……フレイヤ様すみません。
「やるか」
1つの覚悟を決めたように、カナは早朝よりももっと前、自室でそう呟いた。
カナが『紐』の作製に成功してから数日が経過した、そんなある日の昼下がり、彼女は自室で紐を手に取り、そう呟いた。
ここ数日の彼女はと言えば、達成感につきやや落ち着いた雰囲気を見せ、ダンジョンにも行かず、ホームでのんびりぽけーっと過ごすばかりだった。
しかし体を動かさなければ、その分だけ頭が動く。そうして2つの考えが浮かんだ。
1つ目は新たな紐を創り出すことだった。ないものを編んだ彼女に凡そ編めないものはなく、とりあえず見えないだけでドーナツの穴より理解容易な自身の精神力で紐を編んだ。しかし、彼女自身がそれは魔法の紐成り得ないと理解していた。
2つ目はドーナツの穴の紐がどの程度の強度なのか調べることだった。本来なら他の素材でできた魔法の紐らを更に編むことで、1本の真なる魔法の紐にするところを、彼女はまだ1つの素材で1本の紐しか作っていない。
しかしそれでも魔法の紐だ。だからこそ彼女はその強度に興味が湧いた。というわけでその相手を探していたわけである。
当初、その相手は同じファミリアのベート・ローガになる予定だった。しかし精神力の紐を編んだことによって、精神力不足により使用できなかった魔法を使えるようになったため、使用相手が見直されることになった。
同時に、材料についても、非常に心苦しいものではあるものの、思い付いた、思い付いてしまった。
そして今、彼女の魔法が使用される。
『地を這う我ら人の夢をいま私が叶えよう。私が空へ引き上げよう、地から引き剥がそう。重力の鎖から解き放たれ、我らはいま自由に動く。偽・反重力』
詠唱。同時に頭上へと投げられた精神力の紐は重力に逆らい、頭上で加速的に回転するメビウスの輪を描いた。
輪の速度が高まるにつれ、ついにカナの体が宙に浮いて静止する。しかし、ようやく偽物といえど大地の重力から抜け出した彼女の顔は浮かないものだった。
偽の言葉が示す通り、魔法も頭上のそれも、彼女の現理論にすら劣るものだった。本来ならばこの現象は、ただ上向きの力を与え続けるだけでなく、自身の周囲にある空間を切り取って成し、紐には生命を与えて尾を喰む蛇にするはずだった。
だが、今はこれでよかった。そして、カナは溢れる無限に近しい精神力をもって次を詠唱した。
『広がる空間はいまだその構造を不定にさせている。彼らは直交する3軸を基にしているにも関わらず、丸みを帯びる地表もまた受け入れるから。ならば私が定めよう、捻じ曲げよう、私が望む空間に。エゴ・メトリゼーション』
布の2点をつなげ、平面のものを立体的にするように、ローカリーに任意の2点をつなげて新たな集合を作り続け、望むがままに距離構造を入れ続ける。
そんなあまりにもエゴスティックな魔法は、メビウスの輪が成す無限をもってようやく僅かながら使用できる、魔法だった。
「さて、方向はあっちだったっけ」
ホームから歩いて外に出たカナは、屋根上まで空間をつなげ距離を0にして空間跳躍すると、朝日が昇る前のオラリオへそのまま更にワープを重ねた。とある『最強』が居座る方向へ。
──────
魔法に通常の法は通じない。うんうん、いい言葉だなぁ……。
カナはそんなことを考えつつ、冒険者が動き出す前のホームを悠々とワープし続け、ついに目的の部屋へ扉も壁も何もかも無視して侵入した。
そして闖入者の気配を察知して目を覚ます直前の『最強』、フレイヤ・ファミリアのオッタルを見下ろし、魔法の紐を投げかけた。
「ん? なんだお前は……んぐっ!」
オッタルが目を覚ます。次にカナを見つけて動き出すその刹那、カナは魔法の紐でオッタルをふん縛り、彼とともに『戦いの野』へとワープして打ち捨てた。
紐に絡まる猪人を、2つ輪の光輪を頭に掲げて宙に浮かぶカナが見下ろす。普段こそ冷静なオッタルですらが、あまりの出来事に言葉を失った。
そんな彼に、カナは言葉を落とした。
「数字には意味がある。特に一桁の数字は最も原理に近い。6は完全性を保持し、中央である5は最も力を持つ。貴方を、魔法の紐を用いて交叉数5を持つペンタグラムの結び目で縛り、足首はヘクサグラムで結んだ。『最強』である貴方に、ぜひその紐を引きちぎってほしい」
それだけ言うと、カナは、次はフレイヤ様に──、などと呟いて、また消えてしまった。
その、最後の呟きが、武人を獣に堕とした。都市が、震えた。
──────
「……あら、誰かしら。私に何か用?」
「あー……えっと、そんなところです。ははは……」
不敬にもフレイヤ様の部屋にワープしたカナだったが、オッタルの咆哮のためか、ちょうどフレイヤ様が目を覚まされてしまったために、ほとんど予期せずカナはフレイヤ様と対面することになった。
さすがに神様の前で浮いていられるほど豪胆でもなく、カナは床に降り立った。
(……すごいな)
美の女神と対面したカナの感想は、まずそれだった。前世、魔女になるための人心掌握術として、他者からの見え方なども研究対象としていたカナからしても、フレイヤ様のそれは完璧だった。それに、その美は圧倒的な強さをも持っていた。
ふと、三島由紀夫の金閣寺を思い出した。
「そう……まぁいいわ。それで部屋にまで忍び込んだりして、私に何の用かしら」
「えっと……フレイヤ様に興味があって、お会いしたいなって……? あっ、あと、貴女の眷属であるオッタルさんを紐で縛ってしまったので、一応、教えておこうかと……」
実は本当の用事がある。どれだけ人の心が無いと言われようが、興味は止められないのである。
「ふうん……あの子を縛れる紐なんて……まさか──」
フレイヤ様が1つの可能性に思い当たり、驚きで目を見開く。
「あっやばいっ! すみませんフレイヤ様、失礼しますっ!」
これ以上追求されれば面倒なことになると、カナは当初の目的を果たして脱出すべく、フレイヤに近づいた。
試すことすら良心が痛む行為だが、しかし、もしかしたら、紐が編めるかもしれない。と、一瞬芽生えた葛藤が消え去り、女神の前で、カナはそれを捻った。
瞬間、カナとフレイヤ様の目の前で、1本の紐が編み上げられていった。
「あっ」
それはどちらの声だったか、直後、呆然とした表情でフレイヤ様はカナを見つめ、カナはといえば紐を手に取るや否や苦笑いとともに、ロキ・ファミリアのホームである黄昏の館へワープした。
そしてフレイヤ様は、ついに紐を引きちぎったオッタルがやってくるまで、そのまま動けなかった。
──────
「ふぅ……いやあ、久しぶりにこんなに汗かいちゃったぁ〜……」
やらかした自覚から多量に発汗したカナは、ホームに帰って魔法を解くと、一目散にシャワーを浴びにいった。
嫌な汗でびっちょり濡れた服を脱ぎ捨てて、シャワーを一気に浴びる。
「あー……まあ、いっか」
なんか、かなりのことをやらかした自覚のあるカナだったが、新たな魔法の紐を1つ編めたことと、汗を洗い流せた開放感で、一旦何とかなるだろうという最低のマインドになっていた。
と、油断していたからだろう、普段なら気づく神の接近に気が付かなかった。
「うおーっ! スキありやーっ!!」
「きゃっ!?」
そのために突如として乱入してきたロキにカナは対応できず、ロキに飛びつかれてしまった。上げた悲鳴が、更にロキを煽る。
(どうしよう……あ、そうだ)
早めに何とかしないと疲れるだけだと思考を回すカナの目に、自身の胸に伸びるロキの手が見え、1つ思いついた、いやこれもまた思い付いてしまった。
こんな時にでも、己の身より研究である。
「もし編めたら、ごめんなさいっ!」
カナは言うが早いかロキの胸の前で、それを捻った。そして、紐が編み上げられてしまった。
「……えっ……」
ロキは全身の動きを止め、ただその編み上がっていく紐を見つめた。
「カナ……? あ、あの……それ、って……」
「……ごめんなさい」
「……カ、カナのアホォ────ッ!!!!」
神妙な面持ちでカナが謝ったとたん、ロキは涙を撒き散らしながらシャワールームから走り去っていった。
──────
カナが3本目の紐を編んだそのあと、ロキはというと、かつてないほどの自棄酒を引き起こし、ファミリアに多大な迷惑をかけた。
カナはというと、彼女は彼女でその責を取るためにロキの介抱を進んだ申し出たが、ロキが泣き叫ぶのでやむなく他のものすることになった。
その間、都市に衝撃が走った。何とオッタルが偉業を達成してランクアップしたというのだ。
一方その裏で、フレイヤ様は三日三晩、少女のように癇癪を起こしながら泣き喚いていたという。
でも大丈夫。フレイヤ様は愛の奇跡を識っているから、◽️の奇跡を信じてるから。
女の髭と猫の足音があるように、いずれ2本目の紐は消えるでしょう。
でもロキは残念。もうどうしようもない。1本目の紐より消えなさそう。