昭和十八年十一月。
ラバウル基地。
夜明け前。
まだ空が薄暗い頃だった。
---
神崎隼人は飛行服のまま簡易寝台で眠っていた。
---
ここ数か月、まともな睡眠など取れていない。
---
空襲。
---
迎撃。
---
訓練。
---
また迎撃。
---
その繰り返しだった。
---
そして。
---
その日が来た。
---
◇
---
基地全体にサイレンが鳴り響く。
---
「総員起こせ!」
---
「敵艦隊発見!!」
---
怒号が飛ぶ。
---
神崎は飛び起きた。
---
◇
---
作戦室。
---
鬼塚大尉の顔は今まで見たことがないほど険しかった。
---
地図の前には参謀たち。
---
全員の顔色が悪い。
---
◇
---
「敵空母機動部隊確認」
---
室内が静まり返る。
---
「ニューアイルランド島東方海域」
---
誰かが息を呑む。
---
近い。
---
近すぎる。
---
◇
---
「敵の目的は?」
---
神崎の問い。
---
参謀が答える。
---
「ラバウル攻略の前段階だ」
---
◇
---
ざわめき。
---
攻略。
---
その言葉は重かった。
---
空襲ではない。
---
嫌がらせでもない。
---
ラバウルそのものを奪う。
---
そういう意味だ。
---
◇
---
「敵は上陸を狙っている」
---
「我々をここから追い出すつもりだ」
---
◇
---
部屋の空気が凍り付く。
---
ラバウルは最後の砦だった。
---
失えば南方戦線は崩れる。
---
◇
---
「全航空隊出撃」
---
鬼塚が命じた。
---
「空母を叩く」
---
◇
---
飛行場。
---
零戦。
---
九九艦爆。
---
一式陸攻。
---
ありったけの航空機が並ぶ。
---
まるで総力戦だった。
---
◇
---
村田が神崎の機体を叩く。
---
「燃料満載です」
---
「ありがとな」
---
「帰ってきてくださいよ」
---
◇
---
神崎は笑う。
---
「お前も死ぬなよ」
---
◇
---
エンジン始動。
---
轟音。
---
数十機。
---
百機近い航空機が次々と飛び立つ。
---
ラバウル航空隊の総反撃だった。
---
◇
---
二時間後。
---
敵艦隊発見。
---
神崎は絶句した。
---
◇
---
海を埋め尽くす艦艇。
---
空母。
---
戦艦。
---
巡洋艦。
---
駆逐艦。
---
その数は日本艦隊を遥かに上回っていた。
---
◇
---
「なんて数だ……」
---
佐伯が呟く。
---
◇
---
その時。
---
敵戦闘機隊が現れる。
---
ヘルキャット。
---
数十機。
---
いや百機近い。
---
◇
---
「来るぞ!!」
---
鬼塚の声。
---
空戦開始。
---
◇
---
空は地獄になった。
---
機銃弾。
---
爆発。
---
黒煙。
---
至る所で航空機が燃える。
---
神崎は敵戦闘機を追う。
---
一機撃墜。
---
二機目。
---
だが敵は減らない。
---
次から次へ現れる。
---
◇
---
その最中だった。
---
「鬼塚大尉被弾!!」
---
通信が飛ぶ。
---
◇
---
神崎は振り向いた。
---
鬼塚機。
---
炎を引いている。
---
左翼が吹き飛びかけていた。
---
◇
---
「隊長!」
---
神崎が叫ぶ。
---
◇
---
鬼塚機の後ろにはヘルキャット二機。
---
追撃している。
---
◇
---
神崎は全速力で突っ込んだ。
---
距離が縮まる。
---
機銃発射。
---
命中。
---
一機撃墜。
---
もう一機離脱。
---
◇
---
「隊長!」
---
通信。
---
雑音。
---
そして。
---
「まだ生きてる」
---
◇
---
神崎は思わず笑った。
---
鬼塚らしい返事だった。
---
◇
---
しかし状況は最悪だった。
---
鬼塚機は燃えている。
---
操縦系統も損傷。
---
ラバウルまでは遠い。
---
◇
---
「飛べますか」
---
「飛ぶしかない」
---
◇
---
鬼塚は機体を水平に保つ。
---
炎。
---
煙。
---
それでも飛ぶ。
---
◇
---
帰路。
---
誰も喋らない。
---
神崎は鬼塚機の横を飛んでいた。
---
いつ墜落してもおかしくない。
---
◇
---
一時間。
---
二時間。
---
長い帰路。
---
そして。
---
ラバウルが見えた。
---
◇
---
「見えたぞ」
---
神崎が叫ぶ。
---
◇
---
鬼塚は返事をしない。
---
燃料も限界。
---
意識も朦朧としているのだろう。
---
◇
---
滑走路。
---
鬼塚機が降下する。
---
脚が出ない。
---
油圧喪失。
---
◇
---
「胴体着陸だ!」
---
地上が騒ぐ。
---
◇
---
火花。
---
轟音。
---
機体が滑走路を滑る。
---
数百メートル。
---
ようやく停止。
---
◇
---
神崎は着陸すると同時に駆け出した。
---
◇
---
鬼塚機。
---
機首は潰れている。
---
主翼も半壊。
---
だが。
---
風防が開いた。
---
◇
---
鬼塚大尉が這い出してくる。
---
血だらけだった。
---
それでも立った。
---
◇
---
「隊長!」
---
神崎が駆け寄る。
---
◇
---
鬼塚は苦笑した。
---
「まだ死なん」
---
◇
---
周囲から安堵の声が上がる。
---
誰もが駄目だと思っていた。
---
だが帰ってきた。
---
奇跡的に。
---
◇
---
しかし。
---
その日の戦果報告は厳しかった。
---
敵艦隊への損害は限定的。
---
こちらは多数の航空機を失った。
---
そして。
---
敵輸送船団が確認された。
---
◇
---
つまり。
---
敵は本気だった。
---
ラバウル占領作戦。
---
それはまだ始まったばかりだった。
---
◇
---
夜。
---
神崎は病室を訪れる。
---
鬼塚は包帯だらけだった。
---
◇
---
「どうです」
---
「飛べる」
---
「嘘ですね」
---
鬼塚は笑った。
---
その笑顔の裏で、誰もが理解していた。
---
次の戦いはもっと厳しい。
---
敵は空襲だけでは終わらない。
---
近いうちに。
---
上陸部隊が来る。
---
ラバウル攻防戦。
---
その幕が静かに上がろうとしていた。
---