機動戦士マジカルチャンネル、配信中 作:余燼
私、アシュフォード黒江は、自分のことがそれほど好きではありませんでした。
お父さんはイギリス人の社長で、お母さんは日本人のデザイナー。生まれだけ聞けば、いかにも外国の血を引いた華やかな少女を想像されることもあります。
けれど、顔立ちはほとんど日本人寄りだし、髪も目も黒いし、眼鏡だし、背が高いわけでもないし、運動が得意なわけでもないし、勉強も得意ではないし、鈍臭いって言われるし、クラスで自然に人の輪へ入っていける性格でもありません。友達と呼べる相手は、凛ちゃんくらい。……千景さんも入れていいのかな。いいよね。友達は二人いるから、ぼっちじゃありません。
そんな私がライバー科にいるのは、お父さんの影響が大きいのでした。お父さんは、エンタクタンマツという少し特殊なタンマツを開発した人で、それはイギリスで運用されている、日本ではまだギルド公式の一般流通に乗っていないものです。私が使っているのも、そのエンタクタンマツでした。アバターも、デザイナーのお母さんが私のために作ってくれたもの。
すごく恵まれているのは分かっています。でも、自分は特別な人間じゃない。少なくとも、そう思っていました。
私は自分の部屋で、机に向かっていました。ノートは開いている。教科書も開いている。課題プリントも、ちゃんと机の上に置いてある。でも、課題はあまり進んでいません。
タンマツの画面には、初配信の切り抜きが映っていました。
赤い空で剣を突き立てるクラリオン。森で敵を吹き飛ばすマーリン。逃げてくるライバーさんたちを、てきぱきと後ろの扉へ逃がすグレイル。そして、廊下でグレイルを庇って飛び込んだカラードさん。
『クラリオンのここ好き』
『森の騎士姫って感じ』
『一撃が綺麗なんだよな』
『新人でこれは推せる』
『機動戦士マジカルチャンネル、次も見る』
コメントを見ていると、顔がにやけてしまいます。恥ずかしいと嬉しいが、混ざっている。少し戻して、もう一回見る。やっぱり嬉しい。またコメントを読む。やっぱり恥ずかしい。でも、やっぱり嬉しい。
「えへへへへ……」
誰もいない部屋で、小さく笑ってしまいました。誰も見ていないので、たぶん大丈夫です。
そのとき、タンマツに通知が来ました。DungeonStreamからでした。
「え……?」
画面を開きます。そこには、機動戦士マジカルチャンネルについての通知が表示されていました。
収益化承認。
最初は、意味がうまく頭に入ってきませんでした。何度か読み直して、ようやく理解する。私たちのチャンネルが、収益化された。まだ初配信を終えたばかりなのに。
あの配信を見てくれた人がいて、登録してくれた人がいて、切り抜きが回って、反響が広がって。その結果、DungeonStreamが、私たちのチャンネルを認めてくれたのです。
「やったー! ばんざーい!」
万歳をして、また笑ってしまいました。ちゃんと見てもらえた。続けていいと言われた。機動戦士マジカルチャンネルは、あの一回だけの初配信ではなく、次もあるチャンネルなのだと、そう認めてもらえた気がしました。
それから、思い出したようにクラリオンのステータス画面を開きます。
「あ」
戦闘値が、ひとつ上がっていました。
たしか、視聴者の認知を集めることで、ライバーの存在の力が強くなる。登録者とか配信の反響とか、そういうものはただの人気ではなくて、ダンジョンの中で自分を保つ力にもなる。授業で習ったことを、ぼんやり思い出します。細かいところは自信がないけれど、たぶんそういう話でした。
あの配信で、私はクラリオンとして剣を持って、仲間と一緒に戦いました。画面の向こうの誰かが、クラリオンを「そういう人物」だと見てくれた。その認知が、私のステータスにまで届いている。
「すごい……」
私は、グループチャットを開きました。機動戦士マジカルチャンネルの、四人のチャットです。
みんなに伝えよう。お祝いもしたい。
文章を打ち込みます。打っては消し、消しては打ち、何度かやり直して、深呼吸して、送信を押しました。
黒江:みなさん、こんばんは。機動戦士マジカルチャンネルの収益化が通ったみたいです。よければ、今週末にうちの配信ルームで、お祝いしませんか?
送ってから、急に心臓がうるさくなりました。変ではなかっただろうか。硬すぎただろうか。
既読が、ついた。早い。次の瞬間、凛ちゃんから通話が来ました。
「も、もしもし。凛ちゃん?」
『こんばんは、黒江さん。夜分遅くに申し訳ありません』
凛ちゃんの声は、いつも通り落ち着いていました。でも、少しだけ楽しそう?
『お祝いって、リアルで、と言いますか……黒江さんのご自宅でやりますの?』
「うん。いつものあの部屋だけど?」
防音ルーム。配信用の設備があって、モニターも大きなテーブルもゲーム機もある、みんなで遊ぶには便利な部屋です。電話の向こうで、凛ちゃんが少し黙りました。
『黒江さんって、本当に大胆ですわね』
「はい?」
『カラードさん、どなたかご存じなのですか?』
「……えっ? カラードさん、一緒に冒険したよねっ?」
え。もしかして夢だった? そんなこと、ないよね?
『ええ。そこは存じ上げておりますわ』
よかった。安心しました。凛ちゃんの声に、笑いをこらえている気配があります。
『わたくしが申し上げているのは、そのカラードさんの素性の話ですわ』
「……?」
丸くてもふもふしていて、かわいくて、モフと鳴いて、すごく頑張ってくれて、危ないところに飛び込んでくれて、撮影も上手くて、私の手に短い手を添えてくれた。私の知っているカラードさんは、それで全部です。
「カラードさんは、カラードさんだよ?」
『はぁ。まあ、いいですわ。週末、楽しみにしておきますわね』
凛ちゃんがため息をつきながら言いました。何か、間違えたのかな。
『あと、カラードさんには住所を伝えないと、来られませんわよ』
「あっ」
完全に忘れていました。当然だよね。
通話を切ったあと、私はカラードさんへの個別チャットを開いて、お祝いの招待と住所を送りました。送信ボタンの前で、少しだけ止まる。
カラードさんは、来てくれるでしょうか。
私は、送信を押しました。
黒江さんとの通話を切ったあと、わたくし――真島凛は、自室のソファに深く身を沈めていました。
隣のソファでは、千景がさっきから、タンマツの画面を熱心に眺めています。一見、何かの調べ物でもしているような顔で。
……隠しているつもりなのですわね。
わたくしは気づかないふりをして、横目だけで、その画面をうかがいました。映っているのはやはり、毛玉が一匹、桃色の小兎の刃から、別の誰かを庇って飛び込む場面。何度も、何度も、同じところを巻き戻しているようです。
この娘は、嫌なことがあるとそれを見て、面倒な客人の相手をした後もそれを見て、仕事で疲れたらそれを見ているのです。それを、わたくしに気取られていないと思っている。家ぐるみの付き合いで、姉のように育った相手です。表情の動かなさの下で何を考えているかくらい、とうにお見通しですのに。
その千景が、配信のあいだ、ずっと顔色を変えていました。毛玉が倒れたあの瞬間、わたくしの隣で、はっきりと息を呑んでいたのを、わたくしは覚えています。
あの毛玉は、千景を護りました。
ダンジョンの中で、EPが尽きれば、タンマツの保護は消える。そして、そのまま侵食を受ければ――人の身体は、二度と元に戻らない形に、変わってしまいます。角が生えたり、肌の色が変わったり、目や口が、人ならざるものに作り変えられたり。一度そうなれば、戻る術はありません。
あの一撃は、本来、千景が受けるはずのものでした。
もし、あの毛玉が飛び込まなければ。今ごろ千景の身体に、生涯消えない印が刻まれていたかもしれない。あの娘の顔や肌や、その姿そのものが、永遠に損なわれていたかもしれないのです。
想像するだけで、背筋が冷えますわ。
あの子は、それを、肩代わりしてくれた。自分がどんな目に遭うかも考えずに。
わたくしの大切な千景を護ったということは、わたくしにとっても、決して、軽い話ではないのです。
わたくしはタンマツを操作し、ひとつの画面を開きました。少し前から、ある人物について、こっそり調べさせていたものです。
須藤黎人。普通科の一年生。わたくしたちより、ひとつ年下の少年です。
画面に並ぶ情報を、もう一度なぞります。両親の失踪。違法すれすれの貸付。背負わされた、ひとりの学生にはあまりに重すぎる数字。
……ずいぶんと、ひどいことになっていますわね。
わたくしは、軽く息を吐きました。これは、放っておけば、いずれあの子を潰します。チャンネルの大切な仲間が、配信どころではなくなってしまう。それは困ります。とても、困るのです。
「お嬢様」
不意に、千景が画面から目を上げました。さりげなく、タンマツを伏せながら。
「また、何か悪いことを考えておられますね」
「失礼な。良いことですわ」
わたくしは、にこりと笑いました。
「ほんの少し、お節介を焼くだけです。顧問の先生に、お願いごとをひとつ」
千景が、何か言いたげに口を開きかけて、やめました。長い付き合いです。止めても無駄だと、分かっているのでしょう。
それに、と思います。千景のためでもあり、黒江さんのためでもあり、チャンネルのためでもある。そして、ほんの少しだけ、あの妙な毛玉が次にどんな顔をするのか、見てみたいという気持ちもありました。
「週末が、楽しみですわね。千景」
「……ほどほどになさってくださいね、お嬢様」
千景の声は、いつもの従者のものでした。けれど、わたくしの視線が逸れた隙に、その指がまた、そっとあの毛玉の動画へ戻っていくのでした。
日曜日。私――霧隠千景は、車を運転して、凛お嬢様を黒江様のお宅へお送りしていました。
「お嬢様」
「なんでしょう」
「キャラ作りとはいえ、ネットミームの連打は、お控えください」
「もうキャラとして確立してしまっておりますわ。語録を使わないだけ、マシと思ってくださいな」
助手席で、お嬢様が涼しい顔で言います。
まったく、この方は。お小さい頃は、あんなに大人しくて引っ込み思案でいらしたのに。いつの間にあんな小悪魔がご趣味になられたのか。……いえ、原因の半分は、私があの方にサブカルというものを教えてしまったからなのですが。胸が痛みます。
「千景」
「はい」
「予想通り、黒江さんがやらかしましたわ」
「はい」
「『凛ちゃん。はやくきてぇ><』ですって」
お嬢様が、深いため息をつかれます。
「急ぎます」
車は、ほんの少しだけ速度を上げました。
黒江様という方は、本当に、危なっかしい。素直で、優しくて、人を疑うということを知らない。あの子に何かあったらと思うと、肝が冷えます。
お嬢様に仕えるもの、そして黒江様の1人の友人として、せめて私だけはしっかりしていなければ。そう思いながら、私はハンドルを握り直しました。
黒江様のお宅に着き、門の横のインターホンを押します。
「霧隠さぁん!いま、開けまぁす」
すぐに、黒江様の明るい声が返ってきました。
車を車寄せに停め、お嬢様を先に降ろして、私は玄関へ向かいます。重そうな木の扉が、少しだけ開いていました。
中に入った瞬間、状況はだいたい理解できました。
玄関の土間に、見知らぬ若い男性が立っています。黒髪で、細身。思っていたより、ずっと若い。もしかすると、お嬢様より年下かもしれません。その手には、菓子折りの紙袋。どうしていいか分からない、という顔をしています。
その向かいで、黒江様が、ぽうっと固まっていました。
なるほど。だいたい、読めました。
招いた当人が、初対面の人を前にして、家へ上げたところで処理が止まってしまったのでしょう。
「凛ちゃぁん……!」
黒江様の顔が、ぱぁっと明るくなりました。救世主を見るような目です。
土間の男性が、丁寧に頭を下げました。
「あ、すみません。カラードをやっています、須藤黎人です」
この方が、カラードさん。
あの、丸くてもふもふした毛玉の。
……お嬢様の前では絶対に顔には出しませんが、内心、私の心臓は妙に落ち着きませんでした。あの配信で、私を庇って倒れた毛玉の中身が、今、目の前にいるのです。少し痩せた、礼儀正しい少年でした。
「はじめまして。真島凛と申します。配信では、マーリンをしておりますわ」
「あの、その……ご家族がご不在のようでして。そのような状態で上がるのは、まずいと思いまして……」
お嬢様の動きが、ぴたりと止まりました。私も、思わず黒江様を見ます。
「ご家族が、いない?」
「黒江さん」
「はい」
「詳しく……説明してくださいまし」
「ひぃん。怒ってるぅ」
「今、わたくしは冷静さを欠こうとしておりますの」
「お嬢様。せめて、生身でのミーム使用はお控えください」
私が後ろからたしなめると、お嬢様は唇を尖らせました。身内だけなのだから、と言いたげな顔です。
「お父さんとお母さんは、買い物に行ってるの。お祝いのケーキを買ってきてくれるって!」
嬉しそうに笑う黒江様。
お嬢様が、にっこりと微笑んで、私を振り返りました。
「千景」
「はい」
「お車を車庫に入れてきてくださいまし。その後、別室で、お説教にいたしましょう」
「かしこまりました」
「えっ? 凛ちゃん? 嘘だよね? 凛ちゃん?」
須藤様が、申し訳なさそうに口を開きました。
「なんか、すみません。俺が来たせいで」
「いえ。須藤様に非はありませんわ」
お嬢様が、はっきりと言いました。
その通りです。須藤様は、招かれた日時に、招かれた場所へ、いらしただけ。むしろ、ご家族の不在に気づいて、上がらない判断をしてくださった。まともな方で、本当に助かりました。これでよからぬ相手だったらと思うと、ぞっとします。
「黒江さん。須藤様に、ごめんなさいをしましょうね」
「ひっ。ご、ごめんなさい、カラードさん」
「黒江さん。今は、須藤様です」
「あっ。ごめんなさい、須藤さん」
黒江様が、しゅんと肩を落としました。
……あのお方が落ち込むと、なんだか小動物のようで、放っておけない気持ちになるのが困りものです。いえ、今は甘やかしてはいけません。今回ばかりは、かわいそうで済ませてはいけないのですから。
私は、お嬢様と須藤様に会釈をして、一度、車を車庫へ入れるために玄関を出ました。
扉を閉める間際、菓子折りを大事そうに抱えた須藤様の姿が、ちらりと見えました。
……あの毛玉が、こんな顔をしていたとは。
いけない、いけない。これから、黒江様のお説教だというのに。
私は小さく首を振って、車へと戻りました。