大好きだったお兄ちゃんとの再会よりも、サボり魔な同僚のお世話を優先してもいいですか? 作:Wig
1981年 冬 オーデル・ナイセ川流域 第3防衛線 中央戦域
防衛線を構築し、戦闘開始から4時間が経過していた。既に後方からの支援砲撃や補給は途絶えており、共に防衛戦を支えていた他の部隊は壊滅していた。
ヴェアヴォルフ大隊所属の艶やかな漆黒のMiG-23は全機返り血を浴びすぎて、元の黒色は見えなくなっていた。
「はぁッ……、はぁッ……、くそっ!」
ミハイルの荒い呼吸音が、狭い管制ユニットの内で反響する。
強化装備のインナーが汗で重く肌に張り付き、不快極まりない。暖房はとうの昔に切っているが、電子機器の排熱と、絶え間ない機動によるGで、そこはまるでサウナのようだ。
「……しつこいんだよ、デカブツがぁッ!!」
ミハイルは吼え、操縦桿を引き絞る。MiG-23チボラシュカが、きしんだ音を立てて雪原を滑る。
目の前に迫る突撃級の巨躯。その分厚い前面装甲の下、脚部を狙い、36mm機関砲を叩き込む。
ダダダダダダダッ――カチリ。
乾いた金属音が、ミハイルの心臓を鷲掴みにした。
「……弾切れ!?」
残弾カウンターを見る余裕すらなかった。強襲前衛を担当する彼は、弾の消費が一番早かった。突撃級は止まらない。目前に迫る死の塊。
「っ!……ミーシャ伏せて!」
隣で同じく強襲前衛を担当している、リィズの悲鳴のような警告。ミハイルが反射的に機体を沈めた瞬間、頭上を36mm機関砲の曳光弾が奔流となって通過した。
リィズ機が、ミハイルの盾になるように割り込み、至近距離から突撃級の胴体、36mmでも撃ち抜ける部分を正確に撃ち抜いた。巨体がバランスを崩し、雪煙を上げて横転する。
「……助かった、リィズ!」
『……うん。でも、ミーシャ、もう残弾が……』
リィズの声には、生気がない。彼女も限界なのだ。4時間。訓練校を出たばかりの新兵が、最前線の中央で4時間も生き延びていること自体が奇跡に近い。彼女の機体の動きは、最初の頃の滑らかさを失い、疲労の色が濃く滲んでいた。
その時、後衛、打撃支援を務めるヴェアヴォルフ33から、悲痛な叫びが上がった。
『08!右翼が持ちません!第9小隊から救援要請が入っています!』
すぐに、友軍の断末魔のような通信が雪崩れ込んできた。
『こちら第9小隊。右翼、要撃級に差し込まれている。120mmを切らしており押し返せない。誰か、火力支援を……っ!』
右翼を守る友軍の悲鳴。彼らもまた、ミハイルたちと同様に限界を迎えていた。右翼が崩れれば、突出している中央の第8小隊も側面から崩されてしまう。援護しなければならない。だが……。
『……くっそ!こっちだってスッカラカンだぞ!どいつもこいつも泣き言ばっか言いやがって!』
中衛で強襲掃討を担当するヴェアヴォルフ32が、半狂乱で悪態をつく。ミハイルは唇を噛み切りそうなほど強く噛み締めた。助けたくても、撃つ弾がない。
物理的な限界。それが、冷厳な事実として彼らの前に立ちはだかった。
その時だった。混沌とする回線に、優雅で、場違いなほど落ち着いた声が割り込んだ。
『ずいぶんと賑やかだね。……まだ元気そうで良かったよ』
第3中隊隊長、エルケ・アオスト大尉だ。ミハイルは舌打ちを堪える。このタイミングでの通信は、ろくな知らせではない。
「アオスト大尉!第9小隊が限界です!即時撤退の許可を……!」
ミハイルが叫ぶ。だが、返ってきたのは残酷な宣告だった。
『まだ話の途中なんだけどな。……国家人民軍第2連隊から連絡。「光線級の配置がいやらしい。迂回と排除に手間取っている」だってさ』
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。その通信を聞いていたヴェアヴォルフ33が悲鳴に近い声をあげた。
『……そんな。こっちだって残弾がもうありません!!私達に死ねって言うんですか!?』
『CPのオーダーはシンプルだよ。「あと30分、現状のラインを維持せよ」。もちろん、君達に拒否権は無いよ?……33、粛清されたくないなら、ちゃんと戦ってね?さっきのは聞かなかったことにしてあげるから』
ブツン、と通信が切れる。管制ユニットに、死刑宣告を受けたような静寂が落ちた。
「……は?30分……?」
ミハイルは乾いた笑いを漏らし、目の前の計器類を見た。
燃料計はレッドゾーンで点滅している。弾薬はほぼ空。機体は悲鳴を上げている。あと数分持つかどうかの瀬戸際だ。それを、30分?
「っ!……ふざけんな」
『右翼第9小隊、決壊!ミーシャ、突撃級がこっちに……!』
ミハイルの怒号とリィズの悲鳴が交差する。警報音が鳴り響く。レーダーを見るまでもない。
積み上がったBETAの死骸の山を乗り越えて、新たな津波が押し寄せてくるのが肉眼で見えた。第5波。これまでで最大規模の、突撃級の群れだ。
(……無理だ)
衛士としての本能が、冷徹に告げていた。今の残弾と燃料で、あれを受け止めることは不可能だ。物理的に、絶対に。
「……全機、聞け」
ミハイルは声を絞り出した。喉が張り付いて、うまく声が出ない。
「各機、陣形を維持したまま後退する。殿は俺がやる……ナイフ一本で突撃級の群れに突っ込むなんて、自殺行為だ」
『……嫌だ』
通信機から、小さな、けれど断固とした声が聞こえた。リィズだ。
『私は下がらない。ミーシャがいないなら、私……ここに居る意味がないから』
「バカかお前!死ぬぞ!」
『ミーシャが死ぬなら、私も一緒に死ぬ!……私一人で残されるくらいなら、ミーシャと一緒にBETAに食べられた方がずっとマシだもんっ!』
リィズの機体が、ゆらりと前に出る。弾切れの突撃砲を捨て、腕のラッチから近接戦闘短刀を引き抜く。その姿は、死を覚悟した騎士のようであり、同時に、たった一本の命綱を失う恐怖で完全に壊れてしまった、狂気の人形のようでもあった。
「……リィズ、お前……ッ!」
ミハイルが止めようと手を伸ばした、その時だ。
『……はぁ。ったく……』
呆れたような、それでいて何かを吹っ切ったような吐息が聞こえた。ヴェアヴォルフ32だ。
『ルーキーのお嬢ちゃんにここまでされちゃあ、男が廃るってもんだぜ。……ああクソ、付き合いゃあいいんだろ!』
ガシャン!と金属音が響く。ヴェアヴォルフ32の機体が突撃砲を投げ捨て、近接戦闘短刀を逆手に構えてリィズの隣に並んだ。
『どうせ逃げても、後ろには憲兵が銃構えて待ってるだけだ。……なら、ここで派手に散るのも悪くない』
『……そうですね』
続いて、後衛のヴェアヴォルフ33の冷静な声。
『推進剤の残量から計算して、帰投ポイントへの到達は不可能。……どうあがいても死ぬなら、祖国の盾になって死ぬ方が、まだ有意義な最期です』
彼女の機体もまた、静かに近接戦闘短刀を抜き、ミハイルの背後を固める位置につく。
「……お前ら……バカかよ……」
ミハイルの声が震える。こんなのはただの自殺行為だ。だが、こいつらは引かない。ミハイルが引かない限り、絶対に。
そして、その狂気は伝染する。崩壊寸前だった右翼、第9小隊の通信が、ざわめきから怒号へと変わった。
『マジかよ……あいつら、あの数に特攻する気か?』
『……ふん。一番若い連中に根性見せられて、ベテランの俺たちが逃げ帰ったとなっちゃ、あの世で笑い者だな』
『……全機、突撃砲を捨てろ。身軽になればまだ戦える』
『ええ!ヴェアヴォルフの意地を見せてやろうじゃない!』
カシャン、カシャン、と雪原に銃が捨てられる音が連鎖する。
第9小隊の隊員たちが、次々と近接戦闘短刀を抜き放つ。弾などない。燃料もない。あるのは、衛士としての、狂気じみたプライドだけ。
血濡れた黒いMiG-23の群れが、白刃を煌めかせて横一列に並ぶ。その光景は壮観であり、あまりにも無謀な死の行軍だった。
「……ははっ。上等だ、お前ら……」
ミハイルは覚悟を決めた。どうせ死ぬなら、道連れだ。一匹でも多く、地獄へ連れて行く。
「……第8小隊、全機突撃!!喰らい尽くせェェッ!!」
ミハイルがスロットルを全開にし、最後の特攻を仕掛けた。
「オラァァァッ!!」
ミハイルの絶叫と共に、MiG-23が雪煙を裂いて突貫する。弾はない。あるのは、右手に握られた近接戦闘短刀のみ。対するは、装甲を纏った突撃級の壁。
(……こんなところで、死んでたまるかよッ!)
突撃級と衝突する瞬間。跳躍ユニットで急制動をかける。機体を横滑りさせ、正面衝突を紙一重でかわす。すれ違いざま、正面装甲の裏側、柔らかい背部へ、逆手の近接戦闘短刀を深々と突き立てた。
不快な金属音と共に、突撃級が機能を停止し、巨体がバランスを崩して雪原に突っ込む。1体目。
「ミーシャ、後ろ!」
リィズの警告。振り返る間もなく、背後から要撃級が飛びかかってくる。ミハイルが回避行動を取るより早く、リィズ機がその懐に飛び込んだ。
「……ッ!!」
リィズはミハイルの動きを模倣するように、要撃級の懐へ潜り込み、その胸部へ近接戦闘短刀を突き刺し、そのまま機体の重量をかけて引き裂いた。鮮血が噴き出し、要撃級が沈黙する。2体目。
「やるじゃねぇか、リィズ!」
『おいおい!俺たちも忘れてもらっちゃ困るぜ!』
左翼のヴェアヴォルフ32と、後衛の33が、連携して戦車級の群れを踏み潰し、その中心にいた突撃級の脚部を叩き斬った。巨体が崩れ落ち、道を塞ぐ障害物が消える。3体目。
やった。弾薬ゼロ、燃料限界の状態で、BETAの先鋒を食い破ったのだ。
道が開いた。このまま突っ切れば、あるいは……。
ミハイルがスロットルを全開にし、再加速しようとした、その瞬間だった。
プスンッ……。
爆発音ではない。あまりにも情けない、空気が抜けるような音が管制ユニットに響いた。
同時に、背中を押し続けていたGが消失する。
「……は?」
視界の中、全ての計器が赤く染まり、耳をつんざくようなアラート音が鳴り響く。だがそれ以上に恐ろしかったのは、機体を満たしていた排熱のサウナが嘘のように引き、足元から這い上がってくる氷点下の冷気だった。駆動音という命の鼓動が消え去った管制ユニット内で、自身の荒い呼吸音だけがひどく虚しく反響している。外で蠢く無数の害獣たちの気配が、分厚い装甲を透過して肌を撫でるようだった。
推進剤の完全枯渇。跳躍ユニットの停止。
「……おい、嘘だろ……今かよ……ッ!?」
機体は慣性だけで数メートル滑り、雪の凹凸に足を取られて無様に膝をついた。
再始動を試みるが、跳躍ユニットは沈黙したままだ。ただの歩く棺桶と化したミハイル機の前に、巨大な影が落ちる。
先ほど倒した突撃級の後ろ、視界を覆い尽くすほどの雪煙を割って姿を現したのは全高60mを越える超大型のBETA、要塞級だ。
「なっ……最前列にもう要塞級が……」
その醜悪な巨体から伸びる鋭い触手が、鞭のように荒れ狂う。
『第9小隊!散開しろ、要塞級の鞭が来るぞ!』
『ダメだ、推進剤が足りねぇ!避けきれ……ッ!』
通信機から響く第9小隊の怒号。その直後、ミハイルの目の前で、右翼を支えていた一機の漆黒のMiG-23、ヴェアヴォルフ34が上空へ逃れようと跳躍した。
だが、遅かった。鋭く伸びた要塞級の鞭が、空中のヴェアヴォルフ34を正確に捉え、その胴体、衛士が乗る管制ユニットを真横から無造作に串刺しにしたのだ。
『がはっ……、あ……ァァアアアアッ!?』
装甲を容易く貫通した鞭の先端から強酸性の溶解液が分泌され、通信越しに、肉と金属が溶ける凄惨なノイズと断末魔が響き渡る。先ほど共に死線を切り抜けようと誓い、笑い合ったベテランの命が、虫ケラのようにあっけなく散った。
「34……ッ!!」
ズズン、と地響きを立てて、要塞級がミハイルの方へと向き直る。ヴェアヴォルフ34の残骸を突き刺したままの鞭が大きく振りかぶられ、動けないミハイル機を叩き潰そうと迫り来る。
『ミーシャァァァッ!!!』
リィズの絶叫。だが、彼女の機体も体勢を崩しており、間に合わない。終わった。ミハイルは迫りくる死の触手を、スローモーションのように見つめていた。
(……ああ、やっぱり。サボっておけばよかったな……)
衝撃音が響く。だが、ミハイルは潰されていなかった。恐る恐る目を開けると、目の前の要塞級の鞭が、宙を舞っていた。そして、その巨体は接合部を切り裂かれ、血飛沫を上げて崩れ落ちていく。その爆心地に、二つの黒い影が立っていた。近接戦闘短刀を構えた、二機のMiG-23。
『……推進剤の残量管理もできないなんて。無様ね、ホフマン』
氷のような声。ヴェアヴォルフ01、ベアトリクス・ブレーメ大尉。
『ふふっ、ミハイルってば危機一髪って顔だね?』
楽しげな声。ヴェアヴォルフ03、エルケ・アオスト大尉。
「……た、大尉……!?……それに、大隊長まで……」
二人の女王が、動けないミハイルを守るように立ち塞がっていた。ベアトリクスが近接戦闘短刀の血糊を払い、冷徹に告げる。
『立ちなさい。……貴方の命は我がヴェアヴォルフ大隊の所有物よ。ここで勝手に死ぬことは許可しないわ』
『ごめんね、遅くなって。……もう後ろに下がって良いよ』
二機が同時に地を蹴る。ミハイルを襲おうと群がってきたBETAの群れに対し、二人は文字通り踊るように斬撃を繰り出した。ベアトリクスの無駄のない一撃が急所を穿ち、エルケの変幻自在な機動が敵を翻弄する。
そして、二人の女王が切り開いた空間に続くように、上空から新たに6機の漆黒のMiG-23が舞い降りた。
『第1小隊、展開完了。これより防衛線を再構築し、害獣の排除を実行する』
ベアトリクスの背後を固めるように着陸したのは、大隊長直衛の第1小隊だ。通信から聞こえたヴェアヴォルフ10の声には一切の感情が欠落しており、機体の挙動もまるで精密機械のように冷徹で無駄がない。彼らは瞬時に陣形を組み、突撃級の群れを的確に、そして作業のように解体していく。
『ひゅーっ!相変わらず08の小隊は派手にやってんなぁ!迎えに来てやったぜ、エース気取りのサボり魔さんよ!』
対照的に、下品な口笛を響かせながらエルケの横に滑り込んできたのは、第3中隊長直衛の第7小隊だった。
『おいおい、31の嬢ちゃんもボロボロじゃねぇか。そんな不甲斐ない小隊長は捨てて、後で俺の部屋で慰めてやろうか?』
軽薄で、ガラの悪い声で笑う。しかし、口数とは裏腹にその機動は凶悪だった。トリッキーな動きで要撃級の死角に潜り込み、笑いながらその急所を凶刃で抉り取るように破壊していく。
『無駄口を叩くな、28。私語は作戦に支障が出る』
『堅いこと言うなよ、10。俺たちは俺たちのやり方で……』
『――第1小隊、陣形をハンマーヘッド・ツーに移行。敵の侵攻経路を正面に限定し、速やかに解体しなさい』
ヴェアヴォルフ28の軽口を遮るように、ベアトリクスの絶対的な号令が戦場に響き渡った。
『『『了解』』』
ヴェアヴォルフ10をはじめとする第1小隊は、一切の感情を交えず即座に陣形を組む。精密機械のような完璧な連携。彼らは飛びかかってくる要撃級の腕を最小限の動きで切り落とし、がら空きになった急所を的確に穿ち、まるで工場での解体作業のようにBETAを処理していく。
『第7小隊、お喋りはそこまで。全機突撃……さあ、ヨハネの仇をとるよ』
エルケもまた、甘く、それでいて背筋が凍るほど冷たい声で直衛の部下たちに命じた。
『『『了解!!!』』』
第7小隊は、第1小隊の統率された動きとは対照的に、飢えた猟犬のように敵の群れへと飛び込んでいく。暴力的な機動で突撃級の死角に潜り込み、笑い声を上げながらその背部装甲を逆手に構えた凶刃で滅多刺しにして引き裂いた。
第1小隊の冷酷な制圧と、第7小隊の暴力的な蹂躙。二人の女王とその直衛部隊の連携により、圧倒的な物量で押し寄せるBETAの波は完全に堰き止められているかのように見えた。
だが――。
『……っ、チィッ!』
28の機体がわずかに体勢を崩し、要撃級の振り下ろした剛腕を間一髪で躱す。第1小隊の動きにも、最初の頃のような滑らかさが欠け始めていた。
無理もない。彼らとて、すでに長時間の戦闘をこなした上で、後方から全速力で駆けつけてきたのだ。推進剤は残り少なく、武装は近接戦闘短刀のみ。
いくら武装警察軍最強の精鋭といえど、物理的な限界はある。無尽蔵に湧き出る赤と黒の海を、白刃の近接格闘だけで永遠に支えきれるわけがない。機体の駆動音には明らかな疲労が混じり、このままでは数で押し潰されるのは時間の問題だった。
『相変わらずだね、この数は……』
ジリ貧の戦況に、エルケが初めて忌々しそうに舌打ちをしたその時だった。その舌打ちに答えるように、地響きのような、重低音の通信が入る。
『……待たせたな、お嬢様方。掃除の時間だ』
空気を震わせる轟音と共に、後方の丘陵地帯から無数の120mm徹甲榴弾が発射された。それはもはや支援というレベルではなかった。
地形を変えるほどの面制圧。着弾する度に、ミハイルたちの目の前に広がっていたBETAの群れが、一瞬にして爆炎と衝撃波に飲み込まれる。突撃級の甲殻が砕け、要撃級が吹き飛び、戦車級が蒸発する。
『ハハハハハハッ!景気がいいじゃねぇか!撃ち尽くせ野郎共!』
『中隊各機、データリンクを更新したわ。第1小隊と第3中隊に射線軸が被らないよう注意して!』
爆炎の中から現れたのは、重装甲仕様に換装されたMiG-23の集団。その先頭に立つのは、一際巨大な砲身、120mm滑腔砲を二門抱えた指揮官機。
ヴェアヴォルフ02。第2中隊隊長、ブルーノ・ガンダ大尉だ。
『第2中隊、全砲門開け!残飯処理は俺たちの仕事だ、一匹たりとも逃すなよ!』
『『『了解!!!』』』
第2中隊の面々が、ブルーノに続いて一斉射撃を開始する。
ベアトリクスとエルケが点で敵を殺すなら、ブルーノ率いる第2中隊は面で敵を消滅させる。圧倒的な火力という暴力。それが、国家保安省武装警察軍、最強部隊のもう一つの顔だ。ベアトリクスが、降り注ぐ薬莢の中、冷ややかに告げる。
『……遅いぞ、ブルーノ』
『補給班のケツを叩くのに手間取りましてね。……で、どうです?俺達の可愛い部下たちの尻拭いは終わりましたか?』
ブルーノが豪快に笑いながら、滑腔砲で突撃級の頭を至近距離から吹き飛ばす。彼もまた、この地獄を楽しんでいる同類だった。
『うん、おかげさまでね。……ブルーノ、後は任せるね』
エルケが近接戦闘短刀を収納し、優雅に後退する。
『おうよ!第2中隊、陣形をハンマーヘッド・ワンにして前に出るぞ!我らヴェアヴォルフの火力を骨の髄まで教えてやれ!』
第2中隊が前線を押し上げ、残存するBETAを一方的に蹂躙していく。三人の化け物が揃ったヴェアヴォルフ大隊に、もはや死角はなかった。ミハイルは深くシートに沈み込み、大きく息を吐き出した。
「……ははっ。あいつら全員、頭おかしいだろ……」
助かった。三人の英雄と、仲間たちの力によって。だが、安堵したのも束の間、ミハイルの機体は主機が停止しており自力では動けない。
雪原に取り残されそうになったその時、右翼から新たな機影が滑り込んできた。
『こちら第3小隊!第8小隊、聞こえるか?撤退を支援する!』
現れたのは、遊撃任務に就いていた第1中隊のMiG-23だった。彼らは手際よくミハイルたち第8小隊の周囲を展開し、防御陣形を組む。
『08、無事か!?……おいおい、推進剤が空っぽじゃないか。よく生きてたな』
駆けつけた第3小隊の隊長が、ミハイル機の惨状を見て呆れたように、しかし安堵した声を上げた。
「……ああ、おかげさまでな。……悪いが、タクシー代はツケといてくれ」
『はっ、高くつくぞ。……よし、ワイヤーを繋ぐ!31、横から支えられるか?』
『……はい。わかりました』
リィズが答えると、第3小隊の僚機が素早くミハイル機の肩部フックに牽引ワイヤーを接続した。
同時に、右翼でボロボロになっていた第9小隊のもとにも、第1中隊の他の小隊が駆けつけていた。
『第9小隊、こちら第2小隊。生存者はいるか!?』
第2小隊からの問いかけに、第9小隊長であるヴェアヴォルフ09がひどく冷静な声で返答した。
『こちら第9小隊。……34がやられた』
だが、その淡々とした状況報告を掻き消すように、通信機から別の声が響き渡る。現実を完全に拒絶する、ヴェアヴォルフ36の半狂乱の叫びだった。
『ヨハネ!ヨハネ、聞こえる!?今助けるから! 装甲がドロドロになっちゃって、出られないだけだよね……ッ!?』
酸で跡形もなく溶け落ちた鉄屑の塊にすがりつこうとする狂乱。戦場の理不尽さに精神が完全に焼き切れたその声に、通信を聞く全員の胃が冷たく締め付けられた。
『待ってて、今私が引っ張り出してあげるから……ねぇ、お願い。……返事してよヨハネ!』
だが、泣き叫ぶ部下の傍らで、小隊長である09は感情の欠落した声で冷徹に告げた。
『34はもう助からない。機体も放棄する』
『了解した。……くそっ!36にワイヤーを掛けろ、無理矢理にでも残る機体を連れて帰るぞ!後退だ、急げ!』
前線を蹂躙し支える第2中隊。無残に溶けた仲間を雪原に置き去りにし、泣き叫ぶ生存者を引きずるようにして下がる第1中隊。そして、その中央で殿を務める二人の女王。
ヴェアヴォルフ大隊の連携は、全ての中隊が揃ってこそ真価を発揮する。だが、どれほど最強の群れであっても、零れ落ちる命を全て拾い上げることはできない。それが、この地獄の冷厳な現実だった。
圧縮空気が抜ける音と共に、管制ユニットが開く。それまで閉じ込められていた熱気と、油と汗の入り混じった不快な臭いが、格納庫の冷気によって一気にさらわれていく。
「……あー、クソ痛ぇ。腰が死んだ……」
ミハイルは震える手で額の汗を拭い、シートに深く沈み込んだ。全身の筋肉が悲鳴を上げている。指先が痺れて感覚がない。
強化装備のインナーは汗でぐっしょりと濡れ、急速に冷えていく感覚が、逆に生きているという実感を与えてくれた。整備兵たちが駆け寄ってくる。
「おい、08の損傷酷いぞ!脚部駆動系がイカれてる!」
「弾薬ゼロ、推進剤も空っぽだ!よくこれで帰ってこれたな!」
怒号のような報告が飛び交う中、ミハイルはどうにかラダーに足をかけ、地上へと降り立った。膝が笑う。地面を踏みしめた瞬間、崩れ落ちそうになるのを、誰かの手によって支えられた。
「……ミーシャ」
「……おっと。悪いな、リィズ」
支えてくれたのは、同じく蒼白な顔をしたリィズだった。彼女もまた、立っているのがやっとの状態だ。髪は汗で張り付き、瞳の下には深い隈ができている。だが、その瞳には確かな光、地獄を見て、そこから生還した者だけが宿す、強い光があった。
「……無事か?」
「……うん。ミーシャがいてくれたから」
二人は言葉少なに、互いの無事を確かめ合う。
周囲では、他の第8小隊のメンバー、32や33も、整備兵に抱えられるようにして機体から降りてきていた。
第7、第9小隊の連中も、地面に座り込んで煙草を吹かしたり、生き残った喜びを噛み締めるように抱き合ったりしている。その喧騒を切り裂くように、格納庫の奥から豪快な笑い声が響いた。
「ガハハハハッ!見ろよこの弾薬消費量!お前ら、小国の一つでも消し飛ばしてきたか?」
現れたのは、熊のような巨躯を揺らして歩く男、ブルーノ・ガンダ大尉だ。彼は自分の機体の補給状況を見て満足げに頷くと、隣を歩く二人の女性将校に声をかけた。
「いやぁ、いい運動でしたな!次はもっとデカい獲物を頼みますよ、大隊長殿!」
「……うるさいぞ、ブルーノ。耳障りだ」
氷のように冷たく返したのは、ベアトリクス・ブレーメ大尉。彼女の機体もまた、BETAの返り血で赤黒く染まっていたが、その立ち姿には疲労の色など微塵も感じられない。
「相変わらず、元気だねぇブルーノは。……でも、私の可愛い部下たちの面倒を見てくれたことには感謝してるよ」
優雅に微笑むのは、エルケ・アオスト大尉。彼女はすれ違いざま、へたり込んでいるミハイルたち第3中隊の面々に流し目を送る。感情の籠ってない笑みを浮かべた。
「よく生き残ったね、お疲れ様。……ヨハネは残念だったと思う。でも、君たちみたいな生意気な後輩の盾になれるなら、彼も本望だったはずだよ」
言葉の響きはどこまでも冷酷で、まるで駒の損失を計算しているかのようだった。
冷徹な処刑人、残忍な狩人、そして豪快な破壊者。三者三様の化け物たち。彼らが揃っている限り、この部隊は最強であり、同時に最狂の地獄だ。
ミハイルは無言で敬礼しながら、その背中をぼんやりと見送った。ふと、ミハイルの視線が一点で止まる。背中の後ろで優雅に組まれたエルケの両手が軋むほどに強く、固く握り締められていたのだ。微かに、だが確かに小刻みに震えている。
(……え?)
冷徹な言葉と、押し殺されたような手の震え。それは恐怖か、それとも凄まじい怒りか。少なくとも、味方を無機質な盾としか見ていない人間の所作には見えなかった。
(あの人……何を考えて……)
思考を巡らせようとしたが、極限まで摩耗したミハイルの脳は、鈍い痛みを伴ってそれ以上の推測を拒絶した。今は無理だ。この狂った上官たちの底知れない本性を暴こうなどと、考えるだけでも疲労が倍増する。
「……ははっ。やっぱ頭おかしいだろ、あの人たち」
ミハイルは理解することを放棄し、ため息と共に力なく笑い飛ばした。そして、隣でまだ顔色を悪くしているリィズの肩をポンと叩く。
「……行くぞ、リィズ。あの人たちと同じ空気吸ってると胃に穴が開く。……屋上で少し涼もうぜ」
「……うん」
同日 深夜 基地屋上
鉛色の空からは、相変わらず冷たい雪が降り注いでいる。遠くで鳴るサイレンの音だけが、ここが戦場の只中であることを告げていた。
「……ふぅ」
ミハイルはフェンスに背を預け、震える手でタバコに火をつけた。紫煙を深く吸い込み、肺の中の澱みを吐き出す。ニコチンが血管を駆け巡り、ようやく脳が正常な回転を取り戻していく。
「……はい、ミーシャ」
隣に座り込んだリィズが、温かい缶コーヒーを差し出した。いつものやつだ。激甘の、泥水みたいな代用コーヒー。だが今は、どんな高級な豆よりも美味そうに見えた。
「……サンキュー。気が利くな」
プルタブを開け、一気に流し込む。熱い液体が食道を通り、冷え切った胃袋に落ちていく。
「……生きてるね、私たち」
リィズが自身の缶を両手で包み込みながら、ぽつりと呟いた。
「……ああ。奇跡的にな」
「怖かった?」
「当たり前だろ。チビるかと思ったぜ。……二度と御免だ」
ミハイルは憎まれ口を叩きながら、横目でリィズを見た。彼女は夜空を見上げている。雪が、彼女の長い睫毛に落ちては溶けていく。
「……34、ヨハネさんって言ったよね」
静寂に石を投げるように、リィズが震える声で呟いた。
「……ああ。ベテランで腕の良い衛士だった。……良いやつだったよ」
「そうだったんだ。……私、人があんな風に……あっけなく消えちゃうの、初めて見た……」
リィズの両手が、缶コーヒーを握りしめたまま微かに小刻みに震え始める。極限の恐怖と戦場の無情さが、今更になって彼女の心を蝕んでいた。
「もし、あれがミーシャだったらって想像したら……急に息ができなくなった。一人で、暗い尋問室に取り残されたみたいに、ガタガタ震えが止まらなくて……っ」
「……縁起でもねぇこと言うな」
ミハイルは短く、けれど力強く吐き捨てた。
「俺はあんなデカブツに溶かされる趣味はねぇよ。サボって長生きするのが俺の目標だからな」
ぶっきらぼうな、けれど確かな生存宣言。それを聞いて、リィズの強張っていた肩の力がふっと抜けた。
「……ふふっ。ミーシャらしいね」
リィズは視線をミハイルに戻し、少しだけ恥ずかしそうに、けれど底知れない安心感を抱いたように笑った。
「私ね、思ったの。……地獄でも、隣に誰かがいれば、寒くないんだって」
「戦闘中、ミーシャの声が聞こえた時……震えが止まった。だからね、ミーシャの隣なら私、どんな場所でも戦える気がしたんだ」
それは、依存とも、信頼ともつかない、あまりにも純粋で重い言葉だった。だが、ミハイルはその重さを心地よく感じている自分に気づいていた。今日、彼女が背中を守ってくれなければ、ミハイルは確実に死んでいた。彼女もまた、ミハイルが道を切り開かなければ、死んでいた。
二人は、命の貸し借りをし、共に死戦を潜り抜けた相棒同士になったのだ。
「……バーカ。調子に乗るなよ、新入り」
ミハイルは吸い殻を携帯灰皿に押し込み、空になった缶を握り潰した。そして、無造作に手を伸ばし、リィズの頭をくしゃりと撫でた。
「……でもま、悪くなかったぜ。お前のカバー」
「……!」
リィズが目を見開く。そして次の瞬間、花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、ミハイルの腕に抱きついた。
「……うん!ありがとう、ミーシャ!」
「お、おい!離れろ、暑苦しい!」
「やだ。離さないで。……まだ……怖くて、足が震えてるの」
リィズはミハイルの腕に顔を埋め、小さく震えていた。
ヨハネの死で実感した喪失への恐怖。強がっていても、彼女はまだ16歳の少女なのだ。初めての死戦。友軍の死。極限の恐怖。それらを全て受け止め、押し殺していたのだ。
ミハイルはため息をつき、抵抗するのを諦めた。
彼女の体温が、軍服越しに伝わってくる。その温もりが、ミハイル自身の震えも止めてくれていることに、気づかないふりをしていた。彼もまた、まだ16歳の少年だ。
「……次はもっとうまくやる。もっと強くなって、ミーシャを楽させてあげるから」
「……期待してるよ。俺はサボりたいんだ、頼むぜ」
「ふふ、任せて」
雪が降り積もる屋上で、二人はしばらくの間、そうして寄り添っていた。国家保安省という檻の中で。BETAという絶望の前で。それでも二人は、今日を生き延びた。
「……そろそろ戻ろう、リィズ。風邪引くぞ」
「……うん」
二つの足音が、雪の上に並んで続いていく。それは、これから始まる長く過酷な冬の時代を、二人で歩んでいくという、無言の誓いのようでもあった。