都市は無意識ながら新たな英雄の誕生を予感して、わずかに湧き上がっていた。『猛者』オッタルのランクアップは言わずもがな、しかし驚異的な速度でそれに迫ろうとする存在がいた。
『未完の新人』ベル・クラネルの更なるランクアップだった。常にダンジョン探索を行い、埃まみれになるまで己を鍛え、速攻魔法でモンスターを焼き払うその姿に、裏では『灰被りの白兎』とも呼ばれる彼は、いまオラリオを席巻する話題の1つだった。
そんな噂を風に聞きつつ、カナは自身とある人物との物理的距離を1Mほどと定義した適切な距離構造を入れ込み、空間を跳躍した。
そこには、ボロボロの小屋でただ1人、口元を中心に血で濡らし、床に臥し、死の直前であるような灰の魔女、アルフィアがいた。
「……カナ、か。今日は薬でも持ってきたのか」
それはアルフィアのかつての姿からは想像もつかないほど、弱々しい姿だった。いかな彼女といえど、死に限りなく瀕したその状態で、その傍若無人な性格も死のうとしていた。
カナが彼女と出会ったのは全くの偶然だった。初めは前世にはなかった植物などから成分を抽出すべく、その材料集めにオラリオを離れていたときだった。
「いえ、薬はありませんでした」
彼女と出会ったのは当初、魔女を志す者として不治の病を癒す薬を作ろうとした。いま世界にあるというのなら創り上げてみせよう、無いというのなら編み上げてみせよう、私に不可能はない、それこそが魔女を目指す私の矜持。
しかし、かつて彼女がまだオラリオにいた頃の医療系ファミリアですらできなかったことを、医学の知識に乏しい私にそんな短期間でできるはずがなかった。
「そうか。いや、いいんだ。本当なら私もあのときに死ぬはずだった、それが少し伸びただけの──」
「だからこそ、ここにあります」
それは、非常に屈辱である。
アルフィアの不治の病を癒す薬、それがないというのなら、私はその紐を編む。
それは、非常に屈辱である。今の私がどこまでも未熟な故にその薬を生み出せないということの、何よりの証拠なのだから。
今のお前では、あるいは今のままではどれだけいっても無理なのだということを、私自身が証明してしまう。
──ああこれが、『フレイヤの伴侶』という紐を突きつけられた女神の想いか。しかし量で表すなら、これではどこまでも届かないだろうが。
……ロキは無だった。ああでも、証明されてしまって、言い訳すらできないのでは違うのだろう。ああ、考えれば考えるほど申し訳なくなってきた、後で何とかしてソーマを献上しよう。
と、そんなことを考えているうちに、少なくともアルフィアの不治の病を癒す薬の紐が編み上がった。
さて、そんな紐をどうするかと言えば、まあ適当に紐だけの集合から環を構成して、加群を作ってアルフィアをその紐で送ってしてしまえばいい。効果が現れるかは分からないが、これよりいい案が思いつかないのもまた悩みであった。
そんなこんなで紐をアルフィアに施す。
「さてどうで──うわっ!!」
瞬間、小屋が爆ぜた。それはまるで砲弾が小屋に落下したような衝撃で、小屋の破片もろとも10Mくらい吹き飛ばされる。
一体何が、そう思って答えを考えるよりも、目に映る光景が思考を上回って答えを教えてくれた。そこには、かつて才禍の怪物とも称された魔女が立っていた。
「──これが、健康な身体というものか。フフッ……ハハハ──」
それは私にアルフィアを治療したことに対し、多大な後悔の念を抱かせるような、そんな高笑いだった。
「──ああ、いい気分だ。さあ、早くオラリオへ連れて行ってくれ」
──────
もう私は待たない、待てない、そして躊躇わない。でも、できることなら奇麗な形で成したい。でも、そんな余裕も何も私にはなかった。
「ベル。あなたを私のものにする」
廃教会の前、彼の主神であるヘスティアとともにいたベルにそう告げる。それは私の意思であり、また決意でもあった。
けれど、確かにどこかに焦りと不安、それに認めたくない虚無感があったことは事実だ。それが私から一切の余裕を奪っていた。
娘の姿なら、または彼らと交流のある者達を人質に取るとか、そんな方法は、考えれば幾らでもあったはずなのに。それでも、『あの紐』を見せつけられた私には、こんなことしかできない。
ほら見て、あのヘスティアの顔、どうして私を心配しているの。もう、そんな顔しないでちょうだい。
でもそうね、貴女なら、この後も私にそんな顔を向けるのかしらね。
パチンと合図をする。私の横をオッタルが走り抜け──。
都市が割れた。
少なくとも、フレイヤはそう思った。それほどの轟音、地震、衝撃。都市が割れるほどの力が、目の前で発生したのだ。一体何が、土煙が晴れていく中、そこから現れた者を見た瞬間、フレイヤは膝から崩れ落ちた。
──────
星が落ちてきた。
オッタルは本当にそう思った。流れ星がちょうど自分の頭に落ちてきたのだと、それしか考えられない衝撃が頭に降り注ぎ、そのまま地面に叩き伏せられた。
「…………ッ!?」
あまりの衝撃に呻くことしかできない。しかしその呻き声が、彼女の耳に届いてしまった。
「耳障りだ」
蹴り飛ばされる。ぐわんぐわん揺れる脳は何故、どうしてを繰り返して続けるが、ただ1つ確信したことは、攻撃を受けたのが他の眷属ではなく自分だったことがどれほどの幸運だったかということだけだった。
もし女神の采配が違っていたのなら、速度を重視してアレン・フローメルに襲わせて自分を予備としていたのなら、恐らくそこでアレンは終わっていた。
その声を、その強さを、傍若無人さを、理不尽さを、我々が忘れるはずがなかった。
「──アルフィアお義母さん?」
「よろしい、忘れてなかったな」
ベルの言葉と、それに応えるように彼を優しく抱きしめながらも、油断なく周囲を見渡すアルフィアの姿に、ヘスティアとベル以外は、どうして彼にどこか灰がかった雰囲気を感じるのか、その原点を理解した。
「それにしても……んん、いい感触だ。生まれ落ちて30余年、これほどまでに絶好調でハレバレとした気分はなかった」
ある種の全能感を味わっているために身震いするアルフィア。その、最高にハイってヤツになっちゃっている姿は、まさに絶望そのものだった。
「──ふえぇぇん……」
と、そんなときだった。静寂が支配する空間で少女の泣き声がした。
その場にいた全員が弾かれた声のした方を見る。すると何ということか、地面にぺたんとへたり込んだフレイヤが、両手で瞼を擦りながら少女のように泣いているではないか。
その衝撃たるや凄まじく、誰もが石のように固まった。だが、ベルだけはいち早く半生解凍の状態で口を開いた。
「……シルさん?」
ただ1人、アルフィアの腕から抜け出してフレイヤに駆け寄った。カナは、手から紐が1本消えたのを確認すると、人知れず自室へとワープした。
──────
私が黒竜討伐を予期したのはそのときだった。
1のことから10を知るというのは、実は真実ではない。むしろ10のことからようやく1を知れるのだし、1すらも知れない方が多いだろう。
けれども10のうちの1だったとしても、それは知ることになる1の一部であることに違いはない。
紐が消えたのは、そんな1だった。
では紐が消えたというのはどういうことを意味するのか、それはどのラインまでなのだろうか。これには明確に答えがある。
そもそも私の紐というのは、その材料を、この世に存在しないものの集合から持ってきている。いずれグレイプニルが解かれると知っていたのだろうドワーフ達は、予備の材料を集積した。
私はそこから持ってきているに過ぎない。そしてその集積場所には時間がない。
つまりは、そこに集積されているならいずれ世界から失われ、いずれ世界にあるのなら集積されないか、紐が還元される。
だから、フレイヤ様が過程はどうあれ失恋せずに自ら軛から解き放たれることが、紐の還元により予測できるのだ。
けれどそれだけで紐が還元されるのだろうか。それは、ベル・クラネルもまた英雄になるというある種の呪いから解き放たれることも、また条件に入るのではないか。
ならばそれは黒竜討伐を置いて他にない。他ならぬ彼の手で。
そしてそれは、見つけてしまった新たな材料【ベル・クラネルの◽️◽️】からも、ほとんど明らかだった。
【遺された手記より】
あらゆる全てが予定調和のように曇りそうだけど、だからこそというね。でも神工の英雄でないなら、世界が欲する英雄ならば、というのは原作を見てもありそうですね、失われる運命だったけれども……というのは。
さて、次があるならそれは紐関連ではなさそうです。主人公はあくまで、狂気的なまでに、本気で、科学と論理と魔術と神話とを同時に全部注ぎ込むだけで、結果として魔法の紐が得られた訳で、結果の発露としては別の形もあるのです。