勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第25話 灰の中の名前

朝の空気は、やけに乾いて、冷たかった。

 

ララと剣を振る。

 

エリサも端で基礎の型をなぞっている。

 

「へえ、基礎はできてるな。セトよりだいぶマシだ」

 

休憩に入ると、ララはエリサを見やり、目を細めた。

 

エリサは剣術の教育を受けている。魔法も使える。

ついでに、容姿は信じられないほど整っている。

 

剣を構えるその姿も、様になっていた。

 

汗が銀髪を伝い落ち、砂に吸われていくのを眺める。

 

その時、伝令が歩み寄ってきた。

 

「自警団からの知らせです。夜間に火災があり、ルナ王女殿下の施療院が全焼したとのことです」

 

俺たちは顔を見合わせた。

 

そして、走った。

 

全焼したとのことなので、急ぐ意味もないのだが。

もちろん、それは口にしない。

 

白い小屋は、白くなかった。

黒く、崩れ、小屋ですらなかった。

 

自警の連中は、近づきたがらず、遠巻きに棒で地面をつついている。

 

施療院だから、だ。

汚れ。

咎。

 

昨日の言葉が、また耳に蘇る。

 

建物の性質上、他の建物とは空間を隔てている。

よって、延焼の心配が少ない。

 

そのため、無理に消火をしなかったことも、全焼の原因だろう。

 

焼け跡の縁に、人が三つ四つ、崩れたように座り込んでいた。

灰が雨のように肩に降り、誰も払わない。

 

風が変わるたび、焦げと脂と薬草のにおいがむっと立つ。

 

その時、靴音が灰を割って近づいた。

 

ルナとノアだ。

 

従者は後ろに下げ、二人だけが歩幅を合わせて敷地内へ入ってくる。

ノアは、昨日より顔色が悪かった。いつもの胃痛顔ではある。

 

だが、今日はそれより一段深いところまで、血の気が引いているように見えた。

 

ルナは裾を摘まんで一度だけ持ち上げようとして、すぐ離した。

 

そのまま、泣き崩れる者のもとへと歩を進める。

 

「……ルナ様だ……!」

 

布で顔を覆っていた女が、ルナの姿を見つけた。

立ち上がろうとして膝が抜け、そのまま膝で近寄っていく。

 

ルナは反射的に手を伸ばし、肩を支えた。

 

「落ち着いて。話せるところからでいいのですよ」

 

女は何度も頷いた。

言葉が出るまでに、数呼吸を要した。

 

「ミーナが……脚の悪いあの子が……逃げ遅れて……天井が落ちて……寝台ごと……!」

 

嗚咽が喉で絡まる。

それでも、女は言葉を絞り出した。

 

「夜は修道女様もいなくて、患者だけで……私も……私も、あの子のもとへ戻ろうとしたのに……もう、炎が壁を……!」

 

肺の底からしぼり出すような声だった。

 

ルナの指が、泥と煤だらけの包帯で巻かれた女の手を、包むように添えられる。

 

俺にはできないことだ。

 

ミーナ。

 

確か、あの時の。

そんな名前だったはずだ。

 

周りの患者たちも、各々が何かに縋るように口々に言う。

 

「火の気なんてなかった」

 

「夜中に火を灯したことなんてない」

 

「風もなかったのに、急に明るくなって」

 

薪だってそれなりに高価だ。

この世界で夜間に灯りを使うのは、金持ちのすることだ。

 

ルナは指輪を外した。

 

女の手を包んだまま、ゆっくり呼吸を合わせる。

震えが呼吸の拍に乗って、少しずつ細くなっていく。

 

「本当に火の気なんて、無かったんです……気づいたら、壁から炎が……」

 

「わかりました。大丈夫。あなたたちが責めを負うことはありません」

 

言葉は短い。

 

ルナは患者たちに毛布とエールを配らせる。

 

ノアは一歩退いて全体を見渡し、眉間に皺を寄せていた。

顔色は悪い。何度も見た顔色だが、やはり今日は一段と悪い。

 

「ノア」

 

ルナは立ち上がった。

 

灰を払うでもなく、そのまま命じる。

 

「昨日の件に加え、この件も調査を」

 

ルナは続けて、こちらを振り向いた。

灰で頬は白く汚れていたが、目は澄んでいる。

 

「セトなら何か分かることもあるかも。あなたにもお願いします。ララにも」

 

ルナはもう一度、患者の輪に戻った。

泣き崩れる背中に手を当て、同じ高さの声で言葉を置いていく。

 

風が吹く。

灰が舞う。

 

俺は一歩、焼け跡に踏み込んだ。

靴底が、炭化した梁の破片を踏み砕く。

 

最初から気になっていた臭いがある。

 

焦げ。

薬草。

脂。

 

そして、その中に僅かに混じる、ゆで卵と屁を混ぜ合わせて腐敗させたような悪臭。

 

「硫黄の匂い……これ、火薬じゃないのか」

 

俺が呟くと、隣でノアが顔をしかめた。

 

「この臭いはむしろ……軍用のカーカスに思えるな」

 

「カーカス?」

 

「獣脂、松精油、硫黄、硝石などの混合物だ。火を長く、強く保つ。投石器から射出して火攻めに使うこともある」

 

ナパームのようなものだろうか。

 

確かに脂の燃えた臭いもする。

ただ、人が焼け死んでいる現場なので、あまり考えないようにしていた。

 

この世界は魔法の世界だ。

だが、何もかも魔法で済ませているわけではない。

 

油を使う。

硫黄を使う。

硝石を使う。

混ぜ、詰め、運び、燃やす。

 

人間という生き物は、世界が変わっても火の扱いだけは妙に上手くなるらしい。

 

それにしても、どこのご家庭にもあるような代物ではない。

殺意が高すぎるだろう。

 

「セト様、あれ」

 

焼け跡の端に、煤けた鉄の輪が転がっている。

 

エリサが、それを指で示した。

 

「樽の箍《たが》かな」

 

ララが屈み込み、鉄の輪を見る。

 

「普通は木製の箍だろ。鉄の箍なんて、輸送を前提として頑丈に作られた樽くらいでしか……」

 

そこで、ララがはっとした。

 

「東方の戦域に送られているカーカス樽が、ちょうどこのくらいの大きさだったはずだ」

 

そう言うノアは、わずかに唇を引き結んだ。

 

「私はその線から探ってみる。お前たちも何か分かったら教えて欲しい」

 

言い残し、ノアは去っていく。

 

その背中が疲労なのか、悲嘆なのか。

それとも、もっと別のものなのか。

判断できない。

 

黒い煙はもう上がっていない。

熱も立ち込めてはいない。

 

なのに、胸の奥にだけは、まだ火がくすぶっている気配が続いていた。

 

風が一陣。

 

灰が舞い、赤い宝珠が喉元で小さく鳴った。

気のせいだ。

 

そう言い切るには、悪い予感が濃すぎた。

 

それじゃあ次は――。

やらないわけにもいかないよな。

 

崩れた梁の角度と、炭になった壁の剥離の仕方をざっと見る。

 

火の回りは外周から、内に向けて。

 

寝台の位置は――柱の根元から三歩。

 

その手前で一度、膝をついた。

 

外套を持ち上げ、口と鼻を覆い、軽く巻き付ける。

 

エリサとララもそれに続いた。

 

「踏むなよ。ゆっくりだ」

 

何を、とは言わない。

 

簡素な小屋だ。

焼け落ちた残骸の量は、それほどでもない。

 

倒れ掛かった梁の腹に、焼け残った板材を噛ませる。

ララが肩で持ち上げ、俺が石で固定する。

 

ぎし、と軋む。

まあ、大丈夫だろう。

二人で軽く荷重を試す。崩れない。

 

作業に入る。まずは軽いものから。

見えている炭片を脇へ投げ捨てていく。

 

次に、ちょうど良い形状の炭片で、層になっている灰を撫でるように退けていく。

 

ざら。

 

ざら。

 

ざら。

 

ときどき、奥で『ぷつ』と水分を感じる生々しい音が混じる。

やめてくれ。

 

「エリサ、風を頼む。そよ風でな」

 

少し口ごもったエリサだが、すぐに俺の意図を察すると詠唱を始める。

 

風魔法。俺には使えない。

術式を完璧に模倣したつもりでも、発動しなかった。

講師役の宮廷魔術師によれば、俺の魔力出力回路の性質では扱えないらしい。

 

相性。向き不向き。そういうやつだ。

 

エリサの作った風が水平に、積もった灰の表層を撫でる。

それは薄墨色の帯になって横へ滑り、空気に混じった。

 

マスクをしていても、少し喉がひりひりとする。

この下にあるはずの()()のことを、考えてしまうせいか。

 

露わになった大きめの炭片を三人で退ける。

焦げの下から、四角い焦げが出現した。

 

簀の子(すのこ)であった部分の端も見える。

すでに脚は燃え落ち、床面と共に炭と化した寝台だ。

 

そこで一度、手を止める。

灰に閉じ込められていた熱が、こみ上げてきたからだ。

どこかで火がまだ息をしていないか。

 

どうやら、大丈夫らしい。

 

「ここ、空洞が残ってるわ」

 

誰が喋った?

 

そう思って見回すと、どうやらエリサだった。

 

丁寧な従者口調をかなぐり捨てている。普段からそれでいいんだぞ。

そういう思いは一旦脇にやり、のぞき込む。

 

ここに残っていた空気が、熱せられ、閉じ込められていたのだろう。

おそらく、寝台が崩れ、出来上がった空間。

 

そこに積もった灰を、自分の方へ寄せる。

 

風魔法は使わない。

灰が空洞の中を舞ってしまう。

 

手首だけを動かす。

ゆっくりと。

 

勢いをつけると、()()を壊すかもしれない。

 

ララが空洞の支えを、その身で補強する。

エリサが濡れ布で灰を掬い、別の場所へ移す。

 

あの恐竜映画の発掘シーンを思い出すが、刷毛はない。

 

慎重に、素手でやる。

 

指先に、違う硬さが当たった。

 

木でも鉄でもない。

骨でもない。

皮膚の名残。

 

木材だったものと変わらない硬さ。

しかし、その下には温度と共に、柔らかい弾力を残している。

 

俺が動きを止めたことで、ララは何かを察したようだ。

 

『代わるぞ』

 

そんなジェスチャー。

 

「いい。……俺がやる」

 

なぜ、俺はこんなことを言うのだろう。

 

エリサにやらせるのは違う。

ララにやらせるのも、なにか違う。

 

だからと言って、贖罪の意識でもあるのだろうか。

いったい何の。

誰に対して。

 

さっき聞いたばかりの、この子の名前。

なんだったか。

記憶の浅いところで、つかえる。

 

寝台に座り、ルナと共に祈りを捧げる少女の姿が、脳裏に浮かんですぐに消えた。

 

くるぶしの丸み。

そこから上に向かって、そっと灰を払う。

 

足首。

 

脛。

 

火は布を舐め、布は皮膚を舐め、皮膚は肉を守って最後に固まる。

そういう順番で壊れる。

 

三本の指の幅だけで、少しずつ灰を剥がす。

 

やがて、縮こまった両腕も露わになる。

 

拳を握り、肘と膝を屈曲させ、前屈姿勢。

 

胸の前で、何かを抱えているようにも見える。

抱えたものは、もうとっくに灰だけど。

 

犬だか熊だかよく分からない奇妙な動物の姿が脳裏に浮かんで、やはりすぐに消えた。

 

「……見つかったよ」

 

瓦礫から立ち上がり、告げる。

 

ララが支えに体を預けたまま、目を閉じた。

 

エリサが布を濡らし直し、残った俺の指のあいだの灰を払う。

 

ルナがこちらへにじり寄った。

 

手を伸ばしかけて、一度止める。

迂闊に触れれば、壊してしまう。

 

そっと、炭化した小さな手に、自らの手を添えた。

そして、祈り。

指が印を結ぶ。

声は喉の奥だけで震える。

涙の粒が灰に落ち、丸い黒点になった。

 

「……ミーナ……なぜこんな……ミーナ……」

 

繰り返される名前。

 

そうだ。

 

彼女の名前は、ミーナだ。

 

俺は寝台の枠組みだったものを、少し整えた。

周囲に残材で囲いを作る。

誰かがうっかり踏み抜かないように。

 

世界の半分はうっかりで回っているから、こういう処置は必要だ。

 

「ごめんな」

 

小さな人型の炭に向かって言う。

 

謝るべき相手は、ここにいない。

謝るべき相手だったものがあるだけだ。

いたとしても、俺の声なんて聞きたくないだろう。

 

「仇をとってやるわけには……いかないかもしれない」

 

正義を、便利な道具にするつもりはない。

それでも、怒りはある。

 

あの子に少しも寄り添えなかった男の、身勝手な怒り。

 

そして、その怒りに、自分の都合で蓋をする。

 

人間は。

 

俺は。

 

そういう政治的な動物だ。

 

ルナは祈りを終えて、顔を上げた。

睫毛が濡れて、灰の光をひとつ弾いた。

 

俺は立ち上がり、梁の支えをもう一度確かめる。

崩れない。

 

いつの間にか、ララが泣いていた。

 

俺に抱き着く。

 

『俺を抱きしめる』という表現のほうが似合いそうな女だが、今はただの女に見えた。

 

「……ありがとう」

 

何度も、そう言う。

 

嗚咽交じりで。

 

その真意までは、俺には察せられなかった。

 

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