「はーい、それじゃあここからは自由行動です。他の階には行かないでねー。それと、体調が悪くなった時はすぐに先生に知らせてください。時計の針が6のところになる前に戻ってきてね!」
引率の先生の明るい声が、薄暗い水族館のフロアに響き渡る。
その指示を合図に、これまで列を作ってまとまって動いていたクラスメイトたちが、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと散らばっていった。
「わあ、あっちにサメいるって!」
「早く行こうぜ!」
はしゃぐ子どもたちの声が少しずつ遠ざかっていく中、僕たちはその場に留まっていた。
当然ながら、僕は坂柳さんと行動を共にする。
「なにから見て回りましょうか?」
「適当に歩いて見て回ろうか。気になる生き物がいたら、少し長めに見たらいいし」
「そうですね。では、ゆっくりと参りましょう」
彼女はコツンと杖を床に突き、僕はそんな彼女に合わせて歩き始める。
館内は水槽から放たれる青白い光に照らされていて、まるで海の中を直接歩いているかのような錯覚に陥る。
名門小学校だけあって、遠足で来るのもチンケで寂れているような水族館じゃない。
最初に僕たちの視界に飛び込んできたのは、壁一面を覆う巨大な大水槽だった。
何種類もの魚たちが群れを成して泳ぎ、その間を縫うように巨大なエイやサメが悠然と横切っていく。
「圧巻ですね。これだけの数の生態系を一つの箱に閉じ込めて管理するというのは、なかなか興味深いです」
水槽を見上げる坂柳さんは、小学一年生とは思えない、どこか俯瞰したような感想を漏らした。本当に小学生だよね?
「そうだね。外から見てる分には綺麗だけど、水槽の中の魚たちはどう思ってるんだろうね」
「案外、外敵に怯えることなく定期的に餌を与えられるこの環境を、気に入っているかもしれませんよ?人間も同じですから」
ふふっ、と小さく笑う彼女の横顔は、水槽の青い光を反射して、普段よりも少しだけ大人びて見えた。
次に見つけたのは、円柱形の水槽の中でフワフワと漂うクラゲの展示エリアだった。
暗闇の中でライトアップされたクラゲたちは、赤、青、紫と色を変えながら、ゆっくりと脈打つように動いている。
「綺麗だね」
「ええ、とても幻想的です。脳も心臓も持たない生物が、こうしてただ流れに身を任せて生きているという事実は、少し奇妙でもありますね」
坂柳さんは杖を両手で持ち、じっと水槽を見つめていた。
その静かな瞳には、色鮮やかなクラゲの姿が映り込んでいる。
図書室でチェス盤に向かっている時の鋭い眼差しとは違う、ただ純粋に美しいものを見つめる穏やかな表情だ。
こういう静かな時間を共有できるのも、悪くないなと思う。
「あ、そうだ。そろそろペンギンのところに行ってみない?」
僕が提案すると、坂柳さんは少しだけ目を丸くした。残念ながら餌やり体験は今日はやってないみたいだけど、ペンギンコーナーはあるからね。
「そういえば、以前そんな話をしていましたね。ええ、行きましょう」
ペンギンの展示エリアは、他の場所よりも少し気温が低く設定されていた。
ガラス越しに広がる陸地と水辺のセット。そこには、数え切れないほどのペンギンたちがヨチヨチと歩き回ったり、勢いよく水の中に飛び込んだりしていた。
「......意外と、動きが素早いんですね」
水中のペンギンが意外と素早く泳ぐ姿を見て、坂柳さんが感心したように呟く。
「陸の上だとあんなに歩くのが遅いのにね。ギャップがあって面白いよね」
水槽のガラスの前に立っていると、一羽のペンギンがスイスイと泳いできて、僕たちの目の前でピタッと止まった。
ガラス越しに、僕たちのことを見つめている。なんだか不思議そうな表情に見えた。
「あら、こんにちは」
坂柳さんがそっとガラスに手を触れると、ペンギンはその手を突くようにクチバシを近づけてきた。
動物に話しかけたりするんだ。原作からはあんまり想像できないかな。
「ふふっ、可愛いですね」
その瞬間、彼女が見せた無邪気な笑顔は、間違いなく年相応の女の子のものだった。
チェスで僕を追い詰める時の冷酷な笑みも、僕をからかう時の小悪魔的な笑みもいいけど、こういう飾らない笑顔を見られるのは、この遠足に来た最大の収穫かもしれない。
「坂柳さん、ペンギンが気に入ったみたいだね」
「ええ、少しだけ。彼らは飛べない鳥ですが、水中では誰よりも自由に羽ばたいています。己の長所を活かす場所を知っているというのは、素晴らしいことです」
幼くとも、結局、彼女の思考回路はどこまで行っても『坂柳有栖』らしい。
そんな彼女のブレない言葉に苦笑しながら、僕はふと壁にかかっている時計に目を向けた。
「あ、もうこんな時間だ。今から戻らないと、30分に間に合わないね」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
「あら、本当ですね。遅れて先生方に小言を言われるのも面倒です。そろそろ戻りましょうか」
「うん、そうだね」
「神代くん」
不意に坂柳さんが僕の名前を呼んだ。
「なに?」
「今日、あなたと一緒に回れて良かったです。一人で見るよりも、有意義な時間になりました」
少しだけ前を歩く彼女の顔は見えなかったけれど、その声はとても穏やかで、優しかった。
「僕もだよ。またいつか、一緒に行きたいね」
「ええ、約束ですよ」
僕たちは言葉を交わし、騒がしいクラスメイトたちが待つ広場へと歩みを進めた。
神代くんと出会ってから3年、もうすぐで4年が経とうとしている頃。
昼休みに、いつものように図書室の窓際の席でチェス盤を挟んで向かい合っていた時、彼の口から唐突に、そしてあまりにも衝撃的な言葉が発せられました。
「僕、1週間後に転校するんだ。明日クラスメイトたちに先生が伝える予定なんだけどさ」
──転校?
彼が放った言葉の意味を理解するのに、時間を要しました。どうして?なぜ?昨日までそんな素振りは微塵も見せていなかったではありませんか。
「お父さんの仕事の影響でね。なんでも、お父さんがどうしても治療しないといけない人がいるんだって」
神代くんのお父様は、最先端医療の第一人者。再生医療や遺伝子治療の権威として世界的に名高いお医者様です。
その親の都合であり、子供の彼にはどうすることもできない。理屈ではわかります。仕方ないことだということも、頭では完全に理解できています。
ですが、どうしても腑に落ちないことが一つだけありました。
「......随分と淡々としてますね」
私の口からこぼれたのは、冷たい棘を含んだ声でした。
神代くんは、もう泣かなくなりました。
小学1年生の時には、ちょっとした重圧や周囲の視線に耐えきれず、泣かない日の方が少なかったというのに。
今ではすっかり成長し、かつての泣き虫だった姿を見かけることは皆無と言っていいほどです。
立派になった。強くなった。それは私としても喜ばしいことです。ですが、今、こういう時こそ取り乱して泣くべきではありませんか。
私と離れ離れになるというのに、どうしてそんなにも静かな瞳をしていられるのですか。
「そんなことないよ。坂柳さんと離れるのは悲しいけど、出会いがあれば別れもある」
「随分と達観したことを言いますね。転校するということは、もう私と会えないかもしれないんですよ?」
そんなことは、神代くんに言われずともわかっています。いずれそれぞれの道を歩む日が来ることも。ですが、それとこれとは話が別です。納得がいきません。
「会えるよ。僕と君の縁は繋がっているから。それに、遠くにいるからこそできることもあるじゃないか」
どこか確信めいたように、まるで未来を見透かしているかのように話す彼に、少しだけ苛立ちが芽生えるのが自分でもわかりました。
「......遠くにいるからこそ、できることですか?」
そんなもの、何があると言うんですか。
毎日こうして顔を合わせ、昼休みにチェス盤を通して互いの知略をぶつけ合い、高め合い、楽しく穏やかな時間を過ごす。
これ以上に満たされる素晴らしいことがあるとでも言うのでしょうか。
「文通だよ。僕は中学を卒業するまで携帯を買ってもらう予定がないから、やり取りするには手紙しかないんだよね」
「文通、ですか」
あまりにも時代錯誤な提案に、私は思わず呆れたような声を漏らしてしまいました。
今の時代、瞬時に言葉を届ける手段などいくらでもあります。それなのに、わざわざ紙に文字を書き、切手を貼り、ポストに投函し、何日もかけて相手に届くのを待つ。
なんという非効率的な手段でしょうか。
「そう。手紙っていいと思わない?相手のことを考えながら便箋を選んで、言葉を紡いで、インクを乾かす。ポストを開けた時に手紙が入っていた時の高揚感。そういうのって、すぐにつながれるデジタルなやり取りじゃ味わえない贅沢だと思うんだ」
神代くんは、まるで宝物の話でもするかのように優しく微笑みました。
その表情を見ているうちに、私の胸の内に渦巻いていた苛立ちが、ゆっくりと消えていくのを感じました。確かに、コミュニケーションは効率だけが全てではありませんね。
相手のことを考え、形として残るものを送りあう。それはつまり、遠く離れた場所にいても、彼の頭の中に私のことが残り続けるということになります。
記録に残り記憶には残らない電子の文字ではなく、記録にも記憶にも残る手紙。考えれば悪くありません。ええ、彼から提案してきたのも相まって悪くないですね。
「......本当に、あなたは変な人ですね」
「よく言われるよ。でも、坂柳さんも嫌いじゃないでしょ?」
「ええ、まあ。悪くはありません」
私は素直な感情を隠し、あくまでも冷静を装って答えました。調子に乗らせたら、チャンスとばかりにからかおうとしてきますからね。
「ただし、神代くん。私に手紙を送るからには、それ相応の質の高い内容を要求しますよ?今日何を食べたとか、天気がどうだったとか、そんなどうでもいい日常の報告だけで便箋を無駄にすることは許しません」
「厳しいなぁ。んー........じゃあ、普段の出来事に加えて手紙でチェスをするのはどう?」
「棋譜を送り合うということですか?」
「そう。僕が1手目を書いた手紙を送る。坂柳さんはそれを受け取って、自分の2手目を書いた手紙を返信する。盤面は頭の中で記憶しておけばいい。忘れたら手紙を見返せば問題ないし」
ああ、なんてことでしょう。
この人は、時々私の思考の先を行き、私の渇きを満たす術を熟知している。
手紙が届くまで、数日から数週間。その間、盤面は止まったまま。しかし思考は決して止まることはありません。
相手の次の一手を予想し、何十通り、何百通りもの展開を頭の中でシミュレーションし続ける。
これなら、物理的に距離が離れていても私たちは常に盤面を挟んで向かい合っているのと同じです。決して、この繋がりが途絶えることはない。
「──ふふっ。素晴らしい提案です。採用してあげましょう。かといって、手紙の内容を何も書かないのはダメですよ」
「そんなことはしないよ。まあ、坂柳さんが嫉妬したら悪いから新しい友達のことは書かないようにするね」
聞き捨てならない発言をしながらも、神代くんは嬉しそうに笑うと、盤上のキングをそっと指先で撫でました。
「.....残念、時間みたいだ」
キーンコーンカーンコーン......
昼休みの終わりを告げるチャイムが、静かな図書室に鳴り響きました。
「まだ1週間あるから、それまでよろしくね」
彼は立ち上がり、私に向かって優しく手を差し出しました。
かつて、私が意地悪くお姫様抱っこを要求していた頃の、困った表情を浮かべ、弱々しくて頼りなかった面影はもうありませんね。
「....先に戻ってください。私もすぐに行きますから」
「そう?わかったよ」
図書室の扉が閉まり、彼の足音が遠ざかっていく。
誰もいなくなった図書室で、私は残されたチェス盤を見つめました。彼の指の温もりが微かに残る盤面。
寂しさがないと言えば嘘になります。
でも、彼は私に約束をしてくれました。手紙という繋がりと、その中での果てしない闘争という、私にとって最高の娯楽を。
「──私以外に、あなたの理解者はいません。そして、それは逆も然りです」
天才は天才と惹かれあい、最後には必ず結ばれる運命ですから。
私と同レベルの天才は、あなたと同レベルの天才は──この世界に、私たちだけです。
彼が遠ざかっていった扉の向こうを見つめながら、私は誰に聞かせるでもなくそう呟きました。
「ええ、待っていますよ。神代くん」
私は彼が指で撫でたキングの駒をそっと拾い上げ、愛おしむように自身の唇に触れさせる。
.....授業に間に合わず注意されてしまいました。これも全部、神代くんのせいです。
【ステイタス】
知力A(70)
記憶力、理解力、器用さ、計算能力等に影響する。
身体能力B(20)
筋力、体力、瞬発力、持久力、反射神経などのフィジカル全般に影響する。
メンタルD(90)
メンタルにダメージを負うと泣いてしまう。耐えようとした場合、精神的・肉体的負荷が生じる(ランクアップで解消)。
重圧に弱い。注目されるとベストなパフォーマンスを発揮できなくなる(ランクアップで解消)。
状況により、他ステイタスに一時的に影響を及ぼすことがある。
運B(30)
幸運体質。
魅力A(45)
異性からの好感度を得やすい。
同性からの好感度を得にくい。
スキル
不屈
『逆境時に任意のステイタスを1段階ランクアップさせることができる』
※取得条件:精神的or肉体的負荷がかかっている状態で100回逃げずに立ち向かうこと。
坂柳さん
転校先にいるのは?(項目少なく上げてしまったため、上げ直してます)
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長谷部波瑠加
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長谷部波瑠加&他クラスに櫛田桔梗
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長谷部波瑠加&同じクラスに櫛田桔梗