ようこそメスガキのいる教室へ 作:イシガキ
高度育成高等学校に入学して、まだ間もない四月。
周囲には一癖も二癖もある生徒たちが溢れているが、今のところ俺、綾小路清隆がこの学校で最も言葉を交わしている――というより、一方的に絡まれている相手は、なぜかこの少女だった。
席が近いからか、あるいは俺の事勿れ主義な態度が彼女の『煽り欲』を刺激するのか。独特すぎる口調で四六時中見下してくるこの少女に、果たして俺は単なるからかいの標的にされているだけなのか、それとも別の意図があるのか。他者の感情の機微や世間の常識に疎い俺には、その真意がまったく読み取れない。
ただ一つ確かなのは、入学早々、彼女は何の因果か俺のパーソナルスペースに居座る『日常のバグ』として定着しつつあるということだ。
プライベートポイントという概念がこの学校のすべてを支配していると、まだ多くの生徒が気づいていない昼下がり。
俺は学生食堂の片隅で、あえて『無料』で提供されている山菜定食をテーブルに並べていた。
「おっ゛!」
突然、鼓膜を
見上げると、ふわりとした桃色の髪。長めのツインテールを揺らす甘城が立っていた。
キラキラと輝くピンクのカラーコンタクトを入れたその容姿は、客観的に見て『絶対的美少女』と呼んで差し支えない
いかんせん、纏うオーラがアホの子のそれだったが。
「きよぴー、山菜定食おいしい?笑 森感じる?笑」
ニヤニヤといやらしく笑いながら、甘城は俺の対面の席にどかっと座る。
普通なら鬱陶しく感じるところだが、不思議と邪険にできない理由があるとすれば、ただ一つ。
彼女の顔やスタイルが、不快感を軽々と凌駕するほどに『超絶可愛い』からだろう。
客観的な美という暴力の前では、少々のウザ絡みなど些末な問題として許容できてしまうのだから、人間の心理とは現金なものだ。
「そんな不味そうなの食べるなんて、もうお金ないの?♡」
「……いや、試しに食べてみようと思っただけだ」
「え? 試しに食べてみた? 出た、強がり♡ そんな見栄っ張りなところも可愛いけど、やっぱ雑魚♡」
相変わらず支離滅裂な煽り方だ。
だいたい、俺を嬉々として煽っている彼女のお盆の上にも、全く同じ無料の山菜定食が乗っているのはどういうことだろうか。
「お前も同じものを手に持っているじゃないか」
「
ドヤ顔で謎のスペイン語を口にし、甘城はチッチッと指を振りながら胸を張った。
「きよぴーは女心を学ぶために、山菜定食よりも『女性のことを知れる雑誌(私が読モやってたやつ)』を買うべき♡ だから私が山菜定食を食べているのは、きよぴーに正しいお金の使い道を示すための反面教師ってわけ! わかった? 雑魚♡」
完全に論理が破綻している。
そもそもお前はポイントがないだけだろう、と指摘しようとした瞬間――甘城は口角をニィッと吊り上げ、目をさらにキラキラさせながら煽りのトーンを一段階引き上げた。
「そもそも価値の定義なんて極めて主観的な事象に過ぎない♡ わかんない?♡ この山菜定食が『無料だから無価値』とか断じるのは、資本主義の構造的欠陥が生み出した幻影に踊らされている証拠♡ ざぁこ♡」
「……ん?」
「私たちって、この高度育成高校っていう
あまりに流暢で高度な哲学用語を、彼女特有の謎めいた見下し口調に乗せて語りだした甘城の姿に、俺は思わず箸を止めた。
(……こいつ、Sシステムの全貌を把握しはじめているのか?)
Dクラスに潜む、底知れない異常者。
俺が内心で警戒度を最大まで引き上げた、次の瞬間。
「なんてね」
バンッ! とテーブルを叩き、甘城はさらにニヤニヤといやらしい笑みを深めた。
「嘘だからw ほんとは私、ポイントなんて有り余ってるけどぉ〜? きよぴーみたいな前髪スカスカでオーラよわよわな陰キャ男子が、一人で無料の草食べてたら可哀想すぎるから! 絶対的美少女の私がわざわざ同じ不味いもの食べて、隣に座ってあげてるだけ! きよぴー、マジな顔して聞いててウケる♡ ざぁこ♡ ぼっち♡ 感謝しなさい♡」
「……そうか」
信じられないが要するに、ポイントがないわけではなく、わざわざ同じ不味い定食を頼んでまで俺と一緒に昼飯を食べたかっただけらしい。
しかし、この底知れなさ(と圧倒的な素直のなさ)は、ある意味でこのクラスにおける最大のイレギュラーかもしれない。
「あ、きよぴーの山菜の茎の部分もらう♡」
そう言うなり、甘城は素早い手つきで俺の器から山菜の茎を一つ奪い取った。
「おい、勝手に……」
(……いや、別に山菜の茎ごときに執着するつもりはないが)
「あーん♡ ざぁこ♡ 奪われるだけの弱者♡」
「……ふむ」
俺は自分の器から山菜を奪った彼女の箸を見つめ、次におもむろに自分の箸を伸ばした。
そして、甘城の小鉢に乗っていた梅干しを突き刺し、自分の口へと運ぶ。
「お゛ッ゛♡ ちょっと、きよぴー笑 私の梅干し笑笑 雑魚のくせに生意気♡」
「弱肉強食だ。お前が言うところの、ポイントという鎖に繋がれた羊同士のな」
「そこでさっきの私の高尚な持論を使ってくるとか♡ そもそも山菜の茎一つに対して梅干し一つの等価交換はレートがバグってる笑 資本主義の犬♡ 搾取♡ これだから雑魚男子は♡」
「なら、俺の山菜を全部やるから、お前の残りの白米と交換でどうだ」
「それ私に一切のメリットない笑 ばかあほなきよぴーのよわよわな頭の構造、山菜の茎以下♡」
キャーキャーと騒ぎ立てながら、甘城は器用な手つきで俺の器からさらに山菜を強奪していく。
俺も負けじと、彼女の白米の端を削り取るように奪い返した。
「あ゛あ゛っ゛!♡」
「私の銀シャリ! 間接キス狙いとかきもい♡」
「安心しろ、俺の箸はまだ俺の口に触れていない」
「そういう物理的な問題じゃない乙女心への配慮デリカシーの欠如減点一万ポイント退学不可避ww」
文字通りの意味のない、不毛な会話のラリー。
だが、俺は不意に内心で驚きを覚えている自分に気づいた。
ホワイトルームという徹底された管理社会の中で育ってきた俺にとって、会話とは『情報の伝達』か『交渉』でしかなかった。
他者との無意味な雑談は、カロリーの無駄遣いであり、苦痛ですらあるはずだった。
しかし、どういうわけか、この甘城理愛という少女との応酬は――苦じゃない。
テンポが良すぎるのだ。俺が適当に投げたボールを、彼女は明後日の方向からアクロバティックに打ち返してくる。その予測不能なリズムが、退屈な日常における適度な刺激として機能している。
「……なにじーっと見てるの? きよぴー」
不意に、甘城が顔を近づけてきた。
彼女の顔が、俺の顔からわずか数十センチの距離にある。ピンク色のカラーコンタクトの奥に、俺の顔が間抜けに映っていた。
「ひょっとして、私の美しさに見惚れた? あは♡ ざっこ♡ こんな美少女とお昼ご飯食べられて、きよぴーは果報者だね♡」
ニヤニヤと優越感に浸るような笑みを浮かべる甘城。
「そうだな。黙っていれば、信じられないくらい可愛いからな」
甘城の肩がピクッと跳ね、その白い頬がほんのりと桜色に染まる。
普通の女子ならここで照れて口ごもるか、目を逸らすのだろうが――この生物は違った。
「はぁ? 何いきなりデレてるの? ざっこ♡」
照れをすべて煽りのエネルギーに変換し、甘城はさらに顔を近づけてニヤニヤといやらしく笑いかけてくる。
「私の圧倒的ビジュアルに屈して、ついに脳みそバグった? きよぴーちょろすぎ♡ メンタル雑魚すぎ♡ そんなに私のこと見つめたいなら、一生私のことだけ見てればいいのに♡」
頬を染めたまま、至近距離で見下してくるその瞳の奥には、隠しきれない熱が
「……どうせきよぴーみたいな前髪スカスカで頼りない陰キャ男子は、私みたいな絶対的美少女が構ってあげないと孤独死しちゃうんだから♡ 感謝感謝♡ ざぁこ♡ 私だけの雑魚きよぴー♡」
(……なるほど、全く理解不能だな)
やけに見下した態度をとるくせに、自分から至近距離まで顔を近づけてくるこの矛盾。
他者にマウントを取りたいだけなら他にも適当なターゲットはいるはずだが、彼女はなぜか俺という人間に執着し、謎の奇声と共にパーソナルスペースを侵犯してくる。
この徹底した雑魚煽りという奇妙な包装紙の中には、果たしてどんな思惑が隠されているのか。
改めて、至近距離で俺を見つめ返してくる甘城の顔を観察する。
長い睫毛。滑らかな白い肌。計算し尽くされたように整った目鼻立ち。
中身(性格)は完全に終わっているが、外見だけを切り取れば、間違いなく学年でもトップクラスの秀逸な造形だ。
これほどの圧倒的な美少女が、毎日俺に(謎の奇声とともに)絡んできて、少し褒めれば顔を赤くしながらさらに煽ってくる。
……悪くない。
俺が求めていた『普通の高校生としての日常』――いや、いわゆる『青春』というやつは、案外こういう形をしているのかもしれない。
「おい、定食の汁が服に飛んでるぞ」
「はぁ? そんな見え透いた嘘で私の気を引こうとか、きよぴーほんと雑魚♡ 飛んでないことは明白。私から目をそらさせたいなら、もっとマシな嘘をつくべき♡ ……あ、もしかして私の胸元ばっか見てた? ド変態♡ ざぁこ♡」
「騙されたのはお前だろう」
なぜか得意げに笑った甘城は、何を血迷ったか、突如として俺の山菜定食の器をガシッと掴み取った。
「生意気なきよぴーの定食は、私が全部没収する♡」
「……おい。お前のお盆にも、全く同じ山菜が手付かずで残っているだろう」
「うるさい♡ これはいわば戦利品♡」
甘城は俺の器から奪い取った山菜の茎を箸でヒョイヒョイと揺らしながら、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「きよぴーみたいな入学したての
(……お前もつい先日入学したばかりの新入生だろう)
俺の至極真っ当な内心のツッコミなど意に介さず、彼女は奪った不味そうな山菜を自らの小さな口へと放り込み、モギュモギュと数回咀嚼した。
そして。
「おっ゛♡ くそまずしみてるしみてる♡ 資本主義の底辺の味♡」
自分の山菜定食が目の前にあるというのに、わざわざ俺の器から奪った不味い山菜を食し、目をキラキラさせて謎の奇声を上げる甘城。
完全に奇行である。彼女の行動原理は、やはり全くもって理解できない。
目の前には、意味不明な奇声を上げる絶世の美少女。そして、無惨に散らかった無料の山菜定食。
ホワイトルームでは決して味わうことのなかった、この騒がしくも混沌とした空間。
(……悪くない)
俺は残された冷めたお茶をずずっ、とすすりながら、この奇妙な『青春』の空気に一人静かに浸ろうとした――その時だった。
「……やーっぱ、返す」
コトッ、と。
不意に、俺の目の前に先ほどの山菜定食の器が押し戻された。
見れば、甘城が少しだけ唇を尖らせながら、おずおずと俺の器を元の位置に戻しているところだった。
「私が全部没収しちゃったら、きよぴーお腹空かせて泣いちゃう♡ ほんっと、一人じゃご飯も食べられない世話の焼ける雑魚♡」
言うが早いか、彼女は自分の手付かずだった山菜定食のおかずまでも、半分ほど俺の器に押し付けてきた。
「入学してしばらく経つのに、きよぴーってば全然お友達できないよね♡ コミュニケーション能力よわよわ♡ コミュ障の極み♡ 私という絶対的
俺の器に白米を押し付けながら、甘城はニヤニヤと優越感たっぷりに俺を小馬鹿にしてくる。
その得意げな顔を見ていると、ふと、少しだけ意地悪をしてやりたくなった。
「……なぁ、俺たちは友達だと思っていたが、違ったのか?」
あえて一切の感情を排した、いつも通りの淡々とした声で問いかける。
すると。
「えっ」
甘城の箸が、ピタッと空中で止まった。
先ほどまでの流暢な煽りはどこへやら。
甘城の白い頬が、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていく。
予想以上の狼狽えっぷりだ。
俺は冷めたお茶を一口すすり、いつも彼女が俺に向けてくるような視線を、そっくりそのままお返ししてやった。
「なんだ、そんなことで顔を赤くするなんて。お前こそ、俺以外に話しかけてくれる人間がいないから、俺からの友達認定が嬉しくてたまらないんじゃないか? ……雑魚だな」
数秒の硬直の後。
限界まで目を見開いた甘城の口から、早口でポップな
「は? 顔が赤い?笑 これは交感神経の優位に伴う毛細血管の拡張現象w きよぴーの戯言で心が揺らいだという因果関係は成立しないw ていうか友達? 私ときよぴーの関係性を『友達』なんていう陳腐な社会学の枠組みに落とし込むとか、きよぴーは概念の解像度が低すぎ♡ いとおかし。ざぁこ♡」
「……」
「そもそも、私が干渉しているのは、きよぴーという空虚な存在に『私から観測される』という特権的な
「……なるほど。お前が四六時中、俺のことを見ているという事実はよくわかった」
「論点はそこじゃないw きよぴーは私以外の存在と相互作用する権利を持たない。一生私の隣で、私という絶対的な
早口で難解な理屈を垂れ流しながらも、甘城は顔を真っ赤にしたまま、自分の器に残っていた白米や山菜を次々と俺の器へと押し付けてくる。
必死にいつもの見下した態度で理論武装しようとしているが、言っていることとやっていることの乖離が激しすぎて、彼女が結局何を求めているのか俺にはまったく理解できない。
「量子力学的に消失する運命」と見下しておきながら、なぜか俺に自分の昼飯を恵んでくるし、「間接キスを意識するな」と牽制しながら、本人の顔が一番赤くなっているのだから意味不明だ。
本人は完璧に論破してマウントを取ったつもりらしいが、そのカオスすぎる生態を前にしては、俺はただひたすら困惑し、黙って観察することしかできない。
(……やれやれ)
中身は完全に終わっているし、言動は支離滅裂。
だが、一人静かに山菜を咀嚼するだけの味気ない昼休みに比べれば、この騒がしさは――悪くない。
俺は目の前で、難解なペダント知識と不条理なマウントを融合させて謎の奇行に走る美少女に向き直った。
これが普通の生徒なら即座に距離を置くところだが、これほどの異常行動すらも『圧倒的な美少女』というガワが一枚あるだけで許容できてしまうのだから、俺もまだまだ未熟ということか。
「まあ、賑やかだからいいか」と内心で小さく息を吐いてから、俺は再び箸を手にとったのだった。
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