中央トレセン学園へ来て、数日が経った。
新人の俺に与えられた最初の仕事は、担当候補となるウマ娘を探すこと。要するに、ダイヤの原石の品定めだ。
俺はバインダーを片手に、連日様々なチームのトレーニングや、学園内で頻繁に行われる模擬レースを視察して回っていた。
「……さすがだな」
手元のメモ帳には、すでに何人ものウマ娘のデータが書き込まれている。
地方が劣っているとは言わない。だが、中央の層の厚さはやはり異常だ。
基礎体力のベースが高く、走りの理論が最初から洗練されている者がゴロゴロいる。これが最高峰の舞台か、と肌で実感する日々だった。
そんな中、週末の模擬レースの出走表に、見覚えのある名前を見つけた。
『アーモンドアイ』
河川敷の土トラックで見かけたウマ娘だ。
あの子が中央の芝でどんな走りをするのか。俺はほんの少しの興味を抱き、観客席の最前列に陣取った。
今回の模擬レースは、デビューを控えた新設チームのウマ娘だけでなく、すでに実績のあるオープンクラスのウマ娘や、短期留学中の海外のウマ娘まで混ざった、かなり骨太なメンバー構成だった。
ゲートが開き、ファンファーレの代わりに電子音が響く。
「───スタートか」
俺は目を細め、彼女の走りを追った。
位置取りは中団。インコースに閉じ込められないよう、スペースを探している。
コーナーワーク、四肢の連動、前傾姿勢の維持。どれをとっても、河川敷の時よりずっと高いレベルでまとまっていた。やはり、素質は本物だ。
だが、周囲もまた、それ以上に強かった。
最終直線。
アーモンドアイも鋭い伸び脚を見せたが、前を行く実績馬たちの牙城は崩せない。
海外ゲストのウマ娘が圧倒的なストライドで突き抜ける中、彼女は必死に前を追いかけ───。
4着で、ゴール板を駆け抜けた。
「いやー、やっぱり先輩方は強いな! でも、あのアーモンドアイって子は、掲示板に入ったの凄くない?」
「十分合格点だよな。相手、オープン馬だぞ」
近くにいた同期の新人トレーナーたちが、感心したようにバインダーに丸をつけている。
俺も、彼らの意見には同意だった。
「そうだな。かなりやれる」
あのメンバーを相手に、デビュー前の身で4着。
スカウティングの評価としては高い。上のチームから声がかかっても不思議じゃない。
だが、俺の視線は、コースから外せなくなっていた。
レースが終わり、他のウマ娘たちは互いの健闘を称え合ったり、安堵の表情を浮かべながら引き揚げていく。
その、まだ芝の匂いと熱気が残るコースのど真ん中で、彼女だけは違った。
「……っ」
アーモンドアイは、ぽつんと一人で立ち尽くしていた。
その拳は、強く握りしめられている。
「全然、届かなかった……」
微かに届いたのは、小さく、けれどひどく冷えた独白。
「キレも足りない。スタミナも……全部。もっと、もっとやれたはずなのに……!」
彼女は自分の脚を見つめ、奥歯を噛み締めていた。
周囲の称賛も、彼女には届いていないようだった。4着という結果に、彼女一人だけが、猛烈に納得していなかった。
俺は、柵越しにその姿を見つめていた。
普通なら、満足するか、あるいは自分の才能の限界に凹む場面だ。そこまで悔しがるものだろうか。
(変わった子だな……)
あそこまで貪欲に、自分を追い詰められるものなのか。
その強烈な負けず嫌いさに、少しだけ圧倒される。
やがて、彼女は悔しさを押し殺すように小さく息を吐くと、こちらに気づく余裕すらない様子で、控室の方へとトボトボと歩いていった。
俺はその背中を、ただ見送った。
まだ、特別な感情はない。担当にしたいとか、運命を感じたとか、そんな大層なものは何一つない。
ただの、少し気になるウマ娘。
ただ、なぜだろう。
去り際に彼女の口から漏れた、あの呟きが。
「───もう一回」
というその言葉だけが、なぜか頭の奥に引っかかっていた。
───後に思えば。
この時の俺は、まだ何も分かっていなかった。
「もう一回」。
彼女が何気なく口にしたその言葉が、どれほど重い意味を持っていたのかを。