機動戦士マジカルチャンネル、配信中   作:余燼

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8話 親も借金も、姿を消すときは黙って消える

 白い天井が見えた。

 ぼんやりとした光。消毒液の匂い。規則正しい電子音。

 ここは、どこだ。

 俺はしばらく、その白い天井を眺めていた。意識が、少しずつ形を取り戻してくる。廊下。包丁ウサギ。グレイルの背中。滑り込んだ感覚。体から何かが抜け落ちていく、あの冷たさ。

 そうだ。俺は、刺されて――。

 

「あ……! 起きた! 起きました!」

 

 すぐ横で、声がした。

 顔を向けると、白銀の騎士姫が、こちらを覗き込んでいた。クラリオンだ。アバターのまま、長いまつ毛のひとつひとつまで見えそうなほど近くで、俺の顔を見ている。その瞳が、みるみる潤んでいく。

 俺は短い手足を動かして、状況を確かめた。痛みはない。あの、体の芯から抜けていく感覚も、もうなかった。むしろ、調子がいい。

 

「カラにゃん、ありがとう!でも、無理しないでよ。めっちゃ心配したんだから」

 

 グレイルが、いつものギャル口調で、けれどどこか安堵した声で言った。着崩した制服姿で、ベッドの足元に立っている。

 

「ポーションやらヒールやらで、傷はもう塞がっていますわ。EPも全快。お医者様の検査でも、侵食の兆候は見られないそうですわよ」

 

 マーリンが、魔法少女の衣装のまま、タンマツの画面を見せてくれる。なるほど、医務室といっても、ダンジョン内のギルド施設だ。アバターはそのままみたいだ。みんな、配信の姿のままだった。

 俺は、ほっと息を吐いた。

 助かったのか。

 

「もふ……」

 

 声を出すと、クラリオンの肩が、ぴくりと跳ねた。

 

「カラードさん……!」

 

 次の瞬間、ふわりと体が浮いた。

 抵抗する間もなく、毛玉の体は騎士姫の腕の中にすっぽり収まっていた。

 森のときと、同じやわらかい感触が……

 

「よかった……本当に、よかったです……っ」

 

 クラリオンが、俺の毛に顔を埋めて、声を震わせて、小さく震えていた。ずっと、こうして泣くのを我慢していたのかもしれない。

 今回ばかりは、逃げるわけにもいかなかった。

 心配を、かけたらしい。名前しか知らない、そこらで拾った俺なんかのことを、この人たちは本気で案じてくれたのだ。それが、なんだか、くすぐったかった。

 しばらくして、白衣の医師がやってきた。タンマツを操作しながら、いくつか確認をする。反応、安定。数値、正常。侵食、確認されず。

 

「何か異常を感じたら、どんな些細なことでも、絶対に、すぐに知らせてください。眩暈、頭痛、視界の違和感、なんでもです」

 

 医師はそう言って、俺の首輪のタンマツに記録を残した。

 視界の違和感、と言われて、俺は少しだけ考えた。

 そういえば、さっきから、やけに視界がはっきりしている。クラリオンのまつ毛も、医師の白衣の繊維の流れまで、妙にくっきり見える。

 でも、まあ、気のせいだろう。

 刺されて気を失って、目が覚めたばかりだ。寝て起きたから調子がいいんだろう。たぶん。

 俺は、その違和感を、口にしなかった。

 わざわざ言うほどのことでもない。心配性のクラリオンに、また泣かれても困る。

 俺は短く鳴いて、もう大丈夫だと伝えるように、毛玉の体をぽよんと弾ませた。

 ギルドのエントランスへ戻ると、あの明るい受付嬢が待っていた。

 ただし、笑顔ではなかった。

 

「あのですねえ。特異個体の警報が出ているエリアに、新人パーティが突っ込むって、どういうことですか」

 

 こめかみに、青筋が浮いている気がした。

 

「全滅していたら、洒落になりませんよ。配信映えとか、そういう問題じゃないんですからね」

「す、すみません……」

 

 クラリオンが、真っ先に頭を下げた。言い出したのは自分だ、という顔だった。マーリンとグレイルも、珍しく神妙にしている。俺も、一緒になって、ぺこりと頭を下げておいた。

 ひとしきり叱られたあと、受付嬢は、ふっと表情を緩めた。

 

「……でも。逃げ遅れたライバーさんたちを助けて、特異個体まで討伐したのは、立派です。あの人たち、全員無事に帰還しました。あなたたちのおかげです」

「……はい」

「討伐報酬と、救助の謝礼は近日中に振り込まれます。それと、レイスの素材の買い取り分はけっこうな額になりので、これも別途、決まり次第振り込まれます。」

 

 けっこうな額。

 その言葉に、俺は耳をぴんと立てた。

 借金。生活費。来月の家賃。日に日に減っていく、あの封筒の中身。

 助かる。

 本当に、助かる。

 

「では、今日のところは解散ですね。お疲れさまでした。ご安全に」

 

 ひとしきり叱られたあと、解散することになった。

 外へ出ればファッションは切れる。アバターも、声も、元に戻る。だから別れの挨拶は、ギルドの待機室で済ませるのが暗黙のルールだった。お互いの素顔も、本当の声も、まだ誰も知らない。

 窓の外は、すっかり夜だった。配信を切った毛玉の体から、どっと疲れが噴き出してくる。けれど、悪い疲れではなかった。

 

「カラにゃん、よかったらまた組もうね」

「次は、無茶しないでくださいまし。心臓に悪いですわ」

「カラードさん。今日は、本当に……ありがとうございました」

 

 三人の言葉に、俺はもふもふと頷いて応えた。

 そして、四人はそれぞれ別の出口から、夜の街へ散っていく。アバターを解いて、ただの学生や、ただの誰かに戻って。

 また、組もう。

 その言葉が、思っていたよりずっと、嬉しかった。

 

 

 

 数日後。

 ギルドから、報酬が振り込まれた。

 タンマツに表示された数字を見て、俺は何度も見直した。底辺配信者の収入なんて、と思っていた。

 それが、依頼達成と特異個体の討伐が効いたらしい。

 しかも、まだ入金はされていないが、あのレイスの素材もびっくりするくらいの高値で売れるようだ。

 受け取った金の中から、いくらかを引き出して、まとまった額をつくる。全額には届かないが、初めての返済としては、悪くない数字のはずだった。

 あの名刺を頼りに、俺は男たちのもとへ向かった。

 返す意思だけは見せろ、と言われた。だから、ちゃんと返すのだ。

 待ち合わせた場所に現れたのは、あのときの二人だった。

 

「おっ?」

「あの。今月分と、少し多めに。返済を」

 

 俺は封筒を差し出した。

 けれど、男は受け取らなかった。

 顔を見合わせて、少し、困ったような表情をする。

 

「……ああ、それな。悪いんだけど、うちはもう、お前さんの債権、持ってないんだわ」

「えっ?」

「手放した。事情があってな。だから、その金はうちが受け取るわけにはいかない」

 

 意味が、分からなかった。

 債権を、手放した。

 じゃあ、俺の借金は、どうなったんだ。誰に、返せばいいんだ。

 

「あの、それって……」

「悪いな。詳しいことは、こっちからは言えないんだ」

 

 男は、それだけ言って、背を向けた。

 俺は封筒を握りしめたまま、その場に取り残された。

 返せると思った。前に進めると思った。なのに、道が、急に分からなくなったみたいだった。

 どうしてだろう。何が起こったんだろう。

 胸の奥に、得体の知れない不安だけが、ぽつりと残った。

 

◇ ◇ ◇

 

 その夜のことだった。

 借金取りの男たちは、馴染みの店で、ぬるくなったコーヒーを前にしていた。

 

「惜しいことしたな」

 

 年かさのほうが、ぽつりと言った。

 

「あの坊主、初配信で特異個体討伐だってよ。霊体の素材まで持って帰ったらしい。とんでもない数字を叩き出してるぞ」

「……ええ。手元に置いておけば、化けたでしょうね」

 

 若いほうが、煙草を灰皿に押しつける。

 二人とも、あの少年が、自分の意思で律儀に金を返しに来たことを知っていた。

将来性があるという意味でも、逃げた親とは違う。

 

「上の判断だ。仕方ねえ」

「……ええ」

 

 誰が、何のために、あの少年の債権を欲しがったのか。それは、彼らの知るところではなかった。ただ、ひとつだけ確かなことがある。

 須藤黎人という少年の首輪は誰かの掌の上に移ったのだ。

 窓の外で、赤いネオンが、東京タワーの輪郭を、ぼんやりと照らしていた。

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