勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
「お疲れさん。先は長くなりそうだ。あんたらは少し休んでくれ。一階の広間に食い物も置いてある」
守備隊長ガバンの声は、石壁に吸われて丸くなった。
汗、油、鉄、そして焚きしめた薬草のにおい。
ここにあるもの全部が、籠城の匂いに変わっている。
ガバンは初めからずっと、貴族として名乗ったララ様ではなく、セトに話し掛けていた。
それが叩き上げの自然な判断なのだろう。
「助かる。じゃ、先に借りるよ」
セトが軽く答えてから、ついでみたいに、なんの気もないように質問を投げる。
「ここの隊は、ずっとガバン隊長が仕切ってるのかい?」
「いや。別の旦那が隊長だったがな。少し前に死んじまって、副長のわしが繰り上がりよ」
セトが、口の端だけで笑った。
きっと私にしか分からないくらい、ほんの少し。
「その戦いで、ずいぶんと戦死者が出たらしいな」
「……誰だ、口の軽いのは」
「でも、戦力半減だろ。その戦力があれば、もう少し楽な状況だったのにな」
「……違ぇねえ」
「あまり二階から離れたくないからな。俺たちはそこの空き部屋で休ませてもらうよ」
「ああ」
そこで会話はぷつんと切れた。
ガバンは肩をぐるりと回し、短い指示を飛ばしに去っていく。
残された空気には、使い込まれた革と金具の匂いだけが残った。
セトが廊下の窓をちらと見て、私たちへ向き直る。
私はうなずき、ララ様と三人で狭い廊下を進む。
足裏に石の冷たさ。
壁沿いの魔法灯が淡く揺れて、金属の影が細く伸びる。
空き部屋は簡素だった。
寝台が一つと小机。
壁際に衣装箱。
床は清潔で、蝋が薄く光っている。
扉を閉めると、外の騒ぎが一段遠のいた。
セトは革袋のエールをひと口だけ飲んで、私とララ様を見回した。
「俺がこのあと何をしても、慌てるな。淡々と防衛をやってればいい」
「何をするつもり?」
とララ様。
「必要なこと。二人は、俺より賢く動け」
軽口みたいな言い方なのに、目はぜんぜん笑っていない。
嫌な予感と、変な安心が同時に胸に落ちる。
セトはきっと、勝てる算段を持っている。
計算高い男だと思う。
同時に酷く大雑把な男でもある。
「今は少しでも寝とこう」
セトは上着を丸めて枕にし、そのまま寝台へ。
女性に寝台を譲るという配慮はないようだ。
呼吸はすぐ浅く、整う。
ララ様は呆れたようにため息をつくと、剣を抜いて布で拭き、次に革鎧の装着具合を確かめる。
私は特にすることもないが、念のために薬瓶の順番を入れ替える。
治療薬を一番手前に。
他のものは奥でいいだろう。
「……エリサも少し横になりなよ」
「はい。見張りは必要ないですね」
外から、ときどき鉄の扉金具が鳴る音。
誰かが駆け上がる足音。
遠くで水桶が置かれる鈍い響き。
私は寝台にもたれかかるように床へ腰を下ろし、膝の上で指を組む。
ララ様は寝台の端で目を閉じる。
私は数を数える。
十まで行かないうちに、セトの寝息に、少しだけ救われている自分に気づいた。
いつの間にか、まぶたの裏に白い顔のない面が浮かび、火の粉の音がそこに重なる。
セトの「慌てるな」が反芻され、そこで意識がふっと薄れた。
◇◇◇
目が覚めたのは、床の下からくぐもった衝撃が続けざまに届いたからだ。
石が震え、寝台の脚がコトンと鳴る。
薄闇。
魔法灯の光が弱く揺れて、廊下のほうから人の気配が流れ込んでくる。
扉を開け、窓のある廊下へ。
外はもう夕色をすぎ、ほぼ藍に沈んでいた。
白鎧たちが組んだ陣の輪郭が、地面の上だけぼんやり光っている。
魔法陣だ、と分かったのは、光の筋が規則正しく脈打っていたから。
次の瞬間、三体の白鎧の腕がふっと明るくなり、そのまま館へ向けて光の矢を斉射。
壁に当たって砕ける音。
石粉が煙のように立つ。
「起きたか」
背後でセト。
目は完全に覚めていて、声はいつもの調子。
ララ様もすぐに現れた。
「なに、あれ」
「自分らの身体で陣を組んで、攻防一体のトーチカにしてる。そのまま移動は出来そうにないが、正面からは面倒だな」
サーコートの連中がたむろしているあたりから一本、松明の灯りが近づいてきた。
なにか起こったようだと、様子を見に来たタイミング。
白鎧との連携の気配は全く感じられない。
セトが窓辺から長杭を一発。
まっすぐ飛んで、白光の壁に弾かれた。
「マジモンのバリアかよ」
セトがつぶやく。
それがなにを意味する言葉かは分からなかった。
しかし、着弾点にヒビ。
壊せないということはなさそうだが、それなりに手間も魔力も掛かりそうだ。
「ロープ。さっきの部屋にあったやつ、持ってきて」
「了解。……え、何する気?」
「あとで説明する。いいから早く」
嫌な予感しかしない言い方だったが、戻らないという選択肢はない。
部屋に駆け込み、壁際の衣装箱の裏から巻いたロープを引っ張り出す。
普通の麻縄。
魔法の気配はない。
「ぎゃあああっ!」
廊下からララ様の声。
と言うか悲鳴。
ロープを引きずりながら飛び出す。
「どうしました?!」
ララ様が首だけでこちらへと振り向く。
その首の回転がやけにゆっくりと感じられ、もどかしい。
「セ、セトが飛び降りた!」
「なんで止めないのよ!」
ララ様相手の丁寧口調も忘れて、自分でも驚くくらいの声が出た。
「夜目は効くから大丈夫だって言ってた……」
「それがなに?!」
いけない。
口調を戻さないと。
落ち着け私。
夜目は効くから大丈夫。
なにが大丈夫なのかはわからないが、まずは落ち着こう。
「戻ってきたらロープを降ろせって」
窓辺に並ぶ。
外の闇は濃い。
白鎧の砲撃が続き、館の石に当たっては砕け、薄い振動が足裏へ返ってくる。
松明の灯りがゆらゆらと揺れ、持ち主が少しずつこちらに近づいて――ふっと、光が地面に落ちた。
持っていた男の姿が、影ごと消えた。
「……」
息が詰まる。
そのとき、別方向で、重い破裂音が重なる。
足元の方からだ。
さっきまでの斉射とは規模が違う、腹に来る爆ぜ方。
いや、規模以上に、少し音の質が違った。
そう思ったが、考える余裕はなかった。
館がギシ、と鳴って、どこかで何かが崩れ落ちる音。
嫌な汗が首筋を伝う。
「ロープ降ろせ!」
下から声。セトだ。
ララ様が縄を投げ、窓枠に足をかけて身を乗り出す。
魔法で身体強化をしているララ様なら、セトひとりの体重くらいは余裕だが、私も一応は後ろでロープを掴む。
闇の中、重い影が動いた。
セトが片腕でロープを掴み、もう一方の肩に荷物を担いでいる。
やけに大きなお土産だ。
「いくよ、せーの!」
ララ様が引く。
私も腰でロープを抱え込み、足で床を蹴る。
居合わせた弓兵も後ろから支えてくれて、セトの体がずるずると上がってくる。
縁まで来たところで、ララ様が前襟を掴んで引きずり込み、私が肩の荷物を窓枠越しにごろんと転がす。
床に落ちたそれは、浅く息をしている。
人間だ。
腕がだらんと伸び切り、両肩の関節が外れているのが見て取れた。
セトは息を一つ吐いて、短く言う。
「そのロープで手足を固めて。肩はそのままでいい」
「セト、下で爆発が」
「わかってる。急ごう」
通りがかった弓兵に預け、私たちは階段を駆け下りる。
一階。
厨房に出た瞬間、焼け焦げと埃の匂いが混じって鼻を刺した。
外壁の一部が破られ、白鎧が肩からねじ込んでくる。
「中に入れるな! 突け!押せ!」
ガバン隊長の声。
ひとりの兵が槍で突き、ひとりが楯で押し返す。
しかし二体目が壁際から体をねじ込む。
石粉がばらばら落ち、床がざらつく。
「どけ、射線を空けろ!」
ミラークが魔術師二人とアルゲスの箱を抱えて飛び込んでくる。
箱の棒先が破口に向く。
低く唸り、先端が白く尖って、光が走った。
一体は胸から肩へ。
二体目は腹から腰へ。
砂を崩すみたいにぐしゃりと落ちる。
やった、と思う間もなく、三体目が楯で床を払って侵入しかけてくる。
「もう一発!」
「無理です、冷却が追いつきません! なにより魔力が……!」
魔術師の額に汗。
箱はぶすぶす熱を吐き、そこに麻布を被せようとしている。
「貸せ」
セトが箱をひったくった。
持ち手を握り、ためらいゼロで魔力を叩き込む。
唸り。
先端が輝き、発射。
が、狙いは白鎧ではない。
棒先は厨房の天井、太い梁に向いた。
「えっ」
光の束が梁を裂き、天板を焼き抜く。
次の瞬間、上階がごごご、と鳴って、厨房の天井が丸ごと落ちた。
石と梁と床板が雪崩れ込み、破口が厚い瓦礫で塞がれる。
粉塵が爆ぜるみたいに広がり、耳が一瞬ぴーんと鳴った。
押さえに出ていた二人の兵が、崩れ落ちる天井に呑まれるのが見えた。
片方は楯を頭上に掲げたまま、「母さん」と叫ぶ声が砂に引きちぎられて途切れる。
もう片方の腕――黒い籠手の指先だけが瓦礫の隙間に突き出て、痙攣するように三度ほど空を掴み、それきり動かない。
「引け! 掘るな、まだ落ちる!」
ガバンの怒号。
誰かが素手で石をどかそうとして、熱と粉塵に煽られ、咳き込みながら後退する。
石の合わせ目から暗い色がじわりと滲み、砂と混じって黒ずんだ泥になって広がった。
火の粉はすぐに消え、煙だけが低く漂う。
外の足音が下がっていく気配。
瓦礫の面に、白鎧の腕が一瞬のぞいて押し込もうとしたが、積み重なった梁と石が重さで押し返した。
しばらくぶりの静寂が戻る。
誰かの喉から漏れた安堵の音が、全員の胸から出たみたいに聞こえた。
そして、さっきの二人がもう完全に見えなくなった事実が、粉塵の匂いの中に重く残った。
“箱”の中で何かが、バキン、と割れる嫌な音。
細い炎が覗き、魔術師が慌てて布で包んで踏み消す。
「……壊れましたね」
セトが短く頭を下げる。
「すまない。とっさで、他に手がなかったもので」
「ええ。最良の選択だったと考えます……ただ、よりによって厨房をやられるとは……」
ミラークの声は平らだった。
厨房は潰れ、地下倉庫へ降りる梯子も瓦礫に飲まれ、井戸の蓋も見えない。
長く籠もる選択肢は、きれいに消えた。
ミラークが、誰に応えるわけでもなく頷く。
「さっさと歩かんか!」
背後で声。
さっき窓から引き上げたサーコートが、手足を縛られ、兵士に首を掴まれて連れてこられる。
目を覚ましたらしい。
顔は青ざめて、噛んだ唇から血がにじんでいる。
セトの横顔は、いつものそれだった。
冷たくも熱くもない、仕事の顔。
「場所、貸してくれますか」
ミラークは一瞬だけ目を見開き、それでも頷いた。
◇
扉が閉まる音。
外では、白鎧の砲撃がまた再開し、びりびりと石に伝わってくる。
連中は、こちらが食料も水も潤沢だと思っているかもしれない。
それを考えるほどの知性はないかもしれない。
いずれにせよ、じっくり削る気だ。
でも、こちらはもう、余裕がない。
自分でも気づかないうちに、セトの横顔をじっと見ていた。
それに気づいたセトが少し笑って言う。
「夜明けまでに片をつけるさ」
セトは、どうなのだろうか。
焦っているようには見えない。
この男のことは、それなりに見てきた。
それでもこの状況で余裕があるように見えてしまうのは、まだ私がセトのことを知らないからか。
それとも――。
「さ、話をしようか」
私は喉を鳴らして息を整え、腰の薬瓶を指先で確かめた。
セトは椅子を引き、捕虜の前に座った。