勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
足元を観察しながら、なるべく音を立てずに薄暗い獣道を進む。
湿った土。
折れた枝。
踏み固められた草。
獣道というより、人間が使っている細い抜け道に見えた。
だんだんと、声がはっきりしてくる。
「また、お頭から先に味見ですかー」
「愛妾を目の前でおいしくいただいちゃいまーす、ってな」
「おいおい、おっさんの目隠し外してやれよ。見せてやろうぜ」
なるほど。お楽しみの最中か。羨ましい限りだ。ララを呼んでくるべきなんだろうけど、その間に女が犯される。
別に構わないという気もする。俺には関係ない。知らない女だ。知らない男たちだ。知らない森の、知らない犯罪。
ルナなら迷わず助けに入るんだろうか。
そう思った瞬間、少し嫌な気分になった。
ただ、嫌な気分になっただけだ。それで何かが変わるわけでもない。
しばらく進むと、僅かに開けた場所に出た。
荷馬車が一台。
手綱は外れていて、馬は少し離れた場所で草を食んでいる。
荷馬車には、上等な布で口を塞がれ、手を縛られた男が一人。
商人風で身なりが良い。
その周囲に、男が四人。
地面に組み敷かれた若い女が一人。
両腕を押さえる手。
片足を取る手。
布が裂ける短い音。
腰紐に不躾な指がかかる。
金具が、からりと鳴った。
「これ、魔封じの腕輪だろ。魔法も使えるエルフ奴隷の愛妾とか、いい趣味してるぜ」
「傷物にはするなよ。上物だから高く売れる」
「いやいや、一番荒っぽく楽しむのはお頭じゃないすか」
お頭と呼ばれたのは、女の足を掴んでいる男。
こいつが司令塔。
たぶん強くはない。
意識は女に集中。
警戒は皆無。
女は次々と衣服をむしり取られ、すでに肌の多くが露わになっている。
見物役の二人は、やいのやいの言いながら楽しそうに見ている。
両腕を制していた男が、女の顔を舐めまわす。
お頭と呼ばれた男が、レギンスをずりさげ自分のものを女へ当てがう。
見物役二人の興奮も、目に見えて高まっていた。
今だな。
まずは司令塔から――とも思ったが、後回しでいい。
こいつは最後だ。下半身があの有様では、動き出しが遅い。それに、生かしておけば話を聞ける。
最も遠い位置にいる見物役の横っ面へ、小さな火球を撃った。
リソース配分は速度極振り。
ただし、魔力をたっぷり込める時間はあった。
眩光。
悲鳴。
視線が一斉にそちらへ向く。
特に魔力で守った様子もない。このまま、肺を焼かれて死ぬだろう。
その刹那に、もう一人の見物役へ弾丸を撃ち込む。
頭蓋が弾けた。
倒れる。
女の腕を押さえていた男の胸へ、二発。
血と息が同時に漏れ、男は女の上で崩れ落ちた。女を押し倒しながら死ねて良かったな。女の方は、ごめんね。
残るは一人。
お頭。
どうやら飛び道具はない。
さすがに剣に手を伸ばし、立ち上がろうとする。だが、ずり下げた下衣が足に絡んだ。
よたよた。
ふらふら。
締まらない。
駆けながら、両肩を撃つ。
剣を落とす。
両膝を撃つ。
転ぶ。
そのまま駆け寄り、胸を踏みつけた。
主犯格の生け捕りに成功。
このままじゃ出血で死ぬかもしれないが。
その時、胸から血を流して絶命した男を押し退けた女が、転がった剣に手を伸ばした。
立ち上がる。
構える。
震えはある。
だが、俺よりは様になっていた。
刃が弧を描く。
お頭と呼ばれた男の喉に、剣が叩きつけられた。剣先は地面にめり込み、ばっくり割れた男の首から血しぶきが舞う。
女――少女と言うべきか――に鮮血が降り注ぐ。
奇妙なほど現実感のない光景。
現実以外の何物でもない生ぐさい鉄の臭い。
真紅が艶やかな銀髪を半分ほど染め、隠す物のない肌色の上を流れる。
どこか絵画的ですらあり、同時に獣的な本能を刺激する。
数秒、見とれていたと思う。
あまりじろじろと見るものではないと気付き、慌てて目を逸らす。
予想外の事態に驚いて唖然としていた――というように見えていたら良いのだが。
静かになっていた。
鳥の声が、少し遅れて戻ってくる。
「……止めなくて、よかったの?」
ララの声が背後からした。息が少し荒い。
「別に止めるほどの理由もないだろ」
生け捕りにしようと思ったことに、大した意味はない。
余裕があっただけだ。
尋問できるなら、したほうが良いかもしれない。
そう思っただけ。
どうせ、動機なんて分かり切っている。
それだけの話だ。
「さっきの人は?」
「駄目だった」
ララの声は短かった。
少女は、思い出したように呼吸を荒げた。ほとんど裸のまま、こちらを見る。
腕輪が一つ、手首で鈍く光っている。
装飾にしては重すぎる輪。
魔封じの腕輪。
さっきの連中が口にした言葉が脳裏をかすめる。
俺は荷馬車から布を一枚引っ張り出し、彼女の肩に掛けた。
それから、縛られていた男に近づく。
口の布を外す。
男はまず咳払いをした。それから、紳士的な笑みを浮かべる。こういう時でも形を崩さない種類の人間なのだろう。
「騎士の方……ですかな。恥ずかしい話なのですが、護衛に雇った者が盗賊に化けましてな」
男は息を整えながら続けた。
「助命の恩、忘れませぬ。ガスパーレと申します。王都に支店を置く商会の主です」
まあ、金は持っていそうだ。恩を売れたのであれば悪くはない。
「セトです。騎士ではありませんが、王宮で客人扱い……といったところです」
言いながら、小刀を構築し、ガスパーレの縄を切ってやる。
とりあえず一仕事完了。
大きめの石に腰掛け、革袋を取り出して喉を潤す。
なぜか目を丸くしたガスパーレが、俺のことを上から下までまじまじと見てくる。
なんだ。
気持ち悪い。
エールが欲しいのか。
「セト様……それに無詠唱の魔法……黒髪の……」
ガスパーレは立ち上がり、馬車から降りた。そして、腕輪の少女に視線をやる。その目は、どこまでも冷めた、商品を見る商人のそれだった。
「今すぐお礼を差し上げたいのですが、商品を王都で売って、それを元手に仕入れを行い帰還、というつもりでおりました。よって、大した手持ちがないのです」
俺は反射的に首を振る。別に今すぐ金が必要というわけじゃない。恩義を感じてくれるなら充分だ。
「礼なんて」
「いえ、させてください」
ガスパーレの声は滑らかだった。命を助けられたばかりの男の声ではなく、取引をまとめにかかる商人の声だった。
「王都で競売に掛ける予定だった奴隷です。名はエリサ。ハーフエルフで、魔法適性と読み書き計算、礼法は一定以上。護身の素地もございます」
ガスパーレは、一拍置いた。
「ああ、もちろん処女です。稀少品ゆえ、王都なら良い値がつくと考えておりましたが……」
言葉が、やけに滑らかに続く。
俺の下半身を熱いものが、背中を冷たいものが撫でた。
大市は今日だ。高値が付く商品なら、大市に出すんじゃないのか。当日に王都入りじゃ間に合わないぞ。
ララが軽い調子で、背後から俺の肩に顎を乗せて言う。
「ハーフエルフの奴隷とはね。真正のエルフほどじゃないけど、間違いなく高級品よ。こんなラッキー、そうそうないんだからね」
「いや、奴隷なんて持っていいの?」
「クロスの勇者様だぞ。奴隷の一人や二人、誰も文句は言わないよ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
口から出た言葉に、自分で苦笑する。
そういう問題じゃない。
いや。
そういう問題だ。
俺もこの世界では“繋がれた”身だ。首に鎖を付けられた俺が、もう一本の鎖を手に取るのか。
「契約は、術式上、双方の同意が必須です」
ガスパーレは小さな木箱を開けた。中には、封蝋が押された紙と、銀の薄片が入っている。
「形式がなければ、後で齟齬が生じますので。解除も同様に同意が必要です」
人権の話ではない。
手続きの話だ。
ガスパーレは、使い捨ての術式札について淡々と説明を続ける。
内容は三つ。
逃げない。
命令に逆らわない。
危害を加えない。
紙と薄片を重ね、その上に蠟燭を立てる。蠟燭が自ら僅かな光を放ち、濃い紫色の火を灯した。
俺はエリサに向き直る。
なるほど。
確かに美しい。
欲しくないとは言えない。
近くで見ると、耳は人より少し長い。
髪色は銀。
瞳は灰がかった紫。
頬に泥。
髪に枯葉。
全身に返り血。
呼吸は落ち着いてきたが、視線はまだ震えている。
「……従います。あなたに」
はっきりした声だった。
奴隷なのだからガスパーレには逆らえないのだろう。だが、それ以上の意思を感じてしまったのは、俺の思い上がりだろうか。
俺は胸を押されたみたいに、半歩たじろぐ。
理由は、感謝か。
打算か。
恐れか。
もしかすると、全部だ。
これで俺が同意をすれば、契約成立なのか。
背中を押された欲が、むくむくと首をもたげてくる。
ララが俺を見る。
将来の妻になるかもしれない女。
いや、待て。
それは違う。
さすがにララと政略結婚なんて話は眉唾だ。考えなくていい。
だいたい、こっちの法や倫理では奴隷は問題ないのだ。現代日本の倫理なんて糞くらえ。そもそも俺は、モラリストとは程遠い。
そして欲は、理性の前を歩く。
今の俺は、それを追い払えるほど賢くない。
「……分かった。同意だ」
封蝋の光が一瞬だけ強まった。
それから、色を失う。
「……いいのか、これで」
「いいのよ。これで終わり」
ララが短く言った。
いいのかどうか。
答えが出るとしても、きっとずっと後になってからだろう。
ガスパーレは最後に深く礼をした。
「私はトラキス公爵領で商いをしております……が、ご安心ください。関係のほうは微妙でして。王都に軸足を移したく、今後とも……くれぐれもお見知りおきを」
その目は笑っていない。俺の立場をだいたい把握している。計算を隠しもしない。
俺は曖昧に頷いた。
今日一日で、新しい糸が何本も増えた気がする。
「エリサ、魔法使えるんだろ? その腕輪はどうしたら外せるの?」
「今はご主人様に禁止されていないので、外せます。外して良いのですか?」
「セトだ。なるべく名前で呼んでほしいな。腕輪は外していいよ」
エリサは金具をいじり、腕輪を外した。
俺は腕輪を受け取る。
いつもの解析。
見たことのない術式が組み込まれている。魔力の流れを押し潰し、外部への出力を封じる。構造は単純ではない。だが、読めないわけではない。
これは、後で試す価値がある。
「戻ろう。日が傾く」
ララが言う。
赤い宝珠が、胸元で小さく揺れた。
豆の生える土地からは、まだ離れられない。
それでも、少しだけ自由になった気がした。
それにしても――。
大市の日に、誰もいない森で、上物を差し出す。
うまい話は、裏があるかもしれない。
今回は、少なくとも表が見えているので、ましな部類だ。
見えていない部分があるかもしれないが。
欲望にころっと負けた感は否めない。
エリサは布の端を握り、俺の数歩後ろを歩く。
森を抜ける風が、鎖と布を同じ調子で鳴らした。