神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~ 作:筆負野ユウ
玉座の間から続く回廊を歩く。
高い窓から射す陽光。
磨かれた床石。
壁に並ぶ甲冑の飾り。
どこを見ても絵葉書のようだった。
ただし、その絵葉書の中で、鎧に身を固めた兵士たちが左右に列をなし、俺たちを睨みながら付いてくる。
ふかふかの赤絨毯を歩いているはずなのに、監視付きで護送されている気分だった。
「……で、どこに連れていかれるんだ?」
日本語で呟く。
前を歩くノアが、一瞬だけ振り返った。
緊張。
警戒。
焦り。
その全部が顔に出ている。
というか、さっきから妙にもじもじしながら、俺をちらちら見てくる。
気持ち悪いぞ。
やがて、重厚な扉を抜けた。
外気が頬を撫でる。開けた空間だった。
石畳が敷き詰められ、木製の人形や標的が並んでいる。壁際には模擬剣や槍らしきものが掛けられ、兵士たちが距離を取って待機していた。
広大な訓練場。
状況がきちんと飲み込めているわけではない。だが、おそらく先ほどの白銀男とここで戦わされるのだろう。
異世界の就職面接は、実技試験へ。
見世物パンダから実験動物に格下げだ。
あるいはマングース。いや、ハブのほうか。
待遇改善の気配がない。
外に出た途端、ノアが俺の腕を掴んだ。
顔色が死人みたいに青い。掴んだ手が、わずかに震えている。
「セト。聞け。落ち着いて聞け」
お前が落ち着け。
ノアは訓練場の中央に立つ白銀男を指差した。
「バハム。お前、バハムと戦う」
バハム。
たぶん、あの白銀男の名前だろう。
ノアは俺が理解しているか確かめるように、ゆっくりと言葉を区切った。
「試しだ。殺し合いではない。お前は殺されない。お前も殺すな」
殺されない。
殺すな。
そこまでは分かる。
続いてノアは、離れた場所にいる国王を指差した。隣にいる王太子らしき男、周囲を固める兵士たちへも、順に指を向ける。
「近づくな。誰にも。絶対にだ」
説明としては雑だが、意図は伝わった。
殺すな。
安心しろ。
力を見せろ。
あそこにいる連中には近づくな。
命令だけは、ずいぶん分かりやすい。
俺の意思については、誰も聞かないらしい。
「……あの男と戦うんだろ。負けたら帰っていいの?」
帰る家なんてないんだけどな。
自嘲を混ぜて、軽い口調で返す。
お前も肩の力を少し抜け。
だが、ノアの顔色は戻らなかった。
むしろ、俺の危機感のなさが、さらに不安にさせてしまったかもしれない。
「力を見せないとまずいんだな。分かったよ」
俺は冗談をやめ、表情を引き締めた。
少なくとも、真面目に聞いていることくらいは伝えた方がいい。
ところが、ノアはさらに顔を引き攣らせた。
腕を掴む手に、ぎゅっと力がこもる。
俺を緊張させてしまった、とでも思ったのだろうか。
「違う。いや、違わない。だが、違う。力は見せろ。だが殺すな。絶対に殺すな。誰もだ。分かるか。誰もだ」
早口になりかけて、自分でも通じないと気づいたらしい。
ノアは離れた場所にいる国王を指差し、隣の男と周囲の兵士たちへも、順に指を向けた。
「あそこへ近づくな。逃げるな。いや、逃げる必要はない。お前は殺されない。安心しろ」
青ざめている。
汗も浮かんでいる。
声も少し裏返っている。
途中から、何を言いたいのかノア自身も怪しくなっている気がした。
「……いざとなったら、国王を人質にして逃げようとか考えてたのがバレた?」
思わず日本語で呟き、口を閉じる。
いや、そんなはずはない。
はずだ。
ノアの目が怖い。
こいつ、本当に俺の思考を読んでないよな?
「……オーライ、オーライ。分かったよ」
俺は両手を軽く上げる。
「殺さない。試し、戦う。ね」
再び冗談めかして言う。
だが、胸の奥にはざらついたものが残っていた。
殺すな。
それは分かる。試合なのだから。
力を見せろ。
それも分かる。役立たず認定されると、まずいことになるのだろう。
王たちへ近づくな。
それも、まあ分かる。さっきから俺は完全に不審者扱いだ。
だが、簡単に言ってくれる。
相手は間違いなく実力者だ。
俺は剣の握り方すら怪しい。
言葉もまだ怪しい。
自分の立場も怪しい。
怪しくないものが見当たらない。
低い声が、横から割り込んできた。
言葉までは拾えなかったが、ノアを咎めるような響きだった。
先ほどの白銀剣士――バハムだ。
ノアがびくりと肩を揺らす。
聞かれちゃまずかったのだろうか。
バハムはノアを射抜くように見たあと、意外にも落ち着いた目を俺へ向けた。
その視線に、露骨な侮りはない。
警戒はある。
値踏みもある。
だが、少なくと表面上は見下しているわけではない。
「俺は、強い」
バハムは、ゆっくりと言った。
ルナがそうするように。
ノアが本来やろうとしていたように。
簡単な言葉で。
単語を区切って。
「死なない。全力で、来い」
それだけ告げると、バハムは訓練場の中央へ歩いていった。
――おいおい。
こんなことで好感度が上がったりなんてしないんだからね。
俺はノアを見る。まだ青い顔をしていた。
「全力で来い、だってさ」
日本語で言ってから、肩をすくめる。
ノアは通じていないはずなのに、何か不吉なものを感じ取ったような顔をした。
ここはお言葉に甘えて、全力で戦うしかないだろう。
相手の実力を信じるだけ。
スポーツマンシップ万歳だ。
ただし、スポーツマンシップには、相手が本当にスポーツをするつもりであるという前提が必要である。
この世界、前提条件がまだよく分からない。
立て掛けてあった木製の模擬剣の中から、適当なものを手に取る。思ったより重い。
俺はバハムの待つ中央に足を踏み入れた。
国王やルナたちは、数十メートル離れた場所で観戦するようだ。
簡素なベンチ。
その周囲に控える近衛兵。
さらに手前には、盾を構えた兵士たちがずらりと並んでいる。
安全対策はばっちり。
安心だ。
俺を閉じ込める檻としても、なかなか優秀に見える。
観客席を見ていたら、ルナの背後に立つノアと目が合った。
唇を震わせながら、必死で首を横に振っている。
まだ、俺が王に何かすると思っているのだろうか。
完全な誤解とも言えないところが苦しい。
俺は小さく息を吐き、視線を戻した。
バハムが模擬剣を肩に担ぎ、こちらを見ている。
陽光を反射する白銀の胸甲。
鍛え抜かれた佇まい。
無駄のない立ち姿。
流石は、おそらく百戦錬磨の男。
ただ立っているだけで、素人の俺にも強いと分かる説得力があった。
俺はと言えば、薄っぺらなチュニックを着て、剣の握り方も知らない。
面接にジャージで来てしまったような居心地の悪さ。
とりあえず、それっぽく剣を構える。
バハムが一歩、石畳を踏み鳴らした。乾いた音が、やけに大きく響く。
互いの視線がぶつかる。
笑ってごまかす余裕なんて、もうない。
鼓動が煩い。
集中しろ。
殺すな。
殺されるな。
力を見せろ。
王に近づくな。
条件が多すぎる。
しかし、いつまでも愚痴を言っていても始まらない。
次の瞬間、体は自然と、わずかに低く構えていた。
試験開始だ。
俺は息を吸った。
先手必勝――にはならないだろう。
まずは――。