機動戦士マジカルチャンネル、配信中 作:余燼
逃げるライバーたちは、俺たちの脇をすごい速度で駆け抜けていく。
俺たちが入ってきた背後の扉へ向かい、ほとんど転がるように出口へ飛び込んでいった。
「後ろへ! そのまま扉を抜けてください!」
クラリオンが声を張る。
白銀の騎士姫が剣を抜き、刃を下げたまま通路の中央へ立った。
前にクラリオン。
その少し後ろ、邪魔にならない壁際に俺。
さらに後ろで、グレイルが逃げてくるライバーを誘導する。
一番後ろでは、マーリンが扉を押さえていた。重い木製の扉が閉じないように片手で支え、もう片方の手で後方へ抜ける道を示している。
「止まらないで! 走って!」
「こちらですわ! 扉を抜けて、そのまま戻ってくださいまし!」
グレイルとマーリンの声に、逃げてきたライバーたちが次々と後ろへ流れていく。
俺も邪魔にならないよう、床を跳ねて壁際へ移動する。
『クラリオンちゃんかっこいい』
『扉閉まらないようにしてるマーリン偉い』
『後ろの扉に逃がしてるのか』
『毛玉轢かれたら潰れそう』
最後尾のライバーが、走りながら大きくよろけた。
先に駆け抜けていった誰かが負傷していたのだろう。ラバータイルの上には、赤黒い足跡が細く伸びていた。その上を踏んだ最後尾のライバーが、足を滑らせて膝から崩れる。
肩から壁へぶつかり、呻き声が廊下に跳ねた。
「立てる!?」
グレイルがすぐに走った。
そのライバーの腕を取り、後ろの扉へ向かわせる。もう一人、振り返って固まっていた新人ライバーの肩を押し、逃げ道へ向かせた。
「そっち! 後ろの扉! 止まんないで!」
その声に、二人が動く。
その背後、廊下の暗がりから、緑色の光が浮かんだ。
人魂。
最初はそう見えた。
ぼうっと辺りを照らしながら漂う丸い光。表面で、ばち、ばち、と小さな火花が爆ぜている。
尾を引きながら、ゆっくりとこちらへ流れてくる。
『ひえっ』
『スプライトだ』
『人魂みたいな見た目してんな』
『幽霊じゃなくて妖精』
『なんだ妖精かよ。驚かせんなカスがよ』
『草』
『直線通路でチェインスパークとかクソゲーすぎる』
さらに、その奥。
小さな足音がした。
たたたたた、と廊下を走る軽い音。
一瞬、だれかのペットなのかと思うくらい、自然に、暗がりから、小型犬が現れた。
ポメラニアン。
だが、スプライトの緑の光を受けたそれは、明らかに普通ではなかった。
ふわふわだったはずの毛並みは薄汚れ、ところどころ崩れている。
裂けた皮膚の下から、壊れたぬいぐるみの綿のように、中身が覗いていた。
濁った眼だけがぎらぎらと光り、口元から血泡のようなものが垂れている。
クラリオンが息を呑む音がはっきりと聞こえた。
『なにこれ』
『ポメラニアン……?』
『ゾンポメか』
『かわいいじゃん』
『審議中』
『いやあアレはきついでしょ』
『ギリギリかわいい?』
『こいつが特異個体だぞ!』
視界の端でコメント欄が一気に流れ出した。
『まじで!?』
『特異個体キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』
『これ配信的には大当たりでは?』
『新人が特異個体と遭遇とか、普通に全滅案件だぞ』
『拡散した』
『人増えてきてる』
首輪のタンマツの隅で、閲覧数の表示がぐんぐん上がっていくのが見えた。
怖い相手が出てきたが、配信としては逆に盛り上がっている。ちょっと複雑な気分だ。
でも、これだけ見られれば、収益も——いや、今はそれどころじゃない。
「……カラードさん」
クラリオンが、前を向いたまま俺を呼んだ。
「私たちで、ここを止めます。後ろへ抜けた方々に向かわせるわけにはいきません」
「もふ!」
俺はまかせろと短く鳴いて、攻撃用の武装をいつでも呼び出せるようにしておく。
グレイルはまだ後ろだ。転んだライバーをマーリンの方へ押し出している。
マーリンは扉を支えながら、そのライバーを受け入れていた。
なら、今この瞬間、正面を塞げるのはクラリオンと俺しかいない。
「無茶だけはマジでなしね!」
後ろからグレイルの声が飛んだ。
「私もすぐ戻りますわ!」
マーリンも扉の向こうへ最後のライバーを押し出し、こちらへ顔を向ける。
その間にも、廊下の奥ではゾンビポメラニアンがこちらを見ていた。緑色のスプライトが、ふわりと位置を変える。
戦場を細かく確認する。
まずいな、と思った。
この廊下は、左右は壁と窓と、点々と並ぶ教室の扉だけ。横へ逃げる余地が少ない。
遮蔽物なしの一本道で、正面から殴り合う形になる。
あれが図体のでかい相手なら、囲んで、寄ってたかって叩けばいい。
しかし、ゾンビポメラニアンはかなりの小型だ。
四人がかりで囲もうにも、下手に距離を詰めれば、味方同士で射線を塞ぎ合うのが目に見えていた。
こちらの数という優位が、まるごと封じられる。
しかも、後ろをふわふわ漂う、あの人魂——スプライト。
ばち、ばち、と表面で火花が爆ぜている。
この直線の通路での雷の投射は最悪だった。
スプライトへ先に飛び込んで、斬り捨てる。
一瞬、その考えが浮かんだ。
廊下の床を蹴って、壁をかすめるように加速すれば届くかもしれない。
森でレイスを追ったときみたいに、無理やり距離を詰めて、すれ違いざまに斬る。
けれど、ここは遮蔽物のない、まっすぐな廊下だ。
飛び出せば、俺はただの的になる。
しかも、高速で動いている最中に雷を避けるなんて、考えただけで無理がある。
『直線でチェインとか、まとめて持ってかれるぞ』
『散開しろ散開』
『廊下じゃ散開できねーよ!』
『遭遇場所が悪すぎる』
黙って正面を張るしかない。
全員の意識が、自然と、廊下の奥の二体へ吸い寄せられていく。
小さいのに、得体の知れない犬。漂う雷。前から来る、分かりやすい脅威。
ゾンビポメラニアンが、ぐるるる、と地を這うような唸りを上げる。
その声が、廊下の床を低く震わせた。
緑のスプライトが、ふわりと位置を変えた。
グレイルとマーリンが、後ろからこちらへ戻ってくる。
グレイルはタブレットを構え、マーリンは掌に小さな光を灯していた。
「お待たせ、前戻る!」
「ここからですわね」
二人の足音が近づいてくる。
誰もが、正面の敵に意識を集中していた。
その時だった。
視界の隅。コメント欄が目に入る。
『しむらー!後ろ後ろ!』
『包丁ウサギだ!』
『横の教室から出てきたぞ』
『グレイルの後ろ』
『後ろ後ろ後ろ』
『ぎゃークソ兎だ!』
『バックアタック!』
『ああああああああああ』
『気づいて!!』
うさぎ。
横の教室。
グレイルの後ろ。
言葉が、ばらばらに頭へ飛び込んでくる。
意味を組み立てる前に、体が動いていた。
顔を向ける。
グレイルとマーリンは、前線へ戻るためにこちらへ走ってきていた。
そのさらに後ろ。
横の教室の扉が、いつの間にか細く開いていた。
その隙間から、小さな影が音もなく滑り出ている。
桃色の、ぬいぐるみのような体。丸い耳。かわいいはずの輪郭。
けれど手にしているのは、ぎらりと光る、不自然に現実的な包丁だった。
包丁ウサギ。
刃は、グレイルの無防備な背中へ向いていた。
間に合うか、なんて考えなかった。
考える時間が、なかった。
俺は、全身のブーストを一息に開放した。
「モ゛ッ!!」
録音されたはずの声が、加速の衝撃で潰れたように聞こえた。
毛玉の体が、弾けるように吹き飛ぶ。
肺が潰れ、息が止まる。
背中で、肩で、足元で、推進力が一気に噴き上がった。視界が線になって流れる。すべてが後ろへ吹き飛んでいく。
グレイルを一瞬で通り越し、ブレーキとベクトル移動のため、全力で逆噴射を行う。
「——ッ!!」
内臓が軋む。
その向こうで、包丁ウサギが刃を振り上げていた。
間に合え。間に合え——!
俺は、グレイルと刃物の間へ、体ごと滑り込んだ。
身体の内側へ、冷たい金属が差し込まれる感覚があった。
痛みは、なかった。
痛みを感じるより先に、何かが大きく抜け落ちていく感覚があった。体の中で巡っていた魔力が、決壊したダムみたいに、一息に流れ出ていく。
あんなに冴えていた視界が、急速に色を失っていく。
「カラにゃん!?」
グレイルの声が、ひどく遠くに聞こえた。
身体の中に刃物を置いたまま、滑るように包丁うさぎが特異個体のほうに逃げていく。
振り向いた彼女の顔が見えた。いつもの軽い笑みは、どこにもなかった。目を大きく見開いて、何かを叫ぼうとして、声にならなくて。
ああ。
間に合った、か。
それだけは、分かった。
力が入らない。武装が、淡い光になってほどけていく。短い手足が、床に投げ出される。
冷たいラバータイルの感触が、頬に伝わった。
「カラードさんっ!?」
クラリオンの、悲鳴のような声。
「——うそ、でしょう」
マーリンの、聞いたことのない呆然とした声が続いた。
みんなが、こっちを見ている。
「……」
声を出そうと思ったが、吐息のような何かしか出なかった。
ただ、視界の隅で、コメント欄だけがやけにはっきりと見えていた。
今までで一番の勢いで、見たこともない速さで、文字が流れ落ちていく。
『うわあああああああ』
『間に合ったけど!』
『ああああああ』
『嘘だろ』
『主人思いのペット』
『なんだかそう見えてきた』
『毛玉ェ……』
『最後の最後でかっこよすぎるだろ』
『人増えすぎてコメント追えない』
ああ、よかった。
数字が、伸びてる。
借金、少しは、返せるかな。
そんなことを思った自分で自分に呆れて、笑おうとした。
だが、身体は動かない。
廊下の天井。蛍光灯。グレイルの顔。クラリオンの白銀。マーリンの光。
全部が、ばらばらの写真みたいに見える。
視界が、暗くなっていく。
最後に見えたのは、こちらへ駆け寄ってくる白銀の鎧の輝きと——その後ろで、たくさんの文字が流れ続ける、明るい光だけだった。
ああ、まだ、終われない。
まだ、何も——。
そこで、意識が途切れた。
カラードの中の人「運がよかったらバックスタブで死ねそうだから、最後尾でいいっすか?」