俺たちが作ったゲームなのに知らない設定が多すぎる ~自作ゲーム世界に転移したら聖女になっていた~ 作:Fiomia
そこは黒い世界だった。
光だけが残っている。
白い光が幾重にも重なり、視界を埋め尽くしていく。
その向こうで最後まで見えていたのは、愛する女性の銀色の髪。
「フィアナッ!!」
叫び声だけが響く。
伸ばした手は届かない。
光は俺の身体ごと飲み込み、鏡界は遠ざかっていった。
◇
冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
硬い地面の感触。鼻を刺すような匂い。遠くから聞こえる、聞き慣れない言葉。
ゆっくりと目を開く。
白い天井。
知らない部屋だった。
「……ここは」
身体を起こそうとして、思わず息が止まる。
鎧も剣もない。
服装も見覚えがない白い衣服へ替えられていた。
勢いよく周囲を見回す。
「フィアナ!」
返事はない。
立ち上がろうとした瞬間、扉が開いた。
「起きました!」
白衣を着た女性が何かを叫び、すぐに数人が部屋へ入ってくる。
誰一人として知らない顔。
話している言葉も理解できない。
「名前は分かりますか?」
医者と思われる人物が俺と自分を交互に指さして何かを聞いている……名前を聞かれているのか?
「……アレックス」
自然に口から出た。
その名を口にした瞬間、頭の奥がずきりと痛んだ。
病室が少し騒がしくなる。
その時ふと、彼らが何を話しているのか分かるような気がした。
「記憶があります!」
「いいえ、混乱しています」
「本人確認を」
矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
どこから来たのか、家族はいるのか。
住所は、国籍は。
しかし彼らが話している内容は分かっても、言葉が話せるようになったわけではない。
俺は何も答えられなかった。
◇
「記憶喪失でしょう」
医師は静かな口調で告げた。
「身元を示す物もありません。警察とも相談しましたが、しばらくは保護施設で生活していただくことになります」
俺は黙って頷いた。
ここがどこなのかも分からない。
つまりここはフィアナの言った通り、別の時間軸、別の世界なのだろう。
◇
その国の名前は、日本といった。
街を歩けば、高い建物が並び、金属でできた箱のような乗り物が道路を走っている。
夜になっても昼のように明るい。
魔法の気配は、どこにも感じない。
それでも、人々は不自由なく暮らしていた。
「すごい国だな……」
ここ数日で覚えた日本語で思わず漏れた言葉に、施設の職員が笑う。
「日本は平和だからね」
俺は曖昧に笑い返した。
違う。
俺が驚いているのは、そこじゃない。
フィアナが命を懸けて送り出した先が、本当に存在していたことだ。
◇
時間だけが過ぎていく。
施設では日本語を教えてもらい、簡単な仕事も紹介された。
生活はできる。
だが、生きているという実感だけがなかった。
夜になると、夢を見る。
鏡の海。
黒い偽邪神。
そして最後に笑ったフィアナ。
『未来が見える……私たちじゃない"私たち"がもう一度……』
そう呟いて倒れるフィアナ。
目が覚めるたび、胸の奥が空っぽになっていた。
◇
ある日、画材店へ立ち寄った。
理由は自分でも分からない。
気付けば鉛筆を握り、紙へ線を引いていた。
最初に描いたのは一本の剣。次に鎧。
その次は街の石畳。
アレドや、王都アークレインの街並み
そして古代王都エーテリア。
描くたびに、忘れかけていた景色が少しずつ戻ってくる。
「……そうか」
俺はようやく理解した。
描かなければ忘れてしまう。
フィアナのいた世界を。
俺たちが生きた証を。
その日から、時間があれば絵を描き続けた。
建物に武器、魔物。そして古代文明の装置。
あの世界で見たものを、覚えている限り正確に。
誰に見せるわけでもない。
自分が忘れないためだけに。
◇
数年が過ぎた。
ある休日。動画配信サイトを眺めていると、一つの配信タイトルが目に止まった。
『インディーRPG エターナル・エコーβ版』
思わず画面を見つめる。
「……エターナル・エコー?」
何故だか気になる名前。
俺は何かに導かれるように再生ボタンを押した。
画面に映ったのは、よくある中世風の街並み……だが。
石畳に噴水。冒険者ギルド。
そして――
「ここがスタート地点の辺境都市アレドですね」
実況者の声が流れる。
俺は息を止めた。
ゲーム画面ではあるものの、雰囲気や建物の配置が、間違いなく俺の知る『アレド』だった。
動画はゲームのプロモーション動画のようだ。
ゲーム内の舞台が次々に紹介される。
王都アークレイン。
魔術師ギルド。
神殿。
王都調査局。
すべて、俺の知る世界そのもの。
そして主人公の名前は
「アレックス」
さらにヒロインは……
「フィアナ」
手が震える。
偶然では説明できない。
創作物の世界がここまで俺の記憶と一致するなどということは考えられない。
画面の右下には制作スタッフの名前が表示されていた。
2人で作り上げたゲームのようだ。
シナリオ・サウンド。
「神代明弘」
プログラム。
「珠玖直人」
◇
「……そういうことか」
自然と笑みがこぼれた。
どちらがアレックスで、どちらがフィアナなのかは分からない。
だが、確信だけはあった。
彼らは――俺たちだ。
どこか別の時空で生きる、俺たち。
フィアナが最後に言った。
『未来が見える……私たちじゃない"私たち"がもう一度……』
その意味を、ようやく理解した。
俺は急いで動画の概要欄を開く。
そこには、開発者への連絡先メールアドレスが記載されていた。
しばらく画面を見つめたあと、静かにキーボードへ手を置く。
――フィアナ。
約束は守る。
今度は、俺が未来を繋ぐ番だ。
メールを送った翌日。返信は驚くほど早かった。
件名「ぜひ、お話を聞かせてください」
本文は簡潔だった。
「あなたの描かれた資料を拝見しました。あまりにも私たちの世界観と一致していて驚いています。」
「よろしければ、ぜひご協力いただけないでしょうか。」
俺は少しだけ笑った。
「そりゃ一致するよな」
そこは俺が生きた世界なのだから。
◇
それからの日々は、不思議なものだった。
向こうから依頼が届く前に、必要になる素材を描く。
アレドの街並み。
王都アークレイン。
冒険者ギルド。
古代研究施設。
王都調査局の紋章。
送るたびに、
「どうして必要な素材が分かるんですか?」
という返信が返ってくる。
もちろん答えられない。
◇
ある日。新しい依頼が届いた。
「ヒロイン、フィアナの立ち絵をお願いできますでしょうか」
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
フィアナ。
その名前だけで胸が締め付けられる。
引き出しの奥から、一冊のスケッチブックを取り出した。
何度も描いて、何度も描き直した少女。
誰にも見せるつもりのなかった絵。
銀色の長い髪。
風に揺れる前髪。
透き通る蒼い瞳。
仲間を見つめる優しい笑顔。
戦いの最中の真剣な横顔。
少し困ったように笑う癖。
全部、覚えている。
忘れた日は、一日もなかった。
スケッチブックの絵をCGにしていく。
髪の流れを一本ずつ。
瞳の光を少しずつ。
服の刺繍まで。
納得できなければ最初から描き直す。
気付けば夜が明けていた。
「……やっぱり、お前は綺麗だ」
誰もいない部屋で呟く。
完成したイラストを送信する。
数時間後。
珠玖直人から返信が届いた。
「これ、本当にありがとうございます」
「想像以上のクオリティに驚いています。どうしてここまで表情が描けるんですか」
俺は返事を書かなかった。
書ける理由を、説明できる言葉は存在しなかった。
◇
その後も作業は続いた。
背景だけではない。
モンスターや武器、魔法やスキルのエフェクト。
そして最後には。
邪神……いや、俺が見たのは、本当は偽邪神だったが。
鏡の海。
翼に槍、黒い光。
分裂と同期、そして再生。
攻撃の始動から予備動作。
身体の向きや視線。
手を振り上げる角度。
覚えている限り、すべて描き起こした。
「全部使う必要はない」
独り言が漏れる。
「でも、一つでも未来を変える材料になればいい」
後に彼らが採用した攻撃は、その一部だけだった。
それで十分だった。
◇
送るものは、あと一つだけ。
幾重にも重なる魔法陣。
フィアナと二人で完成させた時空魔法。
「これが最後だ」
魔法陣の画像データをメールに添付する。
メール本文には短く書いた。
「ゲームには不要かもしれません。ですが、どうしても残しておきたい図形です」
送信。
しばらく画面を見つめる。
もし、珠玖直人か神代明弘のどちらかがこの時空にいるフィアナなら。
この魔法陣を見れば、きっと理解する。
そう信じるしかなかった。
「……頼んだ」
送信ボタンを押した瞬間、不思議と胸の重さが少しだけ軽くなった。
俺の役目は終わった。
あとは、未来の俺たちに託す。
◇
数か月後。
施設を出て仕事にも慣れ、日本での生活も落ち着いていた。
職場の友人に誘われ、飲み会へ参加することになった。
賑やかな店内。
笑い声にグラスの触れ合う音。
「アレックス、こっち!」
呼ばれて席へ向かう。
その時。一人の女性が振り返った。
黒髪に落ち着いた服装。
銀髪ではない。蒼い瞳でもない。
見た目は、どこにでもいる日本人の女性。
それなのに。
時間が止まったように感じた。
女性もまた、驚いたように俺を見つめている。
その瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
震える唇が小さく動く。
「……アレックス」
その声を聞いた瞬間。
胸の奥で、ずっと失われたままだった何かが、ようやく帰ってきた気がした。
俺の口からも、自然に一つの名前が零れる。
「……フィアナ」
彼女は泣きながら笑った。
理由など、もう必要なかった。
世界が違っても、姿が変わっても。
魂だけは、お互いを見失わなかったのだから。