕が魔法を使えないせいで、いつもエルフィを死なせているんだ」
クリーチャーが再び近づく。来る。死が。
「ウィル……大好き」
その言葉の最後——クリーチャーが放った炎が、ウィルとエルフィを包み込む。
再び、ウィル・セルフォルトは死んだ。
▲▲▲
死は癖になる。
死は無意味になる。
命はさほど価値はない。
ウィル・セルフォルトの命には価値はないのだ。
「エルフィ、エルフッ!」
死は慣れる。痛みは日常になり、心の穴や喪失感は時間で埋めることができる。
だけど——
「エルフィ。死なないで」
血塗られたエルフィを抱える。なぜ、エルフィの死には、いつも時間では埋められない喪失感があるのだ。無意味な死体を積み上げても、ウィル・セルフォルトはエルフィを救うことができない。
「ウィル……大好き」
なぜ、エルフィは好きと言ってくれるのだ。
死を積み重ねたうち、ウィルは気づいた。エルフィが語る好きと、ウィルが語る好きには決定的な違いが一つある。それはエルフィが語る好きには
そしてまた、ウィルはクリーチャーによって殺された。
▲▲▲
ウィル・セルフォルトは無能だ。
ウィル・セルフォルトは無力だ。
ウィル・セルフォルトは無価値だ。
……ウィル・セルフォルトはエルフィを救うことはできない。
繰り返される死。無意味な死体を積み重ねて得た、この世の真理だと——ウィル・セルフォルトは悟る。
戦闘で勝つのは不可能だ。このまま逃げるのも不可能だ。何故なら、あのクリーチャーは強すぎた。ウィルおろか、今のエルフィではあのクリーチャーを倒すことはできない。倒せるとすれば、魔法を越えた奇跡——魔剣を使う必要があるが、ウィル・セルフォルトには魔力がない。
クリーチャーは優れた嗅覚でどこまでも追尾する。魔力探知で魔力を持つ個体をどこまでも追いかける。エルフィを囮にすれば、ウィル・セルフォルト一人だけ逃げることはできる。だが、それはできない。ウィル・セルフォルトはエルフィを見捨てることはできないのだ。
死は癖になる。
「88回目」
何かが壊れる。生と死の狭間が壊れた気がした。
「ウィルッ! 大丈夫!?」
ウィルはまたエルフィを庇い、背中に大けがを負う。クリーチャーは目玉を剥かれて、足に大けがを負った。
この無意味な死を得て、ようやく得た。このモンスターの強度はそれほど強くない。魔法と身体能力は凄いが、その肉体は魔導士殺しに特化している。故に攻略するには純粋な物理攻撃か大規模な質量攻撃が必要だが、前方はともかく後方は今のエルフィには荷が重い。
故に——エルフィの氷を剣に削って挑んだ。88回の死を得て、ウィル・セルフォルトの神経が研ぎ澄まされた。剣を使い、最初に目玉を潰し、エルフィと協力して胸の発熱器官を潰した。
だが、これでも数分しかもたないことが明らかだ。クリーチャーには自己再生機能がある。70回目の死は、その再生能力による持久戦で負けたのだ。
でも——時間は稼げる。エルフィを逃がすだけの時間を。
「エルフィ。このまま逃げて、家まで行けば結界内であれば」
「嫌だ。ウィルと一緒じゃなきゃ」
「お願いだから、逃げてよ」
「ッ!?」
「このまま逃げてよ。もう死んでいるところを見たくないんだ」
72回。ウィル・セルフォルトがエルフィを死なせた回数だ。その間、エルフィがクリーチャーに食われた回数は45回。全て、ウィル・セルフォルトの目の前で起きた出来事だ。ウィル・セルフォルトのせいでエルフィが死んだこともあった。
だからもう——エルフィが死んでいるところを見たくない。ウィルの唯一の願い。
エルフィを家まで連れて行けば結界の範囲内に入ればいい。自分は足が怪我をして逃げることはできない。だからエルフィを逃がすことはできる。88回目で得た初めてのチャンス。それを使わずしてどうする。
この無価値な命はエルフィを救うことで初めて価値が生まれる。
「わたしもウィルが死んでいるところ見たくないよ。一緒に逃げよう。もう一度、ウィルが作ったサラダを食べたいよ」
「足が怪我している。もう逃げることはできない。僕をおいていってよ。僕は魔法を使えない。僕はエルフィを救うことはできない」
幾度も死を得て学んだこと。ウィル・セルフォルトでは、エルファリア・セルフォルトを救えないという。この残酷かつ周知かつ現実的な事実だけが、ウィルを突き続けた。魔法が使えない自分では、エルフィを救うことはできない。
「それは、嘘よ。今、ウィルはわたしを救ったでしょう」
「そんなのは嘘だ。また、エルフィが死んでしまう」
エルフィは凄い。幼い年齢でありながら、魔法を独自に使える才能。圧倒的な魔力。また磨かれていない美貌。それのどれも、ウィル・セルフォルトには釣り合っていない。至高の五杖に到達するかもしれない少女と、無知無能な少年。どっちの命が重要か。
答えは決まっている。
もしエルフィの隣にいる男がもっとすごくて、魔法を使えればエルフィを救えたかもしれない。でも自分にはそんな力はない。こんな脇役ではない、物語に登場する勇者に頼ってほしい。もう限界だ。
「僕には無理だ。僕には君を救うことはできない。だから——」
この無意味な命を捨ててくれ。捨てればエルフィを救えるかもしれない。もうエルフィが死ぬところを見たくない。エルフィはここで死ぬべき存在ではない。あのクリーチャーとの戦いで痛いほどわかった。自分ではあのクリーチャーに見向きもされなかった。それほどまでに無価値。
「僕には価値はない。魔法が使えない。だから見捨てて」
「嫌、そんなの嫌、ウィルと一緒じゃなきゃ意味がない」
「なんで、なんでそんなに僕と一緒にいたいんだ」
「ウィルが好きだから」
「何で。何で僕のことが好きなんだ。僕は君に何ができる。何をしてあげられる。何もできないよ。僕は君の力がなければ料理もできないんだ。それなのに、何で僕のことが好きになれる」
釣り合わないのだ。ウィルとエルフィは釣り合わない。能力も美貌も何もかもが釣り合わない。豚に真珠とはまさにそのこと。
「魔法も、魔道具も使えない。明かりもつけられない。僕だけだ、僕だけが魔法が使えないんだ。魔法が使えるのなら、僕だって、僕だって——」
ウィルは泣く。死の恐怖。今まで溜まってきた無力感があふれてきた。魔法が使えなくていい——そう強がった。でも無理だった。魔法が使えないから、魔力がないから、ウィル・セルフォルトはエルフィを死なせたのだ。
「僕は君に何もできない。何もしてあげられない。魔法を使って君を救うことはできない。だから——」
逃げてくれ。ウィル・セルフォルトは懇願する。
「僕よりも強い男に助けてもらってくれ。僕よりも凄い男を好きになってくれ。僕は、僕には無理だ」
無力だけがウィル・セルフォルトに付きまとう。この無意味な死を経験して得た真理だ。エルフィはウィルを捨てて逃げれば助かり、もっといい男と出会うことができる。
もっといい男に逢えば、エルフィは幸せになるとウィルは信じている。
「そんなのイヤだ」
エルフィはその未来を拒絶する。
「わたしはウィルがいい」
エルフィは言う。
「ウィルじゃなきゃイヤだ。わたしはウィルと一緒じゃなければ、わたしは幸せになれないから」
「何で、僕じゃなきやいけないんだ」
「ウィルが好きだから、ウィルだから。ウィルだから大好きだよ。ウィルがいないと嫌だよ」
心が熱い
「・・・何で、僕が好きなんだ。僕のどういう所が好きなんだ。僕にはなんの価値もないんだよ」
「ウィルの全てが好き。魔法が使えないとかはどうでもいいの。価値とか、魔法が使えないとか、そんなのどうでもいい。わたしはウィルが隣にいてくれるなら、なんでもいい」
「どうして、どうして僕のことがいいの。僕と君は釣り合って——」
「釣り合っているか、ないかは、わたしはどうでもいい。だって、一緒になりたいから、一緒にいてほしい。私の隣にいてくれる人は、強いからじゃない。魔法が使えるからじゃない。そんな人よりも、好きな人がいてくれたほうが、ずっとずっと嬉しいよ。私はウィルが一緒に居てくれないと寂しいよ」
どきん。
「……いいのか」
「うん」
「好きだから、隣にいたいから、一緒に居てほしい。隣に一緒に居てほしいのは、好きな人であってほしい。その人が、僕なのか」
「うん」
エルフィはウィル・セルフォルトを肯定する。
「釣り合っていないよ、エルフィ」
「それでもいいの。私は隣にいてほしいのは、ウィルであってほしいの。だって、大好きだから」
「——!」
ウィルは気づいた。釣り合っているとかいないとか、そんなのどうでもよかったのだ。ただエルフィの隣にいるのが、自分であってほしいだけなのだ。
だからその期待に、その思いに答えたい。ウィル・セルフォルトはエルフィの隣に立ちたい。釣り合っていないとかどうでもいい。ただエルフィと一緒にいたい。
熱い。体ではない。心が熱い。
だから——
「消えろ」
氷が砕け、クリーチャーが出てくる。
「エルフィに近付くな」
ウィルはエルフィを抱きしめて、クリーチャーを見詰める。何度も死を得ても、ウィル・セルフォルトは必ずエルフィを救ってみせる。
>>> システム警告 <<<
> 致命的なエラーが検出されました >
「ッ……が、がが」
「?」
その時、空間にざらつきが発生し——クリーチャーが気絶した。
「コイツ……どうした」
勝ったのか——ウィルが気づくのに数秒かかった。でも、勝ったと気づいた瞬間、ウィル・セルフォルトは脱力する。
「ウィル!? しっかりして」
「エルフィ……よかった」
88回目を得て、ようやくウィル・セルフォルトはエルフィを救うことができた。
初投稿です。
感想、誤字指摘など頂けると励みになります。