昭和十七年十月。
ラバウル基地。
夜明け前の飛行場は静かだった。
遠くから波の音が聞こえる。
整備兵たちはランプの明かりを頼りに機体を整備していた。
神崎隼人は愛機の主翼に手を置く。
冷たい金属の感触。
出撃前のいつもの習慣だった。
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「神崎さん」
振り返ると村田が立っていた。
目の下には濃い隈ができている。
「寝てないだろ」
「三時間ぐらいは寝ましたよ」
「それは寝たうちに入らん」
神崎が呆れる。
だが村田は笑った。
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「搭乗員だけが戦ってるわけじゃありませんから」
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その言葉に神崎は何も言えなくなった。
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確かにその通りだった。
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零戦は勝手に飛ばない。
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誰かが整備しなければならない。
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誰かが弾を積まなければならない。
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誰かが燃料を運ばなければならない。
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その誰かもまた戦っているのだ。
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◇
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その日の任務は護衛だった。
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ガダルカナルへ向かう爆撃隊の護衛。
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今や日常になった任務。
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だが。
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鬼塚大尉の表情は厳しかった。
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「敵戦闘機の数が増えている」
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全員が耳を傾ける。
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「最近の報告では新型機も確認されている」
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ざわめき。
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新型機。
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それは搭乗員たちにとって嫌な響きだった。
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敵も進化している。
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戦争が長引くほど、それは当然だった。
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「気を抜くな」
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鬼塚が言う。
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「帰ってくるまでが任務だ」
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◇
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午前七時。
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零戦隊発進。
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神崎。
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佐伯。
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森山。
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そして十数名の搭乗員たち。
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青空へ舞い上がる。
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ラバウルの飛行場が小さくなっていく。
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◇
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数時間後。
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ガダルカナル近海。
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敵機発見。
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通信が飛ぶ。
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「戦闘機二十以上!」
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神崎は思わず息を呑んだ。
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多い。
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今までで一番多い。
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「護衛機は敵戦闘機を引き付けろ!」
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鬼塚の命令。
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零戦隊が散開した。
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◇
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空が一瞬で戦場になる。
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敵機。
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味方機。
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曳光弾。
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爆煙。
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至る所で戦闘が始まる。
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神崎は一機の敵戦闘機へ向かった。
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交差。
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急旋回。
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上昇。
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降下。
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息をつく暇もない。
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ようやく照準に捉える。
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射撃。
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命中。
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敵機が煙を吹く。
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撃墜。
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しかし。
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「森山!」
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誰かが叫んだ。
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◇
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神崎は反射的に振り向く。
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若い搭乗員。
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森山機だった。
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敵機二機に追われている。
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必死に回避しているが経験不足は明らかだった。
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「くそっ!」
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神崎は全速力で向かう。
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だが遠い。
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遠すぎる。
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「森山、左へ!」
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鬼塚の声。
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「は、はい!」
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森山機が旋回する。
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しかし。
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一瞬遅かった。
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敵弾が主翼へ命中。
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白い破片が飛び散る。
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「被弾!」
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森山の声。
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若い。
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まだ少年のような声だった。
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◇
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神崎は歯を食いしばる。
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急降下。
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敵機へ射撃。
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一機が離脱。
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もう一機へ追撃。
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撃墜。
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だが。
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森山機は高度を失っていた。
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「森山!」
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「大丈夫です!」
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強がりだった。
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煙が出ている。
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エンジンも不調らしい。
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◇
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帰投命令が出た。
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全機帰還。
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燃料も限界に近い。
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神崎は森山機の横についた。
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「一緒に帰るぞ」
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「はい」
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返事は元気だった。
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だが声が震えている。
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◇
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海の上。
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延々と続く帰路。
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誰も喋らない。
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燃料計だけが気になる。
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そして。
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森山機の煙が徐々に増えていった。
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「神崎さん」
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通信。
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静かな声。
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「どうした」
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「すみません」
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「何を言ってる」
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「多分、無理です」
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神崎の背筋が凍った。
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「馬鹿言うな」
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「エンジンが止まりそうです」
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「まだ飛んでる!」
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「……」
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返事がない。
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◇
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次の瞬間。
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森山機のプロペラ回転が落ち始めた。
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神崎には分かった。
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終わりだ。
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エンジン停止。
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海上では致命的だった。
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「森山!」
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「神崎さん」
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最後の通信。
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「短い間でしたけど」
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雑音。
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「ありがとうございました」
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◇
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零戦がゆっくり降下していく。
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煙を引きながら。
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海へ向かって。
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神崎は追いかけたいと思った。
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助けたいと思った。
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だができない。
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燃料がない。
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敵もいる。
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どうしようもない。
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◇
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海面が近づく。
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そして。
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小さな水柱。
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それだけだった。
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◇
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帰投後。
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飛行場は静かだった。
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誰も森山の名前を口にしない。
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だが全員知っている。
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帰ってこないことを。
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◇
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夜。
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宿舎。
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森山の寝台は空だった。
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まだ荷物が残っている。
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本。
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写真。
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故郷から届いた手紙。
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昨日まで確かにそこにいた証。
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◇
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佐伯が呟く。
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「十九歳だったな」
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「……ああ」
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「若かったな」
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神崎は拳を握る。
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自分も二十二歳だ。
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十分若い。
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だが森山はさらに若かった。
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未来があった。
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夢もあっただろう。
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◇
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その夜。
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鬼塚大尉は一人で飛行場を歩いていた。
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並ぶ零戦。
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減っていく搭乗員。
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増えていく新人。
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その現実を誰より理解していた。
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戦争はまだ続く。
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だが。
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最近、古参たちの間でこんな言葉が囁かれ始めていた。
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「昔の連中が減ったな」
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それは単なる人数の話ではない。
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経験の話だった。
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中国戦線を戦った者。
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開戦から飛び続けている者。
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そういう搭乗員が少しずつ消えている。
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そして代わりに新人が来る。
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育つ前に戦場へ送り出される新人たちが。
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◇
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ラバウルの空はまだ日本軍の勢力圏だった。
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だが見えないところで。
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確実に。
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少しずつ。
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力は失われ始めていた。
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そして数週間後。
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神崎たちは初めて目にすることになる。
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今までの敵とは明らかに違う、新たな米軍戦闘機の姿を。