神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~   作:筆負野ユウ

12 / 13
第11話 試される胃痛

「ノア、あなたまで緊張しないでください」

 

少しからかうように、ルナ殿下が小声で語りかけてくる。

 

そうは言うが、私とて、このような謁見に慣れているわけではない。これでも緊張を悟られぬように努力しているのだ。

 

まして今日は、ただの謁見ではない。

 

異邦より呼び出された男。

言葉も通じず、素性も知れず、しかも戦場で異様な力を見せた男。

 

その男を、王の前に連れていく。

胃が痛くならない方がおかしい。

 

「王女ルナ=アグディス=アストライア、入廷!」

 

謁見の間に、紋章官の声が響き渡る。同時に、左右に並ぶ兵たちが槍の石突きを床へ打ち鳴らした。乾いた音が、広い間に一斉に反響する。

 

赤絨毯を進みながら、私はその呼吸の揃い方に気づいた。

 

張り詰めた眼光。

職務に徹した沈黙。

無駄のない姿勢。

 

だが、実態は違う。

 

それは礼ではなく、備えだった。

 

異物に対する、隠しもしない警戒。その対象は明白だった。

 

セトだ。

 

王宮に連れ込まれた異邦の男。

粗野で、常識知らず。

言葉もまだ満足に通じない。

今は落ち着きなく、きょろきょろと周囲を見回している。

 

しかし、あの場にいた私たちは知っている。この男は、ただの迷い込んだ民間人ではない。

 

戦場で見せた力は尋常ではなかった。魔法を見て驚きながら、すぐに模倣した。スピリットを前にしても、恐怖しながら戦った。

 

人を殺すことにも、少なくとも動きの上では、躊躇がなかった。

 

彼らがその姿を知れば、警戒はさらに数段階上がるだろう。

 

「面を上げよ」

 

陛下の声が落ちる。

 

圧をかける意図はないのだろう。だが、自然と重みがある。

 

その声に従い顔を上げた瞬間、私は横から視線を感じた。

 

――バハム。

 

白銀の胸甲をまとい、髪も髭も刈り揃えられた男。磨き上げられた刃そのもののような佇まいだった。

 

戦場を幾度も渡り歩き、平民から一代騎士に昇り詰め、今では王直々に二百の精鋭を預かる近衛隊長。

 

王の剣。

 

そう呼ばれるにふさわしい男だ。

 

彼の忠義に疑いはない。

だからこそ厄介だった。

 

忠義ゆえに、王へ近づく異質な存在を警戒する。忠義ゆえに、危険と判断すれば迷わず刃を抜く。忠義ゆえに、自分の判断を疑わない。

 

私は、できることなら今日だけは彼と目を合わせたくなかった。

 

ルナ殿下が陛下へ報告を始める。

 

召喚に成功したこと。

謎の集団に襲われたこと。

兵を失ったこと。

そして、セトの力によって撃退できたこと。

 

そのすべてを、神の導きであると。

 

ルナ殿下の声は澄んでいた。

 

王宮に戻ってから、彼女は王女の顔になっている。恐怖も疲労もあるはずだ。それでも、背筋を伸ばし、言葉を選び、王の前に立っている。

 

その姿は美しい。

だからこそ、私は怖かった。

 

ルナ殿下は本気で信じている。

 

セトを希望だと。

王国に与えられた救いだと。

 

しかし、彼女の信じる希望が、セト本人にとって何であるのか。それを、殿下がどこまで考えているのかは分からない。

 

陛下はセトをじっと見つめ、それから小さく頷かれた。

納得したわけではないだろう。だが、無体なことを仰る方でもない。

 

「いずれ働いてもらうとして、当面はルナの預かりとして面倒を見るのが良いであろうか。レオトバイはどうか?」

 

レオトバイ王太子。

 

柔和な父王とは違い、一目見た印象からして武人だった。儀礼服の袖口から覗く手首は日に焼け、指の節は固い。剣の柄に馴染んだ跡が、皮膚に刻まれている。

 

その体躯だけなら、バハムにも遜色はない。

だが、ただの剛毅ではない。

 

すでに陛下に代わって政務を執ることも多く、実質的な王国の柱石と言って差し支えない方だ。

 

王国に必要なものを、情ではなく論理と数値で見ることができる。それが美徳か、欠点かは、時と場合による。

 

今この場では、私の胃に悪い方へ働きそうだった。

 

「そうですな……ルナが預かるのが筋ではありますが……」

 

王太子が、視線をわずかに横へ流した。

一瞬だった。

 

知らぬ者なら見落とす程度の動き。

だが、バハムはそれに応えた。

 

列から一歩進み出て、玉座の前に片膝をつく。

 

「陛下、どうか私に進言をお許しください」

 

鋼のように硬い声が、謁見の間に落ちた。

 

近衛兵の鎧が、わずかに軋む。

命令を待つ気配。

 

その声だけで、場の緊張がさらに張り詰める。

 

――そういうことか。

 

胸の奥が、嫌な重さを帯びた。

これはバハムの独断ではない。少なくとも、王太子殿下はこの流れを望んでいる。

 

「異邦の力など、いかほどのものか。王族の方がそのようなあやふやな力を頼みとするのは、危険に過ぎましょう」

 

バハムの声には、揺らぎがない。

 

セトは言葉を理解していない。ただ、不安げにこちらを一瞥する。

あるいは、少しは理解しているのかもしれない。それでも、きっと軽口でごまかすのだろう。

 

だが、バハムの眼差しは、軽口を一切許さぬものだった。

 

私は息を呑んだ。

 

頼むから、ふざけた態度は取らずに大人しくしていてくれ。

そう願った瞬間、セトが曖昧に笑った。

やめろ。その顔は、きっと何かをごまかしている時の顔だ。

 

言葉が通じないことが、今だけは救いだった。通じていたら、この男は何か余計なことを言っていたに違いない。

 

バハムの剣は王のためにある。

 

セトに害意がなくとも、国王陛下に有害な存在と判断されれば、それだけで斬り捨てる理由になり得る。

 

一方で、私から見てもセトは危うい。

そして、この場で最も不安定な立場にいるのもまた、セトだった。

 

言葉も通じず、弁明もできず、誰の庇護下にあるのかさえ曖昧なまま、王と王太子と近衛隊長の前に立たされている。

 

彼からすれば、自分が裁かれているのか、値踏みされているのか、処分されるのかすら分からないはずだ。

 

誰も間違っていない。

それが、いちばん悪かった。

 

バハムは王を守ろうとしている。レオトバイ殿下は王家の利を測り、ルナ殿下はセトを信じている。そしてセトは、おそらく自分がどう扱われるのかを見極めようとしている。

 

誰も悪意で動いていない。

だからこそ、誰も止まらない。

 

ルナ殿下が一歩進み出て、真っすぐに言葉を返す。

 

「バハム。この者の実力は、私が保証します」

 

あのカイルスと渡り合ったのだ、とは言わない。

言えるはずがない。

 

カイルスはトラキス公爵の影にいる男だ。公爵が王女を害そうとしたなどと、この場で口にすれば、謁見の間は別の意味で血の気を失う。

 

バハムは片膝をついたまま、なおも王を見上げている。

引く気はない。

 

玉座の間に、重い沈黙が落ちた。

 

「……陛下。この男の真偽を確かめる必要がありましょう。王女殿下を謀っているやもしれませぬ。仮に本当に異邦からの者だとして、その実力は知れませぬ」

 

バハムの声が続く。

 

「謁見の間を乱すわけには参りませぬゆえ、訓練場にて、私が試みてよろしいでしょうか」

 

玉座の間にざわめきが走った。

 

鎧の軋む音が重なり、整列する兵の視線が一斉にセトへ向けられる。

 

セトは意味を理解していないのか、ただ落ち着きなく辺りを見回している。だが、その掌は握りしめられていた。

 

注目による緊張か。

危機を察したのか。

それとも、いつでも動けるようにしているのか。

 

分からない。

分からないことが、怖い。

 

「言葉も通じず、素性も知れぬ。力を持つというのなら、その力を証明させるべきです。使い物になるかも分からぬ者を頼りに、王族の御傍に置くなど正気の沙汰ではございませぬ」

 

彼の言葉に偽りはない。

何も間違ってはいない。

 

忠義ゆえの直言だ。

 

そして、決めるのは王の一言だけだ。

 

「……ルナ。お前はどう思う?」

 

言葉は発せられた。

だが、決められることはなかった。

 

ルナ殿下が一歩、王座に向かって進み出る。

 

その横顔に、一瞬の逡巡。

しかし、すぐに決意の色が宿った。

 

「父上。私は、この者の力を信じます。ならば、ここで証明すべきです」

 

声は震えていない。

むしろ強い。

 

「彼は王国の希望です。それを、この場にいるすべての方々に示すべきです」

 

ルナ殿下は、本気でそう信じている。

 

セトを希望として示す。

その言葉に嘘はない。

 

だからこそ、私は胃の奥が重くなる。

 

ルナ殿下がこうも信念を見せるとき、そこに思索はあまりない。少なくとも、危険を一つひとつ数え上げた末の結論ではない。

 

考えた末に結論を出した時ほど、むしろ弱気で自信なさげな態度が出るお方だ。

 

だが、その危うさに救われた者も、確かにいる。だからこそ、私はその言葉を簡単には否定できなかった。

 

ルナ殿下が見ているのは希望だ。

 

だが、レオトバイ殿下が見ているのは、おそらく希望ではない。

 

戦力だ。

 

セトが本当に使えるなら、王国にとってこれ以上ない札になる。バハム相手に一太刀でも見せ場を作れば、それだけで噂は広げられる。

 

異邦のクロスは、王の近衛隊長と渡り合ったと。

多少の誇張など、宮廷では儀礼の一種だ。

 

逆に、使えないなら。

 

ルナ殿下が保護する者が一人増えるだけだ。少なくとも、王国の柱にはならない。

 

その見極めを、ここで済ませるつもりなのか。

 

バハムが見ているのは、戦力でさえない。

危険物だ。

 

そして当のセトは、自分が何として見られているのかも分かっていない。

 

「……よい。試してみよ」

 

陛下の声が落ちた。

 

「もちろん殺すな。大怪我も避けよ」

 

王の裁可が下った瞬間、兵たちの鎧が軋んだ。槍を握る手に力がこもる。

 

バハムは深く頭を垂れ、わずかに口の端を吊り上げた。

 

忠義を示したと同時に、武を振るう機会を得たとでも思っているのだろうか。

 

あまり、バハムの考えは分からない。

いや、分かりたくないのかもしれない。

 

王太子殿下は何も言わない。表情にも大きな変化はない。

だが、これは予想、あるいは予定していた流れなのだろう。少なくとも、驚いてはいない。

 

セトは依然として状況を飲み込めず、苦笑いを浮かべている。しかし、その目だけは鋭く周囲を見回していた。

 

不穏な空気は察している。

なのに、先ほどの緊張があまり見られない。

 

むしろ、あの時の――カイルスらと戦った時の気配に近づいているように思える。

 

あの時も、最初はうろたえていた。しかし、戦場に身を置いたことがないであろう男が、躊躇なく命を取りにいった。

 

なぜ、そんなことができたのか。

 

おそらく、恐怖からだ。

殺らなければ、殺られる。

単純で冷徹な論理。

 

この男は、恐怖に震えた次の瞬間、その論理を受け入れ、行動に移せる。

もしここで『殺される』と判断したら?

 

迷わず、わき目もふらずに、王の命を取りに来る。

そのくらいのことは、やりかねないと考えるべきではないか。

 

思わず血の気が引くのを実感する。

嫌な予感がした。

 

そう思った時、セトがこちらを見た。

意味を問う目だった。

 

何を話している。

俺はどうなる。

これは敵か。

逃げるべきか。

殺されるのか。

 

そのどれか、あるいはすべて。

 

私は、何も答えられなかった。

 

このままでは荒れる。

そして最悪の場合、荒れるのは訓練場だけでは済まない。

 

セトと、きちんと話さなければ。

丁寧に状況を伝え、過剰な恐怖は取り除いてやらねば。

 

なのに、今この場でそれができる者は、誰もいなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。