俺は、過去を歩き続けていた。どれだけの時間が経ったのだろうか。見たことがない生命、見たことがない世界。嫌でも未知に記憶が塗り替えられていく。
最初に、仲間を忘れた。
次に、親友が頭から消えた。
最後に、俺自身のことがどこかへ行ってしまった。
風化していく記憶。
摩耗していく精神。
鈍化していく思考。
ただ一つ、止まることのない肉体。
荒野を越え、砂漠を越え、森林を越え、大海を越えた。
その先にあったのは、また荒野。
その繰り返し。見たことがある場所を見たことがない景色が塗り潰す。
灼熱の溶岩、極寒の氷河、墜落する隕石。生命であれば死滅する環境と現象。
俺の体にはそれらを乗り越えるたびに一つだけ傷がつく。
今歩いているのはただの森。草を踏みつけ、木の陰の上を進む。その先に、見たことがないものーー
いや、遠い記憶の底に封印していたものが見えた。
燃える村。炎に飲み込まれる人々。建物が焼け落ち、焦げた木と屍が積み重なる。ここは、
「俺の、故郷か」
燃え残った広場の中心に一人の少年が倒れていた。白い髪は煤で汚れ、体の数箇所に火傷を負っている。そばに紫色のローブを着た男が寄ってきて、少年を担いで連れていく。
辿り着いたのは無機質な施設。数ある部屋の一つに連れてこられた白髪の少年。その目の前、部屋の中心に立っているのは銀髪の少女。
彼女が放ったその一言が、壊れかけの意識を呼び覚ます。
「私、カノン。貴方は?」
「バーン。バーンモルト……」
少しずつ思い出す。これまでの俺の人生を。
何十億年ものこの星の過去の旅、その最果てで、俺の過去が待っていた。
「おはようバーン、今日は何する?」
「だーれだ? ふふっ。分かっちゃうよね、私しかいないし」
「バーン、大丈夫?」
「おやすみ、カノン。また明日な」
「そりゃ分かるさ。黒服か紫ローブにそんなんやられたら恐ろしくてたまらない」
「カノン、大丈夫か?」
カノンと笑い合った日々。
痛みばかりの実験を乗り越えれば、部屋には笑顔の彼女がいた。
いろいろな願い事をした。いろいろな約束をした。
「私、あそこに行ってみたいな!」
「俺はあんなことをやってみたい」
「「もちろん、二人で」」
そんな日常の終わりに結んだ、最後の約束。
ある日、俺が受けた実験が長引いた。どうにも適応の仕方が悪いとか、このままでは失敗するだろうとか、嫌な言葉が聞こえていた。
ひとまず実験が終わり、いつも通り部屋に戻る。
そこにいたカノンは、いつになく怖い顔をしていた。俺を見た彼女がずかずかと寄ってくる。間近に迫るカノンの顔。毎日見ていたその顔に似つかわしくない、険しい表情。眉間には皺が寄り、俺を見上げる瞳には光がない。
「な、なんだよ、カノン?」
「ねえ、バーン。貴方はさ、ここから出たい?」
揺れる瞳。肌に触れる吐息。
俺には分からなかった。
カノンが何を望んでいたのか。
この質問に、俺はどう答えるべきだったのか。
「まあ、出たいには出たいけど、今の生活に不満はない。実験はツラいけど、この部屋にいる間は楽しいし」
「そっか。そうだね、そうだよね。ありがとう」
そう言ってカノンはいつもの表情に戻った。そんな風に、見えてしまった。
その日の夜。気づくと俺は見知らぬ場所にいた。
「え? は? ちょっ、ここどこだ?」
布団にくるまっていたはずだったのに、今は冷たい床の上。いまいち状況が掴めずに困惑していると、いきなり首根っこを掴まれて引きずられた。
「うおっ! いててて!」
「あっ、起きてた? ゴメン、ちょっと静かにして。何も聞かないで」
カノンの声。彼女が俺を引っ張っていた。
「『何も聞かないで』って言われ、むごぉっ!」
カノンに口を塞がれる。必死に抵抗するが、彼女も全力で俺の口を押さえている。
すると、黒いローブを着た集団がそばを歩いていく。
「いたか?」
「いえ、まだ発見できていません。そう遠くまでは行っていないでしょう」
すぐに黒ローブ全員が散っていく。発見できていない、それは多分俺とカノンのことだろう。
なんで俺は追われているんだ?
頭の中で疑問は尽きなかったが、目の前のカノンは、
「そろそろ移動しないと。バーン、行くよ。手を離さないで」
「行くって、どこにだよ!?」
「どこか遠く! もうここには居られない。あの実験施設には戻させないから」
「ぬ、抜け出してきたのか? なんでそんなことを……」
「いいから黙ってついてきて。早くしないと――」
「早くしないと、何かな?」
突然背後から響く低い声。振り返った先に居たのは紫色のローブ。俺を施設に連れ、実験を繰り返していた男……!
紫ローブが手のひらを構えると得体の知れない植物と動物が俺とカノンの周りに出現する。
動物の一匹がカノンに噛みつこうとしていた。
「つっ、カノン!!」
カノンに体当たりして突き飛ばす。俺の左腕に動物が噛み付き、
「いってぇ……、くそっ!」
動物を引き剥がして殴り付ける。左腕からは血が滴り、顎から抜けた牙が刺さっているが、そんなことに構わずカノンの手を掴んで走り出す。
すぐに分かった。
やつは、紫ローブは、確実に殺しに来ている。逃げる他ない。
「バーン……!」
「逃げるんだろ!? 走れ!!」
ここがどこかは分からない。ただがむしゃらに走り続けるのみ。後ろに立っている紫ローブへ向けて炎を放って足止めするが、すぐにでも追いついてくるはずだ。
どれだけ走っただろうか。カノンを掴んだ右腕に力が入る。足も、肺ももう限界だった。辿り着いたのは森の先にあった崖。夜の月明かりでは下がどうなっているのかよく見えない。
そして、背後には、
「鬼ごっこはここまでだよ、バーンモルト。君はどうなってもいい。だけどね、カノン・グラキエスは返して貰おうか」
紫ローブが黒い右手を差し出す。
「カノン……?」
呟きながらカノンの方を向くと、その頬が濡れていた。
眠る前に見た、陰りのある表情。暗い瞳には、どこか強い意志を感じさせるものがあった。
そして――
「ごめんね、バーン。もう、こうするしかないから」
「え?」
俺の口から声が漏れる。
駆け寄ってきたカノン。
俺の心臓を貫く氷。目の前には表情を殺そうとしながら涙を流すカノン。氷が引き抜かれ、鮮血が噴き出しながら凍っていく。
彼女が俺を崖から突き落とす。落ちる直前、カノンは俺の耳元で、
「さよなら、バーン。また、私に――――
約束、だよ?」
「なんで……? カ、ノン……」
星空が遠くなっていく。俺の頬に落ちる、一粒の水。
最後に感じたのは、冷たい水に体が包み込まれる感覚。
目が覚める。白いベッドの上だ。ふと横を見ると、そこにいたのはまったく知らない男。
「目が覚めたか。いきなりなんだ、と思うだろう。川から流れてきたんだ。そのボロボロの体でな」
「川? ああ、そうか、崖の下にあったのか。はっ、カノンは!? というか、お前誰!?」
「助けられておいて失礼だな、ガキ。おれはクロス。クロス・ライター。アヴァリティアスの騎士だ。カノンとやらのことは知らないが、話は聞こう」
これが、俺とカノンの別れ。そして、俺とクロスさんの出会いだった。そして、結局カノンのことは分からないまま騎士団に入って、最後には……。
だから俺は、行かねばならない。こんなところで昔を懐かしんでいる場合はない。
過去から目を離す。体に幾重にも巻き付く鎖を引きちぎる。
「俺は……まだ、戦いに……!」
カノンから真実を聞くために。
俺の人生の影に居続けた、『ACE』の『王』を倒すために。
仲間との日常を再び手に入れるために。
一つ、考え続けていたことがある。迷い続けたことがある。
カノンが最後に放った言葉。
「さよなら、バーン。また、私に会いに来て。そのとき、
約束、だよ?」