勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
第23話 クソガキとパン屋
日がわずかに傾き始めるころ、珍しくノアのお供だった。
行き先は施療院。
清貧の香りを胸いっぱいに吸い込む、おつかいイベントである。
エリサは数歩後ろ。
俺が誰かといる時、彼女はほぼ無言だ。
気配は薄いのに、用意すべき物は先回りで用意されている。
空気が世話を焼いてくれるなら、だいたいこんな感じだろう。
ルナは政務が忙しそうだ。
俺を連れて戦場に行ってほしいと、王太子にも言われたとか。
その前に施療院や救貧の事業を進めておきたい。
そういうことらしい。
戦場か。もちろん、行きたくなどない。
だが、ルナが行くとなった場合、俺は従うことしかできない。
我が身の不幸を呪うばかりである。
そうなる前に、俺もやるべきことをやっておこう。
ふと、同行者を見る。
ノアも、悩みが多そうな顔をしていた。
「顔、引き攣ってるぞノア。昼の会食で変なものでも出たか」
「胃は鍛えられて丈夫だ。頭のほうが忙しいだけだよ」
軽口の端が固い。まあ、いつものことだ。
角を曲がった瞬間、怒声が空気を裂いた。
「てめえ、待ちやがれ!」
十二、三ほどの痩せたガキが、黒パンを二つ抱えて全力疾走していた。
その後ろを男が追っている。
男は、路上に麻布を敷いて黒パンを売っているようだった。
どこかの村から来たパン売りだろう。
次の瞬間、別方向から飛び出したチビどもが荷車に群がった。
各自が手にした袋へ、パンをざらざらと放り込む。
囮が後襟を掴まれて確保された時には、主力は四散済み。
計画通りだな。おめでとう。
「くそっ! あぁ……くそっ!」
都市の揉め事処理は、自警団や自治裁判所の管轄だ。
ノアのような騎士の仕事ではない。
貴族が絡まない限り、だが。
ガキが暴れた。
固く焼かれた黒パンを、男の頭に叩きつける。
砕けるパン。
元気があって大変結構だが、向こう見ずな感は否めない。
「このクソガキがっ!」
男の目尻が、ぴくぴくと痙攣する。
ほら来た。
男はガキの後ろ髪を掴むと、石畳に顔面を叩きつけた。
鈍い音。
一回。
二回。
三回。
いいね。中世の教育的指導。
――いや、やりすぎか。
「おい、死んじゃうぞ」
さっと駆け寄り、男の肩を引いた。
「ああっ?! じゃあ、お前が金払ってくれんのかよっ?!」
男は、はっと俺の身なりを見た。
そして、ひどくぎこちない笑顔になる。
俺は内心で、偉そうに見える服に感謝した。
服に権威が付く世界は、たぶん服に返り血も付きやすい。
そして、それを誰もが知っている。
「す、すみません。つい頭に血が上ってしまいまして」
「子供相手に、ここまでしなくてもいいんじゃないか」
男の笑顔が剥がれた。
冷えた声が出る。
「お偉い方には分からんのですかね」
麻布の脇には、踏まれた黒パンの欠片が散っていた。
割れた断面に土が入り、もう売り物にはならない。
――いや、それは現代人的な価値観か。
だが少なくとも、商品価値は大幅に減じただろう。
男は台無しになった商品をちらりと見て、すぐに目を逸らした。
失った数を、頭の中で数えているのか。
「村で麦を集めて、パンを焼いて、城下に入るにも権利金を払う。売上で必要品を買って帰らにゃならない」
男の声は震えていた。
怒りだけではない。
焦りもある。
恐怖もある。
「私はもう、村の皆に顔向けできない。こんなことが続いたら、生活ができない。舐められるわけにはいかんのです」
この男が正しいようだ。
子供が弱者で、男は加害者。
そんなきれいな構図は、ここにはない。
男は今日、少し殺された。
で、少し殺し返した。
それだけだ。
ガキはふらつきながら立ち上がった。
額と鼻下を血でぐしゃぐしゃにしたまま、こちらも見ずに歩き出す。
そちらに目をやると、肩を押さえられた。
ノアだ。
「暴行がエスカレートする前に止めた。それだけで上出来だ」
子供を追いかけようとしたと思われたのだろうか。
追えば、何かできたかもしれない。
パンをやるとか。
説教とか。
救済とか。
俺はやらない。
やれば、今日から毎日やる羽目になる。
そして、俺を止めたノアの顔は、先ほどに増して暗い。
追いかけたいのは、お前の方じゃないのか。
通りの奥で、逃げた子供の一人がこちらを見ている。
袋の口から、黒パンの端が覗いている。
勝ち誇った顔ではなかった。
それでも、彼らはうまくやった。
「あの子も、そう遠くまで帰るわけではない」
ノアは、言い聞かせるように言った。
誰に。
俺にか。
自分にか。
「共に生きる仲間もいる。いつものねぐらで休めば大丈夫さ。きっと」
ねぐらを知っているのだろうか。
いや、ただの想像か。そうであってほしいという無意識の願望。
俺は頷いた。
エリサが一瞬だけ、子供の背を見た。
そして、黙って目を伏せる。
パン売りの男は、砕けた黒パンを麻布の端へ寄せていた。
血を流したガキは、路地の影へ消えていく。
逃げた子供たちの姿も、もう見えない。
別に気が沈むというほどではない。
パンが盗まれ、子供が殴られ、誰も救われず、それでも通りはすぐ元の音を取り戻す。
よくある、ありふれた現実だ。