機動戦士マジカルチャンネル、配信中   作:余燼

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10話 十倍になるのは界王拳だけでいいと思う

「さっ。黒江さん。行きますわよ」

「え? ど、どこに?」

「黒江さんのお部屋です」

「凛ちゃん、怖い……」

「怖くしておりますの」

 

 凛さんに促され、車を車庫に入れて戻ってきた千景さんが、ごく自然な動きで黒江さんの退路をふさいだ。逃がさない、という連携だった。

 

「えっと、あの、私、そんなに怒られることしたかな……?」

 

 凛さんと千景さんが、同時に黒江さんを見た。

 

「しましたわ」

「なさいました」

「ひぃん」

 

 黒江さんは小さく鳴いたが、抵抗はできなかった。二人に挟まれるようにして、廊下の奥へ連れていかれる。

 

「須藤様。申し訳ありませんが、黒江様に少々お話がございます。すぐ済みますので」

 

 千景さんが、去り際に丁寧に頭を下げていった。

 

「あ、はい。どうぞ、お構いなく」

 

 俺は配信ルームのソファに、ぽつんと残された。

 ……なんというか、すごい部屋だ。

 防音材の貼られた壁。大きなモニターがいくつも並んでいて、中央には広いテーブル。配信用の機材、ゲーム機、簡単なキッチン、奥には仮眠室まである。ダンジョンに潜らなくても、ここだけで配信スタジオどころか、普通に家として成立しそうだった。

 住む世界が違う、とはこのことか。

 俺がオレンジジュースのグラスを所在なく眺めていると、扉が静かに開いて、凛さんだけが戻ってきた。

 

「あれ。お説教は……」

「あちらは千景に任せましたわ。あの娘のほうが、ああいうのは上手ですの」

 

 凛さんは、向かいのソファに、ゆっくりと腰を下ろした。さっきまでの、黒江さんをからかうような気配が、すっと薄くなっている。

 

「須藤様。少し、込み入ったお話をしてもよろしいかしら」

「……はい」

 

 なんだろう。急に、空気が変わった。

 配信のときの、ミームを連打する魔法少女とも、玄関先で黒江さんを叱っていたお嬢様とも違う。もっと静かで、底の見えない目をしていた。

 

「単刀直入に申し上げます。須藤様。借金を背負っておられますわね」

 

 心臓が、跳ねた。

 

「な――なんで、それを」

「申し訳ありません。勝手に調べさせていただきました」

 

 凛さんは、悪びれもせずに頭を下げた。

 頭の中が、ぐるぐる回る。なんで知ってるんだ。どこから漏れた。いや、そもそも、なんでこの人がそんなことを。

 

「ご安心を。他言するつもりはありません。黒江さんも、千景も、詳しくは知りません。これは、わたくしとあなただけのお話です」

「……はあ」

「それで、ひとつ、ご報告がございますの」

 

 凛さんは、まっすぐに、俺を見た。

 

「あなたの借金。先日、わたくしのほうで、すべて買い取らせていただきました」

「…………え?」

 

 言っている意味が、すぐには飲み込めなかった。

 買い取った。借金を。この人が。

 

「あっ。あの人たちが、債権を持っていないって……」

「ええ。わたくしですわ」

 

 あっさりと、凛さんは頷いた。

 あのときの、不安の正体が、今、目の前で繋がっていく。誰かが、俺の借金ごと、俺を買った。その「誰か」が、この、お嬢様だったのか。

 

「……どうして、そんなこと」

「いくつか理由はありますわ」

 

 凛さんは、指を一本立てた。

 

「ひとつ。あなたは、配信で千景を護ってくださいました。あの娘は、わたくしにとって家族同然の相手です。その恩を、返さないわけにはいきませんの」

 

 もう一本。

 

「ふたつ。あなたは、機動戦士マジカルチャンネルの大切な仲間です。その仲間が、借金で潰れて配信に出られなくなるなど、わたくしが困りますわ」

 

 最後に、凛さんは少しだけ、いたずらっぽく笑った。

 

「みっつ。なんだか、面白そうでしたから」

 

 ……まったく、この人は。

 

「――これが、その証書ですわ」

 

 凛さんが、傍らに置いていた鞄から、一枚の紙を取り出した。

テーブルの上を、すっと滑らせて、俺の前へ寄こす。

 俺は、それを手に取った。

 二千万円。

 

「…………は?」

 

 二千万。

 目の前が、一瞬、白くなった。

 

「ま、待ってください。二千万って、なんですか。なんで、十倍に……!」

 

 声が、裏返った。

 二百万でも、俺には重すぎる額だった。返すあてもなく、いつも返済のことばかり考えていた。それが、十倍。意味が、分からない。

 

「ああ。それはですね」

 

 凛さんは、静かに頷いた。

 

「あなたが、ご自分でお借りになった二百万。それは、その通りですわ。ですが――無利子無利息で200万円貸す、怪しいと思いませんでしたの?」

「……え?」

 

 凛さんが、わずかに目を細めた。気の毒なものを見るような、けれど、どこか冷ややかな目だった。

 

「そもそも、あなたが借りていらした先――闇金でしたの。あなたのご両親は、相当な額を借りておられました。そして、その返済義務が、あなたに引き継がれる契約になっていました」

「闇金……?」

 

 あの、黒い車の男たち。無茶な取り立てはしてこなかった。俺はてっきり、いい借金取りの人だと思っていた。

親が、借金を残して消えた。それだけでも、目の前が真っ暗だったのに。その借金が、俺にのしかかる仕組みになっていたなんて。

 言葉の重さが、じわりと胃に落ちてくる。けれど、それ以上に、頭を殴られたのは、次の一言だった。

 

「一億円ありましたわ」

「いち、おく」

「ええ。一億円」

 

 凛さんは、淡々と続けた。

 膝が、震えた。

 

「ですが、ご安心を」

 

 凛さんの声が、少しだけ、和らいだ。

 

「ですので、こちらも少々、強く交渉させていただきました。――その結果、ずいぶんと、安く譲っていただけましたの」

 

 にっこりと、凛さんは笑った。

 その笑顔の裏で、いったいどんな交渉が行われたのか。俺には、想像もつかなかった。

 しかし、俺の目の前には、二千万円、と印字された証書が、一枚。

 俺は今、二百万を返せずに困っていた人間から、二千万を背負った人間に、なった。

けれど――不思議と、先日までの押し潰されそうだった頃のような、出口のない感じはしなかった。

 

「……返します」

 

 気づけば、そう言っていた。

 

「ちゃんと、返します。何年かかっても」

 

 凛さんが、少しだけ、目を見開いた。

 それから、ふっと、表情を緩める。

 

「あらあら。律儀な方ですのね」

 

 俺のアバターの名前は、カラード。首輪つき、という意味だ。

タンマツを手で持てないからという理由で、なんとなく付けた名前だった。

 その名前が、急に、洒落にならないものに思えてきた。

 

「あら?お説教が終わったみたいですわ。さ、この話は、ここまでですわね」

 

 凛さんが、ぱん、と軽く手を打った。

 気がつけば、廊下のほうから足音がする。

 

「……ぐすっ。ごめんなさい、須藤さん。私、ちゃんと考えてなくて……」

 

 黒江さんが、目元を少し赤くして、配信ルームへ入ってきた。後ろに、やり遂げた顔の千景さんがいる。

 

「あ。いえ。俺は全然、大丈夫ですから」

「須藤様。お待たせして、申し訳ありませんでした」

 

 千景さんが頭を下げる。アバターのときのギャル口調が嘘みたいに、丁寧で落ち着いた人だった。

 

「それでは、改めて」

 

 凛さんが、ぱっと場の空気を作り直した。

 

「全員、揃いましたわね。まずは、きちんとご挨拶をいたしましょう。リーダーから、どうぞ」

「あっ。う、うん」

 

 黒江さんが、慌てて姿勢を正した。

 

「アシュフォード黒江です。配信では、クラリオンをしています。今日は、その……来てくれて、ありがとうございます。あと、いろいろ、ごめんなさい」

「須藤黎人です。配信ではカラードをしています。こちらこそ、呼んでいただいて、ありがとうございます」

 

 俺も、頭を下げる。

 名前と顔と配信名が、ようやく頭の中で繋がっていく。

 クラリオンは、アシュフォード黒江さん。眼鏡をかけた、なんというか、ほにゃっとした、ちょっと危なっかしい人。騎士姫のときの凛々しさとは、別人みたいだ。

 マーリンは、真島凛さん。アバターと同じく小柄で、育ちが良さそうで――そして、新しい飼い主になるのだろうか。

 グレイルは、霧隠千景さん。真島家に仕える使用人で、年上らしい。着崩した制服のギャルとは、なかなか結びつかない、丁寧な人だった。

 

「それでは。機動戦士マジカルチャンネル、収益化、おめでとうございます」

「ありがとうございます!」

 黒江さんが、ぱっと顔を上げた。さっきまで泣き顔だったとは思えない満面の笑顔だ。

「では、さっそくですが、今回の取り分を、皆さんにお配りしますね」

 

 黒江さんが、報酬の分配画面を開いた。

 

「えっと、内訳は……チャンネルの収益化のぶんと、ダンジョンで拾った資源の換金。カラードさんが拾ってくれた中級のと、ドロップした低級が二つです。それと――」

「レイスの素材ですわね」

 

 凛さんが続ける。

 

「どうやら、霊体の素材は珍しいらしく、研究機関が取り合いになったそうですわ」

 

 俺のタンマツに、通知が届いた。

 表示された額を見て、少し、息が止まる。

 多い。俺にしては、大金だった。これだけあれば、当面の生活は、ずいぶん楽になる。二千万の返済の、最初の一歩にもなる。

 ……いけない。露骨に顔に出すな。

 俺は、できるだけ平静を装って、通知を閉じた。

 

「ありがとうございます」

「こちらこそ、ですわ」

 

 凛さんが言う。

 

「カラードさんがいなければ、あの配信は、ここまでの大成功にはなっておりませんもの」

「私からも、改めて、ありがとうございました」

 

 千景さんが、静かに頭を下げた。

 

「あのとき、本当に助かりました。あれがなければ、今ごろ、ここにいなかったかもしれません」

「あ、いえ。間に合って、よかったです」

 

 そう返すと、千景さんは、少しだけ目を細めて微笑んだ。

 ……すごく、大人で、上品だ。

 なんだか、こそばゆくて、俺は視線を逸らした。

 

「ところで、カラードさん」

 

 黒江さんが、ふと思いついたように口を開いた。

 

「前から、聞きたかったんですけど……どうして、配信のとき、『モフ』しか言わないんですか? あれはあれで、すっごくかわいいんですけど」

 

 あ。やっぱり、気になっていたのか。

 

「ああ、それは……実は俺、配信中、ほんとに喋れないんです」

「えっ?」

「このアバター、自作でして。声が、あの『モフ』しか、用意できなかったんですよ。音声素材も、それだけで」

 

 黒江さんが、きょとんとした顔をした。

 まずい。不便な仲間だと思われただろうか。「モフ」しか言わないなんて――

 

「あっ。では、カラードさんの思考を、文字として出すのはどうでしょう!?」

 

 凛さんが、急に、目を輝かせて、とんでもないことを言い始めた。

 

「え?」

「ほら、ネトゲで、ボイチャではなく、チームチャットを飛ばすでしょう?あれの、思考版ですわ。声が出せないなら、考えていることを、身内にだけテキストで見せればよろしいの!」

「え?ネト……ボイチャ?」

「カラードさんがお使いのアイドルタンマツのMI-COREは、感情パターンの解析が可能ですの!それでカラードさんの思考データをサンプリングし、それを千景のゼロフレーム演算でリアルタイムデコード!そこをさらに、わたくしのWIZ-COREを応用すれば、わたくしたちの視界にだけ、あなたの思考を、文字にして表示できますわ!」

 

 謎の呪文が始まった。

 黒江さんが、首をかしげている。

 よかった。仲間がいた。

 

「お嬢様。それは、少々、倫理的に……」

「違法ではありませんわ」

「いや、規制されていないだけで……」

 

 千景さんが、額を押さえている。

 

「これからイベントも増えますもの。カラードさんが、配信のキャラクターを保ったまま、わたくしたちとだけは意思の疎通ができる。そういう手段が、ひとつあると便利でしょう? まあ、速度重視ですので、精度はかなりイマイチですけれど。今度、一度、実験してみましょう!」

 

 "実験"という言葉に、猛烈に嫌な予感がした。

 

「ところで、須藤様」

 

 見たこと無いほど生き生き笑顔で呪文を唱えていた凛さんが、急にこちらを見た。

 

「はい」

「千景の、アバター。どう思われました?」

「えっ」

 

 千景さんの動きも、ぴたりと止まった。

 

「お嬢様」

「年上の女性が、制服を着崩したギャルアバターで、『カラにゃん』などと言っている件についてですわ」

「お嬢様っ」

 

 千景さんの耳が、分かりやすく赤くなっていく。

 

「お、お似合いだったと、思います、よ?」

 

絶対、俺の耳も赤くなっている……

 

「ありがとうございます……」

「ほぅら、千景。脈アリですわよ」

「なっ……何てことを、おっしゃるんですか!」

 

 本当に、なんてことを言うんだ、このお嬢様。

 

「須藤様。千景はね。あなたが配信で、千景を庇って倒れたあの場面を、この一週間、ずっと繰り返し見ておりますの」

「お嬢様!?」

「不機嫌なときも、それを見て。仕事で疲れたときも、それを見て。機嫌を直しておりますのよ」

「お嬢様ぁ!」

 

 千景さんが、両手で顔を覆って、小さくなってしまった。

 あの、落ち着いた大人のお姉さんが、嘘みたいだ。

 

「ち、違います、須藤様。これは、その……あのときは、本当に、肝が冷えましたので。無事を、確かめていただけで……」

「庇って倒れた場面を、何度も巻き戻して?」

「お嬢様、お願いですから、黙っていてください……!」

 

 ……なんだか、申し訳ないような、こそばゆいような。

 俺は、どう反応していいか分からなくて、ただ、頭をかいた。

 あのとき、咄嗟に体が動いただけだ。それを、こんなふうに大事に思ってもらえているなら、報われた気がする。

 住む世界も、立場も、たぶん、年齢も違う。それでも、ダンジョンを攻略した戦友だったことは、変わらない。

 そのことに、少しだけ、ほっとする。

  首輪は、ついたままだ。けれど――前より少しだけ、息が楽な気がした。

 

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