機動戦士マジカルチャンネル、配信中 作:余燼
白い天井が見えた。
ぼんやりとした光。消毒液の匂い。規則正しい電子音。
ここは、どこだ。
俺はしばらく、その白い天井を眺めていた。意識が、少しずつ形を取り戻してくる。廊下。包丁ウサギ。グレイルの背中。滑り込んだ感覚。体から何かが抜け落ちていく、あの冷たさ。
そうだ。俺は、刺されて――。
「あ……! 起きた! 起きました!」
すぐ横で、声がした。
顔を向けると、白銀の騎士姫が、こちらを覗き込んでいた。クラリオンだ。アバターのまま、長いまつ毛のひとつひとつまで見えそうなほど近くで、俺の顔を見ている。その瞳が、みるみる潤んでいく。
俺は短い手足を動かして、状況を確かめた。痛みはない。あの、体の芯から抜けていく感覚も、もうなかった。むしろ、調子がいい。
「カラにゃん、ありがとう!でも、無理しないでよ。めっちゃ心配したんだから」
グレイルが、いつものギャル口調で、けれどどこか安堵した声で言った。着崩した制服姿で、ベッドの足元に立っている。
「ポーションやらヒールやらで、傷はもう塞がっていますわ。EPも全快。お医者様の検査でも、侵食の兆候は見られないそうですわよ」
マーリンが、魔法少女の衣装のまま、タンマツの画面を見せてくれる。なるほど、医務室といっても、ダンジョン内のギルド施設だ。アバターはそのままみたいだ。みんな、配信の姿のままだった。
俺は、ほっと息を吐いた。
助かったのか。
「もふ……」
声を出すと、クラリオンの肩が、ぴくりと跳ねた。
「カラードさん……!」
次の瞬間、ふわりと体が浮いた。
抵抗する間もなく、毛玉の体は騎士姫の腕の中にすっぽり収まっていた。
森のときと、同じやわらかい感触が……
「よかった……本当に、よかったです……っ」
クラリオンが、俺の毛に顔を埋めて、声を震わせて、小さく震えていた。ずっと、こうして泣くのを我慢していたのかもしれない。
今回ばかりは、逃げるわけにもいかなかった。
心配を、かけたらしい。名前しか知らない、そこらで拾った俺なんかのことを、この人たちは本気で案じてくれたのだ。それが、なんだか、くすぐったかった。
しばらくして、白衣の医師がやってきた。タンマツを操作しながら、いくつか確認をする。反応、安定。数値、正常。侵食、確認されず。
「何か異常を感じたら、どんな些細なことでも、絶対に、すぐに知らせてください。眩暈、頭痛、視界の違和感、なんでもです」
医師はそう言って、俺の首輪のタンマツに記録を残した。
視界の違和感、と言われて、俺は少しだけ考えた。
そういえば、さっきから、やけに視界がはっきりしている。クラリオンのまつ毛も、医師の白衣の繊維の流れまで、妙にくっきり見える。
でも、まあ、気のせいだろう。
刺されて気を失って、目が覚めたばかりだ。寝て起きたから調子がいいんだろう。たぶん。
俺は、その違和感を、口にしなかった。
わざわざ言うほどのことでもない。心配性のクラリオンに、また泣かれても困る。
俺は短く鳴いて、もう大丈夫だと伝えるように、毛玉の体をぽよんと弾ませた。
ギルドのエントランスへ戻ると、あの明るい受付嬢が待っていた。
ただし、笑顔ではなかった。
「あのですねえ。特異個体の警報が出ているエリアに、新人パーティが突っ込むって、どういうことですか」
こめかみに、青筋が浮いている気がした。
「全滅していたら、洒落になりませんよ。配信映えとか、そういう問題じゃないんですからね」
「す、すみません……」
クラリオンが、真っ先に頭を下げた。言い出したのは自分だ、という顔だった。マーリンとグレイルも、珍しく神妙にしている。俺も、一緒になって、ぺこりと頭を下げておいた。
ひとしきり叱られたあと、受付嬢は、ふっと表情を緩めた。
「……でも。逃げ遅れたライバーさんたちを助けて、特異個体まで討伐したのは、立派です。あの人たち、全員無事に帰還しました。あなたたちのおかげです」
「……はい」
「討伐報酬と、救助の謝礼は近日中に振り込まれます。それと、レイスの素材の買い取り分はけっこうな額になりので、これも別途、決まり次第振り込まれます。」
けっこうな額。
その言葉に、俺は耳をぴんと立てた。
借金。生活費。来月の家賃。日に日に減っていく、あの封筒の中身。
助かる。
本当に、助かる。
「では、今日のところは解散ですね。お疲れさまでした。ご安全に」
ひとしきり叱られたあと、解散することになった。
外へ出ればファッションは切れる。アバターも、声も、元に戻る。だから別れの挨拶は、ギルドの待機室で済ませるのが暗黙のルールだった。お互いの素顔も、本当の声も、まだ誰も知らない。
窓の外は、すっかり夜だった。配信を切った毛玉の体から、どっと疲れが噴き出してくる。けれど、悪い疲れではなかった。
「カラにゃん、よかったらまた組もうね」
「次は、無茶しないでくださいまし。心臓に悪いですわ」
「カラードさん。今日は、本当に……ありがとうございました」
三人の言葉に、俺はもふもふと頷いて応えた。
そして、四人はそれぞれ別の出口から、夜の街へ散っていく。アバターを解いて、ただの学生や、ただの誰かに戻って。
また、組もう。
その言葉が、思っていたよりずっと、嬉しかった。
数日後。
ギルドから、報酬が振り込まれた。
タンマツに表示された数字を見て、俺は何度も見直した。底辺配信者の収入なんて、と思っていた。
それが、依頼達成と特異個体の討伐が効いたらしい。
しかも、まだ入金はされていないが、あのレイスの素材もびっくりするくらいの高値で売れるようだ。
受け取った金の中から、いくらかを引き出して、まとまった額をつくる。全額には届かないが、初めての返済としては、悪くない数字のはずだった。
あの名刺を頼りに、俺は男たちのもとへ向かった。
返す意思だけは見せろ、と言われた。だから、ちゃんと返すのだ。
待ち合わせた場所に現れたのは、あのときの二人だった。
「おっ?」
「あの。今月分と、少し多めに。返済を」
俺は封筒を差し出した。
けれど、男は受け取らなかった。
顔を見合わせて、少し、困ったような表情をする。
「……ああ、それな。悪いんだけど、うちはもう、お前さんの債権、持ってないんだわ」
「えっ?」
「手放した。事情があってな。だから、その金はうちが受け取るわけにはいかない」
意味が、分からなかった。
債権を、手放した。
じゃあ、俺の借金は、どうなったんだ。誰に、返せばいいんだ。
「あの、それって……」
「悪いな。詳しいことは、こっちからは言えないんだ」
男は、それだけ言って、背を向けた。
俺は封筒を握りしめたまま、その場に取り残された。
返せると思った。前に進めると思った。なのに、道が、急に分からなくなったみたいだった。
どうしてだろう。何が起こったんだろう。
胸の奥に、得体の知れない不安だけが、ぽつりと残った。
その夜のことだった。
借金取りの男たちは、馴染みの店で、ぬるくなったコーヒーを前にしていた。
「惜しいことしたな」
年かさのほうが、ぽつりと言った。
「あの坊主、初配信で特異個体討伐だってよ。霊体の素材まで持って帰ったらしい。とんでもない数字を叩き出してるぞ」
「……ええ。手元に置いておけば、化けたでしょうね」
若いほうが、煙草を灰皿に押しつける。
二人とも、あの少年が、自分の意思で律儀に金を返しに来たことを知っていた。
将来性があるという意味でも、逃げた親とは違う。
「上の判断だ。仕方ねえ」
「……ええ」
誰が、何のために、あの少年の債権を欲しがったのか。それは、彼らの知るところではなかった。ただ、ひとつだけ確かなことがある。
須藤黎人という少年の首輪は誰かの掌の上に移ったのだ。
窓の外で、赤いネオンが、東京タワーの輪郭を、ぼんやりと照らしていた。