「......今日は、この部屋に泊まってもいいですか?」
上目遣いで不安そうにそう問いかけてくる彼女を──僕が拒むことなど出来るはずがなかった。
「もちろんいいよ。有栖が望むなら、僕が拒む理由はないからね」
優しく微笑みかけてそう告げると、彼女はふわりと安堵の息を吐き、再び僕の胸の中に顔を埋めた。
細く華奢な腕が僕の背中に回り、ギュッと力強く服の生地を握りしめている。
まるで、少しでも力を緩めれば僕がどこかへ消えてしまうとでも思っているかのように。
普段の傲慢で自信に満ち溢れた女王の姿は、今の彼女には微塵も残っていない。
自尊心を完全にへし折られ、僕という唯一の理解者に見捨てられる恐怖を植え付けられた彼女は、こんなにも弱っている。
可哀想にね。
「......神代くんの、匂いがします」
僕の胸に顔を押し付けたまま、有栖が微かに震える声で呟いた。
「嫌だったかな?」
「いいえ......とても、落ち着きます。ずっと、こうしていたいほどに」
素直だ。見事なまでに素直で、愛らしい。
本来の彼女であれば、こんな無防備な言葉を他人に投げかけることなど絶対にあり得ない。
他者は盤上の駒であり、自分がコントロールすべき対象でしかなかったはずだからだ。まあ、元々僕は例外だっただろうけど。
僕は彼女の美しい銀色の髪を、壊れ物を扱うようにゆっくりと、そして優しく撫で続けた。
「有栖。ずっとこうしていたいのは山々だけど、少し落ち着いてきたならお風呂に入っておいで。さっき取り乱して、少し汗をかいただろう?」
「あっ......」
僕の指摘に、彼女はハッとして顔を上げた。
その頬は瞬く間に朱に染まり、羞恥に揺れる瞳が潤んでいる。
先ほどの激しい感情の昂りと涙で、彼女の整った顔立ちにはほんのりと疲労の色が滲み、制服のブラウスもしわくちゃになっていた。
「申し訳ありません......このような見苦しい姿を、あなたに長く見せてしまって」
「見苦しいなんて思ってないよ。どんな有栖でも、僕にとっては特別で可愛い女の子だ」
「......っ、あなたは、本当に......」
甘い言葉を落とすたびに、彼女の僕に対する感情の縛りが強固になっていくのが手に取るようにわかる。
「ですが......着替えがありません。私の部屋に取りに戻るわけにもいきませんし......」
「僕の服でよければ貸すよ。有栖にはかなり大きいだろうけど、我慢してね」
「神代くんの、服......」
彼女はその言葉の響きを口の中で転がし、何かを想像したのか、さらに顔を赤くしてコクリと小さく頷いた。
僕はクローゼットから清潔な白いTシャツと、肌触りの良いスウェットのズボンを取り出した。
そして、床にへたり込んだままの彼女の元へ戻り、その足元に転がっている杖を一瞥した。
僕は杖を拾い上げることなく、有栖の膝の裏と背中に腕を回し、ふわりと彼女の身体を抱き上げた。
「ひゃっ......!?」
突然の俗に言うお姫様抱っこに、有栖は小さな悲鳴を上げて僕の首に腕を回してきた。
「歩くのも疲れただろう?お風呂場まで連れて行ってあげるよ」
「わ、私......歩けます。杖さえあれば......」
「いいんだよ。今は僕に甘えて。有栖は今日、すごく頑張ったんだから」
「......っ」
僕の胸にすっぽりと収まる彼女の身体は、驚くほど軽く、そして儚かった。
有栖は抵抗することを諦め、身を委ねるように僕の胸にそっと頭を乗せた。
脱衣所に彼女を下ろし、バスタオルと着替えを渡す。杖は後で置いておこうか。
「ゆっくり温まっておいで。その間に、晩御飯の準備をしておくから」
「はい......ありがとうございます、神代くん」
彼女が浴室へと消えていくのを見届けた後、僕はリビングへと戻り、大きく息を吐き出した。
やっばぁい。流石に泊まりは拒否して帰らせるべきだった。まあ、今更そんなことを言っても仕方ない。なるようになるさ。
予定よりも少し強引な手段に出たけど、結果としてこれ以上ないほど強固な首輪を彼女にかけることができた。
さーてっ、とりあえず、晩御飯作ろっか。
冷蔵庫を開け、食材を物色した。
いくつか取り出して調理に入る。
まずは手早く玉ねぎとベーコンを微塵切りにし、コンソメベースのクリーミーなリゾットを作ることにした。
フライパンにバターを熱し、具材を炒めていく。焦がさないように火加減を調整し、生米を透き通るまで炒める。
この部屋に漂っていた先ほどの張り詰めた空気は完全に消え去り、今はただバターとコンソメの食欲をそそる香りが満ちている。
しばらくして、カチャリと脱衣所のドアが開く音がした。
「神代くん......上がりました」
控えめな声と共にリビングに姿を現した有栖を見て、僕は思わず手を止めた。
想像はしていたが、僕の服を着た彼女は破壊的なまでに庇護欲を唆る姿だった。
大きすぎるTシャツの襟元からは華奢な肩が覗き、袖は指先まですっぽりと隠れてしまっている。
長すぎる丈のせいで、下にはいたスウェットのズボンがほとんど見えず、小さな身体を僕の白いシャツ一枚で包み込んでいるかのようだ。
湯上がりで火照った白い肌と、水分を含んでしっとりと濡れた銀髪。
「すごく似合ってるよ、有栖」
「......からかわないでください。ぶかぶかで、少し歩きにくいのですから」
口ではそう言いながらも、彼女の表情はどこか嬉しそうだ。
自分の身体が僕の匂いと布に包まれていることに、安心感と優越感を抱いているのだろう。
「ごめんごめん。ソファーに座ってて。髪、乾かしてあげるから」
「え......?いえ、それくらいは自分で」
「今日は徹底的に甘やかしてあげるって決めたから、やらせてもらうよ」
僕が有無を言わさぬ笑顔でドライヤーを手に取ると、有栖は少しだけ迷った素振りを見せたあと、大人しくソファーへと腰を下ろした。
僕は彼女の背後に回り、濡れた銀髪にタオルを押し当てる。
極上の絹糸のような手触り。水分を優しく吸い取りながら、ドライヤーの温風を当てていく。
「熱くない?」
「はい......とても、心地よいです」
僕の指先が彼女の頭皮を優しく撫でるたびに、有栖は猫のように目を細め、身を委ねてくる。
天才と称され、常に他者の上に立ち続けてきた彼女にとって、こうして誰かに無防備に背中を預け、世話を焼かれるという経験は初めてのことなのだろう。
お姫様抱っこは過去にしたことがあるけどね。
彼女の身体の力が徐々に抜け、僕の手のひらに伝わる体温が少しずつ上がっていくのがわかる。
「......不思議な気分です」
ドライヤーの音が響く中、有栖がぽつりと呟いた。
「不思議?」
「ええ。数時間前まで、私はあなたを出し抜き、あなたを私だけのものにして、完璧に支配下に置くのだと──そう考えてました」
彼女の声は穏やかで、そこには先ほどのヒステリックな執着も、傲慢な響きもない。
「それなのに、今はこうしてあなたの部屋で、あなたの服を着て、髪まで乾かしてもらっている......私の完全な敗北ですね」
「負けたと思ってるの?」
「思っていますよ。あなたは私の全てを見透かし、私の最も恐れるものを突きつけ、そして......こうして甘い毒を与え続けている」
有栖は静かに目を閉じ、僕の指先の感触を確かめるように小さく息を吐いた。
「でも......悪くありません。あなたの手の中で踊らされるのは、想像以上に......心地よい」
彼女は自らの敗北を心から認めた。うんうん、素晴らしい。
「もう乾いたよ」
僕がドライヤーのスイッチを切ると、彼女は名残惜しそうに薄目を開けた。
「さあ、ご飯にしようか。リゾットを作ったんだけど、食べられるかな?」
「はい。神代くんの手料理......とても楽しみです」
僕はキッチンから湯気を立てるリゾットを二人分運び、テーブルに並べた。
二人で向かい合ってソファーに座り、スプーンを手にする。
「いただきます」
有栖は上品な手つきでスプーンを持ち、小さな口でリゾットを一口含んだ。
その瞬間、彼女の瞳がパッと見開かれた。
「......美味しい。とても、優しい味がします」
「有栖の口に合ってよかったよ」
「神代くんとは味覚が合うのかもしれませんね」
彼女はそう言って、再びゆっくりとリゾットを口に運んだ。
僕は自分の皿の分を食べ進めながら、有栖の様子を静かに観察した。時折、彼女は僕の顔を盗み見るように視線を上げ、目が合うと嬉しそうにはにかむ。
他者を見下す冷酷な女王の姿はどこへやら、今の彼女はただ恋する普通の少女だ。
「あの......神代くん」
半分ほど食べ進めたところで、有栖がもじもじとスプーンを持った手を止めた。
「ん?どうしたの。お腹いっぱいになっちゃった?」
「いいえ、そうではないのですが......」
彼女は顔を真っ赤に染め、俯き加減で僕を上目遣いに見つめてきた。
「その......先ほど、今日は甘やかしてくれると、おっしゃっていましたよね?」
「うん、言ったよ」
「でしたら......その......」
有栖は何かを言い淀み、唇をキュッと結んだ。そして、意を決したように小さく息を吸い込み、震える声で紡いだ。
「あ、あーんしていただいても......よろしいですか?」
その言葉に、僕は内心で思わず口角が上がりそうになるのを必死に堪えた。
あの坂柳有栖が。
あのプライドの塊が、自ら僕に餌付けを求めてきたのだ。
これはもはや、単なる服従ではない。これは──完全に依存の兆候だ。
「......もちろん。有栖がそうしてほしいなら」
僕は穏やかな笑みを浮かべ、自分のスプーンで有栖の皿からリゾットを掬い上げた。
軽く息を吹きかけて熱を冷まし、彼女の小さな唇へと近づける。
「はい、あーん」
「あ......あーん......っ」
有栖は恥ずかしさで耳の先まで真っ赤にしながら、ゆっくりと口を開け、僕の差し出したスプーンを咥え込んだ。
こくり、と喉が鳴る音が聞こえる。
「美味しい?」
「......はい。自分で食べるよりも、ずっと......美味しいです」
潤んだ瞳で僕を見つめながら、彼女は蕩けるような笑みを浮かべた。
僕はその後も、有栖の皿が空になるまで彼女の口へと食事を運び続けた。自分の分のリゾットはすっかり冷めて不味かった。悲しい。
食事を終え、僕が食器を片付けてリビングに戻ると、有栖はソファーの端にちょこんと座り、膝を抱えるようにして僕を待っていた。
部屋の照明は少し落とし、間接照明のオレンジ色の柔らかな光だけが僕たちを照らしている。
窓の外からは、微かに風が木々を揺らす音が聞こえてくる。
僕は有栖の隣に腰を下ろした。
その瞬間、彼女は待っていましたとばかりに僕の身体にすり寄り、肩にコテンと頭を乗せてきた。
「......本当に、不思議な一日でした」
静寂の中、有栖の透き通るような声が響く。
「少し仕掛けに来ただけだというのに、あなたの前で無様に泣き喚き、すべてを捨てて縋り付いてしまいました」
「後悔してる?」
僕の問いかけに、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。むしろ、清々しい気分です」
彼女は僕の腕にするりと自分の腕を絡ませ、さらに身体を密着させてくる。
「神代くん。あなたは私に、他の女性たちとも関係を持っていると、これからも愛し続けると告げましたね」
「......うん」
「あの時は取り乱してしまいましたが、今は冷静に受け入れることができます」
有栖は僕の肩から顔を上げ、至近距離で僕の目を見つめた。
その瞳の奥には、先ほどまでの弱々しい少女の影とは違う、どこか暗く、ねっとりとした熱が宿っている。
「あなたが優秀な女性を集め、ご自身の理想の王国を築き上げるのであれば、私がそれを止める権利はありません。いえ、むしろあなたの隣に立つクイーンとして、その偉業を支えることこそが私の役目なのでしょう」
見事な解釈の変更だ。
自尊心を守るために、彼女は自らを『他の有象無象とは違う、王の絶対的な理解者であり正妻』というポジションに据え置くことで、僕のハーレム構築を肯定し始めたのだ。
正妻になれるかどうかは、まだ分からないけど....いい兆候だ。
「有栖......」
「ですが」
彼女の声のトーンが、一段階低くなった。
「他の女性たちがあなたの周囲を飛び回ることを許容する代わりに......私にも、確固たる『証明』が欲しいのです」
「証明?」
「ええ。私があなたにとって、彼女たちとは一線を画す特別な存在であるという、絶対的な証明です」
有栖の絡ませていた腕が解かれ、代わりに彼女の両手が僕の胸元へと伸びてきた。
柔らかな指先が、僕のシャツのボタンを撫でるようになぞる。
「言葉だけでは、もう足りません。あなたのその甘い言葉は、他の女性たちにも向けられているのですから」
彼女はゆっくりと僕の膝の上に跨るように移動し、僕をソファーの背もたれへと押し込んだ。
間接照明の光を背に受けた彼女の顔は影になり、表情は読み取れない。
ただ、その紫色の瞳だけが、獲物を捕らえた捕食者のように妖しく光っていた。
「有栖......何を」
「......誤魔化さないでください、凪くん」
初めて、彼女は僕の名前を呼び捨てにした。
その声には、震えも、躊躇いも一切ない。
あるのはただ、僕という存在を自らの奥底に縛り付けたいという、独占欲と渇望だけ。
彼女は僕の服を着たまま、その小さな両手で自らのTシャツの裾を掴んだ。
「今日、私はあなたにすべてを捧げると誓いました。あなたが私を信じて繋ぎ止めてくれるなら、私を好きにしていいと」
「有栖、僕は別に今日じゃなくても......」
僕が静止しようと言葉を紡ぐよりも早く。
有栖は自らのTシャツを、迷いなく頭上へと引き抜いた。
「......っ」
露わになったのは、雪のように白い肌と、華奢な鎖骨。
そして、まったく成長していない双丘。
間接照明に照らされた彼女の裸身は、息を呑むほどに美しく、そして危うかった。
「......見てください、凪くん。これが、私です」
有栖は自らの胸を隠そうともせず、まっすぐに僕を見据えて告げた。
「......私のこの身体は....すべて、今この瞬間からあなたのものになります」
彼女の手が、僕の頬にそっと添えられる。
微かに熱を帯びたその手のひらから、彼女の決意と、狂おしいほどの愛情が伝わってくる。
「あなたは私を『特別だ』と言ってくれましたね。ならば、どうか......私に教えてください。そうであることを行動をもって証明してください」
有栖は身を乗り出し、僕の耳元へと顔を寄せた。
彼女の甘い吐息が、鼓膜を直接撫でる。
「私が他の女たちとは違うのだと。あなたの身体と、私の身体の奥深くに刻み込んで......私を、あなたの呪縛から永遠に逃れられないようにしてください」
天才であるがゆえに孤独だった少女は、ついに自らの意思で、僕という底なし沼へとその身を投げ出したのだ。
「......お願い、凪くん。私を、狂わせて......」
懇願するように、祈るように。
僕の唇へと、その柔らかな唇を重ね合わせた。
坂柳さん
R-18も投稿してるよ。
Bクラス or Cクラス
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Bクラス
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Cクラス