大好きだったお兄ちゃんとの再会よりも、サボり魔な同僚のお世話を優先してもいいですか?   作:Wig

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雪原の処刑場

昨晩の食堂での温かい空気は、もう跡形もなく消え失せていた。張り詰めた冷気が支配する司令室。壁に貼られた作戦地図の前で、第3中隊隊長エルケ・アオスト大尉が指揮棒を振るう。その先端が指し示すのは、西ドイツとの緩衝地帯に隣接した森林地帯だ。

「――以上が、今回の清掃対象だよ」

エルケの声は、氷のように冷たく、そしてどこか楽しげだった。

「標的は、国家人民軍第2戦術機連隊の残党。戦術機3機と、逃走支援用の非武装トラックが1台。……投降に応じない場合は、撃墜しちゃって良いから」

彼女は机上の写真を指で弾いた。そこには、かつての友軍機であるMiG-21の不鮮明な写真があった。

「作戦はシンプルだよ。君たち第8小隊は2機ずつ分隊を組み、森に逃げ込んだ鼠たちを各個撃破。確実に包囲して、一匹残らず仕留めてね」

「……了解」

ミハイルが短く答える。だが、その横で直立不動の姿勢を保っていたルーカスが、一歩だけ前に出た。

「……大尉。作戦編成について、上申の許可を」

その声に、室内の空気が僅かに冷えた。武装警察軍において、上官の決定に意見することは、自らの首に縄をかける行為に等しい。

「ん?どうしたのかな?ルーカス」

エルケは笑顔のまま、だがその瞳の奥に獲物を値踏みするような昏い光を宿して彼を見た。ルーカスはこめかみに微かな冷や汗をにじませながら、あくまで軍事的な合理性という盾を掲げて口を開く。

「今回の標的はBETAではなく、国家人民軍の衛士です。……ホーエンシュタイン少尉は実戦経験の浅い新兵、ましてや対人類戦の経験はほぼありません。機動の遅れや連携にミスを生み、標的の逃亡を許すリスクがあります」

ルーカスは視線だけを動かし、青ざめた顔で立っているリィズを見た。彼女の指先が微かに震えているのを、彼は見逃していなかった。

「作戦の確実性を期すため、ホーエンシュタイン少尉は後方支援へ。通信妨害と退路の監視に専念させるべきかと。……直接の処理は、私とホフマン中尉、ウルリヒ少尉の3機で確実に完遂します」

それは、兄貴分としての精一杯の配慮だった。だが、国家保安省という組織において、その情は致命的な弱点だ。

エルケはしばらくルーカスを見つめた後、ふふっ、と鈴を転がすように笑った。

「……面白いことを言うね、ルーカス。そんなに彼女に汚れ仕事をさせたくないのかな?まるで、優しいお兄ちゃんみたいな口ぶりだ」

その言葉が落ちた瞬間、ルーカスの背筋に死の悪寒が走った。見透かされている。少しでも言い淀めば、彼自身が思想不穏分子として粛清対象になりかねない。

「……ここは託児所じゃない。彼女も栄えあるヴェアヴォルフの一員だよ。それとも、私の部下には使い物にならない不良品がいるのかな?」

「っ!それは……!」

「……いいえ、やれます」

ルーカスの反論を遮ったのは、震えていたはずのリィズ自身の声だった。

全員の視線が集まる。リィズは顔を上げ、必死に虚勢を張っていた。

「わ、私だって撃てます。……作戦行動に支障はありません」

「おい、リィズちゃん!無理すんなって、これは……」

「無理じゃありません!」

リィズは強い口調でルーカスを拒絶した。その瞳にあるのは、勇気ではない。焦燥と恐怖だ。

(……ここで役に立たないと判断されたら、私はまたあそこに、独房に戻される。……ミーシャの隣にいられなくなる!)

昨夜のハンナの言葉が脳裏をよぎる。迷う人間を最も嫌います。その言葉がリィズの脳内で反響する。ここで後方支援に甘んじれば、国家保安省は自分を不要と判断するかもしれない。それだけは避けたかった。

「……そっか。頑張ってね、ホーエンシュタイン少尉。私は応援してるよ?」

エルケは職責から逃げなかった少女へ向けて、ひどく甘く、満足げに目を細めた。その空気を読み取り、ミハイルが一歩前に出た。彼はルーカスの肩を掴んで無言で下がらせると、リィズに向き直る。その目は、昨日食堂で見せたような呆れ顔でも、屋上で見せた憂い顔でもない。冷徹な指揮官の目だった。

「……いいか、リィズ。戦場に出れば、甘えは許されない」

「う、うん……わかってる」

「相手は死に物狂いだ。撃たなきゃ、こっちが撃たれる。……引き金を引くのに迷うなら、今すぐ降りろ。お前が死ぬだけならまだしも、俺たちの足手まといになる」

突き放すような言葉。だが、それは生き残るために覚悟を決めろという、ミハイルなりの警告だった。

「……足手まといになんて、ならないよ。……やる。絶対に」

リィズは唇を噛み締め、ミハイルを見つめ返した。

リィズの瞳に宿った歪な決意を見て、エルケはパンッと軽く手を叩き、小隊全員へ向けて静かに通達した。

「……質問がないなら、ブリーフィングは以上だよ。みんな、出撃準備にかかってね」

「……了解」

ルーカスは渋々ながらも頷き、ハンナは無表情に敬礼を返す。リィズとミハイルも敬礼を返した。重苦しい空気と共に、第8小隊に出撃命令が下された。

重厚な鉄扉が閉まると同時に、ルーカスがミハイルの肩を掴み、壁際へと押しやった。

「……待てよ、ミハイル!」

「……なんだ?」

ミハイルは表情を変えず、ルーカスの手を払いのけた。廊下にはまだ、殺伐とした空気が澱んでいる。

「納得いかねぇ。……なんでリィズちゃんを止めてやらなかった?お前なら、もっともらしい理由をつけて外すこともできただろ!」

ルーカスは声を荒げた。彼にとってリィズは、守るべき仲間だ。あんな震えている少女に、同胞殺しをさせる。それがどれほど残酷なことか、ミハイルが分からないはずがない。

「……待って、ルーカスさん!私がやるって言ったの!」

慌てて割って入ったのは、リィズだった。その後ろには、ハンナも無表情で控えている。

「でもなぁ、リィズちゃん。これはBETA狩りじゃねぇんだぞ?……相手は人間だ。引き金を引いた感触は、一生消えねぇ」

「……それでも、やらなきゃいけないから」

リィズは蒼白な顔で、しかし頑なに言い張る。その様子を見て、ミハイルは冷ややかな声で告げた。

「……ルーカス。止めてどうする?リィズは同胞を撃てないお子様です、って宣伝して回るか?」

「……あ?」

「今回の任務はただの掃討戦じゃない。……リィズに対する踏み絵だ」

ミハイルは鉄扉の方を顎でしゃくった。

「亡命未遂者の娘が、亡命者を撃てるかどうか。……大隊長たちや司令部も、そこを見てるんだろうよ」

「……踏み絵、ですか」

それまで黙っていたハンナが、眼鏡の位置を直しながら頷いた。

「合理的です。……リィズさんの亡命者の娘という経歴は、国家保安省にとって最大のリスク要因。……この任務で忠誠心を証明できなければ、リィズさんは即座に粛清対象になります」

ハンナの容赦ない分析に、リィズが息を呑む。自分の命が、天秤にかけられていることを改めて突きつけられたからだ。

「……そういうことだ。もしここで俺たちが過剰に庇ってみろ。リィズは潜在的な反逆者と見なされる。……待っているのは独房への逆戻りだ。……その後がどうなるかは、言わなくても分かるだろ」

「……チッ、クソが……!」

ルーカスは悔しげに拳を壁に叩きつけた。守ろうとすればするほど、彼女を窮地に追い込む。この国の歪んだ構造そのものだ。

「……それに、アオスト大尉は分かってて俺たちに振ったんだ」

「……あの女狐がか?」

「ああ。あの大尉は食えねぇ女だが……この狂った大隊の中じゃ、まだ話が通じる方だ」

ミハイルはリィズを見据えた。

「もし他の小隊。……例えば第9小隊の堅物どもとリィズが組んでみろ。リィズが少しでも躊躇えば、即座に裏切りと見なされて背中から撃たれるぞ。……けどな、俺たちなら違う」

「……私たちなら、リィズさんが多少ミスをしても、ギリギリまでカバーできる……と?」

ハンナの問いに、ミハイルは頷く。

「そうだ。……大尉はリィズを試してやがるが、同時に生き残るチャンスも与えてる。……俺たち第8小隊の手で、リィズをこちらの世界に引きずり込めってな。……ったく、あの女狐はどこまで見えてんだか」

それは、悪趣味だが、確かに一理ある配慮だった。エルケ・アオストは無能な狂信者ではない。部隊の戦力を惜しみ、彼女が使える駒になるための通過儀礼を用意したのだ。

「リィズ。お前は今日、手を汚すことになる」

ミハイルはリィズの肩に手を置いた。

「けどな、それはお前がここで生きるための切符だ。……俺たちの隣にいたければ、引き金を引け」

「……うん」

リィズは震える声で、けれど力強く頷いた。

「引くよ。……私は、ミーシャと一緒にいたいから」

その健気で歪んだ決意に、ルーカスは深いため息をついた。

「……まったく。ここも地獄、あそこも地獄かよ」

ルーカスは頭をガシガシとかきむしり、観念したように肩をすくめた。

「……悪かったな、熱くなって。……分かったよ、俺も腹を括る」

「……頼むぞ。ハンナもだ。リィズの状態はしっかりと確認してやれ」

「了解です。……リィズさんの精神的負荷値が限界を超えた場合、即座に私が標的を処理します」

「……ありがとう、ハンナちゃん。ルーカスさん」

リィズが弱々しく微笑む。ミハイルは全員を見回し、低く告げた。

「行くぞ。……時間だ」

4人は視線を交わし、格納庫へと向かう。その背中には、覚悟という名の重い鉛がのしかかっていた。

 

 

同日 深夜 第4監視区域

猛吹雪が視界を白く染め上げる闇の中、バーニアの青白い光が軌跡を描く。

逃げ惑う3機のMiG-21バラライカ。それは国家人民軍第2戦術機連隊の生き残りであり、今はただの獲物だった。対する追跡者は、第8小隊のMiG-23チボラシュカ。

国家保安省が誇る準第二世代機であり、その機動性は旧式のMiG-21を遥かに凌駕する。

『――クソッ、速い!あのエンブレム……ヴェアヴォルフか!?』

『頼む、見逃してくれ!僕たちはただ……生き延びたいだけなんだ!』

悲痛な通信が響く。昨日の地獄を生き延びた彼らの声は、恐怖で裏返っていた。だが、追跡者たちは無慈悲だった。

「……悪いな。だが、そっちが遅いのが悪い」

ルーカスのMiG-23が、吹雪を切り裂いて急加速する。彼は先頭を走る逃亡機の上空から襲いかかった。

『う、うわぁぁぁぁッ!?』

「恨むなら、お前らみたいな生き残りを許さなかったこの国を恨め!」

ルーカスは舌打ち混じりに吐き捨てると、36mm突撃砲のトリガーを引き絞った。容赦のない射撃が逃亡機の跳躍ユニットを直撃し、推進剤タンクを引火させる。

爆発と共に、MiG-21が火だるまとなって雪原に墜落した。雪煙が舞い上がる中、ルーカスは冷徹にトドメの確認を行う。

「……対象A、沈黙。……次は地上の掃除だ、33、そっちはどうだ?」

「……了解。こちら33、対象を捕捉。これより処理します」

ルーカスの後方から、ハンナのMiG-23が滑るように現れる。彼女の標的は、戦術機ではない。逃亡者たちの家族や支援者が乗っていると思われる、雪道を走る一台の非武装トラックだ。

トラックはライトを消し、必死に国境線へ向かって走っていた。だが、戦術機のセンサーから逃れられるはずもない。

『や、やめろぉぉぉッ!そこには女や子供も乗ってるんだぞ!』

残る逃亡機からの絶叫が無線に乗る。だが、ハンナの表情筋はピクリとも動かない。

「……関係ありません。逃亡幇助者は、国家反逆罪と同義です」

彼女は火器管制システムを対人モードに切り替え、キャニスター弾を選択した。モニターには、トラックの熱源反応が赤く表示されている。

「……さようなら」

トリガーが引かれる。轟音と共に、無数の散弾がトラックへと降り注いだ。トラックのボディは紙くずのように千切れ飛び、積荷も、人間も、そのすべてが一瞬でミンチに変わる。

白い雪原に、鮮やかな赤が撒き散らされた。悲鳴を上げる暇すらない、あまりにも圧倒的な暴力。

「こちら33……対象D、輸送車両の完全破壊を確認。……生体反応、消失」

ハンナの声は、今日の天気予報を告げるかのように平坦だった。

そこに感情はない。ただ任務を遂行した事実があるだけだ。

「……仕事が早くて助かるぜ、優等生ちゃん」

ルーカスは皮肉交じりに笑い、残る2機の反応を見据えた。

「さて……終わりだな。こちら32、対象の撃破を確認した。残りの機体をポイントA-04に追い込む」

ルーカスとハンナが戦闘を行っていた頃、森林地帯上空では激しい追撃戦が行われていた。

「……31、右翼に回れ!挟み撃ちにするぞ!」

『う、うん……了解!』

ミハイルの鋭い指示が飛び、リィズの駆るMiG-23が雪煙を上げて旋回する。残る2機の逃亡機のうち、1機が森の中へ逃げ込もうとしていた。動きは鈍い。昨日の激戦で機体が損傷しているのか、それとも恐怖で操縦が乱れているのか。

『来るな……!来るなぁぁぁぁッ!!』

オープン回線から響く通信。その声を聞いた瞬間、リィズの心臓が跳ねた。

「……女の人……?」

『お願い、見逃してよ!私たちはただ……生きたかっただけなのに!』

若い女性の悲鳴。それは、リィズ自身の声を鏡で聞いているようだった。昨日の地獄を生き延びた彼女の声は、恐怖で裏返っている。

『あの雪原で……光線級の群れに仲間が突っ込んで……目の前で蒸発したのよ!?あんな地獄、もう嫌なの!』

「……っ」

リィズの息が詰まる。その光景は、リィズも知っている。ミハイルと共に見た地獄だ。彼女もまた、そこから逃げ出したくてたまらなかった一人なのだ。

「……う、あ……」

リィズの手が震える。

(……私と一緒だ。かわいそう。助けてあげたい。殺したくない)

リィズは弾かれたように通信機のスイッチを叩き、オープン回線へと切り替えた。

『お、お願い!武器を捨てて、機体を降りて!』

悲痛な叫び声に重ねるように、リィズは必死に呼びかけた。

『今ならまだ間に合うから!投降すれば、命だけは……っ!』

だが、その言葉はあまりにも無知で、残酷なほど甘かった。国家保安省から狙われた逃亡者に、命だけは助かるという甘い選択肢など存在しない。捕まれば、あの地下独房での終わらない拷問と、薬物による人格破壊が待っているだけだ。逃亡者にとって、リィズの提案は死以上の地獄を意味していた。

『ふざけるなっ!……お前らの言いなりなんかにっ!』

『……え?』

リィズの機体が止まる。操縦桿を握る手から力が抜けていく。

「……リィズ!何やってんだよ、早く撃て!」

ミハイルの怒声が響く。だが、リィズは動けない。

その時だった。追い詰められた逃亡機が、突如として挙動を変えた。逃げ場がないと悟ったのか、あるいは恐怖が臨界点を超えて暴走したのか。

『……嫌だ……死にたくない……死にたくないぃぃぃッ!!』

逃亡者の女性衛士が絶叫する。彼女のMiG-21が、近接戦闘短刀を構え、無理やり機首を反転させた。その先には、動きの止まっているリィズ機がいた。

『死ねぇぇぇッ!!国家保安省の犬がぁぁぁッ!!』

「……えっ!?」

リィズの視界一杯に、敵機の凶刃が輝く。躊躇いなど関係ない。ただ生き残るために、目の前の障害を排除しようとする純粋な殺意がリィズに振りかぶられる。

「……いや……!」

リィズが反射的に身を竦めた、その瞬間。横合いから飛び込んできた影が、リィズ機の前に割って入った。

ミハイルのMiG-23だ。彼は自機の近接戦闘短刀で敵の攻撃を受け止めると、そのまま跳躍ユニットを全開にして敵を押し返した。

『……悪いな。俺達も生きたいんだ』

ミハイルの声が聞こえる。彼は敵の懐に潜り込むと、ゼロ距離で36mm突撃砲を敵の管制ユニットに押し当てた。

『あ……』

逃亡機の衛士と目が合う。涙でぐしゃぐしゃになった、まだあどけない少女の顔。

『……じゃあな』

ミハイルがトリガーを引き絞る。ドムッ、という鈍い音と共に、敵機の胴体が内側から破裂した。管制ユニットが粉砕され、爆発と共にひとつの命が散っていった。

「……こちら08。対象Cの撃破を確認。ヴェアヴォルフ08、31損傷無し」

『……ミ、ミーシャ……!?』

リィズが悲鳴を上げる。黒煙の中から、ミハイル機がゆっくりとその姿を現す。装甲に軽い焦げ付きはあるが、致命傷ではない。

「……バカかお前はッ!!」

ミハイルから発せられた本気の怒鳴り声が、リィズの鼓膜を震わせた。

「敵に情けをかけるなと言っただろうが!……相手は死に物狂いなんだぞ!?下手したらお前は死んでたんだ!」

『ご、ごめんなさい……ごめんなさい……ッ!』

リィズは泣きじゃくるしかなかった。自分が撃たなかったせいで、ミハイルを盾にしてしまった。ミハイルを殺すところだった。その事実は、敵を殺すこと以上にリィズの心をえぐった。

(……私のせいで、ミーシャが死ぬところだった。……いやだ、そんなの絶対にいやだ!)

自分の甘さが、世界で唯一の拠り所を壊しかけた。その恐ろしい事実が、彼女の中で何かを決定的に歪ませていく。

「……チッ。無事ならいい」

ミハイルは乱暴に息を吐き、レーダーを確認した。

まだ終わっていない。最後の一機、ルーカスたちが追い詰めてる獲物が残っている。

「……グズグズするな、リィズ。次で最後だ」

ミハイルの声は冷たかったが、そこには確かに守ったという事実があった。リィズは涙を拭い、震える手で操縦桿を握り直した。

(……私がやらなきゃ。……もう二度と迷わない。ミーシャを傷つける奴は、誰であろうと私が殺す……絶対に)

雪原に残された2つ目の鉄屑を見下ろし、少女は歪んだ決意を固めていく。

第8小隊は合流し、最後の一機を追い詰める。性能差で劣るMiG-21はろくな抵抗もできずに、ハンナが放った36mmにより被弾し、森に墜落した。

『……対象B、脚部損傷により行動不能。包囲完了だ』

ルーカスの通信が入る。指定されたポイントに到着すると、そこには無惨に片足を吹き飛ばされ、雪に埋もれるようにして沈黙した最後のMiG-21があった。

ミハイル機とリィズ機、そして先行していたルーカス機とハンナ機の計4機が、その周りを完全包囲する。

『……管制ユニットの損傷を確認。これじゃあ中の衛士は、もうダメかもな』

ルーカスの言葉通り、逃亡機の胸部は墜落の衝撃で激しく損傷していた。いくら衛士が強化装備を着ているとはいえ、無傷とはいかないだろう。

「……08。どうする?」

ルーカスが問いかける。通常なら、このまま戦術機で踏み潰すか、機銃掃射でミンチにして終わりだ。

だが、ミハイルは冷徹な判断を下した。

「……俺と31が降機する。……対象の生死を直接確認するぞ」

『は?おい08、正気かよ?寒いし面倒くせぇだろ』

「相手に戦闘継続能力はもう無い。……機体ごとやれば過剰防衛として国家人民軍の政治将校に突っ込まれる可能性がある。……形式上必要なことだ、もし生きてたら俺達で始末する」

それは事実であるが、同時に方便でもあった。本当は、リィズに確実に対象を撃たせるための措置だった。今回の作戦で、彼女は対象を1人も始末できていない。このままでは、こちらをモニターしているであろう司令部にリィズが目をつけられてしまう。

2機の巨人が雪原に降り立つ。減圧音と共に管制ユニットが開き、強化装備に身を包んだミハイルとリィズが雪を踏みしめて歩み寄る。

「32と33は引き続き周辺警戒を怠るな。リィズ早く終わらすぞ。……ったく、相変わらず寒すぎんだろ」

「……う、うん」

リィズの顔色は死人かと思う程、血の気が引いていた。それはおそらく、寒さのせいではないだろう。

「管制ユニットを開ける。リィズ、銃は抜いとけよ?中のやつが何をしてくるか分からないからな」

ミハイルとリィズが墜落した機体に近づき、胸部付近のコンソールを操作すると管制ユニットが開いた。中の暖かい空気と共に、かすかな血の臭いが周囲を満たす。2人が中を覗き込むと、墜落した衝撃で、左足を折ったのか、痛みに悶絶する若い衛士が居た。年はミハイルやリィズたちと変わらない、まだあどけなさの残る少年だった。

「……た、助けて……!お願い、撃たないで……!」

少年は管制ユニットから這い上がり、ミハイルたちの足元で懇願した。顔は恐怖で歪み、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになっている。

「……僕には、守るって約束した人がいるんだ……!西に逃げなきゃ、殺される……!」

「なら、逃げるべきじゃなかったな。この国じゃ、お前が背を向けた時点でそいつも反逆者の仲間入りだ」

「そんな……」

少年の顔から、すっと血の気が引く。ミハイルは氷のように冷ややかに見下ろした。

「……お前は、地獄の歩き方を間違えた」

そう吐き捨てると、後方で銃を構えたまま固まっているリィズに振り返り、冷酷な声色で言い放った。

「……リィズ。お前がやれ」

「え……?」

リィズは目を見開いた。その瞬間、握っていた拳銃がひどく冷たく、そしてズシリと重くなった気がした。

「……で、できないよ……。だって、この人は……」

「撃て」

ミハイルの声が低くなる。

「さっき誓ったはずだ。次は絶対にやるってな。……ここでお前が撃たなきゃ、報告書にはホーエンシュタイン少尉は敵前逃亡したと書かれる。……そうなりゃ、お前が代わりに死ぬことになる」

「……っ!!」

リィズは激しく首を振った。殺したくない。でも、死にたくない。独房に戻りたくない。ミハイルと離れたくない。矛盾する感情が、彼女の心をきしませる。

「……お、お願い……見逃して……」

コックピットから這い出た少年がどさりと雪原に転がり込む。赤い痕跡を残しながら、這うその姿はリィズの心を、容赦なく抉った。

「……はぁ。ったく面倒くせぇ」

ミハイルはため息をつきながら、腰から拳銃を抜き、躊躇うことなく少年の右足を撃ち抜いた。その容赦ない銃声に、リィズは目を見開き、完全に固まってしまった。

(撃たなきゃ……私が撃たなきゃ、ミーシャの足手まといになる。独房に戻される……)

頭では分かっている。ここで引き金を引くことが、自分がミハイルの隣で生き残るための唯一の道なのだと。だが、血を流して雪の上を這う少年の姿が、どうしようもなくその覚悟を鈍らせる。

(でも……この子も息をして、泣いて、誰かと約束をして……生きたいって願ってる。私と同じ、ただの人間なのに……っ!)

拳銃のグリップを握る指先が、まるで凍りついたように動かない。生きるための利己的な覚悟と、人間としての当たり前の良心が、彼女の心を引き裂くように激しくせめぎ合う。

「っ!!……い、痛い!!……お願い、まだ死にたくない!!」

赤く染まった雪原で足を抱える少年。ミハイルは、恐怖で硬直するリィズの腕を強引に引き寄せ、死の淵で呻く獲物の目の前へと立たせた。

少年の側まで寄ると、彼がリィズの足に力無くすがりついてきた。その体温が、ブーツ越しに伝わってくる。リィズはパニックになり、後ずさろうとした。

「いや……いやぁ……ッ!ミーシャ、助けて……!」

その悲鳴を聞き、ミハイルは無言のまま自分の銃をホルスターに戻した。

その直後。ドンッ、と背中に固い感触がぶつかった。退路を塞ぐようにリィズの背後に回り込んだミハイルが、震える彼女の両手を強引に引き上げ、自身の両手で包み込むようにして彼女の拳銃を構えさせたのだ。

「……覚悟を決めろ、リィズ」

耳元で、ミハイルの声がする。それは命令ではない。地獄への招待状だった。

「これが俺たちの仕事だ。……生きるための代償だ」

背中から押し付けられるミハイルの体温だけが、異常なほど熱い。彼の温かい手が、リィズの凍りついた指に重なる。逃げようとするリィズの指を、ミハイルの指が強引に包み込み、重いトリガーへと押し込んでいく。

「い、いや……!やめて、ミーシャ……!」

その悲鳴を聞き、少年はピタリと懇願の声を止めた。

泣き叫びながら同胞を殺そうとするリィズの矛盾した姿。それに直面した少年の口から、不意に壊れたような乾いた笑いが漏れる。

怯えていたはずの瞳に、絶望と、深い軽蔑の色が浮かんだ。

「……ははっ。なんだよ……泣きながら、僕を殺すのか……」

「え……」

少年は血を吐きながら、怨念を込めてリィズを真っ直ぐに睨みつけた。

「この……悪魔め……」

「撃てッ!!」

ミハイルの怒声と共に、リィズの指が絞り込まれた。

パンッ!

乾いた破裂音が雪原に吸い込まれ、少年の額に小さな穴が開く。直後、リィズの頬に生温かい液体が飛沫となって張り付いた。

「あ……」という声を漏らす間もなく、少年の体は糸が切れた人形のように雪の上に崩れ落ちた。

白い雪が、みるみるうちに赤黒く染まっていく。硝煙の匂いと、鉄錆のような血の臭いが、リィズの鼻孔を突き刺した。

「……あ……あ、あ……」

リィズの手から、拳銃が滑り落ちる。彼女は自分の手を見つめ、そして目の前の死体を見つめた。今、自分が殺した。この手で、引き金を引いて、人間の命を、無抵抗な同胞の命を奪った。背中と、重ねられた手から感じるミハイルの温もりが、これは現実だとリィズに嫌でも認識させる。

「……う、うぅ……ぁぁあああああッ!!」

リィズはその場に崩れ落ち、子供のように泣き叫んだ。

ルーカスは痛ましそうに顔を背け、ハンナは無表情に死亡確認を取っている。ミハイルだけが、泣き叫ぶリィズを見下ろしていた。

「……こちら第8小隊。CP、対象の掃討を完了した。これより帰投する」

『こちらCP、対象の掃討はこちらでも確認した。ご苦労だった、帰投してくれ』

通信を切ると、ミハイルはへなへなとその場に崩れ落ちていたリィズの肩を掴み、雪原から無理やり立たせた。

彼のグローブには、今しがた撃ち抜いた少年の返り血がべっとりと付着している。手袋越しに伝わるその生々しい温もりが、リィズが完全に一線を越え、手を汚したという揺るぎない証明だった。

「……ぁ……ミー、シャ……っ」

涙と血飛沫に濡れたリィズが、唯一の命綱に縋りつくようにミハイルを見上げ――そのまま弾かれたように彼の胸に飛び込み、すがりついて泣きじゃくり続ける。

かつて義兄の迎えを信じていた無垢な光は完全に失われていた。そこにあるのは、逃げ場のない絶望と、取り返しのつかない罪悪感に染まりきった、ひどく暗く、怯えきった瞳。

(……ああ。知ってるよ、その目)

ミハイルはその瞳を見下ろしながら、氷のように冷たく、ひどく静かな自身の過去を呼び起こしていた。

彼もまた、あの日デパートで両親を失い、この狂った組織に拾われ、生き残るために初めて同胞へ銃口を向けた日がある。

硝煙の臭い。生温かい血の感触。心が悲鳴を上げ、人間としての何かが決定的に壊れ去ったあの日の自分と、今のリィズは、全く同じ絶望の顔をしていた。

(……これでいい。綺麗事なんて、この地獄じゃ何の意味も無い)

同じ地獄に堕ちた。同じ血の匂いが染み付いた。

だからこそ、どんな倫理も届かないこの底なしの暗闇の中で、彼女の震えを止めてやれるのは、同じ罪を背負った悪魔だけだ。

ミハイルは小さく息を吐くと、自身の胸に顔を埋めて泣き叫ぶリィズの両肩を掴み、そっと、だが有無を言わさぬ力で自分の体から引き離した。

「……あっ」

突然温もりを絶たれ、見捨てられる恐怖にリィズが息を呑む。すがりつく場所を失い、不安げに揺れる絶望の瞳がミハイルを捉えた。

「……おい。いつまで泣いてるんだよ。強化装備が鼻水まみれになるだろうが」

「ぁ……、うぅ……っ、ミーシャ……っ!」

突き放された彼女の頭上から降ってきたのは、憐憫でも、慈愛の言葉でもなかった。

「……ったく、ここ寒すぎんだろ」

ミハイルは足元の死体などまるで見えていないかのように、いつものひどく気だるげな、面倒くさそうな声でぼやいた。

「さっさと帰って、温かいコーヒーでも飲もうぜ。……ほら、行くぞリィズ」

それは、血塗られた戦場でかけられる言葉としては、あまりにも日常的で、不釣り合いなほど軽い声だった。だが、その呆れたような、いつものミーシャの響きと体温だけが、リィズを狂気の淵から現世へと繋ぎ止める、世界で唯一の楔だった。

「……う、あ……ぅ、うん……っ」

リィズは子供のようにしゃくりあげながら、必死に頷いた。同じ罪を分かち合った共犯者の温もりだけを頼りに、彼女は地獄の底を歩き出す。

吹き荒れる冷たい風の中、雪原の処刑場に、気だるげな少年の足音と、少女の涙だけがいつまでも響いていた。

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