たすけて! ボクだけがニンゲンの島   作:五木 いさむ

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4日目

 無人島生活、4日目の朝。

 

 昨晩の恐怖で結局一睡もできなかった僕は、鉛のように重い体をひきずって、テントの外へ出た。テントに戻る時に何度も転んだのか、身体の所々に鈍い痛みがあった。

 

 雲一つない青空。初夏の眩しい日差しと、どこからか聞こえてくる小鳥のさえずり。絵に描いたような平和な朝の風景だが、今の僕にはただただ息苦しかった。

 

 昨日の夜、浜辺に打ち上げられていたあのカモメの男は誰だったのか……。だめだ、平常心を装わなければ。誰の監視の目があるか分からないのだ。この閉鎖された島において、不用意にトラブルに首を突っ込むのは致命的なリスクだ。

 

 気持ちを切り替えようと深呼吸をして伸びをしたその時、テントの脇に設置された簡易ポストがピコンピコンと音を立てながら点滅しているのが目に入った。

 

「……郵便?」

 

 そういえば、しばらく前から光っていたような気もする。マイレージのタスク消化に必死で、後回しにしていたんだった。とはいえ、こんな絶海の孤島に手紙を運んでくる郵便局があるとは思えない。どうせまた、たぬきちからの「新しいローンのご案内」か何かだろう。

 

 僕はため息をつきながらポストを開けると、そこには二、三通の手紙が無造作に積まれていた。とりあえずは、最初に届いてたであろう、一番下にあった封筒を取り出した。赤と青の縁取りがされた、エアメールのようなデザインだ。

 

 裏返して差出人の名を見て、僕は眉をひそめた。

 

「……ニン〇ンドー?」

 

 たぬき開発ではなかった。身に覚えのない差出人を疑問に思いつつ封を切ると、中には一枚の便箋と、小包が同封されていた。

 

『ボクさんへ

 

   いじゅう おめでとうございます!

   むじんとうでの あたらしいくらしを

   たのしんでくださいね。

   しんせいかつのスタートを おいわいして

   これからのくらしに やくだつ

   プレゼントを おくります!

 

           ニン〇ンドーのスタッフより』

 

 ……なんだこの、ひらがなばかりの不気味な文章は。一見すると心温まるウェルカムメッセージだが、大の大人が書いたにしてはあまりにも不自然だ。誘拐犯が新聞の文字を切り貼りして作った脅迫状のような、底知れぬ狂気を感じる。

 

 流通はもちろん通貨まで、すべてをたぬき開発が独占しているこの島で、奴らに気づかれずに外部からメッセージを送る方法などあるはずがない。なら一体、誰がどうやって……?

 

 いや、待て。よく考えろ……たぬき開発すらも末端として従える、さらに上位の存在がいるとしたら――。

 

 そんなまさか。もう一度手紙に視線を這わす。行間から滲み出る、圧倒的なまでの強者のプレッシャー。瞬間、昨日の夜に起きたであろう『粛清の現場』が脳裏をよぎる。

 

 ――『ニン〇ンドー』とは、島全体を裏で操っている『黒幕』の名前……!

 

「ひっ……」

 

 出かかった悲鳴をとっさに押し殺す。自分は何か致命的な間違いを犯してしまったのではないか。そのような錯覚に囚われて、心臓が早鐘を打ち始める。そしてこの手紙に同封されていた『プレゼント』。僕は嫌な予感を抱えながら、震える指で同封されていた小包を開けた。

 

 中に入っていたのは、一枚のペラペラの紙切れ。『そぼくなDIYさぎょうだい』と書かれた、作業台のレシピだった。

 

「ッ…………」

 

 僕は絶句した。レシピという存在自体は見覚えがある。なぜなら、これまで魚を獲るのに使ったショボい釣り竿や、昨日の焚き火だって、同じようにレシピを見ながら自作したのだ。――そう、()()()()()()()()()()で。

 

 たぬきちは僕らにDIYのスキルは教えても、肝心の作業は必ず自分の店の作業台でしかやらせなかった。考えてみれば当然だ。DIYの有用性が広まれば広まるほど、島に一台しかない作業台をたぬきちが押さえているということ自体が、管理者としての圧倒的なアドバンテージに繋がるからだ。

 

 だが『ニン〇ンドー』は僕に作業台のレシピを渡してきた。

 

 ――()()()()()()()()を使って、()()()()()()を作れと。

 

 なんてことだ。これは一種の踏み絵だ。僕がカモメの男の秘密を知ったせいか、それともたぬきちからの新たなローン契約の誘いに乗らなかったせいか。とにかく奴らは、僕に自前の作業台(特権)を与えて管理者側へ取り込もうとしているのだ。

 

 けどそれは、バーバラさんとピータンさんへの裏切りだ。仮にも島民(被害者)代表に任命された僕が、表では彼らの代表者として振る舞いながら、裏ではこの島の黒幕たちと繋がる――そんな二重生活へと僕を陥れようとしているのだ。

 

 この島では、たぬきちの意のままに借金を背負わされ、アプリに指示されるがままに労働者となるか、奴らと同じ管理者として島民を支配することでしか生きる道がないようだ。そしてそのどちらも選ばずに、奴らの闇を暴こうと一人で闘い、そして敗れたのが昨日見たカモメの男だったんだ。

 

 逆らう者は海に沈め、使える者は共犯者に引きずり込んで分断する。これが巨大組織のやり方か……!

 

「ッ、そうだ、バーバラさんとピータンさんはッ!?」

 

 この島の秘密に気付いたのはまだ僕だけかもしれない。けど、狡猾な奴らのことだ。バーバラさんとピータンさんに対しても何か仕掛けて来ていてもおかしくない。二人の様子が心配だ。

 

 僕は焦る気持ちを抑えながら、『そぼくなDIYさぎょうだい』のレシピをテントの一番奥の、なるべく見えない場所へそっと隠した。とにかくこれを持っていることを誰かに知られるのはまずい。

 

 それから僕は、二人のテントへ向かって駆け出した。彼らのテントは中央広場のすぐ西側にあったはずだ。僕のテントとは反対の位置にある。くそ、わずかな距離がもどかしい。二人とも無事でいてくれ……ッ。

 

 木々の間を抜け、中央広場を突っ切り、肩で息をしながら二人のテントがあるはずの場所にたどり着いた僕の目に飛び込んできたのは、さらなる絶望の光景だった。

 

「……え?」

 

 思わず、間抜けな声が漏れた。昨日までここには、僕のと同じような小さなテントが二つ並んでいたはずだ。

 

 しかし今、バーバラさんとピータンさんのテントがあったはずのその場所には――煙突のついた、立派な『一軒家』が二棟、我が物顔で建っていたのである。

 

「なんで……一晩で……?」

 

 状況が理解できず、僕はしばらくその場に立ち尽くした。まさか、たぬきちが無理やり建てたのだろうか。だとしたら二人は今頃、身に覚えのない莫大なローンを背負わされて泣いているかもしれない。

 

 確かめなければ。僕は震える手で、手前にあるピータンさんの家のドアを開けた。

 

「よぉ! よく来たなー! ゆっくりくつろいでってくれー! だね」という能天気な声が僕を出迎えた。いつもの明るくて爽やかなピータンさんだ。良かった――と安堵したのも束の間、部屋の中の光景を見て、僕は三度目の絶望を味わうことになった。

 

 木の壁、木の床。確かにテントよりは立派だ。しかし、家具と呼べるものは簡素な机とランタン、それに床に無造作に転がったシュラフくらいしかない。せっかく家を建てたというのに、ベッドすらないのだ。その歪さもさることながら、何よりも僕の目を釘付けにしたのは、部屋の片隅にひっそりと置かれた『それ』だった。

 

 ――DIY作業台。つい先ほど、僕がテントの奥に隠してきたあの踏み絵(レシピ)の完成品が、そこには確かに鎮座していたのである。

 

 いや、それだけじゃない。僕は目を凝らした。僕に送られてきたレシピは『そぼくなDIYさぎょうだい』。図面に描かれていたその完成予想図は、ただの丸太の切り株に工具が雑に置かれただけの、粗末な代物だったはずだ。

 

 だが、目の前にあるのはどうだ。

 

 正面のボードには大小の金属製レンチやハンマー、()()が整然と吊るされ、側面には鋭い刃を持つ無骨なノコギリが掛けられている。作業用の天板には、L字の金属定規と緑色のペン、そして何やら緻密な図面が広げっ放しになっており、足元の棚には塗料の缶まで完備されている。

 

 僕に作らせようとしていた『切り株』とは、明らかにレベルが違う!

 

「へへっ、あんまりジロジロ見ないでくれよー」

 

 背後からピータンさんの声がした。いつも通りの、のんびりとしたトーン。しかし、今の僕にはその言葉の意味がまったく違って聞こえた。

 

 ――ジロジロ見るな。

 

「あ……あぁ……」

 

 僕は後ずさりし、逃げるようにピータンさんの家を飛び出した。

 

 ピータンさんの家を飛び出した僕の視界を、眩しい朝の光が刺した。隣に建つバーバラさんの家も、やはり昨日までテントだった面影はない。煙突からはのどかな煙が立ち上り、まるでもう何年も前からそこに根を張っているような風をして建っていた。きっと中はもう……。

 

 馬鹿だった。僕が彼らを守るべき被害者だと思っていたなんて、とんだお笑い草だ。

 

 彼らはこの島で生きていくことを、高額なローン契約という首輪を、とっくに受け入れていたのだ。立派な「家」を手に入れ、たぬきち(管理者)に従順な彼らと、被害者であることに固執し、未だにテント暮らしの僕。現状、どちらが使()()()かは明白だ。だからこそ『ニン〇ンドー』も、彼らに立派な作業台を与えたのだろう。

 

 ピータンさんのあの、拒絶するような一言が、頭の中で何度もリフレインされる。あの作業台で、彼らは一体何を作らされているのか。くそっ、考えたくもない。

 

 朝の清々しいはずの空気さえ、今はどこか息苦しい。空も、海も、木々のざわめきさえも、僕を包囲し、嘲笑っているような気がした。

 

 彼らはとっくに悪魔の契約を済ませていたのだ。この狂った楽園で、ローンを組まず(首輪をはめず)作業台(特権)も持たず、正気を保っているのは……もう僕だけしかいないのだ。

 

***

 

 ――脱出しよう。

 

 そう思うのに、時間はかからなかった。

 

『ここでなら、心穏やかに生きていけるかもしれない』

『戻ったところで、理不尽な納期に追われ、誰かのしわ寄せを被る生活が待っているだけだ』

 

 葛藤はあった。けれど、それよりも。

 

 このままここに居続ければ、ボクは確実にニンゲンではなくなるという確信があった。その恐怖を思うと、不思議と頭の中がクリアになった気がした。初日にもらった地図を開いて、人差し指を這わす。指は吸い寄せられるように『そこ』で止まった。

 

 『飛行場』

 

 おそらく、この島の中で唯一外部と接触できる可能性があるとすれば、ここだろう。思い返せば、最初にこの島に降り立ってから、一度も飛行場には立ち寄っていなかった。口では悪態をつきながらも、この島での生活を楽しんでいたのか、余裕がなさ過ぎて逃げるという選択肢すら浮かばなかったのか、今となっては理由は分からない。けど今の僕は違う。やるべきことは明確だった。

 

 飛行場を目指して歩いていると、砂浜が見えてきた。ふと気になり、昨晩カモメの男が倒れていた辺りを見やった。そこには、当然のごとく男の姿はなかった。あのときの僕は恐怖で足がもつれて転び、身体を引きずりながら必死で逃げたはずだ。なのに僕が無様に転げまわった跡すら残っておらず、まるで最初から何もなかったかのように、美しい砂浜が()()されていた。そのことが、僕にはとても恐ろしく思えた。僕に残された時間は少ないのかもしれない。

 

 どこか冷静にそんなことを考えていると、短い桟橋と、その上に建てられた緑色の建物が見えてきた。あれが飛行場で間違いないだろう。桟橋を渡ると、飛行場のドアは開けっ放しになっていたので、僕は迷わずそのドアをくぐった。

 

 中に入ると、そこには島内の他の場所とは明らかに異なる、不気味なほど整然とした空間が広がっていた。清潔な青と白で統一された内装。床にはベージュ色と緑色のタイルが敷き詰められ、これまた清潔なブルーの待合椅子と白の簡易テーブルが背中合わせに並んでいる。窓からはたっぷりと日の光が差し込んでおり、室内にもかかわらず、どこか開放的な印象を与える空間だった。

 

 左の奥には天井からモニターがぶら下がっており、フライトのスケジュール表のようなものが流れていた。あの中に僕が帰るための便があるかもしれない。しかしその望みを妨害するように、正面奥に見える搭乗口の前にはしっかりとしたゲートが立ちふさがっていた。

 

 まずはここを突破しなければ。そのための鍵があの人か。

 

 右手のカウンターに視線が吸い寄せられる。カウンター内の壁面には鮮やかなブルーに白い文字で堂々と『Dodo Airlines』とロゴが描かれたタペストリーがかけられており、その下にはパソコンに向かって座っている一羽の鳥の姿があった。全体的に青色をしているが、顔だけ真っ黄色という姿をしたその鳥は、頭にマイク付きのヘッドセットを装着し、一心不乱にキーボードを叩いていた。僕がここから出るためには、まずは彼に話しかけなければならない。

 

 僕は待合スペースを突っ切り、カウンターの前に立った。黄色い鳥はこちらの存在には気づいていないのか、手元のキーボードを叩き続けている。僕は、緊張で震える拳を握りしめつつ、意を決して話しかけた。

 

 すると彼は手を止めて僕の方に体を向け、

 

「世界につながる空の玄関口、ニンゲンの飛行場へ、ウェルカム! あ、わたしは…… ~お客様の笑顔を運ぶ最上級の安心の翼~ ドードー・エアラインズの地上職員、モーリーです! ドーゾよろしく!」

 

 と自己紹介をしてきた。

 

 初日に決まった島名をそのまま使っただけだと思うけど、違和感とか感じないのかな、ニンゲンの飛行場って……。ただ、あの小さな住民投票で決まった島名が飛行場の名前にまで使われているということは、対外的にはすでにこの島の名前は『ニンゲンの島』ということなんだろう。それなら希望が見えてきた。さっき見たモニターにはフライト情報のようなものが結構な数で流れていた。対外的にもこの島の存在が認知されているのであれば、ニンゲンの島との間の定期便が運航している可能性は十分にある。

 

 そしてこの航空会社は『ドードー・エアラインズ』と言い、受付の彼はモーリーという名前のようだ。ドードーってたしか、ダチョウみたいな飛べないデカい鳥だったはずだ。確かもう絶滅してるんじゃなかったっけ。そんな名前を航空会社の名前にするなんて、ちょっと切ない。それか、まさかとは思うけど、モーリーさん自身がドードーなのか? 鳥の種類は詳しくないけど、もしそうならちょっとしたニュースになるのでは。いや、今の僕の状況を考えると、そんなのいまさらか。

 

 とにかく、ここから上手く飛行機に乗ることができればいいのだけど。幸い、昨日までの生活でマイルとベルはそこそこ稼いだので、お金ならある。少なくともここまでの会話で、モーリーさんに不審な点はないし、この島の住人特有の変な語尾の口癖もつけていない。もしかするとこの飛行場は中立地帯で、この人は管理者側とは関係ないのかもしれない――

 

「ところでお客様は……ボク様 ですよね? なぁ~に、こんな小さな島ですから、住民のみなさんの顔と名前を覚えるぐらいは朝飯前ですとも!」

 

 ――なんて考えはどうやら甘かったようだ。個人情報はすでにたぬきちからリークされていると思った方がいいだろう。当然だ。狡猾な奴らが島の出入口を押さえていなわけがない。何の準備もせずに衝動的に飛行場にやってきたのは失敗だったか? 島から逃げようとしていることがバレて、この場で拘束なんてことになれば最悪だ。

 

「ということでボク様、さっそく利用されますか?」

 

 僕の最悪の想像をよそに、モーリーさんはとても丁寧な口調で利用案内の対応をしてくれたので、内心の焦りを隠しながら手続きを進めることにした。出かける先は近くの島か、遠くの島のどっちかって? うーん、この島がどれくらい日本本土から離れているか分からないけど、少なくとも近海ということは無いだろうから、遠くの島で。日本は島国だし、島と言えば島だろう。えーっと、次は行き先の探し方か。ふむふむ、フレンドかパスワード……? 

 

 なんて最悪な二択なんだ。この島から出るためにはフレンド――つまり友達の情報を渡すか、パスワード――組織の上層部だけが知っている秘密の暗号が必要ということか!!

 

 テントに置きっぱなしにしてある自分のスマホの存在が頭をよぎる。誰かの連絡先を確認するために、いったん戻るか……だめだ。いくらこの島から逃げるためだとしても、友達を売るなんて真似ができるわけない。

 

 けど、パスワードなんて分かりっこない。一か八か、ダメ元で入れるしか……ええい、ままよ!

 

「ではパスワードを入力してください」

 

 モーリーさんの案内に従い、パスワード入力用の端末画面を見る。そこには、0~9までの数字と、24文字のアルファベットが並んでいた。これらの組み合わせで5文字のパスワードを入力する必要があるようだ。

 

 5文字……5文字……何かこれまでの生活でヒントはなかったか。この島の管理者は3匹のたぬき……TANU3とかどうだ。いや、ないな。くそっ、何も思いつかない。

 

 こうなったら、正直にモーリーさんに事情を説明して、良心に訴えかけるか? この人が管理者側と何らかの関係があるのは間違いないだろうけど、それでもここまでの対応を見る限り、たぬきちたちとは違うような印象を持ったのも事実だ。だけど、直接本心を話すというのはリスクが高すぎる。ここでの会話も奴らに聞かれているかもしれないのだ。

 

 ならどうやって伝える? そう思いながら手元のパスワード入力画面を見つめる。アルファベットの入力もできるのだ。これを利用して意図を伝えられれば。『HELP』……は直接的すぎるし、文字数も足りない。自然に行き先を伝える、5文字で。そう考えて、僕は震える指で端末を操作した。

 

『JAPAN』

 

 パスワードとしては確実に間違っているだろう。けどこれで行き先は伝わるはずだ。お願いだっ、これで察してくれ……ッ!

 

「……」

 

 僕の入力したパスワードを確認したモーリーさんは、無言でパソコンを操作し始めた。静かな飛行場にモーリーさんがキーボードを叩く音だけが響く。もしこれでモーリーさんが僕の脱走を察知して島の関係者に報告していたら、僕は詰みだ。頼むっ、頼むっ……! 必死に祈りながら待つ。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。10秒程度だったかもしれないし、1時間以上待ったかもしれない。そんな時間感覚もあいまいになるような、生きた心地がしないままで待っていると、いつの間にか作業を終えたモーリーさんが再びこちらを向いていた。

 

「残念ながら……おでかけできる島がないみたいです」

 

「そんなっ! もっかい探して!!」

 

 モーリーさんの残酷な言葉を聞いて、僕はとっさに口を開いた。何かの間違いだ。ここが最後の希望なんだ。

 

 僕の訴えを聞いたモーリーさんは、律義にもう一度パソコンを操作してくれたけれど、結果は同じだった。

 

「残念ながら……」

 

「クソッ!!」

 

 僕は思わずカウンターに拳を叩きつけて叫んだ。現状、この島から出る手段がない。その現実に打ちのめされ、膝から力が抜ける。床にへたり込んだ僕が力なく見上げると、そこにはウルウルと目に涙を浮かべ、悲しげに僕を見つめるモーリーさんの顔があった。

 

 えっ、モーリーさん。僕のために泣いて――そうか、この人は僕の状況は分かってくれて、でも彼にも協力できない事情があるんだ。ここで彼が自主的に僕を逃がすようなことがあれば、たぬきちや『ニン〇ンドー』に酷い目に遭わされるかもしれない。けど僕の事情を察してくれたモーリーさんは、目的地が見つからないと嘘を言って表面上は穏便に済ませようとしてくれているんだ。『協力はできないけど、せめて奴らに通報はしないから、ごめんね』。そんな想いがモーリーさんから伝わってきた。

 

 ありがとう。モーリーさん。今はその気持ちだけで十分です。

 

 僕は弱気になっていた自分を奮い立たせるために、パンッと両手で頬を叩き、ゆっくりと立ち上がった。そして今度はまっすぐとモーリーさんの目を見て言った。

 

「じゃあ、()()()()()

 

***

 

「では、()()ご利用ください!」と最後にそう言ってくれたモーリーさんと別れ、僕は飛行場を後にした。そうだ、準備をするんだ。脱出のための準備をして、出直すんだ。

 

 飛行場を後にして、僕は早足に中央広場へと向かった。目指すは、この島の中枢――案内所のテントだ。

 

 緑色のテントの入口をくぐると、作業台の近くでたぬきちが帳簿のようなものをめくっていた。僕の顔を見るなり、彼は愛想の良い、しかし目の奥が全く笑っていない笑顔を向けてきた。

 

 僕は引き攣りそうになる頬を必死で抑え、当たり障りのない愛想笑いでやり過ごした。今はまだ、従順な島民のフリをしなければならない。それに、今の僕の目的は彼ではない。入口の近くで緑色の光を放っている端末――『タヌポート』だ。

 

「ちょっと、端末を使わせてもらいますね」

 

 たぬきちの視線を背中に浴びながら、僕はタヌポートの画面を操作した。ゲーム感覚のポップなUIが表示される。僕はその中から『たぬきショッピング』の項目を開いた。

 

 適当な商品のラインナップをスクロールするふりをしながら、以前軽く触ったときには確認していなかった画面の隅に書かれたヘルプ項目の記述に目を凝らす。そこには、小さな文字でこう書かれていた。

 

『ご注文いただいた商品は、翌日の午前5時にポストへお届けします』

 

 ――ビンゴだ。

 

 先ほど飛行場で見つけたフライト情報から、この島と外部とを結ぶ定期便があることは予想できた。この島で生活するにしたって、完全な自給自足とはいかないはず。となれば、外部からの物資を受け入れるタイミングは必ずあるはずだ。

 

 問題は、それがいつなのかということだ。あの飛行場内でそれをまじまじと確認するのは、いかにも怪しい。そこで、たぬきショッピングの仕様を確認しに来たというわけだ。

 

 いつ来るか分からない飛行機を待ち伏せるのはリスクが高すぎる。だが、自分から通販の注文を確定させることで、いわばこの島に飛行機を呼び寄せるというイベントを、能動的に発生させられるのだ。

 

 僕は画面に表示されている商品の中から、一番安い『ほん』(290ベル)を選択し、購入ボタンを押した。よし、これでいい。明日の朝5時に僕のポストに商品が届くように、遅くとも午前4時台の後半にはあの飛行場に飛行機がやってくるはずだ。フライトスケジュールという最大の不確定要素が解消されたことに、僕は心の中でガッツポーズをした。

 

 タヌポートでの注文を終えた僕は、今度はまめきちに声をかけて、雑貨の売り物を見せてもらった。その中から、僕はある商品を手に取った。

 

「パチンコを一つ、もらえますか」

 

「パチンコは900ベルでございまーす!」

 

 まめきちは無邪気な声で、Y字の木の枝にゴムを張っただけの簡素な道具を差し出した。僕はポケットから900ベルを取り出して支払い、それを受け取る。

 

 この島において、武器になりそうな硬い道具を手に入れることは今の僕にはできそうもない。だが、このパチンコは違う。おもちゃのつもりなのか知らないけど、奴らが公認・販売し、最初から島内で持ち歩くことを許可しているのだ。

 

 これなら手に持って歩いていても、誰にも怪しまれない。あとは、待つだけだ.

 

 たぬきちのテントでの目的を達成した僕は、高鳴る鼓動を抑えつつ、自分のテントに戻った。

 

***

 

 テントのジッパーを内側からしっかりと閉め、僕は崩れ落ちるようにキャンプベッドの上に座り込んだ。大きく息を吐き出すと、これまで張り詰めていた緊張が少しだけ解け、代わりにじわりと嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

 

 僕は買ってきたばかりのパチンコを取り出し、ランタンの灯りの下でしげしげと見つめた。

 

 Y字の木の枝に、太めのゴム。試しにゴムを引いてみると、思いのほか強い反発力があった。おもちゃとはいえ、至近距離で構えれば、脅しには十分な効果を発揮してくれるはずだ。

 

 あとは念のため……いくつかの石を手に取った。広場の近くで拾い集めておいたものだ。その中から、小ぶりでかつ鋭利な角がある石をいくつか選別する。これをあのゴムの張力で撃ち出せば、ただの怪我じゃ済まないだろう。できることなら使わずに済ませたい。

 

 次に、島に連れてこられてから使い道のなかった()()()スマホを取り出し、数日ぶりに電源を入れた。しばらく見ることのなかった人工的な青白い光に、僕は思わず目を細めた。

 

 やがて眼が慣れてきたので、画面右上の電池残量を確認したところ、63%だった。よし、これなら何とか保ちそうだ。慣れた手つきでパスコード入力してロックを解除し、迷わずメモ帳アプリを開いた。

 

 そこへ、明日の朝の行動予定を書き出していく。

 

 4:30 テントを出発。飛行場周辺の物陰で待機

 4:45 飛行機が到着。パイロットが荷下ろしの準備で機体から離れる隙を突く

 5:00 島民が起き出す前に、飛行場を制圧し離陸

 

「ははッ……」

 

 乾いた笑いがこぼれる。改めて文字にして見ると、なんて楽観的な強行策なんだ。

 

「……やるしかないんだ」

 

 誰に言い訳をするでもなく、僕は乾いた唇を舐めて呟いた。

 

 僕はスマホのアラームを4:30にセットし、スマホの画面を切りった。そのままスマホをキャンプベッドの上に乱雑に投げ捨て、ランタンの灯りを落としてベッドに横になった。

 

 ザザァ……、ザァ…………。

 

 静寂に包まれたテントの中、聞こえるはずのない波の音が耳の奥にこびりついて離れなかった。もう何度目だろうか、砂浜に打ち上げられていたカモメの男の姿が何度もフラッシュバックする。

 

 一人で組織に抗い、無惨に処理された彼のことを思い出すたびに、腹の底から冷たくなるような恐怖が込み上げてきた。もし明日の計画が失敗したら、そう想像しただけで震えが止まらなかった。

 

 僕は震える両手で、選別した石とパチンコを強く握りしめた。手のひらに食い込む石の痛みが、かろうじて僕の理性を保たせてくれる。

 

 怖い。逃げ出したい。でも、逃げる場所なんてこの島のどこにもないのだ。

 

 このままここで暮らし続けても、いずれは奴らのシステムの一部として組み込まれるだけだ。それなら僕は、僕自身の意志でこの狂った箱庭から抜け出す。

 

 決行まで、あと数時間。静かで、ひどく長い夜が更けていった。

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