ザイルが倒れ、その周りで五番隊員らが涙を流し続ける、その様子を見ていた壮年の男は、
「まったく、どきたまえ。とてもではないが見ていられない。バーンモルトに負けて私も丸くなってしまったものだ」
五番隊員をどかしてザイルの横に立つ。
「何するつもりッスか……! バキラ!!」
立ち塞がるアン。バキラは軽々と彼女の頭を掴んでどかし、
「治してやる。器具を貸したまえ。私の『
救急キットを奪い取り、ザイルの体と器具に手を触れる。それから数分の間、テキパキとバキラは治療を続けた。
「このくらいだろう。無論、完全に治る訳ではないが」
テルズが治療を終えたバキラに話し掛ける。
「本当に大丈夫なんだろうな? そもそもなんでザイルを治そうとしてくれたんだ? お前には何のメリットもないはずだ」
バキラは小さく笑いながら答える。
「ふっ、ははは。メリットはないな。だが、私にはもうお前たちと敵対する理由もない。私は罰を受けるため、『王』を神に押し上げるために『ACE』にいたのだ。このままいけば『王』は新たなる生命に進化する。そしてボロボロのお前たちにそれを防ぐ手段はない。ゆえに五番隊の男一人助けることにデメリットはない」
バキラは立ち上がり、去ろうとする。誰も止めることはできなかった。
彼は最後に五番隊の方を振り返り、
「それに、クルヴァンガ相手に『悪行』は為した。一つ『善行』を為したくらいでは、私に染み付いた罪は消えないのだから」
地面を動かして去っていくバキラ。『
一方、クレール王国南端付近。
地面に倒れているのは騎士団最強の『六天』アルス・エルバート。
そして、彼を見下ろすマティク・ワイルズ。
その顔にはかつての二番隊員でさえ見たことのない笑みを浮かべている。
「はははっ! 案外あっさり死んだじゃないか、と言うとでも? まさか死んだフリとはな。万策尽きたのか?」
マティクが言う。
すると、ムクリとアルスの体が起き上がる。その胸からは血がだらだらと垂れているが、マティクの一撃でできた穴は貫通していなかった。
アルスの咄嗟の波導防御が心臓と大動脈を守り抜いたのである。
「いや? 結構キツイ攻撃だったんでな、意識がトビかけた。さすがに少し油断し過ぎたよ、本気でやるぜ」
アルスが言い、波導神経を全開、励起させる。アルスの体から放出される波導が空間を歪ませ、ビリビリとマティクの肌を刺す。
「さっきまでとは本当に別物だ。今度こそその命、奪ってみせよう」
マティクも波導術の発動の用意をし、アルスの初動に備える。
一歩、アルスの右足が前に出る。
二歩、マティクの足が後ろに下がる。
次の瞬間、アルスがマティクの眼前に迫る。
波導で強化された超音速のアルスの拳。
マティクは『漸近』によって直撃を避けるが、衝撃波によって吹き飛ばされる。
追い打ちをかけるアルスは、
「"
巨大な生物の口のような形をした波導がアルスの腕を覆う。そのまま右腕が振り抜かれ、体勢を崩しているマティクに波導の牙が触れる。
「"
服に穴が空きながらも身体へのダメージを回避したマティクだが、その周りにはアルスの腕と同じ、波導でできた生物の口が五つほど浮かんでいた。
一斉に襲いかかる牙。逃げ場のないマティクは、
「"発散"しろっ!」
声と同時、波導術が起動しマティクの周囲の物体すべてが吹き飛ぶ。
波導の口も一つ残らず吹き飛ばされて消滅。
凌いだマティクは体勢を整えるが、背後に気配を感じて振り返る。
瞬間、マティクの顔面に拳が炸裂。
鼻と口から血を流しながら三十メートルほど離れた地面に直撃して止まる。
マティクを殴り飛ばしたアルスは既にマティクの頭上に高速で移動しており、
「"
隕石の質量と速度を模倣したアルスの踵落とし。マティクはすんでのところで回避して衝撃波に耐えながら波導術を発動する。
「"
波導により強化されるマティクの脳と眼。彼の前には、背後に大津波を発生させながら拳を構えるアルス。
マティクは、その動きを『微分』する。
目に映るあらゆる物体の動きとその微小な変化。これらを瞬時に解析することで、少し先の未来が見える。
アルスの拳の軌道。変化する波の形。宙を舞う破片の位置。
そのすべてを未来予知に等しいレベルで予測し、最善の一手を選択する。この一連の思考と行動を可能にする脳と眼の強化。
それこそが"微分・完全予測"である。
アルスの超音速の拳が空を切り、津波はマティクを飲み込めない。唯一攻撃が届かない場所に移動したマティクが反撃に出る。
「"
マティクが蹴りを放つ。
「ん? な!?」
驚く声を上げるアルス。体を思うように動かせず、アルスは防御できないまま蹴りを受けて吹き飛んだ。
"積分・無欠構築"。
自身の視界の中の対象の行動を制御することが可能となる。
物体及び生命体がその瞬間に可能な複数の動きを"微分・完全予測"によって読み取り、その中からマティクが望むものを選択することができる。
ただし、一瞬一瞬の動作全てを指定する必要があるため体力と波導の消費が異常に激しい。また、視界の外にある自分自身の行動はこの波導術では制御できないうえ、生命体を対象とすると効果は減少する。それでもなお、アルスの四肢を制御するには十分な力であった。
短い時間ではあるものの、『微分』と『積分』を発動した状態でのマティクは、まさに完全無欠とでも言うべき存在となる。
蹴り飛ばしたアルスを視界に収めたまま疾走するマティク。アルスを雑な体勢で着地させ、腕と足の動きを制限する。アルスが無理矢理体を動かそうとするが、マティクも波導術の出力を最大まで上げて対抗する。
「やっとこの時が来た……! 君の負けだ、アルス!!」
マティクが構えた手のひらに膨大な波導が集まっていき、"
「冥土の土産に伝えておくよ。なんで君を殺したいのか。『王』のため、なんて忠誠はありやしない。ただ、君に人類の未来が任されることだけは許せない。滅亡を司る君が、人智を背負うこのマティク・ワイルズを差し置いて新時代を担うなんてことがあるか!? それに、君自身よく分かっているだろ? 波導術であまりに広範囲を巻き込んでしまう君は、きっといつかヒトという種に大損害を与える。その前に、その命を摘ませてもらう。
"
一点に集中させることで過剰なほどの出力を引き出していた"極"。それを大幅に上回る範囲、出力の一撃がアルスへ迫る。
体を動かすことがままならないアルスには避ける手段などない。
自身を殺す一撃を目の前にし、アルスはただ一言。
「誰の、負けだと?」
刹那、この星から夜が消えるほどの光が走る。
大陸が揺れる。
大海が灼ける。
光はマティクの一撃を消滅させ、彼の半身を撃ち抜いた。
「"