勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第19話 イノセントローズ

小広間は静かだった。

 

垂幕の白が光を返し、磨かれた床に人影が薄く伸びている。

 

卓の中央に、赤い宝珠がひとつ。銀色のフレームにはめ込まれ、そこから細いチェーンが伸びていた。

 

おお、本当に金目のものに見える。

 

「これより……下賜の儀を……」

 

紋章官の声は短い。説明もない。儀式というわりに、思ったより簡素だった。

 

もっと長々と祝詞だの由緒だのが続くかと思っていたが、王族や貴族の都合で行われる儀式というのは、案外、必要なところだけ切り出せば短いらしい。

 

ありがたい。

儀礼でまで残業したくない。

 

ルナが一歩進み、宝珠を両手で捧げた。

 

指が印を結ぶ。唇が小さく動いた。

 

祈りではない。

手順の言葉。

術式を起動させるための、決められた音の並び。

 

彼女の掌から、細い光の糸がほどけていく。それは宝珠の奥へ、ゆっくりと縫い込まれていった。

 

刻むというより、繕うに近い所作だった。何かを上から押しつけているのではない。もともとそこにある穴へ、糸を通しているように見える。

 

「セト」

 

ルナがこちらを見た。

 

「……受け取ってください」

 

差し出された宝珠を、両手で受け取る。

 

掌に落ちた瞬間、胸の奥に新しい糸が伸びる感覚があった。もう一本、供給ラインが生えた。

 

これで自由が増えた。

そう言えば聞こえはいい。

 

実際には、鎖が一本から二本になっただけかもしれない。

 

ただ、二本目は少し長い。

それだけの話だ。

 

宝珠の表面は冷たかった。

指の腹が滑る。

 

親指を宝珠本体に置いて、いつものように解析を立ち上げる。

 

構造を見る。

層を剥く。

鍵穴を探す。

 

――滑った。

 

力を込める前に、魔力がつるりと弾かれた。

 

拒絶。

 

物でこの反応は初めてだ。

 

単なる宝石と貴金属ではない。

宝珠の奥に、何かがある。

 

何か、という言い方は便利だ。

分からないものを、分かった気にならずに済む。

 

「どうですか? 何か感じますか?」

 

ルナが少し不安そうに尋ねる。

 

「はい。あとは試してみないことには何とも」

 

場に合わせ、最低限の口調だけ整える。

 

本音を言えば、感じるものはある。

 

新しい供給。

解析拒絶。

そして、首輪の延長。

 

だが、解析能力について誰にも話していない以上、言えることは限られる。

 

◇◇

 

儀を終えて小広間を辞し、ルナに付き従って回廊を折れたところで、空気が変わった。

 

陽の差す石床の中央に、黒外套の一団が等間隔に立っている。

 

偶然、通りかかった。

そう見せるには、あまりに整いすぎた配置だった。

 

先頭の中年男は、目つきが悪く、髭を蓄えている。やや腹が出ているが、背筋はまっすぐで無駄がない。

 

半歩後ろには、細身の若い貴族が立っていた。整った顔立ちに、上質な衣服。こちらへ視線を向けている。

 

俺の顔ではない。

 

宝珠を持つ手。

腰。

足元。

 

何を見られているのかは分からないが、好意的な視線ではなさそうだった。

 

従者の立ち位置が自然に道を整え、こちらは壁側へ寄せられる。

 

中年男は穏やかに一礼した。

 

「ご機嫌よう、殿下。秘宝の下賜、まことに慶賀すべきことでございます」

 

誰だ。

 

そう思ったところで、ノアがほとんど口を動かさずに囁いた。

 

「……ファガス=トラキス公爵」

 

こいつがトラキス公か。

 

ミストラティとの国境近くを治める大貴族。東方国境派閥――通称トラキス派の領袖。

 

王党派とは、まあ仲が悪い。

 

そして、カイルスの飼い主。

 

少なくとも、俺はそう認識している。

 

「これはご機嫌よう、トラキス公。先日は、あなたの配下に大変お世話になりました」

 

カイルスのことだろう。

 

ルナの言い回しは淡々としていた。

だが、声の奥に硬いものがある。

 

トラキス公は、わずかに首を傾けた。

 

「それは心当たりを探さねばなりませんな」

 

反論もしない。

肯定もしない。

 

そして、すぐに俺へ視線を移した。

 

目が合う。

 

市場に並ぶ馬か、剣か、奴隷でも見るような目だった。

 

「あなたがサモンド殿」

 

口角だけが上がる。

 

「お強いと評判ですな。近衛隊長と互角とか」

 

「一太刀、入れただけです」

 

互角ではない。

殺し合いなら、たぶん俺が死んでいた。

 

だが、政治の世界では、事実はそのまま歩かないらしい。誰かが着飾らせ、誰かが裸にし、誰かが首輪をつけて歩かせる。

 

「言葉も、すでにこれほど」

 

トラキス公は、しばらく俺を見ていた。

 

「王都での暮らしはいかがですかな」

 

「まだ、慣れている途中です」

 

「それは何より」

 

何が何よりなのかは分からない。

 

公爵は薄く笑い、俺の手にある宝珠へ目を落とした。

 

「羨ましい。王都で飾っておくには、いささか勿体ない刃です。ぜひ、前線にお貸し願いたいものですな」

 

ノアが半歩、前へ出た。

 

「公。この者は王女殿下の客人です。貸すなどと、あまりに無礼ですぞ」

 

「これは失礼」

 

トラキス公は少しも悪びれなかった。

 

「辺境暮らしゆえ、言葉が粗くなります」

 

粗いのは言葉ではない。

 

こちらを物として扱う前提だ。それを笑って包める程度には、礼儀を心得ている。

 

「ですが、国境近くに領地を持つ我々の苦労も、多少は察していただきたい。王都で施療院見物に付き合わせるよりも、前線の方がよほど見聞を広められましょう。実績を上げれば、王女殿下の名声も高まります」

 

施療院へ行ったことまで知られている。

 

ノアの指が、わずかに剣の柄へ触れた。

 

すぐに離れる。

 

本当に一瞬だった。

反射的に手が動いたのだろう。

 

トラキス公は、それを見たとも見なかったとも分からない顔で続けた。

 

「それに、殿下のお慈しみは王室の誉れではございますが、この三月、前線では武具、矢、糧食、そのすべてが割当不足。援軍はおろか、要請していた支援物資も届いておりません」

 

声は穏やかなままだった。

 

「前線の兵は、王家の誉れでは腹を満たせませぬ。しばし優先順位を改めていただければ、ありがたいのですが」

 

ルナの表情がこわばる。

 

ノアは引かなかった。

 

「前回要請分は、ほぼ要望どおりに送られたはずです。続けざまに用意する難しさは、公こそご存じでしょう」

 

声が低くなる。

 

「そもそも物資不足は、公が不要な攻勢に出たからでは? その攻勢も半分は虚報で、ずいぶんとため込んでおられると申す者もいるとか」

 

一拍置く。

 

「それに、王都から送られた矢束が、トラキス領内の市で売られているとの報告があります。前線で不足しているはずの品が、なぜ市井へ流れるのでしょう」

 

空気が、ほんの少し冷えた。

 

この発言はギリギリじゃないのか。

ギリギリアウトかも。

いや、余裕でアウトかもしれない。

 

王都から送られた軍需物資が、トラキス領の市で売られている。

 

横流し。

蓄財。

あるいは、現場の混乱。

 

だが、ノアはそれがただの噂ではないと見ているのだろう。

 

それにしたって、少々物言いが直球過ぎる。

ノアらしくない。

 

しかし、トラキス公は、眉一つ動かさなかった。

 

「辺境では、物の流れも荒れます。流言もまた同じです」

 

「説明にはなっておりません」

 

「私も恥ずかしながら敵が多く、根拠なき誹謗には辟易しております」

 

否定はしない。

肯定もしない。

 

「ああ、先日の攻勢についても同じです。防衛上、必要と判断したまで。私とて、無用なことをして魔族を刺激するつもりはございませんとも」

 

ノアの口元が引き結ばれる。

 

不要な攻勢。

虚報。

物資不足。

横流し疑惑。

カイルス。

 

言いたいことは山ほどあるのだろう。

山ほどあっても、全部は言えない。

 

ルナが小さく息を吸った。

 

何か言おうとする。

 

その前に、トラキス公が指先で手袋の縁を整えた。

 

「……ああ、それと、例の施療院」

 

声の調子が、少しだけ柔らかくなる。

 

「民の評判が芳しくないようで」

 

ルナの表情がこわばった。

 

「私は、そのような迷信を信じているわけではございません。ですが、雁皮病を神罰と信じる者は多い。“汚《けが》れ”はせめて城外に置いてほしいという声もあります」

 

そこで一度、柔らかく笑う。

 

「民の迷妄を肯定するつもりはございません。ただ、迷妄も数が集まれば政務でございます」

 

うまい言い方だと思った。

 

病人を汚れと言ったのは民。

神罰と言ったのも民。

自分は信じていない。

ただ、民の不安を代弁しているだけ。

 

どこにも責任を置かず、要求だけをこちらへ差し出している。

 

「雁皮病が神罰であるなど、聖典のどこにも記されていません!」

 

初めて、ルナの声が強く跳ねた。

 

ダメじゃないか。

感情的になっちゃ。

 

トラキス公は、『驚いた』とでもいう態でわずかに眉を上げた。

 

「ええ。私も、神罰であるとは申しておりません」

 

声は変わらない。

 

「そう信じる民がいる、と申し上げているのです」

 

そして、一拍置く。

 

「殿下の御戯れに耐えさせられているのは、周辺の民でございますから」

 

ルナは口を閉ざした。

 

「サモンド殿も、白樹の家をご覧になったそうですな」

 

また俺を見る。

 

「いかがでした?」

 

いかがでした、と言われても困る。

 

病人についてか。

施療院の場所についてか。

ルナについてか。

 

「この国のことはまだよく分かりません」

 

正直に答える。

 

「施療院をどこに置くべきかも」

 

病人へ深く肩入れしているわけではない。

事業そのものにも、そこまで興味はない。

 

ただ、実際に見たものについては答えられる。

 

「ただ、王女殿下が遊びでやっているわけではない。それは分かります」

 

ルナが小さくこちらを見た。

 

トラキス公は、しばらく俺の顔を見ていた。

 

「そうですか」

 

それだけ言い、視線を戻す。

何を聞きたかったのかは、分からなかった。

 

隣の若い男が、礼を崩さずに一歩進み出た。

どこか昔からの知己を窘めるようにルナを見る。

 

「……マリウス=グーリン伯爵」

 

ノアがまた、呟きで教えてくれる。

その声は、先ほどよりも明らかに硬かった。

 

「公は神学論争をしているのではありませぬ」

 

静かな声だった。

トラキス公のような芝居臭さはない。

 

「施療院を守りたいのであれば、場所に執着なさらぬことです」

 

ルナの眉が寄る。

 

「城外へ移しても、施療院は維持できます」

 

「誤った認識のために、彼らを追いやることなどできません」

 

「殿下がこれまでどおり足を運ばれるなら、それでも充分な救いでしょう。軋轢を生んでまで現在の場所でなければならない理由がありますか」

 

ルナは答えなかった。

 

正論ではある。

ただ、言い方が鼻につく。

 

こちらが気づいていない簡単な答えを、親切に教えてやっている。そんな口調だった。

 

「マリウス」

 

ノアが半歩、前へ出た。

 

呼び捨てだった。

 

呼ばれたマリウスが、初めてノアへ視線を向ける。

 

「裏切り者が、殿下に徳を説くな!」

 

声が回廊に響いた。

普段のノアからは考えられないほど、露骨な敵意だった。

 

ルナが驚いて振り返る。

トラキス公の従者たちも、わずかに身じろぎした。

 

マリウスだけは動かなかった。

 

「資格の話なら、家督を継いで学ぶこともありまして、ノア殿」

 

わずかに顎を上げる。

 

「いずれ、お分かりになるでしょう」

 

ノアの目が細くなる。

さらに何か言おうとしたが、ルナがその腕へ触れた。

 

「ノア」

 

短い呼びかけだった。

 

ノアは唇を結び、黙った。

 

トラキス公が、小さく息を吐いた。

 

「争う気はないのです、殿下」

 

話を仕掛けた本人が、場を収める側へ回っている。

 

「若い方々には、いろいろ因縁もおありなのでしょう」

 

誰も答えなかった。

 

「ともあれ、前線への物資については、どうか御一考を。矢も、糧食も、兵も、数が無ければ戦えませぬ」

 

完璧な礼をする。

 

「我々は、王国のために申し上げているだけでございます」

 

一団は静かに道を開け、そのまま通り過ぎていった。

 

足音は揃っている。

 

香油。

革。

金属。

 

その匂いだけが、しばらく回廊に残った。

 

ルナは去っていく背中を見ていた。

悔しそうだった。

 

ノアはさらに酷い顔をしている。トラキス公ではなく、その隣を歩くマリウスを睨んでいた。

 

マリウス=グーリン伯爵。

 

名前は覚えた。

 

トラキス公の不正疑惑よりも、今はノアがあの男に向けた顔の方が気になる。

 

俺は掌の宝珠を握り直した。

赤い表面は、相変わらず冷たい。

 

長くなった鎖を手に入れたばかりだというのに、この国には、それより古くて面倒な繋がりがいくつもあるらしい。

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