機動戦士マジカルチャンネル、配信中   作:余燼

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7話 ヒーローとは過去を振り返らず前へ進むことらしい

 ラバータイルの冷たい廊下に、その音が、やけにはっきりと響きました。

 金属が、やわらかいものへ沈み込む音。

 小さな影が、グレイルの背後から滑り出ていました。ピンク色のぬいぐるみのような体。片手に握られた包丁。

 それがグレイルへ届く直前、私の少し後ろにいたカラードさんが床を蹴りました。小さな毛玉の体が、私の視界を横切って後ろへ飛びます。グレイルと包丁のあいだへ、迷いなく割り込んだのです。

 

「カラードさんっ!?」

 

 悲鳴が、自分の喉から出ていました。

 包丁が、カラードさんの身体に沈んでいます。

 丸い体が小さく跳ね、床へ落ちました。

 ころん、と。

 あまりにも軽い音でした。

 短い手足が投げ出され、ぴくりとも動きません。首輪のタンマツだけが、力なく赤く点滅していました。

 

「カラにゃん……?」

 

 グレイルの声から、いつもの軽さが抜け落ちていました。マーリンの掌に灯っていた光も、行き場をなくしたように揺れています。

 

「……うそ、でしょう」

 

 マーリンの声が、聞いたことのない響きで廊下に落ちました。

 《EP 0》。

 戦闘不能。

 防護膜消失。

 EPが尽きれば、タンマツの保護は切れます。モンスターの攻撃だけではありません。ダンジョンそのものから身を守る機能も失われるのです。そのまま長く置けば、侵食が進むかもしれませんでした。

 早く、医務室へ。早く、この場から連れ出さなければなりませんでした。

 冷たいものが、背骨を駆け上がってきました。

 私の、せいです。

 変なタンマツだから。三人だけでは不安だったから。そして何より、私が「助けに行きましょう」なんて言ったからです。

 逃げてきた方々を見捨てたくありませんでした。ここで止めなければ、誰かが傷つくと思いました。そう言い出したのは、私です。

 そして今、その場所に倒れているのは、私ではなくカラードさんでした。

 今日、私たちの仲間になってくださったばかりなのに。

 まだ、何も返せていないのに。その方が、グレイルを守って動かなくなっているのです。

 言葉が、頭の中で渦を巻きました。膝が、笑いそうになりました。

 いつもの私なら、ここで逃げていたと思います。声が震えて、視線が泳いで、「ごめんなさい」が口から零れて、それきり何もできなくなる。私はそういう人間でした。格好いい白銀の鎧をまとっていても、大きな剣を持っていても、その内側にいるのは、ずっと誰かの助けを待つだけの人間でした。

 ――けれど。

 

『毛玉ェ……』

『今の庇った?』

『グレイル守ったのか』

『なにこれ泣く』

『主人思いのペット』

 

 流れ落ちるコメントの白い光が、視界の端を焼きました。

 ああ、と思いました。

 この方は、グレイルのために、考える間もなく自分の体を投げ出したのです。間に合うかどうかなんて、きっと計算していません。ただ、間に合わせたのです。

 それを見て、震えていることなんて出来ません。

 胸の奥で、燃えさかる炎が生まれました。弱気も、自信のなさも、後悔も、罪悪感も、消えたわけではありません。

 でも、だから、それが何ですか。

 足りないことは知っています。未熟なことも知っています。間に合わなかったことも、私のせいだということも、全部分かっています。だからこそ、今ここで止まるわけにはいきません。

 氷のような恐怖が溶けていき、胸の奥で、赤く、強く、形を持ちました。

 この方を、絶対に死なせない。もう一度、あの声を聞くのです。

 

「――グレイル」

 

 自分でも驚くほど、低く、静かな声が出ました。

 

「カラードさんをお願いします。包丁は抜かないでください。傷が広がります」

「……っ、わかった!」

 

 グレイルが弾かれたように膝をつき、カラードさんへ取りつきました。下手に刺さったままの包丁を抜けば、流れ出る血が止まらなくなります。彼女は片手でカラードさんの体を支えながら、もう片方の手でタンマツを操作し、傷の周囲を固定していきました。

 時間がありません。

 カラードさんを抱えて逃げることも、考えました。でも、それは出来ません。

 背を向けた瞬間、あのスプライトの雷がこちらへ飛んでくるでしょう。それに、ゾンビポメラニアンの足は、見た目に反して速い。逃げ切れる相手ではありませんでした。

 なら、答えは一つです。

 敵を倒すしかありません。今すぐに。

 私は儀礼剣を握り直しました。柄を伝う冷たさが、むしろ心地よく感じられました。

 廊下の奥を見ます。スプライトの緑色の光。包丁を持ったピンク色の兎。薄汚れた毛並みを逆立てるゾンビポメラニアン。そして、私たちの背後には、倒れたカラードさん。

 戦場は、はっきり見えていました。

 

『クラリオンちゃんメンタル強い』

『さっきまでオロオロしてたのに』

『なんか雰囲気ちがう』

 

 視界の端にコメントが流れます。今は気にしている場合ではありません。私が見るべきものは、倒すべきものだけでした。

 

「マーリン」

「――言われずとも」

 

 マーリンが、すっと横に並びました。いつものふざけた感じはしません。その指先で、青白い光が密度を増していきます。衣装のフリルに、火花めいた魔力が走りました。

 

「派手に行きますわよ。巻き込まれないでくださいまし」

「お願いします」

 

 マーリンは両の掌を脇へ引き、そのあいだに光を圧し固めました。膨れ上がった光が、廊下いっぱいを白く照らします。

 

「――ぶっ飛びなさいッ!」

 

 迸った光の奔流が、まっすぐ廊下を貫きました。

 真っ先に呑まれたのは、刃を持ったまま逃げかけていたピンク色の小兎でした。光に触れた瞬間、その輪郭が淡くほどけ、声もなく粒子へ変わります。続いて、漂っていた緑の人魂も光の中へ呑まれました。

 光の濁流は止まらず、廊下の奥の獣へ叩きつけられます。ゾンビポメラニアンの体が、後ろへ大きく仰け反りました。崩れた毛が焼け、濁った眼から、また別の濁った光が漏れます。

 それでも、倒れません。

 

『OH!KAMEHAMEHA!』

『二体まとめて消えたんだけど』

『ボスだけ耐えた』

『さすが特異個体』

『王の肉体持ちだな』

『硬すぎる』

 

「しぶといですわね」

 

 マーリンが息を整えながら、髪を払いました。汗が、こめかみを伝っています。さっきの一撃で、相当な消耗をしているはずでした。

 けれど、これでいいのです。邪魔なものは消えました。残ったのは、あの一体だけ。

 なら、次は私の仕事です。

 私は駆け出しました。大剣を低く、横へ流す。刃を地面と平行に倒し、体ごと右へ回す。重い剣が、遠心の力を巻き取って、ぐん、と速度を増していく。

 

『来た』

『本気の姫騎士』

『めっちゃ迫力ある』

 

 回転の頂点で、私は剣の腹を、獣へ叩きつけました。

 

「はぁッ!」

 

 断ち割るのではなく、打ち据える。

 ゾンビポメラニアンの体が、横へ吹き飛びました。ラバータイルの上を転がり、教室の壁へ叩きつけられます。壁面のロッカーがひしゃげ、廊下の蛍光灯が一斉に明滅しました。

 

『ぶっ飛んだwww』

『面攻撃賢い』

『大剣は鈍器にもなるのが便利』

『重い音すき』

『いい意味で初心者詐欺』

『まだ生きてるぞ!』

『まだ生きてる(ゾンビ)』

『もう死んでる(ゾンビ)』

 

 手応えはありました。

 ですが、特異個体は、ぐるりと生物ではあり得ない身のこなしで起き上がります。黒い体液を撒き散らし、口の奥から唸りを漏らしました。明らかに、こちらを敵として認識した目でした。

 獣が、跳びます。濁った牙が、私の喉元へ食らいつこうと迫る。

 早い。大剣を振り抜いた後で、体勢が崩れたままです。回避は間に合いません。

 そう判断した刹那、獣の正面の空間が、ぶわりと歪みました。透明な泡のようなものが幾重にも膨れ上がり、ゾンビポメラニアンの突進を、ほんの一瞬だけ押し留めます。

 

「させないって!」

 

 グレイルです。カラードさんの処置から目を離さないまま、空いた手でタブレットを弾いていました。

 

「クラっち、踏ん張れ!」

 

 泡に阻まれて、獣の軌道がわずかに逸れます。喉元へ向かっていた牙が、少しだけ外れる。

 私は咄嗟に腕を上げました。タンマツへ意識を送る。円卓の紋章が、私を守護するように浮かび上がる。光の層が腕を覆う。盾と、もう一枚の盾。重なり合った守りが、汚染された牙を受け止めました。

 衝撃が、肩まで抜ける。膝が沈む。

 けれど、痛みはありませんでした。牙は鎧の光に弾かれ、肌へは届きません。

 ――はずでした。

 噛みつかれた腕の鎧が、じわりと黒く変色していきます。獣の汚染が、守りの隙間から侵そうとしていました。

 

「クラリオン、動かないで」

 

 マーリンでした。素早く私の傍らへ寄り、衣装の合わせから小瓶を取り出します。栓を弾き、黒ずみの広がる腕の鎧へ、薬液を流し込むように押し当てました。冷たいものが鎧の隙間へ染み込む。広がりかけていた黒が、しゅうと音を立てて引いていきます。

 

 

「ありがとうございます」

 

 続けて、淡い緑の光が私を包みました。マーリンの回復です。失われたEPが、温かく満ちていきます。

 応えなければなりません。

 ゾンビポメラニアンが、体勢を立て直そうと身を低くする。その隙を、私はもう逃しませんでした。

 今度は、大剣を地面すれすれまで沈め、切っ先を下から上へ向ける。膝を沈める。腰を落とす。全身の力を、一本の刃へ集める。

 

「もう一度ッ……!」

 

 刃が、獣の顎の下から空へ向けて駆け上がりました。ゾンビポメラニアンの体が、ふわりと宙へ浮く。重い体が地を離れ、ほんの一メートルほど廊下の空中へ投げ出されました。

 

『浮いた!』

『打ち上げた!』

『連携くるぞこれ』

『決めろ!』

 

「マーリン!」

「――いただきますわ」

 

 浮いた獣の真下へ、マーリンが滑り込んでいました。

 

「リゲイン率が0%なのが残念ですわ」

 

 手刀が宙に浮いた獣の胴体へ、下から深く突き込まれました。

 貫いて、抉る。内側から食い破るように、黒い塊を引きずり出す。

 獣が、声にならない悲鳴を上げて痙攣しました。

 

『青ざめた血を求めよ』

『内臓攻撃wwwwww』

『やあ、君が新しい狩人かね』

『ハートキャッチ(物理)』

『魔法少女じゃん。よかった』

『そうかな?そうかも?』

『ゾンポメは再生持ってるぞ。どうすんだ』

 

 崩れた体が、再び廊下の床へ叩きつけられました。もう、ほとんど動きません。

 けれど、まだ終わっていません。ゾンビポメラニアンには再生があります。

放っておけば、また立ち上がるでしょう。

 

「グレイル。あなたがやりなさい」

 

 マーリンが声をかけると、彼女はカラードさんをそっと壁際へ横たえ、立ち上がっていました。傷口の固定は崩していません。首輪の点滅も確認しています。

 その上で、大太刀を抜きました。

 

「はい」

 

 グレイルの声から、ふざけた色が消えていました。その返事は、配信上のグレイルのものではありません。黒江家で聞き慣れた、千景さんの声でした。

 軽さも、冗談めいた響きもない。ただ、主の命を受けた従者の声でした。

 

「参ります」

 

 グレイルが踏み込みます。刃が奔る。抜刀から、連続で四つの軌跡が走る。獣が立ち上がるために必要な場所を、迷わず断つ。動くための線を切る。戻ろうとする力を、戻れない形に変える。

 

『ゾンビ砕きだ』

『アイザックさんのせいで出来たミーム』

『石村流』

『【解説】某ゲームのおかげで、不死系モンスターは四肢を寸断すると再生が発動しません』

『そんなことになってんのwww』

『わぁ……エンジニアって怖い』

『グレイルの素が超丁寧っぽいんだけど』

『お嬢様にギャル口調を強制されているの?』

『パワハラすぎる』

 

 ゾンビポメラニアンが、初めて悲鳴のような音を上げました。再生しようと蠢いていた肉が、断たれた瞬間、ぴたりと動きを止める。

 立ち上がる脚を。

 再生を否定する一撃。

 ゾンビポメラニアンの体が、今度こそ、光の粒子になってほどけていき、廊下に、静寂が戻りました。

 

『勝った!!』

『勝利!!』

『うおおおおおおおおお!!』

『勝ったあああ』

『新人パーティが特異個体倒したんだが』

『戦闘不能1で済んでるの奇跡だろ』

『すげええええええ』

『これ伝説回だろ』

『毛玉ェ……』

『医務室へ!』

『はやくしろっ!!間にあわなくなってもしらんぞーーっ!!』

 

「――終わった」

 

 マーリンが息を吐き、床へ膝をつきそうになります。それを支える余裕は、今はありませんでした。

 私は剣を収めることさえ惜しくて、カラードさんのそばへ駆け寄りました。手から離れた儀礼剣は、光になってタンマツへ戻っていきます。

 小さな体は、まだ温かい。刃の周りは、グレイルが固定してくれています。

 

「運びます!」

 

 答えを待たずに、私はカラードさんをそっと抱え上げました。包丁が揺れないように。傷に触れないように。それでも、落とさないように。

 森で膝に乗せたときよりも、ずっと軽く、ずっと頼りなく感じました。

 

「クラっち、出口こっち!」

「医務室まで、わたくしが先導しますわ。走れますわね?」

「走ります」

 

 私は、走り出しました。白銀の鎧が、廊下の蛍光灯を弾いて流れていく。腕の中の毛玉を、強く、けれど傷に障らないように抱え込む。

 大丈夫。間に合わせます。

 あなたが、グレイルを間に合わせたように。

 今度は、私が。

 

『がんばれ』

『間に合え』

『間に合ってくれ』

『カラード生きろ』

『医務室まで走れ!』

 

 流れ続けるコメントの光を背に、私たちは出口へ向かって駆け抜けました。

 

 

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