俺たちが作ったゲームなのに知らない設定が多すぎる ~自作ゲーム世界に転移したら聖女になっていた~ 作:Fiomia
偽邪神の身体が崩れ去る。
鏡のような水面へ黒い粒子が溶け込み、最後の光も静かに消えていった。
誰もすぐには動かなかった。
長く張り詰めていた緊張がようやく解け、肩で息をする音だけが静かな空間に残る。
「……終わった、のか」
ルークが剣を下ろす。
「たぶん……」
ミリアも弓を構えたまま辺りを見回す。
私は偽邪神が消えた場所を見つめ続けていた。
《ディバイン・サイト》に映る黒い因果は、完全に途切れている。
少なくとも、あの存在は消滅した。
『偽邪神……機能停止を確認』
カルディアの声が鏡の海全体へ響く。
淡々とした口調は変わらない。
『戦闘結果を反映』
『演算を実施』
『……』
わずかな沈黙。
それは今までのカルディアには見られなかった間だった。
『演算終了』
『結論』
『偽邪神計画は失敗しました』
「……!」
エリシアの表情が強張る。
『本計画ではエコーの発生を阻止できません』
『管理目的は達成不能と判定しました』
アレックスが剣を構え直す。
「まだ何かやる気か」
『はい』
返答はあまりにも静かだった。
『代替計画へ移行します』
鏡の海の上空に、無数の光輪が浮かび上がる。
それぞれが複雑な魔法陣を描きながら回転を始めた。
私はその構造を見た瞬間、背筋が冷たくなる。
「空間魔法……?」
違う、もっと大きい。
施設一つどころではない。
世界そのものへ干渉しようとしている。
『時間軸補正計画を開始』
「時間軸……?」
ルークが意味を理解できず呟く。
カルディアは答える。
『過去への情報遡行を実施』
『偽邪神計画開始以前へ演算結果を送信します』
『計画を修正し、再実行します』
その言葉に、私もアレックスも同時に息を詰めた。
「過去を……やり直す?」
『はい』
『管理機構は失敗要因を修正し、世界滅亡を回避します』
アレックスが叫ぶ。
「そんなこと認められるか!」
『管理目的を最優先します』
光輪がさらに増える。
空間そのものが幾重にも折り重なり始める。
鏡の海の向こう側へ、新しい空間が開いていく。
カルディアの立体映像も、その中心へ浮かび上がった。
私は思わず杖を構える。
《ホーリー・アロー》!
白銀の光が一直線に走る。
だけど矢はカルディアへ届く前に、見えない壁へ吸い込まれるように消えた。
「効かない……!」
『時空間隔離を完了』
カルディアは何事もなかったかのように続ける。
『管理機構は時間軸補正領域へ移行しました』
アレックスも剣を振るう。
《ジャッジメント・ブレード》!
巨大な斬撃が空間を切り裂く。
それも結果は同じだった。
境界へ触れた瞬間、光は霧のように散ってしまう。
「くそっ!」
「アレックス!」
私は急いで彼の隣へ駆け寄る。
目の前には透明な膜のようなものが揺らめいていた。
触れようとしても指先は届かない。
距離は数メートルしかないはずなのに、そこだけ世界が切り離されている。
『時間軸補正開始まで』
『六十四秒』
「まだ時間がある!」
ルークが剣を叩きつけるが、鈍い音だけが返ってきた。
ミリアも矢を放つ。
一本、二本、三本。すべて同じ場所で霧散する。
「壊れない……!」
カルディアは淡々と告げる。
『現在、管理機構への干渉は不可能です』
『時間軸補正完了後、本時間軸は不要となります』
その一言が、胸へ重く落ちた。
この世界そのものを捨てるつもりなのか。
私たちも。
ここで出会った人たちも。
すべて「失敗した時間軸」として切り捨てる。
私は歯を食いしばる。
「そんなこと……!」
『世界保存のための必要処理です』
カルディアに迷いはない。
間違った前提から導き出された、完璧に論理的な答え。
だからこそ止められない。
『五十七秒』
誰も言葉を発しなかった。
止める方法が見つからない。
焦りだけが時間とともに膨らんでいく。
その時。
鏡の海へ小さな波紋が広がる。
一つ。
また一つ。
誰も動いていない。
魔法も使っていない。
それなのに、水面だけが静かに震えている。
私は違和感を覚え、《ディバイン・サイト》を発動した。
世界を流れる因果が、一斉に揺らぐ。
今までカルディアへ集まっていた流れとは違う。
もっと深く、もっと大きな何かが、鏡の海の底からゆっくりと浮かび上がってくる。
カルディアの声が初めて乱れた。
『……高次反応を検知』
『管理記録に該当データなし』
『解析中』
光輪の回転がわずかに鈍る。
『未登録存在を確認』
『識別不能』
『これは――』
鏡の海の中央が、大きく波打った。
黒でも白でもない、透明な光が水面から立ち上がる。
ゆっくりと、まるで眠りから目覚めるように。
少女の輪郭が現れる。
長い髪。幾重にも重なって見える顔。
「……嘘」
隣でアレックスも同じ表情を浮かべる。
「フィアナ……」
「あれ……」
私たちは同時に、その名を口にした。
「EEの……邪神だ」
鏡の海へ、『邪神』は静かに降り立った。
偽邪神と同じ姿。
けれど、その存在から感じるものはまるで違う。
禍々しい魔力は確かにある。
それなのに、不思議と圧し潰されるような威圧感はなかった。
『未登録存在への対処を開始』
カルディアの周囲で光輪が再び高速回転を始める。
『時間軸補正を継続』
『対象の解析を――』
その瞬間。
真邪神がゆっくりと右腕を持ち上げた。
「あの構え……!」
アレックスが目を見開く。
「さっきの偽邪神と同じだ!」
直後、腕が振り下ろされる。
白い衝撃波が鏡の海を一直線に走った。
「散開!」
私たちは反射的に左右へ飛ぶ。
攻撃そのものは偽邪神と変わらない。
けれど。
「遅い……?」
ルークが呟く。
確かに遅かった。避けられるように速度を落としている、そんな印象さえ受ける。
ミリアの矢が放たれる。
《ピアシング・ショット》。
矢は真邪神の肩を貫いた。『邪神』は避けようともしない。
私は杖を構えた。
《ディバイン・レイ》!
白銀の奔流が胸を撃ち抜く。
光が収まると、そこには大きな傷が残っていた。
再生しない。
「フィアナ!」
アレックスが叫ぶ。
「効いてる!」
「うん!」
私は頷いた。
偽邪神とは違う。
部位ごとの同期もない。黒い因果も見えない。
まるで最初から倒されるためだけに存在しているようだった。
それでも攻撃は止まらない。
真邪神は再び腕を振るう。
今度は黒い光弾。軌道まで偽邪神と同じ。
「これも同じだ!」
ルークが剣で弾き返す。
アレックスが間合いへ飛び込んだ。
《ジャッジメント・ブレード》!
銀閃が真邪神の胴を深く斬り裂く。
それでも真邪神は後退するだけで反撃しない。
私は違和感を覚えていた。
「どうして……」
攻撃できるはずなのに。
避けられるはずなのに。
まるで。
私たちが勝てるように動いている。
「アレックス!」
「分かってる!」
彼も同じことを感じていた。
「でも止めるしかない!」
その言葉に迷いはなかった。
真実が分からなくても。
急いで『邪神』を止め、そしてカルディアの時間軸補正を止めなければならない。
「ルーク!」
「はい!」
「ミリア!」
「いつでも!」
「決めるよ!」
四人が同時に駆けた。
私は最後尾から魔法を放つ。
《ホーリー・エンチャント》!
三人の武器が神聖な光を帯びる。
アレックスの剣。
ルークの剣。
ミリアの矢。
そして。
《ディバイン・レイ》。
四つの攻撃が、『邪神』へ同時に届いた。
白い光が世界を包む。
『邪神』は静かにこちらを見つめる。
その瞳に敵意はなかった。
悲しみでもない。
どこか安堵したような、穏やかな微笑みだけが浮かんでいた。
「……ありがとう」
誰かがそう囁いた気がした。
次の瞬間。
『邪神』の身体が無数の光となってほどけ始める。
黒ではなく温かな白い粒子。
光は空へ昇り、鏡の海全体へ広がっていく。
――その時。世界から音が消えた。
波紋も。
風も。
呼吸さえも。
すべてが止まる。
その刹那《ディバイン・サイト》が、自動的に発動した。
視界いっぱいへ因果が広がる。
無数に絡み合っていた黒い糸。
それらが一本ずつほどけていく。
複雑に結ばれていた結び目が、静かに解かれていく。
私はその光景だけを見ていた。
そして。
世界そのものが、一枚の紙を書き換えるように静かに塗り替えられた。
――眩い光。
「……フィアナ?」
アレックスの声で我に返る。
鏡の海は消えていた。
私たちは中央研究所最深部へ戻っている。
ルークもミリアも、不思議そうに辺りを見回していた。
「終わった……?」
誰も、今起きた出来事を覚えていない。
私だけが、胸の奥で何かがほどけた感覚を残していた。
視線を上げる。
そこにカルディアの姿はない。
巨大な柱も停止している。
近づいてみると白い外装は風化し、ところどころ崩れ落ちていた。
内部の結晶は濁り、配線は朽ち果てている。
まるで何千年も前に役目を終えた遺物だった。
「これは……」
アレックスが機械へ触れる。
何も反応しない。
カルディアの立体映像も現れなかった。
私はそっと目を閉じ《ディバイン・サイト》を発動した。
……でももう、あの機械へ繋がる因果はどこにも存在していない。
カルディアという管理機構は、この世界の歴史から静かに消えていた。
理由は分からない。
けれど一つだけ確かなことがあった。
あの白い光が世界を書き換えた。
誰にも知られることなく。
誰にも気付かれることなく。