ラバウルの鷹   作:UMC OGASOU

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第三話 南東方面のエースたち

 

 

 ラバウルに赴任してから一か月。

 

 神崎隼人はすっかり基地の一員になっていた。

 

 迎撃。

 

 哨戒。

 

 護衛任務。

 

 敵機との空戦。

 

 毎日のように空へ上がり、毎日のように戦う。

 

 最初は緊張していた空戦も、今では冷静に状況を見られるようになっていた。

 

 それでも。

 

 空を甘く見たことは一度もない。

 

 ほんの一瞬の油断で命を落とす世界だからだ。

 

---

 

 ある朝。

 

 飛行場では珍しく騒ぎになっていた。

 

「来たぞ!」

 

「あれだ!」

 

「本当に来やがった!」

 

 整備兵たちが空を指差している。

 

 神崎も顔を上げた。

 

 編隊が近づいてくる。

 

 十数機の零戦。

 

 その飛び方が違った。

 

 無駄がない。

 

 乱れがない。

 

 まるで一つの生き物のようだった。

 

「すごいな……」

 

 神崎が呟く。

 

 隣の佐伯が頷いた。

 

「あれが噂の増援だ」

 

「増援?」

 

「本土や各地から集められたベテラン連中らしい」

 

---

 

 飛行場へ降り立った搭乗員たちは歴戦の顔をしていた。

 

 日に焼けた顔。

 

 鋭い目。

 

 余裕のある歩き方。

 

 誰もが修羅場を潜り抜けてきたことが分かる。

 

 その中の一人が神崎たちへ近づいてきた。

 

「新入りか?」

 

「いえ、赴任して一か月です」

 

「それなら十分新入りだ」

 

 男は笑った。

 

 三十歳近いだろうか。

 

 左頬に古い傷跡があった。

 

「岩本だ」

 

 神崎は目を見開く。

 

 その名前を知っていた。

 

 新聞にも載ったことがある有名な撃墜王だった。

 

 周囲もざわつく。

 

「まさか本人か……」

 

「本物だぞ……」

 

 佐伯が小声で言った。

 

---

 

 その日の夕方。

 

 歓迎会が開かれた。

 

 古参搭乗員たちの話は面白かった。

 

 中国戦線。

 

 珊瑚海。

 

 数々の激戦。

 

 神崎たちは夢中になって聞いた。

 

「敵も馬鹿じゃない」

 

 岩本は酒を置いた。

 

「勝っている時ほど気を付けろ」

 

「勝っている時ですか?」

 

 神崎が尋ねる。

 

「ああ」

 

 岩本は頷いた。

 

「本当に危ないのは負けている時じゃない」

 

「?」

 

「勝っていると思い込んだ時だ」

 

 その場が静かになった。

 

---

 

 翌日。

 

 神崎たちは大規模な迎撃任務に参加した。

 

 敵爆撃機十八機。

 

 護衛戦闘機多数。

 

 ラバウル上空は激戦になった。

 

 神崎も一機撃墜。

 

 佐伯も一機撃墜。

 

 だが。

 

 岩本は違った。

 

 神崎が苦戦している敵機を一瞬で仕留めたのだ。

 

 まるで教科書のような空戦だった。

 

「すげえ……」

 

 神崎は思わず見惚れた。

 

 これが本物のエースか。

 

---

 

 帰投後。

 

 神崎は格納庫で愛機を点検していた。

 

 そこへ鬼塚大尉が現れる。

 

「神崎」

 

「はい」

 

「お前、最近調子に乗ってないか?」

 

「え?」

 

「撃墜数が増えてきたからな」

 

 神崎は慌てて首を振る。

 

「そんなことは」

 

「ならいい」

 

 鬼塚は笑った。

 

「だが空は慢心した奴から死ぬ」

 

 その言葉は重かった。

 

---

 

 数日後。

 

 異変が起きた。

 

 最初は小さな噂だった。

 

---

 

 食堂。

 

 昼食時。

 

 いつも騒がしい場所が妙に静かだった。

 

「なあ」

 

 誰かが言った。

 

「聞いたか?」

 

「何をだ」

 

「南の方で大きな海戦があったらしい」

 

 神崎も耳を傾ける。

 

「またか」

 

「いや、今回は違う」

 

 男は声を潜めた。

 

「空母がやられたらしい」

 

 食堂の空気が止まった。

 

---

 

「どこの空母だ?」

 

「分からん」

 

「敵か?」

 

「いや……」

 

 男は言い淀む。

 

「味方らしい」

 

---

 

 佐伯が顔をしかめた。

 

「デマじゃないのか」

 

「俺もそう思う」

 

「だろうな」

 

 日本海軍の空母部隊は最強だ。

 

 誰もがそう信じている。

 

 だから簡単には信じられない。

 

---

 

 しかし。

 

 数日後。

 

 噂はさらに広がった。

 

---

 

「二航戦がやられたらしい」

 

「いや、一航戦だ」

 

「両方だという話もあるぞ」

 

「馬鹿な」

 

 神崎は耳を疑った。

 

 一航戦。

 

 二航戦。

 

 海軍航空隊の象徴とも言える存在だ。

 

 もし本当なら大事件である。

 

---

 

 夜。

 

 宿舎。

 

 神崎と佐伯は窓際に座っていた。

 

 外では虫の鳴き声が響いている。

 

「どう思う?」

 

 佐伯が聞く。

 

「分からない」

 

 神崎は正直に答えた。

 

「だが嫌な感じはする」

 

「俺もだ」

 

---

 

 しばらく沈黙。

 

 やがて佐伯が言った。

 

「もし本当だったら」

 

「……」

 

「戦争、思ったより長くなるかもしれないな」

 

---

 

 神崎は答えなかった。

 

 空母が沈む。

 

 それは単なる軍艦の喪失ではない。

 

 そこに乗っていた搭乗員。

 

 整備兵。

 

 指揮官。

 

 全てを失うということだ。

 

---

 

 翌朝。

 

 鬼塚大尉が珍しく難しい顔で飛行場を歩いていた。

 

 岩本たち古参搭乗員も口数が少ない。

 

 何かを知っているようだった。

 

 だが誰も何も言わない。

 

---

 

 その日の夕方。

 

 ラバウルへ一機の輸送機が飛来した。

 

 降りてきたのは数人の搭乗員。

 

 その表情は暗かった。

 

 疲れ切っていた。

 

 そして腕章には――

 

 空母航空隊の印があった。

 

---

 

 神崎は遠くからその姿を見つめる。

 

 胸騒ぎがした。

 

 ただの噂では終わらない。

 

 何か大きな出来事が起きた。

 

 そんな予感がした。

 

---

 

 そして数日後。

 

 ラバウル航空隊全員が集められることになる。

 

 そこで彼らは初めて知る。

 

 日本海軍史上最大級の敗北。

 

 そして沈んだ空母の名を。

 

 

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