ラバウルの鷹   作:UMC OGASOU

6 / 7
第六話 消耗戦の始まり

 

 

 昭和十七年九月。

 

 ラバウル基地。

 

 神崎隼人は格納庫の前で愛機を見上げていた。

 

 零式艦上戦闘機二一型。

 

 赴任以来ずっと乗り続けている機体だ。

 

 だが、その姿は少しずつ変わっていた。

 

 主翼には補修跡。

 

 胴体には弾痕を塞いだ痕。

 

 新品同然だった頃とは違う。

 

 それは機体だけではなかった。

 

 搭乗員たちも同じだった。

 

---

 

 ガダルカナルへの出撃は続いていた。

 

 一度や二度ではない。

 

 何十回も。

 

 何百回も。

 

 敵も味方も引かない。

 

 毎日のように空戦が起こる。

 

 毎日のように誰かが負傷する。

 

 そして。

 

 時々、帰ってこない。

 

---

 

 神崎がラバウルへ来た頃。

 

 宿舎は笑い声で溢れていた。

 

 今も笑い声はある。

 

 だが数が減った。

 

 確実に。

 

---

 

「神崎さん」

 

 村田整備兵が近づいてくる。

 

「どうした」

 

「エンジン交換、終わりました」

 

「もうか」

 

「かなり無理させてますからね」

 

 村田は苦笑した。

 

---

 

 実際、その通りだった。

 

 ガダルカナル往復は機体にも大きな負担を与える。

 

 整備兵たちは昼夜を問わず働いていた。

 

 それでも部品は足りない。

 

 予備も減っている。

 

---

 

「最近、補給船が来ないな」

 

 神崎が呟く。

 

 村田の顔が曇った。

 

「ええ」

 

「やっぱりそうか」

 

「噂ですが……途中で敵潜水艦にやられてるらしいです」

 

---

 

 神崎は黙った。

 

 戦場は空だけではない。

 

 海でも戦っている。

 

 そして負け始めているのかもしれない。

 

---

 

 

---

 

 その日の午後。

 

 飛行隊本部。

 

---

 

 鬼塚大尉が地図を前に立っていた。

 

---

 

「新しい任務だ」

 

---

 

 全員が注目する。

 

---

 

「駆逐艦隊護衛」

 

---

 

 地図にはソロモン諸島が描かれている。

 

---

 

「またガダルカナルですか」

 

---

 

 誰かが聞く。

 

---

 

「そうだ」

 

---

 

 鬼塚は頷いた。

 

---

 

「陸軍部隊と補給物資を送り込む」

 

---

 

「東京急行ですね」

 

---

 

 その言葉に何人かが苦笑した。

 

---

 

 いつの間にか兵士たちはそう呼ぶようになっていた。

 

---

 

 夜間。

 

---

 

 高速駆逐艦で兵員や物資を送り込む。

 

---

 

 危険な作戦。

 

---

 

 しかし、それしか方法がない。

 

---

 

 

---

 

 翌日。

 

---

 

 護衛任務。

 

---

 

 神崎たちは上空警戒を行っていた。

 

---

 

 下を見る。

 

---

 

 海面を高速で進む駆逐艦群。

 

---

 

 白波が伸びている。

 

---

 

 必死だった。

 

---

 

 海軍も。

 

---

 

 陸軍も。

 

---

 

 何とかガダルカナルを維持しようとしている。

 

---

 

 だが。

 

---

 

「敵機!」

 

---

 

 見張りが叫んだ。

 

---

 

 神崎は振り向く。

 

---

 

 高空。

 

---

 

 敵爆撃機。

 

---

 

 そして護衛戦闘機。

 

---

 

「迎撃!」

 

---

 

 鬼塚の声。

 

---

 

 零戦隊が上昇する。

 

---

 

 

---

 

 空戦は激しかった。

 

---

 

 敵も熟練している。

 

---

 

 以前のような一方的な戦いではない。

 

---

 

 神崎は敵戦闘機と旋回戦を続けていた。

 

---

 

 汗が目に入る。

 

---

 

 腕が重い。

 

---

 

 何分戦っているか分からない。

 

---

 

 ようやく背後を取る。

 

---

 

 発砲。

 

---

 

 命中。

 

---

 

 敵機が降下していく。

 

---

 

 だが。

 

---

 

 その瞬間だった。

 

---

 

「佐伯!」

 

---

 

 神崎は叫んだ。

 

---

 

 敵機が佐伯機へ迫っていた。

 

---

 

 死角。

 

---

 

 気付いていない。

 

---

 

「佐伯!!」

 

---

 

 神崎は全速力で向かう。

 

---

 

 間に合え。

 

---

 

 間に合え。

 

---

 

 間に合え。

 

---

 

 射程。

 

---

 

 まだ遠い。

 

---

 

 それでも撃つ。

 

---

 

 二十ミリ機関砲。

 

---

 

 火線が伸びる。

 

---

 

 敵機が驚いて回避した。

 

---

 

 佐伯機の横を弾丸が通過する。

 

---

 

 紙一重だった。

 

---

 

「助かった!」

 

---

 

 佐伯の声。

 

---

 

「後で飯を奢れ!」

 

---

 

 神崎は怒鳴った。

 

---

 

 佐伯が笑う。

 

---

 

「二回目だぞ!」

 

---

 

 

---

 

 戦闘終了。

 

---

 

 駆逐艦隊は無事だった。

 

---

 

 補給作戦成功。

 

---

 

 だが。

 

---

 

 帰投中。

 

---

 

 誰も喜ばなかった。

 

---

 

 また二機が帰ってこなかったからだ。

 

---

 

 

---

 

 夜。

 

---

 

 宿舎。

 

---

 

 空いた寝台が増えていた。

 

---

 

 一つ。

 

---

 

 また一つ。

 

---

 

 昨日まで仲間がいた場所。

 

---

 

 今は誰もいない。

 

---

 

 神崎は無意識に数えていた。

 

---

 

 赴任した時の顔ぶれ。

 

---

 

 もう何人もいない。

 

---

 

 

---

 

 その頃。

 

---

 

 司令部ではさらに深刻な報告が届いていた。

 

---

 

 ガダルカナル周辺での艦艇損失。

 

---

 

 補給不足。

 

---

 

 搭乗員不足。

 

---

 

 機体不足。

 

---

 

 そして。

 

---

 

 熟練搭乗員の消耗。

 

---

 

 最も補充できない損失だった。

 

---

 

 

---

 

 数日後。

 

---

 

 ラバウルへ一人の新任搭乗員が配属された。

 

---

 

 まだ十九歳。

 

---

 

 少年と言っていい年齢だった。

 

---

 

「森山です!」

 

---

 

 緊張した声。

 

---

 

 神崎は思わず、自分が赴任した頃を思い出した。

 

---

 

 期待。

 

---

 

 不安。

 

---

 

 憧れ。

 

---

 

 あの頃は戦争に勝てると信じていた。

 

---

 

 だが今は。

 

---

 

 少し違う。

 

---

 

 勝てるかどうかではない。

 

---

 

 明日を生き残れるか。

 

---

 

 それが重要になり始めていた。

 

---

 

 鬼塚大尉も、その変化に気付いていた。

 

---

 

 ラバウルはまだ強い。

 

---

 

 零戦もまだ強い。

 

---

 

 だが確実に何かが削られている。

 

---

 

 機体ではない。

 

---

 

 滑走路でもない。

 

---

 

 人だ。

 

---

 

 経験だ。

 

---

 

 時間をかけて育てた熟練者たちだった。

 

---

 

 そして、その消耗はこれからさらに加速する。

 

---

 

 誰もまだ知らない。

 

---

 

 数か月後。

 

---

 

 ガダルカナルを巡る戦いが終わった時。

 

---

 

 日本海軍航空隊が取り返しのつかない傷を負うことを。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。