神様、ちょっと黙ってろ ~神は死んだ。聖女はまだ祈っている。~   作:筆負野ユウ

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第3話 剣を握る手

そのとき、右手が重くなった。

何かを握っている。剣だった。

 

先ほど手放した剣と、ほとんど同じ形をしている。ただし、細部は歪み、刃はわずかに波打っていた。鍔はなく、持ち手も手に馴染まない。

 

多少歪なのはとっさに構築したからか――そう、この剣は俺が作り出した物だと俺は知っている。

 

振り下ろされた敵の刃を、反射で受け止める。

火花が散る。重みが伝わる。俺の構築した剣に、僅かなひびが入っている。

このままでは、何合も打ち合わないうちに折れる。

 

脆い。

 

それどころか、折れるより先に形を保てなくなる。剣を形作っている何かが、急速にほどける。

そのことも、予め知っている。

 

なら、使える。

 

直後、右手の剣が塵になった。

支えを失った敵は、鍔迫り合いに込めた力の行き場を無くし、前のめりになる。剣が石床を叩き、火花を散らした。

 

予定通り。

 

ここまでは完璧。

 

痺れる左手に意識を向ける。大きな剣はいらない。この距離では邪魔だ。左腕は痛み、自由も利かない。握って突き立てるだけの物でいい。

 

短く、細く、硬く。

先端の尖った金属の棒。

 

「よし……」

 

左手の中に、杭が生まれた。剣より早い。形も安定している。

小さく、単純な物ほど作りやすいらしい。

 

俺は前のめりになった敵の兜へ左手を伸ばした。鼻当てと鎖帷子の隙間。その奥にある右目へ、杭を突き込む。

思っていたより固かった。嫌な音が弾け、何かが潰れる感触が手首から肘まで這い上がる。

 

敵が絶叫した。

 

左の上腕に力が入り、裂けた傷口がまた熱を持つ。血が流れ出すのが分かったが、構ってはいられない。

 

空いた右手には、もう次の武器があった。

 

剣と呼ぶには、少々雑だった。

鍔も飾りもない。刃先も充分に立っていない。最初の剣より幅が広く、分厚い。大きな鉄板の端を斜めに削り、握る場所だけ細くしたような代物だ。

 

重い。

だが、今の俺の腕力なら振れる。

 

細かな形を整える必要もない。切れ味が足りないなら、大きさと重さで叩き潰せばいい。

それで充分だった。

 

鉄板じみた刃を、力いっぱい振り下ろす。

片目を押さえてよろめいていた敵が、反射的に剣を掲げた。

 

遅い。

 

俺の刃は、剣を握った腕を断ち、そのまま鎧を叩き割った。肩口から胸へ深く食い込み、ようやく止まる。

切断された腕が、剣を握ったまま石床へ落ちた。そこへ大量の血が降り注ぎ、続いて鎧を着た男が覆い被さるように倒れる。

 

金属が鳴った。

さっきまで人間だったものが、重い袋のように動かなくなった。

 

「……俺、いま二人殺したな」

 

口に出した途端、実感が遅れて押し寄せてきた。

 

「合コン、行けてたら、いいことあったかな……」

 

本当にくだらない。

 

だが、くだらないことでも口にしていないと、自分の手が何をしたのか考えてしまいそうだった。

 

石床の上で赤い液体が広がっていく。殺した男の血だけではない。俺の左腕からも、まだ流れ続けていた。

 

気は進まないが、傷口を覗き込む。

 

上腕の外側が深く裂けている。引き裂かれたシャツの間から、薄黄色い脂肪と赤い筋肉が見えた。

 

見なければよかった。

 

急に体温が下がった気がした。脚が震え、指先が冷える。視界の端も、少しずつ暗くなっていく。

 

心理的なものかと思った。

 

しかし、どうやら違う。

 

――あ、これ出血のせいだわ。

 

意識が遠のき、膝をつく。

 

何人目かの敵を斬り捨てた長身の剣士が、俺の前へ入った。剣を振るい、迫ってきた兵士を押し返す。その左右へ味方の兵も集まり、崩れかけていた防御線を階段の手前まで押し戻した。

 

守ってくれるらしい。心強い。

できれば最初からそうしてほしかった。

 

背後から女神の声が聞こえた。味方へ何か指示を飛ばしながら、何度も俺の名を呼んでいる。

 

「セト」

 

それだけは分かる。

 

だるい身体をひねって振り返ると、女神が駆け寄ってきた。泣きそうな顔をしている。

いや、もう涙目だった。

 

彼女は透明な瓶を取り出し、俺の左腕へ中身を振りかけた。

 

「ぐあっ! ぐふぉぉっ!」

 

あまりの痛さに、間抜けな奇声を上げながら身体をよじり、尻餅をつく。遠のきかけていた意識が、無理やり現実へ引き戻される。

 

眠気覚ましとしては最悪だ。効果は抜群だった。

斬られた瞬間より痛い。治療なのか拷問なのか、はっきりしてほしい。

 

女神も涙目だったが、たぶん俺も負けていなかったと思う。

 

次に、彼女は瓶を俺の口元へ当てた。

飲め、ということらしい。さっき傷口へかけた物と同じに見える。

 

消毒液じゃないのか。飲んでいいのか、それ。こんなに沁みる劇物を。

 

だが、治療なのだろうという察しはつく。

 

「ええい、やけくそだ」

 

喉へ流し込んだ。

苦い。臭い。喉が全力で拒絶する。薬らしい味と言えばそうだが、もう少し人類に歩み寄ってほしい味だ。

 

女神は空になった瓶を置き、自分のドレスの裾を掴んだ。

びり、と布が裂ける。

 

高級そうな生地だった。俺のスーツよりは確実に高い。比べること自体が失礼かもしれない。

彼女は惜しむ様子もなく、裂いた布を傷口へ強く巻きつけていく。手つきは慣れていた。

 

血を見て取り乱しているわけではない。

泣きそうになりながらも、やるべきことは分かっている。

善意のある人間なのだろう。

 

それくらいは、言葉が通じなくても分かった。

 

布の隙間から見える傷は、先ほどより出血が弱まっている。数メートル先では、長身の剣士と兵たちが敵を食い止めていた。押し返してはいるが、戦闘が終わったわけではない。

 

女神の頬を、一粒の涙が伝った。燭火を受けて光る。

 

美しい。

 

人を二人殺して、腕を裂かれて、まだ剣戟の音が続いている状況で、俺はそんなことを思った。

 

そして、身体は、生き延びたがっている。

恐怖で心臓は暴れ、痛みで意識は冴え、目の前には涙をこぼす美女がいる。

 

薄手のドレスからはっきり分かる、整ったプロポーション。破けた裾からは生脚。覗く胸元。

 

つい目が行く。

 

――殺し合いの最中に、何を考えているんだ俺は。

 

いや、仕方ないだろう。死にかけたからといって、性欲まで礼儀正しく死んでくれるわけではない。

 

処置を終えた女神が、俺の顔を覗き込んだ。

赤くなった目。濡れた睫毛。震える唇。

 

邪な思考を見透かされそうな気がして、俺は目を逸らした。

 

その瞬間、彼女が抱きついてきた。

 

不意打ちだった。

 

血と松明の油が燃える臭いの中へ、場違いに柔らかな匂いが混じる。身体が密着し、頬へ金色の髪が触れた。

 

「セト……」

 

名前を呼ばれる。

 

助かったという安堵。治療してくれたことへの感謝。抱きつかれた気恥ずかしさ。それから、自分でも呆れるほど場違いな性欲。

 

戦っていた時とは別の理由で、鼓動が速くなった。

 

思わず右手を細い腰へ回す。良い匂いがした。

 

気持ち悪いぞ、俺。

 

ムラムラしてきた。

殺し合いの最中なのに。いや、命の危機だからこそか。

 

だが、その場違いな欲情が膨らむのと同時に、裂けた左腕の痛みが、すっと遠のいた。

 

女神は俺の反応に気づいていない。

傷ついた人間を安心させようとしている。それだけなのだろう。

 

自分の慈愛が、相手の性欲になって返ってくる。こういう人間には、そんな発想自体がないのかもしれない。

 

美しい善意だと思った。

 

あまり、好きではなかった。

 

長身の剣士の叫び声で、現実へ引き戻された。

 

そうだ。まだ戦闘中だった。

戦うなり、逃げるなりしなければならない。

 

俺は女神の身体を離し、弱った体に鞭打ってすくっと立ち上がる。

 

――いや、すくっと?

 

さっきまでのだるさが消えている。脚の震えも、指先の冷たさもない。左腕の傷はまだ残っているが、その痛みさえ遠い。

脚。腰。右腕。負傷する前より、明らかに動く。

 

修理が終わったどころではない。

原付からリッターバイクへ乗り換えたような気分だった。

 

出力が違う。

 

左腕の自由は完全には戻らない。それでも、それ以外は負傷前より遥かに快調だ。

薬が効いたのだろうか。

 

だが、それだけではない気がする。身体の奥を、俺のものではない熱が走っている。

 

気味が悪い。

だが、使える。

 

戦闘へ目を向けた。

敵の人数は増えている。建物の外から聞こえていた剣戟は、いつの間にか止んでいた。

 

代わりに、フード付きのローブを着た男が二人、階段から姿を現す。二人とも短い杖を持ち、聞き取れない言葉を唱えていた。

 

これってまさか――。

魔法かよ。

 

ここまで来ると、驚くのにも疲れる。

というか、俺がさっき剣や杭を作ったのも、魔法なのだろうか。

 

ローブの男が杖を向けた。火の塊が生まれる。

次の瞬間、それが俺へ飛んできた。

 

身体を投げ出すように横へ跳ぶ。火球は背後の壁へ激突し、灼熱を撒き散らした。

 

怖い。怖いはずだった。

だが、身体の奥が妙に熱い。血の匂いも、傷の痛みも、火球の熱も、すべてが遠くて近い。頭のどこかが、こんな状況なのに回転数を上げている。

 

「ははっ、直撃してたら丸焼きだな……!」

 

口に出した自分に、ぞっとした。

笑う場面ではない。なのに、笑えた。

 

もう一人のローブ男が火球を放つ。

狙いは長身の剣士――先ほどから“ノア”と呼ばれている男だった。

 

ノアは火球をくぐるように避け、その勢いのまま前へ出る。そして、黒い外套の男へ一直線に迫っていった。

 

速い。

そのまま仕留めてくれ。

 

そう願った直後、女神――“ルナ”と呼ばれている女が、ノアへ何かを叫んだ。制止するような声だった。

 

黒い外套の男は、迫る剣を前にしても動かない。

逃げもしない。身構えもしない。

 

ただ、口元だけをわずかに歪めた。

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