神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~   作:筆負野ユウ

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第2話 殺意は翻訳不要

背中に、冷たく硬い感触があった。

 

ざらついた石が、シャツ越しに皮膚へ食い込んでいる。目を開けると、知らない天井が見えた。石造りの室内らしい。

 

「……どこだよ」

 

声は出た。

喉がひどく痛む。さっきまで叫んでいたような痛みだった。実際に叫んでいたような気もするが、自分の声を聞いた覚えはない。

 

慌てて身体を起こす。

俺は祭壇のような石台の上に寝ていたようだ。

 

天板の中央には二十センチほどの金属板が埋め込まれ、奇妙な紋様が彫られている。

それを見た瞬間、背中の内側がぞわりとした。

 

触りたくない。

 

そう思ってから、自分がたった今まで、その上に寝ていたことに気づく。

気分は最悪だ。

 

部屋の中央に祭壇。周囲はがらんとしている。窓はなく、出入口らしいものは上へ続く階段が一つだけだった。

 

わけの分からない状況に、逃げ道を探したつもりだった。

探した結果、逃げ道が一つしかないと分かった。

 

周囲には見知らぬ連中。

 

西洋人とも東洋人ともつかない顔立ち。肌の黒い者もいるが、俺の知る黒人とはどこか違う。

 

服装は中世ヨーロッパ風のコスプレ――いや、状況的にそう言い切れるほど気楽でもない。

 

石の部屋。祭壇。知らない連中。そして、全身の奥に残っている得体の知れない痛み。

イベント会場にしては、手が込みすぎている。

 

何やら俺へ話しかけてきたが、ひとつも理解できなかった。

 

――訂正。

英語でもフランス語でもなく、俺がまったく知らない言語だということだけは理解できた。

 

その中で、中央にいる女が目を引いた。

 

肌は白磁のように白く、金糸の髪が燭火を受けて淡く光っている。周囲の兵士に守られるような立ち位置も、服の仕立ても、明らかにほかの連中とは格が違う。

 

とりあえず、心の中で“女神”と呼ぶことにした。

そう呼ぶにふさわしい美貌だった。

 

すぐ隣には、長身の美丈夫が立っている。こちらは剣士らしい。姿勢が違う。腰に吊った剣も、飾りには見えなかった。

 

「……瀬戸」

 

俺は自分を指差して名乗った。

 

言葉は通じない。それでも名前だとは伝わったらしい。

女神も何かを言った。たぶん名乗ったのだろうが、やたらと長い。姓名なのか、肩書きなのか、何かの口上なのか、さっぱり分からない。

 

シンプルに姓だけでいいんだよ。

見習え。

 

そう思った直後、階段から兵士が駆け込んできた。

 

息を切らし、何かを叫ぶ。

場の空気が変わった。ざわめきが起こり、あちこちで金属の擦れる音が鳴る。さらに上から、硬いもの同士が激しくぶつかる音が響いてきた。

 

思わず、美丈夫の腰の剣を見る。

剣と剣を打ち合わせる音に聞こえる。

 

嘘だろ。

 

女神たちが動き出した。

俺も祭壇から降ろされ、わけも分からないまま階段へ向かわされる。状況説明はない。あったとしても理解できない。

 

ただ、ここに留まるより、上へ出た方がいいらしい。

それだけは分かった。

 

だが、こちらが階段へ辿り着くより早く、武装した兵士たちが雪崩れ込んできた。

 

敵だ。

 

言葉も、所属も、襲ってくる理由も分からない。

だが、殺意だけはきちんと伝わった。

 

こちらの兵士が七。敵は十二。

 

数えようと思ったわけではない。視界へ入った瞬間、数が頭に落ちてきた。

しかも、敵の視線は女神よりも俺へ集まっている。

 

なんでだよ。

 

指揮官らしい男が何かを叫んだ。その直後、敵兵が一斉に踏み込む。

 

こちらの兵士も応戦した。石室に金属音が反響し、怒号が壁を叩く。すぐに鉄錆のような匂いが混じり始めた。

 

女神の隣にいた長身の剣士が前へ出る。

踏み込みの音が一つ。速い。

 

次の瞬間には敵の一人が斬り伏せられ、血しぶきが宙へ舞っていた。

俺は息を呑んだ。

 

映画じゃない。ゲームでもない。

人間が斬られ、血を噴き、床へ倒れた。

 

後方から光が走った。

 

光り輝く矢だった。それが敵の鎧へ直撃し、硬い音を立てて弾かれる。

 

振り返ると、女神が銀色の弓を構えていた。弦は引かれている。だが、矢筒はない。新しい矢をつがえる動作すらしていなかった。

 

どういう仕組みだ。

 

魔法。

そんな言葉が頭をよぎる。

 

馬鹿馬鹿しい。

だが、いま目の前で起きていることの方が、もっと馬鹿馬鹿しかった。

 

誰かが叫ぶ。意味は分からない。

それでも、俺にも分かることがある。

 

敵が二人、防御線を抜けた。

こちらへ来る。

 

「……やべ」

 

振り下ろされた剣を見て、反射的に後ろへ跳んだ。

 

跳びすぎた。

 

二メートル以上、身体が下がる。運動不足の会社員が出していい距離ではない。

足が床へ着く。勢いを殺しきれず、体勢が崩れた。

 

おかしい。

自分の身体ではないみたいだ。

 

考える時間はなかった。

もう一人が迫る。剣が来る。

 

今度は横へ逃げた。

 

相手は革へ鋲を打った鎧を着ている。実物の革鎧なんて触ったことはないが、鎧だ。素手で殴れば、拳が砕けるだろう。

 

だから殴らない。

 

骨盤の横を押し込むように、前蹴りを叩き込んだ。

そのつもりだった。

 

敵の身体が吹き飛び、十メートルほど石床を転がって止まった。

 

「……は?」

 

俺の声だった。

火事場の馬鹿力で済ませるには、結果が派手すぎる。

 

だが、男は生きていた。

それどころか、意外に元気だ。

呻きながら肘をつき、立ち上がろうとしている。

 

俺だけじゃない。

こいつらも、俺の知っている人間とは違う。

 

身体がおかしい。

いや、身体だけではなかった。

 

嗅いだこともない血の匂いが、鼻の奥へこびりついている。心臓は痛いほど脈打ち、呼吸も浅い。

冷静なはずがない。

 

なのに、見える。

 

敵の踏み込み。剣の角度。鎧の重さ。次に自分の脚が、どこまで届くか。

 

考えたわけではない。

 

視界へ入った情報が勝手に組み上がり、答えと一緒に頭へ流れ込んでくる。答えだけではなく、そこへ至る思考の過程まで、まとめて押し込まれてくる。

 

外付けのCPUでも差されたみたいだった。

 

気持ち悪い。

だが、使える。

 

敵はまだ俺を見ている。

やはり、狙いは俺らしい。

 

理由は分からない。ここがどこなのかも、女神が何者なのかも分からない。

 

分かるのは、人生初の殺し合いへ放り込まれたこと。

そして、考えるより早く動かなければ死ぬことだ。

 

階段から、また足音が響いてきた。

敵兵と同じ、乱暴な金属音。

 

増援。

たぶん、敵の。

 

敵の一人が叫んだ。指示を飛ばしているのだろう。

 

目の前にいた男の意識が、一瞬だけ俺から逸れた。振り向いたわけではない。目線が揺れ、肩に力が入り、呼吸が止まった。

階段から来る仲間へ、意識を向けた。

 

――見逃すな。

 

俺は剣を握る男の右腕を掴み、力任せに捻り上げた。

だが、動かない。

 

俺の身体がおかしくなっているのに、それでも押し切れない。男の力は、元の世界の成人男性より明らかに強かった。

 

まずった。

 

男が左手の小盾で、背中と側頭部を何度も殴ってくる。

 

普通なら、そこで終わっている。

少なくとも、さっきまでの俺なら。

 

だが、痛みより先に、関節の向きが頭へ入ってきた。

 

揉みあいを続けるうちに、動きと抵抗から、構造が理解出来た。

 

肩。肘。手首。

どこまで曲がり、どこから先は戻らなくなるのか。

 

柔術の経験なんて、もちろんない。

それでも、分かる。

 

腕を引き、身体を沈め、肩を逆へ捻った。

鈍い音がした。

 

男が悲鳴を上げる。

肩が外れた。

 

剣をもぎ取る。嫌な感触が腕に残った。

 

「履歴書に“特技・人体破壊”って書けるな」

 

誰に聞かせるでもなく呟いた。

冗談でも言わなければ、叫び出しそうだった。

 

奪った剣を握る。

 

鎧の鋲の並びが目に入った。さっき組み合った時の感触が残っている。

革の下に金属板。

本命の防御はそっちだ。

 

なら、隙間はここ。

 

剣を突き入れた。

 

手応えは、思っていたより柔らかかった。

 

いや、思っていたってなんだ。

俺は何を基準にしている。

人へ剣を刺した経験なんて、あるはずがない。

 

男が叫ぶ。

俺は構わず、さらに押し込んだ。

 

ぐにゃりとした感触。血の匂いが鼻を焼く。

男の身体から力が抜けた。

 

俺は剣を引き抜くことすら忘れ、息を吐いた。

 

冷静だった。

いや、違う。

 

冷静に周囲を観察している俺と、恐怖で今すぐ膝をつきたい俺が、同じ身体の中にいる。

 

どちらも俺だった。

どちらも、いまは邪魔だった。

 

その時、階段脇に一人の男が立っていることに気づいた。

 

いつからそこにいたのか分からない。

 

鎧は着ていない。黒い外套には金糸の刺繍。つま先の尖ったブーツ。

戦場にいる服装ではない。兵士たちの中で、そいつだけが異様に浮いていた。

 

なのに、誰もそいつを気にしていない。

 

男は戦わない。命令さえしない。

ただ、俺だけを見ていた。

 

ジトッとした、観察者の目だった。

 

兵士じゃない。

こいつが親玉か。

 

意識が逸れた。

 

その瞬間、左腕に鋭い痛みが走った。

 

熱い。

怖い。

視界がぐらつく。

 

「俺のひだっ……切らっ……た?」

 

剣から手を放し、転がるように距離を取った。

左腕を見る。

 

ある。

腕はある。

 

一瞬、本当に切り落とされたと思った。だが、血は滝のように流れている。

 

痛い。熱い。だが、動く。

まだ動く。

 

最悪の確認を終える前に、敵が迫った。

 

速い。

さっきまでの兵より、明らかに速い。

 

俺が刺した男は、腹から剣を生やしたまま、その後ろで崩れ落ちている。

体勢を立て直すより早く、間合いを詰められた。

 

剣が振り下ろされる。

 

今度こそ死ぬ。

 

右腕だけでは防げない。左腕はまともに動かない。避けるには遅い。

武器がない。

 

せめて。

せめて、俺にも剣があれば――。

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