勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第16話 鎖

王都に来て、十日と少しが過ぎた。

 

こちらの世界の言葉が、急に耳に馴染みはじめた。急に、と言っても、寝て起きたら喋れるようになっていたわけではない。

 

毎日、書記官の爺さんに子ども扱いされながら発音を直され、図版付きの初学者向け読本を読み、単語を書き写し、王宮の会話を聞き流し、夜には頭痛で眠れなくなった。

 

それでも、異常に早い。

音の連なりに規則が見えてくると、意味がほどける。

 

書記官の爺さんが持ってくる、図版付きの初学者向け読本はよくできていた。

 

馬。

剣。

水。

火。

食べる。

走る。

祈る。

殺す。

 

なかなか教育的な語彙である。

 

そして、その本を理解すると、次の段階へ進むのに時間はかからなかった。

 

単語の位置。

語尾の変化。

主語の省略。

敬意の向き。

命令と懇願の違い。

 

会話が、少しずつ意味を持って聞こえるようになっていく。

 

もちろん、まだ完璧ではない。

 

日常会話はかなり分かる。短い返答もできる。本も、辞書と解析を使えば読める。

 

だが、儀礼の言葉や専門用語はまだ怪しい。貴族どもの遠回しな言い方に至っては、あれは言語というより嫌がらせだ。

 

それでも、こちらの世界へ来たばかりの頃と比べれば、ほとんど別人だった。

 

魔法の基礎も同時進行で学んでいる。

 

法則に従い、声、文字、図、身振りといった“言語”を束ねることで効果を発動させる。やはり、コンピュータのプログラムに似ている。

 

神秘。

奇跡。

聖なる御業。

 

そういう言葉で飾られてはいるが、解析してしまえば、ただの構築工程に見える。

 

もちろん、完全に理解できているわけではない。分からないことの方が多い。

だが、分からないものを分からないまま拝む趣味はない。

 

構造があるなら読める。

規則があるなら試せる。

試せるなら、取捨はできる。

 

そう思っていた。

 

言葉が分かると、世界が少しずつ見えてくる。そして、世界が見えてくると、見たくもない現実まで見えてくる。

 

俺は王女――ルナから離れると、死ぬ。

 

「あなたは、巫女であられるルナ様から離れると、魔力供給を受けることができません」

 

宮廷医師と魔導師が並んで告げた。

 

白い髭を丁寧に整えた医師。

青い法衣を着た魔導師。

その背後には、ルナが控えている。

 

彼女は心配そうな顔をしていた。

 

それが、まず気に食わなかった。

 

「えーと、魔法が使えなくなるの?」

 

彼らは目を合わせた。気まずそうな沈黙が落ちる。

 

そして、医師が告げた。

 

「それもそうなのですが、生命が長くは持たないかと」

 

言葉の意味を咀嚼するのに、少し時間が要った。

 

おいおい。

いきなり何を言い出すんだ、この野郎。

ぶっ殺すぞ。

 

「長く、とは? 離れると、ってどのくらい?」

 

俺はなるべく平静に訊いた。

 

だいたい、魔力の供給がないと死ぬってなんだ。こっちの世界に来るまでは、そんなもんなくても毎日元気に過ごしていたはずだぞ。

 

たまに寝不足で死にそうになったり、仕事の会議で精神が緩慢に殺されたりはしていたが、少なくとも魔力不足で死んだ奴のニュースを目にした覚えはない。

 

魔導師が口を開こうとした。

 

その前に、ルナが一歩進み出た。

 

「セト、大丈夫です。すぐに命に関わるわけではありません」

 

慌てたような声だった。俺を安心させようとしているのは分かった。

 

「体内に魔力があるので、供給が途絶えても、すぐにどうという話ではないのです。範囲外へ出ても、戻れば供給は再開します。だから、王宮から一歩も出られないとか、そういう話ではなくて……」

 

そこで、ルナは言葉を切った。

自分の説明が、何ひとつ安心になっていないことに、遅れて気づいたようだった。

 

戻ればいい。

つまり、戻らなければ死ぬ。

 

冗談じゃない。長く離れれば、結局は死ぬんじゃないか。

 

「少し、外に出る」

 

「セト?」

 

ルナの声が追ってきた。

 

医師が何か言う。魔導師も制止する。近くにいた近衛が反応する。

 

今、邪魔をされると、本気で殺したくなる。

だから、放っておいてくれ。

 

俺は止まらなかった。止まれるわけがない。

 

調べなければならなかった。

 

 

まずは王宮の庭園。

 

五十メートルほど。

 

空はよく晴れている。刈り込まれた木々と花壇。遠くで庭丁が作業をしている。

 

俺は掌に魔力をぎゅっと込めた。

 

火球を空へ撃つ。

 

乾いた轟き。

熱が頬を舐める。

 

庭丁と近衛の視線が一斉に跳ねた。何事か、とざわめきが起きる。

 

知ったことか。

 

魔力が戻ってくる。ちゃんと回っている。

 

自分の身体との対話。

 

意識すれば、さっき放ったぶんの魔力が、糸を伝って胸の奥へゆっくりと補填されていく感覚がある。

 

供給。

これが、どこまで届くか。

 

近衛が背後で何か叫んでいる。

 

制止か。

警告か。

たぶん、その両方。

 

俺は振り返らずに走った。

内城門を抜ける。斜面の勾配が緩んで、環状の大道に出る。

 

外城門――メインの門は、ここから見て一直線。およそ一キロ先だ。

 

王宮から最も遠い出入り口。

そこへ向けて、石畳を蹴る。

 

近衛は追ってきていたが、距離を詰めてこない。

俺を止めるべきか、刺激せずに見守るべきか、判断しかねているらしい。

 

いや。判断を下さないという、正しい判断だ。

今の俺は、他人の痛みにまで配慮してやれるほど上機嫌ではない。

 

三百メートルほど離れただろうか。

もう一度、火球を撃った。

 

出力に変化はない。

だが、回復が遅い。

 

糸が、さっきより細い。張りも弱い。胸の奥に流れ込む魔力が、明らかに鈍くなっている。

 

周囲がざわめく。市中の目がこちらに流れてくる。耳も。声も。

 

「危ない……」

「自警団……」

「魔法……」

 

いくつかの単語が拾える。

 

分かる。

分かってしまう。

 

知ったことか。

 

走る。

 

さすがに全力ではない。だが、それでも速い。

この身体は、まだ自分でも気味が悪いほどよく動く。

 

城門前広場。

目算で一キロメートル。

 

そこで、“それ”ははっきりと切れた。

 

供給が途絶える。

さっき消費したぶんも戻ってこない。

 

胸の奥で続いていた温い細流が、一瞬で砂に染み込むみたいに消え失せた。

 

身体そのものに、直ちに変調はない。

体内に蓄えた魔力で、まだ持つ。すぐに倒れるわけではない。すぐに死ぬわけでもない。

 

だが、分かる。

 

ここが限界だ。

 

これより外は、命綱なし。

 

城門の向こうを見る。

 

外の道。

荷車。

旅人。

城壁の外に広がる世界。

 

あそこへ出られないわけではない。

ただし、出たまま戻らなければ死ぬ。

 

城外に踏み出す自分の姿を想像しただけで、背中が冷たく汗ばむ。

 

足が、門の縁で止まった。

 

笑えない。

 

本当に、笑えない。

 

踵を返す。

 

 

書庫の使用は許可されている。

調べるしかない。

 

王立書庫の扉は重く、油のにおいがした。

許可証を見せると、管理官はぎこちない顔で道を開ける。

 

俺が火球を撃ちながら街を走った話は、もう伝わっているのかもしれない。

 

仕事が早いな。

噂というやつは、どの世界でも残業代なしでよく働く。

 

目録をめくり、まずは基礎理論の棚へ向かう。

 

『王立魔術院編纂 基礎魔性学概論・上』

 

羊皮紙だろう。

厚手の紙。

墨色は深く、字は癖がない。

 

めくると、冒頭にこうある。

 

一、魔素は天地の万物に遍在す。

二、其は水に溶け、気に混じり、道ばたの石にさえ宿る。

三、生きとし生けるもの、食息の営みにより魔素を取り入れ、内にて魔力を錬る。

四、魔力は物に働きかけ、性を転じ、別の物を生ぜしむ。

五、我らが身もまた、取り入れた食と魔力とにより、そのかたちを保つ。

――右、斯くの如しを、この世界における生命の常態と称す。

 

喉が乾いた。

 

生命の常態。

 

やめろ。

 

そんな綺麗な言葉で書くな。

 

俺にとっては、常態でも何でもない。勝手に作り替えられた身体の、勝手な仕様だ。

 

生命の維持そのものが、魔力に依存している。

つまり、医師たちの言う通り、魔力の供給が途絶えれば長くは持たない。

 

本を閉じる。

まだ足りない。

 

医学の棚に移る。

病気についての記述を探す。

 

毒。

伝染病。

呪い。

外傷。

衰弱。

 

呪いという言葉が、妙に現状に刺さる。

 

だが、おそらくそうではない。

これは呪いではない。

仕様だ。

 

呪いより腹が立つ。

 

分厚い、妙に擦り切れた背表紙の本を引き抜く。

 

『王都医籍・第七巻 雑病門』

 

しばらく、ぱらぱらとページをめくり続ける。

 

やがて、見出しが目に留まった。

 

――魔力生成不全。

 

体内における魔力の錬成、著しく衰うる病なり。

軽症にては倦怠・眩暈・冷えを訴う。

重しときは肉の維持かなわず、毛髪脱落し、皮膚は剥がれ、孔という孔より血を下し、終いには息絶ゆ。

 

指が止まった。

読んだことがある。

いや、正確には、似たものを。

 

ネットで見たことのある、被曝記録の描写が、嫌な重なり方で脳裏に浮かぶ。

 

細胞分裂の手段を断たれた身体が、内側から崩れていく。

 

皮膚が剥がれる。

粘膜が破綻する。

血が止まらない。

身体が、自分の形を保てなくなる。

 

ページを押さえる指が震えた。

紙がかすかに鳴り、震えが本ごと伝わる。

 

この病は、魔素を魔力へ変えられなくなる病だ。

 

俺の場合は違う。

衰えたのではない。

最初から、その機能がない。

 

この世界の生物なら、食って、息をして、水を飲めば、魔素を取り込み魔力へ変えられる。

 

俺には、それができない。

 

形だけは、この世界の人間に合わせて作り替えられている。

 

顔も。

骨も。

筋肉も。

内臓も。

 

だが、生命を支える一番奥の仕組みだけが、こちらの生き物とは違う。

 

見た目だけ“こっち仕様”にされて、肝心の生命維持機能は欠けたまま。

 

だから、ルナから供給される。

 

だから、ルナから離れられない。

 

俺は、首輪を付けられている。

 

命綱の先にいるのは、あの糞王女だ。

 

綱が切れれば、俺は――。

 

喉の奥が、砂を噛むみたいにざらついた。

胃の底で、冷たい鉛が転がる。

 

下手に逆らえない立場だとは思っていた。

 

だが、これほどの状況に置かれていたとは。

 

奴隷。

 

それも、首輪にとびきりの爆弾を仕込まれた奴隷。

 

「セト!」

 

駆ける靴音。

書庫の静けさを裂いて、その女が現れた。

 

ルナは息を少し乱していた。俺を探して走ってきたのだろう。

 

頬は上気し、目は真っ直ぐこちらを見ている。心配している顔だった。本当に、心配している顔だった。

 

だから余計に腹が立った。

 

光り輝く、いつも通りのやさしい顔。

けれど、今の俺には、刃の光沢に見える。

 

訊くべきことはひとつだ。

 

逃げ道のない問い。

避けていた問い。

 

「ルナ」

 

自分の声が、思ったより静かだった。

 

「俺は、なぜこの世界へ来た?」

 

ルナの表情が揺れる。

 

「お前が、俺を呼んだのか?」

 

瞬き一つぶんだけ、ためらい。

 

その後、すぐに肯定。

 

首が小さく縦に動いた。

 

その瞬間、書庫の空気がひどく遠くなる。

 

続けざまに、ルナは話し始めた。

 

国の窮状。

王都の危機。

召喚の儀。

神の導き。

使命。

救い。

 

口が動き、音が流れている。

 

言葉は聞こえている。

意味も、たぶん分かる。

 

なのに、ひとつも結ばない。

内側で何かが軋み、結び目がほどけていく。

 

呼んだのはお前で。

鎖の端はお前の手の中にあって。

俺はここで、繋がれている。

 

胸の奥の空洞が、ゆっくり拡がった。

 

怒りは、すぐには来なかった。

 

怒りより先に、理解が来た。

理解より先に、吐き気が来た。

 

俺は逃げられない。

 

逆らえば、死ぬ。

 

それを、いま、ようやく理解した。

 

重い沈黙が、書庫の埃と一緒に喉の奥へ溜まっていった。

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