ラバウルの鷹   作:UMC OGASOU

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第二話 ラバウルの空

 

 

 ラバウルに着任してから一週間。

 

 神崎隼人はようやく、この巨大な基地の空気に慣れ始めていた。

 

 朝は日の出前に起床。

 

 飛行服に着替え、簡単な朝食を済ませる。

 

 その後は天候確認、機体点検、作戦会議。

 

 敵襲がなければ訓練飛行。

 

 敵襲があれば迎撃。

 

 毎日が慌ただしく過ぎていく。

 

 

 

 だが不思議なことに、神崎は嫌ではなかった。

 

 むしろ心地よかった。

 

 

 

 空を飛ぶ。

 

 

 

 それが自分の仕事なのだ。

 

 

 

「神崎!」

 

 

 

 食堂で朝食を食べていると、佐伯がやってきた。

 

 

 

「また卵かけ飯か」

 

 

 

「好きなんだ」

 

 

 

「お前、毎日同じ物食べてよく飽きないな」

 

 

 

「お前こそ毎日カレーじゃないか」

 

 

 

「カレーは別だ」

 

 

 

 何が別なのか神崎には分からなかった。

 

 

 

 佐伯は笑いながら席に座る。

 

 

 

「そういえば聞いたか?」

 

 

 

「何をだ」

 

 

 

「新しい零戦隊が来るらしい」

 

 

 

「補充か」

 

 

 

「らしいな」

 

 

 

 ラバウルは常に人が入れ替わる。

 

 

 

 戦死。

 

 

 

 転属。

 

 

 

 病気。

 

 

 

 理由は様々だ。

 

 

 

 だから補充も頻繁に来る。

 

 

 

「今度は若い連中が多いらしいぞ」

 

 

 

「俺たちも十分若いだろ」

 

 

 

「それもそうだな」

 

 

 

 二人は笑った。

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 基地中にサイレンが鳴り響いた。

 

 

 

 食堂が一瞬で静まり返る。

 

 

 

 次の瞬間。

 

 

 

「総員配置につけ!」

 

 

 

 怒鳴り声が響いた。

 

 

 

 神崎と佐伯は同時に立ち上がる。

 

 

 

 敵襲だった。

 

 

 

 

 

 

「敵編隊接近中!」

 

 

 

 飛行場は一気に慌ただしくなった。

 

 

 

 整備兵が走る。

 

 

 

 搭乗員が飛行機へ向かう。

 

 

 

 通信兵が怒鳴る。

 

 

 

 誰も無駄な動きをしない。

 

 

 

 神崎は愛機へ駆け寄った。

 

 

 

「状態は?」

 

 

 

「絶好調です!」

 

 

 

 整備兵の青年が胸を張る。

 

 

 

 まだ十代後半だろう。

 

 

 

 名前は村田。

 

 

 

 神崎の担当整備兵だった。

 

 

 

「頼むぞ」

 

 

 

「こちらこそ!」

 

 

 

 村田は満面の笑みを見せた。

 

 

 

 その顔を見ていると、不思議と安心する。

 

 

 

 搭乗員だけが戦っているわけではない。

 

 

 

 地上にも仲間がいる。

 

 

 

 それを神崎は少しずつ理解し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 零戦隊は次々と離陸した。

 

 

 

 高度三千。

 

 

 

 高度四千。

 

 

 

 ラバウル上空へ上がる。

 

 

 

「敵機確認!」

 

 

 

 報告が飛ぶ。

 

 

 

 神崎は目を凝らした。

 

 

 

 遠くの空に機影。

 

 

 

 しかも数が多い。

 

 

 

「十……いや十五機以上!」

 

 

 

「爆撃機だな」

 

 

 

 鬼塚大尉が冷静に言う。

 

 

 

 双発爆撃機が編隊を組んで飛んでいる。

 

 

 

 護衛戦闘機もいる。

 

 

 

 前回の偵察機とは違う。

 

 

 

 本格的な空戦になる。

 

 

 

「全機突撃!」

 

 

 

 鬼塚の号令。

 

 

 

 零戦隊が散開した。

 

 

 

 

 

 

 空が戦場になる。

 

 

 

 神崎は急降下した。

 

 

 

 風圧が機体を叩く。

 

 

 

 照準の中に敵戦闘機が入る。

 

 

 

 引き金。

 

 

 

 火線。

 

 

 

 敵機が回避。

 

 

 

「速い!」

 

 

 

 神崎は即座に追う。

 

 

 

 敵も熟練者らしい。

 

 

 

 旋回。

 

 

 

 上昇。

 

 

 

 降下。

 

 

 

 目まぐるしく位置が変わる。

 

 

 

 だが零戦の旋回性能は優秀だった。

 

 

 

 徐々に背後を取る。

 

 

 

 距離百五十。

 

 

 

 百。

 

 

 

 八十。

 

 

 

「もらった!」

 

 

 

 射撃。

 

 

 

 二十ミリ弾が命中する。

 

 

 

 敵機の右翼が吹き飛んだ。

 

 

 

 機体はそのまま錐揉みしながら落下する。

 

 

 

 撃墜。

 

 

 

 だが喜ぶ暇はない。

 

 

 

「神崎! 後ろ!」

 

 

 

 佐伯の叫び。

 

 

 

 反射的に機体を傾ける。

 

 

 

 直後。

 

 

 

 銃弾が機体脇を通過した。

 

 

 

「くっ!」

 

 

 

 敵機。

 

 

 

 もう一機いた。

 

 

 

 神崎は急旋回する。

 

 

 

 Gが体を押し潰す。

 

 

 

 視界が狭まる。

 

 

 

 それでも操縦桿を引く。

 

 

 

 零戦は応えてくれた。

 

 

 

 敵機の背後へ滑り込む。

 

 

 

「逃がすか!」

 

 

 

 射撃。

 

 

 

 命中。

 

 

 

 敵機から煙。

 

 

 

 だが落ちない。

 

 

 

 しぶとい。

 

 

 

 再度接近。

 

 

 

 引き金。

 

 

 

 今度はエンジンへ直撃。

 

 

 

 炎が上がった。

 

 

 

 敵機は黒煙を引きながら離脱していく。

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

「鬼塚隊長!」

 

 

 

 通信に悲鳴が混じる。

 

 

 

 神崎は振り向いた。

 

 

 

 一機の零戦が煙を吐いている。

 

 

 

 尾翼が破損していた。

 

 

 

 若い搭乗員の機体だ。

 

 

 

 先日補充されたばかりだった。

 

 

 

「被弾しました!」

 

 

 

 声が震えている。

 

 

 

「落ち着け!」

 

 

 

 鬼塚が叫ぶ。

 

 

 

「高度を保て!」

 

 

 

 だが敵戦闘機が追っている。

 

 

 

 神崎は考えるより先に動いていた。

 

 

 

 全速力。

 

 

 

 敵機へ向かう。

 

 

 

 照準。

 

 

 

 発砲。

 

 

 

 敵機が急回避した。

 

 

 

 その隙に若い搭乗員は離脱する。

 

 

 

「助かった……」

 

 

 

 通信から安堵の声。

 

 

 

 神崎は短く答えた。

 

 

 

「帰ったら飯を奢れ」

 

 

 

 一瞬。

 

 

 

 通信が笑い声で埋まった。

 

 

 

 ほんの数秒。

 

 

 

 それだけで恐怖が和らぐ。

 

 

 

 

 

 

 戦闘終了。

 

 

 

 敵編隊は撤退した。

 

 

 

 ラバウルへの爆撃は阻止。

 

 

 

 損害軽微。

 

 

 

 勝利だった。

 

 

 

 だが飛行場へ帰還した神崎は、妙な疲労感を覚えていた。

 

 

 

 今日の空戦は今までと違う。

 

 

 

 敵も強かった。

 

 

 

 仲間も危なかった。

 

 

 

 運が悪ければ誰か死んでいた。

 

 

 

 その事実が胸に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 夕方。

 

 

 

 基地の外れ。

 

 

 

 神崎は一人で海を見ていた。

 

 

 

 波の音だけが聞こえる。

 

 

 

 南国の夕日は美しかった。

 

 

 

「難しい顔してるな」

 

 

 

 振り向くと鬼塚大尉だった。

 

 

 

「隊長」

 

 

 

「隣いいか」

 

 

 

「もちろんです」

 

 

 

 鬼塚は岩に腰掛けた。

 

 

 

 しばらく沈黙。

 

 

 

 やがて口を開く。

 

 

 

「今日の戦果は二機だったな」

 

 

 

「はい」

 

 

 

「上出来だ」

 

 

 

 神崎は首を振った。

 

 

 

「でも危なかったです」

 

 

 

「そうだな」

 

 

 

「もし私が間に合わなかったら……」

 

 

 

「死んでいたかもしれん」

 

 

 

 鬼塚はあっさり言った。

 

 

 

 神崎は言葉を失う。

 

 

 

「だがな」

 

 

 

 鬼塚は海を見つめたまま続ける。

 

 

 

「戦争ってのはそういうものだ」

 

 

 

「……」

 

 

 

「誰も死なない戦場なんてない」

 

 

 

 夕日が海を赤く染めている。

 

 

 

「だから俺たちは飛ぶ」

 

 

 

 鬼塚は静かに言った。

 

 

 

「少しでも仲間を生きて帰すためにな」

 

 

 

 神崎は黙っていた。

 

 

 

 その言葉は不思議と胸に残った。

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 

 

 宿舎では宴会が始まっていた。

 

 

 

「神崎!」

 

 

 

 佐伯が酒瓶を持ってくる。

 

 

 

「お前のおかげで新人が助かったぞ!」

 

 

 

「俺だけじゃない」

 

 

 

「そういうところだぞ」

 

 

 

 周囲の搭乗員たちも笑う。

 

 

 

 神崎は苦笑した。

 

 

 

 騒がしい。

 

 

 

 だが悪くない。

 

 

 

 この仲間たちとなら、どこまでも戦える気がした。

 

 

 

 今のラバウルは強い。

 

 

 

 物資もある。

 

 

 

 飛行機もある。

 

 

 

 熟練搭乗員もいる。

 

 

 

 誰もが勝利を信じていた。

 

 

 

 しかし歴史は容赦しない。

 

 

 

 半年後。

 

 

 

 一年後。

 

 

 

 敵はさらに増え。

 

 

 

 新型機が現れ。

 

 

 

 この楽観は少しずつ消えていく。

 

 

 

 だが今はまだ誰も知らない。

 

 

 

 歓声が響く宿舎で、神崎は仲間たちと笑っていた。

 

 

 

 ラバウルの空は、まだ日本海軍のものだった。

 

 

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