神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~ 作:筆負野ユウ
そのとき、右手が重くなった。
何かを握っている。剣だった。
先ほど手放した剣と、ほとんど同じ形をしている。ただし、細部は歪み、刃はわずかに波打っていた。鍔はなく、持ち手も手に馴染まない。
多少歪なのはとっさに構築したからか――そう、この剣は俺が作り出した物だと俺は知っている。
振り下ろされた敵の刃を、反射で受け止める。
火花が散る。重みが伝わる。俺の構築した剣に、僅かなひびが入っている。
このままでは、何合も打ち合わないうちに折れる。
脆い。
それどころか、折れるより先に形を保てなくなる。剣を形作っている何かが、急速にほどける。
そのことも、予め知っている。
なら、使える。
直後、右手の剣が塵になった。
支えを失った敵は、鍔迫り合いに込めた力の行き場を無くし、前のめりになる。剣が石床を叩き、火花を散らした。
予定通り。
ここまでは完璧。
痺れる左手に意識を向ける。大きな剣はいらない。この距離では邪魔だ。左腕は痛み、自由も利かない。握って突き立てるだけの物でいい。
短く、細く、硬く。
先端の尖った金属の棒。
「よし……」
左手の中に、杭が生まれた。剣より早い。形も安定している。
小さく、単純な物ほど作りやすいらしい。
俺は前のめりになった敵の兜へ左手を伸ばした。鼻当てと鎖帷子の隙間。その奥にある右目へ、杭を突き込む。
思っていたより固かった。嫌な音が弾け、何かが潰れる感触が手首から肘まで這い上がる。
敵が絶叫した。
左の上腕に力が入り、裂けた傷口がまた熱を持つ。血が流れ出すのが分かったが、構ってはいられない。
空いた右手には、もう次の武器があった。
剣と呼ぶには、少々雑だった。
鍔も飾りもない。刃先も充分に立っていない。最初の剣より幅が広く、分厚い。大きな鉄板の端を斜めに削り、握る場所だけ細くしたような代物だ。
重い。
だが、今の俺の腕力なら振れる。
細かな形を整える必要もない。切れ味が足りないなら、大きさと重さで叩き潰せばいい。
それで充分だった。
鉄板じみた刃を、力いっぱい振り下ろす。
片目を押さえてよろめいていた敵が、反射的に剣を掲げた。
遅い。
俺の刃は、剣を握った腕を断ち、そのまま鎧を叩き割った。肩口から胸へ深く食い込み、ようやく止まる。
切断された腕が、剣を握ったまま石床へ落ちた。そこへ大量の血が降り注ぎ、続いて鎧を着た男が覆い被さるように倒れる。
金属が鳴った。
さっきまで人間だったものが、重い袋のように動かなくなった。
「……俺、いま二人殺したな」
口に出した途端、実感が遅れて押し寄せてきた。
「合コン、行けてたら、いいことあったかな……」
本当にくだらない。
だが、くだらないことでも口にしていないと、自分の手が何をしたのか考えてしまいそうだった。
石床の上で赤い液体が広がっていく。殺した男の血だけではない。俺の左腕からも、まだ流れ続けていた。
気は進まないが、傷口を覗き込む。
上腕の外側が深く裂けている。引き裂かれたシャツの間から、薄黄色い脂肪と赤い筋肉が見えた。
見なければよかった。
急に体温が下がった気がした。脚が震え、指先が冷える。視界の端も、少しずつ暗くなっていく。
心理的なものかと思った。
しかし、どうやら違う。
――あ、これ出血のせいだわ。
意識が遠のき、膝をつく。
何人目かの敵を斬り捨てた長身の剣士が、俺の前へ入った。剣を振るい、迫ってきた兵士を押し返す。その左右へ味方の兵も集まり、崩れかけていた防御線を階段の手前まで押し戻した。
守ってくれるらしい。心強い。
できれば最初からそうしてほしかった。
背後から女神の声が聞こえた。味方へ何か指示を飛ばしながら、何度も俺の名を呼んでいる。
「セト」
それだけは分かる。
だるい身体をひねって振り返ると、女神が駆け寄ってきた。泣きそうな顔をしている。
いや、もう涙目だった。
彼女は透明な瓶を取り出し、俺の左腕へ中身を振りかけた。
「ぐあっ! ぐふぉぉっ!」
あまりの痛さに、間抜けな奇声を上げながら身体をよじり、尻餅をつく。遠のきかけていた意識が、無理やり現実へ引き戻される。
眠気覚ましとしては最悪だ。効果は抜群だった。
斬られた瞬間より痛い。治療なのか拷問なのか、はっきりしてほしい。
女神も涙目だったが、たぶん俺も負けていなかったと思う。
次に、彼女は瓶を俺の口元へ当てた。
飲め、ということらしい。さっき傷口へかけた物と同じに見える。
消毒液じゃないのか。飲んでいいのか、それ。こんなに沁みる劇物を。
だが、治療なのだろうという察しはつく。
「ええい、やけくそだ」
喉へ流し込んだ。
苦い。臭い。喉が全力で拒絶する。薬らしい味と言えばそうだが、もう少し人類に歩み寄ってほしい味だ。
女神は空になった瓶を置き、自分のドレスの裾を掴んだ。
びり、と布が裂ける。
高級そうな生地だった。俺のスーツよりは確実に高い。比べること自体が失礼かもしれない。
彼女は惜しむ様子もなく、裂いた布を傷口へ強く巻きつけていく。手つきは慣れていた。
血を見て取り乱しているわけではない。
泣きそうになりながらも、やるべきことは分かっている。
善意のある人間なのだろう。
それくらいは、言葉が通じなくても分かった。
布の隙間から見える傷は、先ほどより出血が弱まっている。数メートル先では、長身の剣士と兵たちが敵を食い止めていた。押し返してはいるが、戦闘が終わったわけではない。
女神の頬を、一粒の涙が伝った。燭火を受けて光る。
美しい。
人を二人殺して、腕を裂かれて、まだ剣戟の音が続いている状況で、俺はそんなことを思った。
そして、身体は、生き延びたがっている。
恐怖で心臓は暴れ、痛みで意識は冴え、目の前には涙をこぼす美女がいる。
薄手のドレスからはっきり分かる、整ったプロポーション。破けた裾からは生脚。覗く胸元。
つい目が行く。
――殺し合いの最中に、何を考えているんだ俺は。
いや、仕方ないだろう。死にかけたからといって、性欲まで礼儀正しく死んでくれるわけではない。
処置を終えた女神が、俺の顔を覗き込んだ。
赤くなった目。濡れた睫毛。震える唇。
邪な思考を見透かされそうな気がして、俺は目を逸らした。
その瞬間、彼女が抱きついてきた。
不意打ちだった。
血と松明の油が燃える臭いの中へ、場違いに柔らかな匂いが混じる。身体が密着し、頬へ金色の髪が触れた。
「セト……」
名前を呼ばれる。
助かったという安堵。治療してくれたことへの感謝。抱きつかれた気恥ずかしさ。それから、自分でも呆れるほど場違いな性欲。
戦っていた時とは別の理由で、鼓動が速くなった。
思わず右手を細い腰へ回す。良い匂いがした。
気持ち悪いぞ、俺。
ムラムラしてきた。
殺し合いの最中なのに。いや、命の危機だからこそか。
だが、その場違いな欲情が膨らむのと同時に、裂けた左腕の痛みが、すっと遠のいた。
女神は俺の反応に気づいていない。
傷ついた人間を安心させようとしている。それだけなのだろう。
自分の慈愛が、相手の性欲になって返ってくる。こういう人間には、そんな発想自体がないのかもしれない。
美しい善意だと思った。
あまり、好きではなかった。
長身の剣士の叫び声で、現実へ引き戻された。
そうだ。まだ戦闘中だった。
戦うなり、逃げるなりしなければならない。
俺は女神の身体を離し、弱った体に鞭打ってすくっと立ち上がる。
――いや、すくっと?
さっきまでのだるさが消えている。脚の震えも、指先の冷たさもない。左腕の傷はまだ残っているが、その痛みさえ遠い。
脚。腰。右腕。負傷する前より、明らかに動く。
修理が終わったどころではない。
原付からリッターバイクへ乗り換えたような気分だった。
出力が違う。
左腕の自由は完全には戻らない。それでも、それ以外は負傷前より遥かに快調だ。
薬が効いたのだろうか。
だが、それだけではない気がする。身体の奥を、俺のものではない熱が走っている。
気味が悪い。
だが、使える。
戦闘へ目を向けた。
敵の人数は増えている。建物の外から聞こえていた剣戟は、いつの間にか止んでいた。
代わりに、フード付きのローブを着た男が二人、階段から姿を現す。二人とも短い杖を持ち、聞き取れない言葉を唱えていた。
これってまさか――。
魔法かよ。
ここまで来ると、驚くのにも疲れる。
というか、俺がさっき剣や杭を作ったのも、魔法なのだろうか。
ローブの男が杖を向けた。火の塊が生まれる。
次の瞬間、それが俺へ飛んできた。
身体を投げ出すように横へ跳ぶ。火球は背後の壁へ激突し、灼熱を撒き散らした。
怖い。怖いはずだった。
だが、身体の奥が妙に熱い。血の匂いも、傷の痛みも、火球の熱も、すべてが遠くて近い。頭のどこかが、こんな状況なのに回転数を上げている。
「ははっ、直撃してたら丸焼きだな……!」
口に出した自分に、ぞっとした。
笑う場面ではない。なのに、笑えた。
もう一人のローブ男が火球を放つ。
狙いは長身の剣士――先ほどから“ノア”と呼ばれている男だった。
ノアは火球をくぐるように避け、その勢いのまま前へ出る。そして、黒い外套の男へ一直線に迫っていった。
速い。
そのまま仕留めてくれ。
そう願った直後、女神――“ルナ”と呼ばれている女が、ノアへ何かを叫んだ。制止するような声だった。
黒い外套の男は、迫る剣を前にしても動かない。
逃げもしない。身構えもしない。
ただ、口元だけをわずかに歪めた。