勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
石畳には、まだ熱が残っていた。
焦げ跡。
煤けた胸甲。
折れた木剣。
訓練場には、つい先ほどまで戦いがあった痕跡が、はっきりと刻まれている。
バハムが片膝をつき、父王の前で頭を垂れた。その後、異邦の男――セトと呼ばれている男のもとへ戻り、血に濡れた腕で肩を抱く。
歓声とどよめきが交じった。
驚き。
不満。
困惑。
興奮。
それらが一瞬だけ渦を巻き、すぐに収束する。
収めるのは父王の声。
だが、動かすのは、王太子たる私の役目だ。
「治療班を先に。止血と火傷の処置」
意識して太い声を出す。
「魔力残滓を採取しろ。記録官、経過は逐一記録せよ」
文官相手にも、戦場流の指示でいい。
短く。
迷わせず。
余計な解釈を挟ませない。
一拍置く。
「ただし、観客席の配置については書くな。問われた時だけ答えればよい」
記録官が一瞬、顔を上げた。
分からぬ者ではない。
すぐに意図を察し、頭を下げる。
サモンドは実力を見せた。
卑怯な振る舞いも。
いずれ争点は、“武”から“礼”へ逸れる。それは避けられない。
ならば、礼を論じる材料は少ない方がいい。
あの男は強かった。
バハム相手に一太刀を入れた。
その事実だけが、まず残ればよい。
観客席との位置取り。
王を背にした詰め方。
バハムが撃てぬ場所へ誘い込んだ判断。
それらは事実ではある。
だが、今すぐ全員に共有すべき事実ではない。
事実は、扱いを誤れば毒になる。
視線が束になる。
異物へ。
異邦の男へ。
王女ルナが呼び出した、あのサモンドへ。
使える刃かもしれない。
だが、今のままでは柄が短い。
ルナから離れられぬ限り、あの男は王家の剣ではなく、王女の短剣にすぎない。
バハムに指示は出した。
だが、先ほどの進言は彼の本音でもある。
彼は王に嘘を吐かない。
異邦の力など、いかほどのものか。
王族があやふやな力を頼みにするのは危うい。
そう言った時のバハムに、偽りはなかった。
だからこそ使えた。
バハムは忠義の男だ。
王の前であれば、己の名誉よりも王の安全を優先する。
セトの力を試す必要はあった。
バハムは試す役には適任だった。
力がないなら、王家の庇護下へ深く取り込む前に見切ればよい。
力があるのであれば、なおよし。
そして、力はあった。
粗い。
危うい。
礼も知らぬ。
忠義も知らぬ。
こちらの言葉も、まだ不完全。
だが、刃としての鋭さはある。
兵としては扱いにくい。
だが、それでも戦場ではおそらく有用だ。
『バハムと渡り合った』という事実も作りたかった。
作れた。
あとは傷を浅く、語りを太くする。
いや、盛ってやる必要さえないかもしれない。
この話は、放っておいても広がる。
王の御前で、異邦のサモンドが近衛隊長バハムと渡り合い、一太刀を入れた。
それだけで充分だ。
そこに尾ひれがつくのは、人の仕事であって、王家の仕事ではない。
処理すべきことは多い。
処理できることも多い。
だが、処理できることと、解決できることは違う。
外に魔族。
内にトラキス公。
王国は、父王が願うほど穏やかではない。
王家の刃は、一振りしかなかった。
バハム。
忠義深く、強く、折れぬ剣。
だが、刃は多い方がいい。
もう一振りが要る。
そしていま、目の前にそれはある。
ただし、現状は王女の短剣だ。
ならば、せめて柄を伸ばす必要がある。
「陛下」
私は一歩進み、父王に声を落とした。
「サモンドの魔力は、巫女の供給に依存すると聞きます。代供給の宝珠があるはずですな。ルナと離しても稼働できるように」
家令が頷く。
用意はしてあるのだろう。
赤い宝珠。
イノセント・ローズ。
巫女術式の写し。
制限時間付きの代供給。
文献では、運用次第で三日は動けるとあった。
実際に三日動けるかは分からない。
古い文献は、都合の悪い失敗例を削るものだ。
だが、数時間でもいい。
ルナから離して動かせるだけで、運用の幅は変わる。
「ルナの言うように、すでに言葉も多少理解しているようです。教育係を与えるべきかと。礼法、言語、王国の慣習。そして、後にはしかるべき身分を」
父王が頷く。
決断を行うのは国王だ。
私は方向だけ与える。
それでいい。
父王には権威がある。
私には実務がある。
国は、その二つでどうにか立っている。
どうにか、だ。
やるべきことは多い。
父王のもとを退くと、執務室へ向かいながら指示を飛ばす。
「噂は簡潔に」
随行する書記官が、すぐに顔を上げた。
「『王の御前でバハムと渡り合い、一太刀を入れた。勇士はいずれ騎士に任じられるらしい』――それだけでよい」
殺し合いなら、結果は違っただろう。
だが、政治において言葉は正確すぎても役に立たない。
嘘にしてはならない。
しかし、すべてを言う必要もない。
「余計な解説は要らぬ。問いがあれば、王女による召喚は神意に叶ったもの、とでも答えよ」
短く、ここでも方向だけ与える。
余白は人が勝手に埋める。
書記官が走る。
トラキス公の手下は、とっくに走り出していることだろう。
こちらが黙れば、相手の語りが広がる。
ならば、こちらの語りを先に置く。
人は空白を嫌う。
空白には噂が入る。
なら、噂の形だけはこちらで整えてやればいい。
異邦の男――セトが、こちらを見た。
今は落ち着いて見える。先ほどまで命のやり取りに近い試し合いをしていたというのに、表情には奇妙な軽さがある。
善良ではないだろう。
だが、それでいい。
危険でも、使えるなら。
刃とは、そもそも危険なものだ。
安全な刃など、鈍っているだけである。
父王は人が良い。
人を切り捨てることも、神を蔑ろにすることもできぬ。
それは父王の美徳だ。
民にとっては、救いでもある。
だが、国にとっては、時に重荷となる。
ルナは父に似ている。
優しい。
目の前の痛みに弱い。
人の善意を信じる。
本来、政治の中枢に深く関わらせるべきではない。
そう考えた自分を、少しだけ不快に思う。
だが、考えない者に為政者は務まらない。
現状、セトは王女の短剣だ。
ならばいっそ。
ルナごと、王家の刃として扱うことも考えるべきかもしれない。
その発想は、兄としては最低だろう。
だが、王太子としては、捨てるには惜しい。
私は足を止めなかった。
歩きながら、次の指示を考える。
治療。
記録。
噂。
教育係。
宝珠。
礼法。
身分。
トラキス公への牽制。
国教会への説明。
ルナへの釘刺し。
セトへの監視。
やるべきことは、いくらでもある。
国は、誰かの善意だけでは動かない。
祈りだけでも、剣だけでも、血統だけでも足りない。
足りないものを、足りないまま組み合わせる。
それが政務だ。
それが私の仕事だ。
そして、仕事である以上、好き嫌いで手を止めるわけにはいかない。